原題 ; LE LOCATAIRE(1976)
 監督 ; ロマン・ポランスキー
 脚本 ; ロマン・ポランスキー、ジェラール・ブラッシュ
 音楽 ; フィリップ・サルド
 共演 ; ロマン・ポランスキー、メルヴィン・ダグラス、シェリー・ウィンタース
ロマン・ポランスキーが自ら主演して撮ったスリラー。アパートの恐怖という点では、「ローズマリーの赤ちゃん」と対を成す作品といえるかもしれない。
内気そうな青年トレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)は、ミルザというネコを飼う中年女性(シェリー・ウィンタース)が管理するアパートに部屋を借りることにした。
前の住人シモーヌ・シュールは投身自殺を図り重体になっていた。回復はあり得ないので部屋を貸すことにしたのだという。
階下に住む老人ズィー(メルヴィン・ダグラス)がアパートのオーナーだった。
トレルコフスキーは病院にシモーヌの様子を見に行く。
全身を包帯で巻かれたシモーヌは昏睡状態から目覚めたばかり。病室でトレルコフスキーはシモーヌの友人だというステラ(イザベル・アジャーニ)に出会う。
ステラが声をかけると、シモーヌは突然叫びだすのだった。
トレルコフスキーは、ショックを受けた様子のステラをカフェに誘い、二人で「燃えよドラゴン」を観に行く。客席で二人は絡み合いキスをする。
後日、トレルコフスキーが病院に電話すると、シモーヌはすでに死んでいた。
トレルjコフスキーは引っ越して荷物を整理する。彼がアパートの向かいにあるダイナーに行くと、店主はシモーヌも常連だったと言う。
シモーヌの葬儀にトレルコフスキーが行くとステラも来ていた。彼は息苦しくなって彼女に声もかけず教会を出る。
トレルコフスキーは友人を招いてパーティーを開く。盛り上がっていると上の住人が現れクレームをつけてきた。
トレルコフスキーは仕方なくお開きにする。彼は夜一人になっても神経質に忍び足で歩く。
翌朝はズィーにも眠れなかったと文句を言われる、
その日の新聞では真夜中に酔っ払ってオペラを歌い、隣人に射殺された男の記事が掲載されていた。トレルコフスキーは、ますます神経質になっていく。
トレルコフスキーは、壁の穴に何かが詰められているのを見つける。それは歯だった。彼は、その歯がシモーヌのものだと信じ込む。
ある夜、アパートに住むガデリアン夫人が娘を連れ、騒音でトレルコフスキーが苦情を出したか確認に来る。どうやら苦情は管理人が出したらしい。
窓から見えるトイレには、何時間も立ち尽くす老人がいつもいた。
事情を聞いた友人のスコープ(ベルナール・フレッソン)が押しかけ、わざと大音量でレコードをかける。彼は苦情をいいにきた住人も追い返してしまう。
シモーヌの知り合いバダールが部屋を訪ねてきた。彼はシモーヌの自殺を聞き驚く。
バダールは、長年シモーヌに想いを寄せていたが言い出せず、やっと意を決して告白に来たのだった。トレルコフスキーはバーでバダールをなぐさめる。
翌朝、トレルコフスキーが帰宅すると空き巣に部屋を荒らされていた。ズィーは取調べられるとアパートの評判が落ちると、トレルコフスキーに警察に届けを出すのをやめさせる。
トレルコフスキーはタバコを買いに入ったバーでステラと仲間が飲んでいるところに出くわす。彼はステラの部屋に行くが、ひどく酔って寝てしまう。
ある日、ディオズ夫人が押しかけてきてガデリアン夫人を追い出す陳情書に署名しろと迫る。ディオズ夫人は、ガデリアン夫人に娘はいないと言う。トレルコフスキーが署名を断ると、ディオズ夫人は捨てゼリフを吐いて去っていく。
次第に妄想を抱くようになったトレルコフスキーは、ディオズ夫人に首を絞められる幻覚に襲われた。彼は警察に行くが相手にされず、逆にアパートの住人から彼に対して苦情が出ていることで責められてしまう。
