原題 ; DEATH OF A SOLDIER(1986)
 監督 ; フィリップ・モーラ
 脚本 ; ウィリアム・ネイグル
 音楽 ; アラン・ザヴォド
 出演 ; レブ・ブラウン、ビル・ハンター、モリー・フィールズ、ベリンダ・デイヴィー
最低映画監督と悪評高いフィリップ・モーラ監督が出身地オーストラリアで撮った、実話に基づく社会派サスペンス、ではあるが凡作で汚名返上は出来なかった。そのためか劇場未公開。
第2次大戦中1942年のオーストラリア・メルボルンに4万8千人のアメリカ兵が駐留した。
MPのダネンバーグ少佐(ジェームズ・コバーン)が現地を取り仕切る。
GIの二等兵レオンスキー(レブ・ブラウン)とギャロのコンビは町で浮かれ騒ぐ。
翌朝、若い女性の絞殺死体が発見された。発見者は、死体にかがみこむ米兵の姿を見たと証言する。ダネンバーグは信憑性が薄いと主張、公表を避ける。
兄貴がムショ入りで傷心のレオンスキー。酒のことになると人格が変わりバカ騒ぎ。彼はナンパした女を「お前の声が欲しい」と絞め殺す。
被害者は警察官の妻。犯人は米兵と確定した。
市民感情は悪化し、ダネンバーグは上層部から早期解決を迫られる。
レオンスキーは、ギャロに自分が二重人格の殺人者だと泣きながら告白するが本気にしてもらえない。飲みに誘われると人が変わり突然元気になる。
酒場では市民と米兵が衝突、乱闘となってしまう。
騒ぎをよそにレオンスキーは殺しを繰り返していた。
ついに駅で対立した米兵と豪州兵が銃撃戦を展開、多数の死傷者を出すまでに事態は悪化する。ダネンバーグは、この事件を揉み消そうとする。
米軍上層部は事態を収めるために誰か一人を絞首刑にする必要があると判断。そのためには死刑のないオーストラリア側には逮捕させず、米軍で犯人を確保する必要があるのだ。ダネンバーグは、この方針に疑問を抱く。
レオンスキーは次の殺人に失敗。助かった二人の女性が軍で面通しを行うが、彼を見分けることは出来なかった。
雨の夜、またしても殺人を犯したレオンスキーは泥だらけで泣きながら兵舎に戻る。異常に気づいたギャロの通報により、レオンスキーは逮捕された。
形だけの裁判で死刑判決を目論む軍は、軍法会議の弁護人にダネンバーグを指名。
真摯に取り組むダネンバーグは、精神異常による無罪を主張する。
だが、オーストラリアの国民感情を重視して死刑を狙う軍事法廷の方針を変えることは出来なかった。
死刑判決を聞いてニヤつくレオンスキー。その姿に彼の狂気を確信したダネンバーグは上訴しようとするが、マッカーサー将軍はこれを妨害。
「正気でない者を処刑したら、自分たちも殺人者になる」ダネンバーグは現地の有力者である恋人を説得して嘆願書を本国に送るが、マッカーサーが死刑を早期に実施したため間に合わなかった。
死刑直前にレオンスキーがダネンバーグに残した手紙は、歌姫のイラストが「1年後に戻る」と言っているものだった。
大戦後、ダネンバーグのモデルとなった人物らの抗議運動により軍法会議の証拠提出方法が改善され、レオンスキー事件は人権擁護に役立った、と字幕が出る。
ストーリーだけを読むと、なかなか良い作品に仕上がってもおかしくない気がする。
しかし、フィリップ・モーラの演出はいかにも凡庸。
前半をサイコ・サスペンスとして連続殺人を描き、後半は人権問題を扱った裁判ドラマにすれば、受けること間違いなし、とふんだのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
フィリップ・モーラ監督の演出は全体的に緊張感に欠ける。もっとも、モーラ作品に緊張感のあるものがあるのかどうかも疑問だが。
犯人の狂気が説得力をもって描かれていないので、軍側の「犯人は間違いなく情緒不安定だが、責任を取れないほどではない」という意見のほうが納得できてしまう。
ジェームズ・コバーンは、軍上層部と現地警察の板挟みになりながらも毅然とした態度をとる軍人をそれなりに演じているが、平板な演出の犠牲となり精彩に欠けてしまっている。
このあとジェームズ・コバーンは持病のヘルニアが悪化し、「ヤングガン2」にカメオ出演するまでの数年間、長編映画への出演が途絶えることになる。なお、遺作となった「アメリカン・ガン」がなければ、本作が主演作としては最後の作品になっていた。危ないところだった。
犠牲・ある兵士の死