年度 ; (1970) |
監督 ; 森川時久 |
脚本 ; 山内久 |
音楽 ; 佐藤勝 |
出演 ; 田中邦衛、橋本功、佐藤オリエ、山本圭、松山省二、石立鉄男、夏圭子 |
「若者たち」のシリーズ最終作。 高校の教職を辞めた三郎(山本圭)は出版社に勤め、夜は夜間中学の教師をしていた。 その中学に通う努少年は、父親が借金を残して駆け落ちしたため、杉本(稲葉義男)の経営する工場で朝から晩まで働かされている。 末吉(松山省二)は、車のセールスで記録を作り記念旗を貰うほどの成績を上げていた。そのやり方は強引で社内の者に批判されることもあった。 トラック運転手の次郎(橋本功)は、ぎっくり腰になって入院してしまった。荷積み中の事故だったが、組合活動に力を入れていたこともあり会社が労災を適用しない。 妻、町子(夏圭子)が身重なこともあり、次郎は焦る。 末吉は同僚のみわが好きなのだが、みわは所長の姪であり、打算が働いていることも事実だった。大学受験に失敗した末吉は、短大卒のみわにコンプレックスも感じている。 家を出て独立しようとする末吉と家族は口論になる。末吉は、みわと結婚するつもりでいた。 張り切る末吉だが、思ったように販売実績が上がらない。彼は自殺しようとしていたチエ(山口果林)を助ける。 勤勉な姉に叱られてばかりのチエは、すっかりいじけていた。末吉は彼女と関係を持ってしまう。 オリエ(佐藤オリエ)は脳貧血で倒れた戸坂(石立鉄男)を見舞う。そこで戸坂に恋人として和子を紹介された。和子は被爆二世だった。 戸坂は、佐藤家に謝罪に行く。太郎(田中邦衛)は激昂する。三郎は、もし戸坂が弱い者は弱い者同士という気持ちならば、それは間違っていると言う。 落ち込む戸坂をオリエは逆に励ます。 末吉は、みわを家族に紹介する。チエとの関係を知っている太郎は、怒って全てをみわに話す。 三郎は、大家の娘と末吉をくっつけようとしている太郎の下心を見透かして批判する。 結局、太郎と末吉の意見は相容れず大喧嘩になってしまう。太郎は高度成長期で繁栄する日本の中で、時々心に穴が開いたような気分になると言う。 そこに次郎が転がり込んできた。無理して仕事に出て事故を起こし、怒った町子が出て行ってしまったのだ。 三郎は出版社の仕事で公害問題をルポする。しかし、タイミングがずれたとして、出版を却下されてしまう。零細出版社では売れ筋の企画しか通らないのだ。 オリエがチエの職場を訪ねる。チエは、すっかり元気になっていた。 次郎は、子供が生まれるとアパートを出なければならないので金に困っていた。 末吉の勤めている車のセールス会社で、他社の車もこっそり売っていた社員が首になる。密告者は末吉だった。彼は同僚たちに殴られてしまう。 みわも、嫌いにはなっていないが、末吉のどこかが機械で、このままだと自分が部品の一つになってしまいそうな気がすると言い去って行った。 気持ちが荒んだ末吉は、香港に渡ってひと旗あげるなどと言い出す。三郎は人間を部品のように扱う現代社会を批判する。歪んでもクズでも欲しい物が手に入れば良い、と末吉は言う。 生きることの意味は環境の改善と生命の再生産だ、などと相変わらず理論派の三郎。 そこに長男、桃太郎の生まれた次郎が駆け込んでくる。母親の霊前に報告する太郎。次郎は早速酒盛りを始める。町子からはこのままでは離婚と脅されていたが、組合除名を免れてなんとかなりそうなのだ。 次郎は、末吉に香港でもどこにでも行ってアブク銭稼いで来いと言う。てめえは一人じゃねえ、ツッカエ棒がいっぱいあるんだからな。豪放な性格の次郎は末吉を励ます。 末吉は記念旗を海に捨て、病院の町子を訪ねる。次郎と町子の子供は、まだ目も開いていない。その姿に元気付けられた末吉は新しい人生を歩み始めるのだった。 今回はモーレツ社員、エコノミック・アニマルという言葉を生み出した社会状況を背景に、2作目では影の薄かった四男、末吉をメインとしたドラマが描かれる。 仕事と稼ぎに目を奪われて、自分の生き方を見失っていく現代人、というテーマは、切り口は違うが増村保造監督の「巨人と玩具」に近いものを感じた。 2作目のラストと同様、末吉がどのような決断をしたかは示されない。問題提起を行い、判断を観客に委ねる手法が取られている。 結論を出さないところが、自分の生き方を模索し続ける当時の若者たちの共感を得たのだと思う。 公害問題も取り上げているのだが、こちらの方は扱いが中途半端になってしまった気がする。ドラマ自体に関わってくる展開になっていないので、問題提起として弱く感じた。 テレビ版からこのシリーズの監督を務めた森川時久監督は、寡作ながら独立プロ作品を中心に活動を続け、今年は「不撓不屈」の公開を控えて健在ぶりを示している。 |