原題 ; A THOUSAND HEROES(1992) |
監督 ; ラモント・ジョンソン |
脚本 ; ハーヴ・ベネット |
音楽 ; チャールズ・フォックス |
出演 ; リチャード・トーマス、チャールストン・ヘストン、レオン・ラッサム |
実際に起きた航空機事故を題材にドラマ化したテレフューチャー。テレビ放映時のタイトルは「CRASH
LANDING: THE RESCUE OF FLIGHT 232」で、ビデオソフト化の際に変更されたらしい。 1990年代、ジェームズ・コバーンは、カメオ出演の大作を含めて数多くの作品に出たが、個人的に本作が一番気にいっている。 スーシティ空港は大豆ととうもろこしの畑に囲まれた小規模空港。 初めての防災訓練が実施されたが、統制が取れず結果はイマイチ。 予告なしにバスを爆破したことから、郡災害対策本部の責任者ゲイリー・ブラウン(リチャード・トーマス)と消防隊長ジム・ハサウェイ(ジェームズ・コバーン)は対立してしまう。 ジムの協力なしに防災体制の確立は不可能と考えたゲイリーは直談判。ジムは、ゲイリーがテレビなどで売名行為をしないことを条件に協力を約束する。 それから2年、予算の無駄使いとの批判もあったが、ゲイリーたちは演習を続けていた。 新たな大規模訓練が実施されるその日、デンバーを離陸してシカゴへ向かう大型旅客機UA232便が、全ての油圧系統が作動しなくなり操縦困難に陥ってしまった。機長を勤めるのはアル・ハインズ(チャールストン・ヘストン)。 緊急着陸が可能な地域に存在するのはスーシティ空港のみ。大型旅客機DC10が着陸できる十分な長さの滑走路はないが、他の選択肢はなかった。 連絡を受けた消防隊は即座に出動する。 だが、防災訓練のため空中で待機していた4機の空軍機も、燃料が減少し着陸せねばならない。 ハインズ機長は油圧系統に余分な負担をかけないよう必死の操縦を続ける。 周辺の地域にも救助活動協力が依頼され、病院でも受け入れ準備が進められる。 いよいよ空軍機の燃料がなくなり、ゲイリーはハインズ機長になんとか旋回して時間を稼いでもらい、至急着陸させる。 空港に接近する232便、油圧が落ちブレーキも利かない状態での不時着だった。 直前に機首の角度の問題から進入滑走路が変更され、待機していた救急隊は慌てて避難した。 UA232便は、着陸と同時に大破炎上した。黒煙が舞い上がる。この場面には一部、実際の記録映像が使用されている。 絶望的な心境で現場へと出動するゲイリー、ジムたち。死体の散らばる滑走路。 捜索が続けられ、ジムの指揮のもと消火活動も進められる。 そして、生存者も発見され始める。 とうもろこし畑には、さらに多くの生存者がいた。機が滑走路をそれたことが幸いし、土上に投げ出された者の多くが助かっていた。軽傷の者も少なくない。 機体が爆発炎上を続ける中、救助活動は続けられていく。 コックピットも大破していたが、その中からハインズ機長が生きて発見された。 負傷者が次々と病院に搬送される。負傷状態の選別が的確なため、迅速な対応が行われていく。 街では大規模な献血活動も行われていた。 救助活動は終了し、火災も鎮火した。46分間で189人の救助に成功していた。 遺体は調査のため置きっぱなしにしなければならなかった。 「数分の差だった。水がもっと早く届いていれば、もっと多くの者を救えた」嘆くジムをゲイリーは励ます。「出来る限りこことはした」 1週間がたち入院中の少年を救助した大佐が見舞っていた。殺到するマスコミに彼は言う。「あの子を助けたのは神だ」(この少年を救助する軍人の姿を写した報道写真も、この事故を有名にした一つの原動力となったらしい) 車椅子のハインズ機長も空港管制官の見舞いを受けていた。 やがてハインズ機長は退院し、帰還の飛行機へと乗り込んでいく。そこにはゲイリー、ジムをはじめとする多くの関係者の姿があった。一同は敬礼して機長を送り出すのだった。 1989年、乗員と救助隊はホワイトハウスで表彰され、今日この災害準備組織は世界中の規範となっている。テレビ用作品ということもあり派手な見せ場はないが、丁寧な演出と的確な演技で真摯な力を持った作品となっている。 赤いジャンプスーツを身にまとい陣頭指揮をとるジェームズ・コバーンの凛々しい演技も強い印象を残す。 余談=このモデルとなった事故は、アメリカの航空機事故の中でも最も有名なものの一つ。この事件を扱ったドキュメンタリーは、日本テレビの「世界まる見えテレビ特捜部」で、私の知っているだけでも3回取り上げられている。訓練が行き届いた地元の救助体制、パイロットの的確な判断と操縦能力、炎上した機体が滑走路をそれて畑の中に突っ込んだこと。3つの奇跡が重なって、全員死亡でもおかしくない大事故から多くの人々が生還した。 |