原題 ; THE CURSE OF THE CAT PEOPLE(1944)
 監督 ; ガンサー・V・フリッチ、ロバート・ワイズ
 脚本 ; デウィット・ボディーン
 音楽 ; ロイ・ウェッブ
 出演 ; アン・カーター、シモーヌ・シモン、ケント・スミス、ジェーン・ランドルフ
黒豹に変身する猫族の恐怖を描いたスリラー「キャット・ピープル」の続編。
主要登場人物は配役まで前作と同じで完全に前作の後日談となっているが、趣は全く異なり、揺れ動く児童心理をファンタジックに描いた秀作となっている。
前作で結ばれたオリバー(ケント・スミス)とアリス(ジェーン・ランドルフ)にはエミー(アン・カーター)という娘が生まれていた。
エミーは想像力が強く感受性が豊かで、それゆえ周囲に打ち解けないこともあった。
学校の課外授業で森に遊びに行ったときも、皆から離れ一人で蝶を追っていってしまう。
いいところを見せようとした少年が蝶を帽子で捕まえ殺したことに怒ったエミーは少年を叩いてしまい、オリバーたちはキャラハン先生(イヴ・マーチ)に呼び出される。
オリバーは繊細でもの思いに沈みがちなエミーに、死んだイレーナ(シモーヌ・シモン)の面影を感じて戸惑っていた。
エミーの誕生パーティーが開かれるが、誰も来ない。
実はエミーがパーティーの招待状を庭木のうろに入れていた。
そこは以前オリバーが魔法のポストだと教えた場所で、エミーはそれを覚えていたのだ。
パーティーは身内だけで始められ、エミーはいい子になることを誓う。
だが、約束してあったパーティーに招待してもらえなかったことからエミーは子供たちに仲間はずれにされてしまう。
エミーは、子供たちが魔女の住む家と噂する屋敷の前を通りかかったとき、二階から声をかけられる。
声に誘われたエミーが門の中に入っていくと、何かが投げ落とされる。
それはハンカチを通した指輪だった。声の主は指輪をくれると言う。
そこに現れた屋敷の娘バーバラ(エリザベス・ラッセル)がハンカチを取り上げる。
家に帰ったエミーが指輪を料理人のエドワードに見せると、もしかしたら魔法の指輪かもしれませんよ、と言う。
オリバーに話すと、嘘つき呼ばわりして取り合ってくれない。アリスがとりなそうとして口論となり、自分が原因で両親がケンカしたことにエミーはショックを受ける。
エミーは指輪に友達をくださいと願いをかける。すると風が歌うように思え、エミーは見えない友達と遊ぶ。
アリスは、エミーにエドワードと古い屋敷ファーレン家に指輪を返しに行くよう言う。
エミーは即座に同意した。「もう願いはかなったから」
翌日、エドワードが仕事で忙しいためエミー一人でファーレン家を訪ねる。
ファーレン家の老婆ジュリア(ジュリア・ディーン)は昔は有名な舞台女優で、娘バーバラのことをニセ者の詐欺師と言う。
ジュリアは指輪を受け取らず、首のない騎士の話をしてくれるが、そこにエドワードが迎えにやって来た。どうやらファーレン家はいわくがあり、評判が芳しくないらしい。
バーバラは実の娘なのだが、少し気のふれているらしいジュリアはどのような原因からか本当の娘は六歳で死に、メイドがバーバラに成りすましたと思い込んでいるようだった。
その夜、エミーは首のない騎士の話でうなされてしまった。
エミーが指輪に語りかけて友達を呼ぶと、それまで怖いものに見えていた影が穏やかで優しく見えてくるのだった。
モノクロの光と影を見事に生かして名場面の一つとなっている。
翌朝、エミーは机の引き出しからイレーナの写真を見つける。
すると友達は美しいイレーナの姿で現れるようになり、このことを誰にも言わないようエミーに口止めする。
オリバーはイレーナの写真を暖炉で燃やすが、一枚だけ残してアルバムにはさむ。
それから毎日、エミーは庭でイレーナの姿をした友達と遊んで過ごすようになる。
やがて季節は変わりクリスマス・イブ。エミーは指輪のお礼としてジュリアに別の指輪を買い、そして宛名のないプレゼントを友達に用意した。
その夜、エミーは友達にブローチのプレゼントを渡す。