ガデリアン夫人はトレルコフスキーに署名しなかった礼を言い。他の部屋の戸口にフンを置いたという。自分が疑われることを恐れたトレルコフスキーは夜中にこっそりフンを自分の部屋の前に運ぶ。
さらにトレルコフスキーは精神のバランスを失っていく。窓から自分を覗き見する自分自身や包帯をほどくシモーヌの幻覚を見る。
トレルコフスキーは、ある朝起きると自分が化粧していることに気づく。誰かが自分をシモーヌに変えて自殺させようとしているという被害妄想に取りつかれた彼は、カツラやハイヒールを買い女装をする。
次の朝、女装のまま寝たトレルコフスキーが目覚めると、いつの間にか歯を抜いて壁の穴に差し込んでいた。
ズィーは部屋に女を連れ込んだと勘違いして文句を言ってくる。
トレルコフスキーの言動はヒステリックになっていく。公園で泣いていた子供を、いきなり叩いたリする。
女装したトレルコフスキーは、窓の外を女の首が舞ったり、道路でガデリアン夫人がリンチにあっている幻覚を見る。窓から侵入しようとしている者の幻を見た彼は、ガラスを割って手に怪我をしてしまう。
トレルコフスキーは明け方にステラのアパートを訪ねた。彼はステラに、シモーヌの自殺はアパート住人の陰謀で、自分も自殺に追い込もうとしていると話す。
パリを離れるというトレルコフスキーに、ステラは賛成する。
ステラは、すっかり神経の衰弱したトレルコフスキーを置いて仕事に出た。彼が一人でいると、ドアのチャイムをズィーが押している幻覚を見る。
ステラが住人とグルだという妄想に取りつかれたトレルコフスキーは、暴れ出し部屋をメチャクチャにしたあげく金を盗む。
安ホテルに部屋を借りるトレルコフスキー。彼はバーで銃を手に入れようとして追い出される。
道をふらついていたトレルコフスキーは車にはねられてしまう。かすり傷だけで済んだが、運転していた老女の首を絞めようとしたため鎮静剤を打たれる。
朦朧(もうろう)としてアパートに送られたトレルコフスキーは、路上や向かいの建物で大勢の人々が歓声を上げている幻覚を見る。喝采をあびながら女装した彼は飛び降りた。
その物音に住人たちが起き出してくる。
二人も続けて飛び降りたことに驚く住人たち。彼らはトレルコフスキーに動かないよう言うのだが、トレルコフスキーは住人たちに追い立てられる幻に襲われ血まみれで階段を這い上がっていく。やって来た警官や住人が止めるのも聞かず再び身を投げた。
やがて全身に包帯を巻かれ病室のベッドに身を横たえるトレルコフスキーの姿があった。
シモーヌとして自分を見舞うステラと自分自身の幻覚を見たトレルコフスキーは大声で叫びだすのだった。
「ローズマリーの赤ちゃん」では現代ニューヨークに巣食う悪魔崇拝主義者たちの恐怖を描いたが、本作ではパリを舞台に周囲の干渉に神経質なあまり狂気に陥っていく主人公の姿を鮮烈に描いている。
日常の中で現実と幻覚の区別がつかなくなっていく不安定な感覚が綿密に描写され、初期ポランスキー作品の集大成的な印象も受けた。
日本では配給会社のラインナップに載っていたこともあったが、結局未公開に終わってしまった。
一般受けするかどうかは別として上質な心理サスペンスの作品なので残念に思う。
現在のようにミニシアターが普及した環境であれば公開可能だったかもしれない。
「吸血鬼」では見習いヴァンパイア・ハンターをコミカルに演じたロマン・ポランスキーが、ナイーブな性格描写を見せて好演。全く性格の違う友人スコープとの対比も面白かった。
タイプはまったく違うが、トリュフォーの「野性の少年」と並ぶ、監督自身が主演した成功例ではないかと思う。
イザベル・アジャーニは思ったよりも小さな役で少々残念だったが、「アデルの恋の物語」とはうってかわって現代的な女性を魅力的に演じている。

テナント/恐怖を借りた男