翌日、エミーはエドワードとともにファーレン家を訪問する。安物の指輪だがジュリアは、とても喜んでくれた。
二人が帰ったあと、バーバラは実の娘からのプレゼントは開けもしないのにと、ジュリアに詰め寄る。怒ったバーバラは、今度エミーが来たら殺してやる、とまで言い出す。
一枚残されたイレーナとオリバーの写った写真を見つけたエミーは、お父さんと私の友達が一緒に写ってると言い出す。
それを聞いたオリバーは激昂し、友達などいないとエミーを怒鳴りつける。
キャラハン先生は、友達はエミーの子供らしい空想で、たまたま見たイレーナの写真が気に入ったため友達の姿に反映されたに違いないと冷静に分析する。
だが、オリバーにはイレーナの事件がトラウマとなっていた。
オリバーは、イレーナが発狂して自分を猫族と思い込み殺人を犯したうえで自殺したと信じていた。そのため子供の空想も精神錯乱の兆しと思えてしまうのだ。
その夜、エミーの枕元に友達が現れて告げる。自分はエミーに楽しさと友情を教えるために来たが、もう別れのときが近づいたと。
エミーは友達の姿を捜して吹雪の森へと出て行ってしまう。
それを知ったオリバーは、州警察に連絡し、自分がエミーを信じなかったことを後悔する。
警察犬の鳴き声におびえたエミーはファーレン家に逃げ込む。
バーバラの言葉を思い出したジュリアは、エミーを屋根裏部屋に隠そうとするが、階段の途中で発作を起こし息を引き取ってしまう。
そこに現れたバーバラは「死ぬときまで一緒だったのね」と嫉妬に燃えた眼差しをエミーに向ける。
エミーには、バーバラの姿にイレーナが重なって見えた。
「友達」とつぶやいてバーバラにしがみつくエミー。震えるバーバラの両手が一瞬エミーの首を絞めるかに見えるが、殺意は消えエミーを強く抱きしめる。
それまで能面のようなメークで無表情だったバーバラが、初めて人間らしい表情を取り戻す。ここも名場面の一つだ。
そこにオリバーと警官隊が到着し、オリバーはエミーを抱いて帰る。
庭を向いてオリバーが訪ねる。「友達は見えるかい」「ええ」「そうかい、お父さんにも見えるよ」家の中に姿を消す二人。
雪の積もる庭に佇むイレーナの姿は、やがて薄れ消えていくのだった。
父親が呪縛から解放されていくと同時に、娘も現実を取り戻していくという構成もうまい。
前作も屋内プールのシーンなどモノクロ画面をIいかした演出だったが、今回はさらに見事な出来となっている。
時に美しく、時にはゴシック・スリラーを思わせるダークなタッチで描かれた心理ドラマとして極めて完成度の高い作品。
余談その一=ライナーノーツによれば、製作者のヴァル・ルートンは自分で製作する映画の最終稿は必ずチェックして手を加えたとのこと。特に本作は全面的に書き直され、ほとんどヴァル・ルートンのオリジナル脚本と言っていいくらいになっているらしい。魔法のポストのエピソードなどヴァル・ルートン自身の体験から書かれたエピソードもいくつか織り込まれているようだ。ルートンは最終的にタイトルを「エミーと見えない友達」に改題したいと望んだが、製作所は大ヒット作「キャット・ピープル」をタイトルから外すことは許可しなかったという。なおジャマイカ出身の黒人使用人エドワードの描き方は、今見れば普通なのだが、当時としては異例なほど理性的だったらしく、その点でも称賛されたと書かれている。
余談その二=当初監督として起用されたガンサー・V・フリッチは撮影終了予定日になっても半分も撮り終えられず降板、これがデビューとなるロバート・ワイズ監督がバトン・タッチした。厳しい条件での撮影となったと思えるが、すでに「市民ケーン」の編集などで実力を発揮していたワイズ監督は見事な作品を作り上げた。「砲艦サンバブロ」「ウェストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」などワイド画面を駆使した大作で名を馳せたワイズ監督だが、初期の低予算映画にも優れた作品が多いようだ。
キャット・ピープルの呪い
ストーリーは基本的にラストまで
紹介してあります。
この作品はDVDが発売されているので
鑑賞が可能です。御注意ください。