集結

　水上たちは、蘭山のセダンに乗り込み真紀のマンションへと向かった。運転は水上が買って出た。
　借りっぱなしになっていたＩＤカードでマンション内に入ることができた。真紀の部屋は入り口にテープが貼られ、立ち入り禁止になっている。水上も非番日の隠密行動とあって中に入ることはできない。
　ドアの前に立っただけで香奈の顔が青ざめた。
「間違いありません。例の邪気です。負のエネルギーが、おびただしく溜まっています。もし、ここに住み続けるなら、一度祓（はら）ったほうが良いでしょう」不吉なことを言う。「もちろん邪気の根源を絶つことが先決ですが」
「どうだろうか、香奈くん。ここから邪気の発生源を突き止めることはできんかな」
　蘭山の言葉を受け、香奈は目をつむり面を空へと向けた。どういうわけか邪気の流れは感じられなくなっていた。
　霊能者である香奈の存在を察知して、一時的に流れを止めたのかもしれない。物陰から獲物を狙う野獣のように息を潜め身を隠しているのだろう。
「今のところ邪気の流れはここに来ていません。でも、やってみましょう。残留した邪気だけでも何か掴めるかもしれません」
　香奈の言葉に、蘭山はカバンから折りたたまれた日本地図を取り出した。広げるとＢ３サイズほどの地図だ。
「どうだね、香奈くん」蘭山が香奈を促す。
　香奈は地図の前にかがみこむと、目をつむり精神統一を開始した。口の中で呪文をつぶやきながら、右手を地図にかざす。手の平が地図の上をゆっくり移動していく。
　やがて地図の一点が茶色く変色し始めた。まるで見えない炎に焼かれているかのように、茶色の染みはじわじわと広がっていく。
　しばらくすると変色の広がりはピタリと止まった。変色したのは山梨県の北、八ヶ岳南側の麓一帯。香奈はゆっくりと目を開いた。額にうっすらと汗をかいている。
「ここでは、これくらいしか分かりません。この地域に入ればもっと絞り込めると思うのですが」
「この方面に別荘を持っている知り合いがいる。すぐに手配しよう」頼もしい蘭山の言葉だ。
「魔物と対決するのですか」思わず水上が訊ねた。
　拳銃さえ歯が立たなかった相手だ。老人と若い女性で対抗できるとは思えない。
「うむ、正確には式を送った張本人と対決することになるだろう」蘭山が緊張した面持ちで答えた。
　邪気の禍々しさだけを見ても、ただならぬ相手であることは間違いない。過酷な戦いを強いられることが予想された。
「霊的な闘いになります。雌雄を決するのは腕力ではなく意志力となるでしょう」香奈が、水上の危惧を読み取ったかのように付け加えた。
「水上さん、理解してください。私があなたに期待するのは武力ではありません。先程も言ったように、あなたは強い意志力の持ち主です。あなたの意志力が、闘いの中で私たちの助けとなってくれるはずです」
　霊的な闘いというものが、どのような形をとるのか。水上には想像すらできない。だが、水上は香奈の言葉に力を感じていた。
　信じるという意志の力が、言葉そのものにパワーを与えているのだろうか。香奈の言葉が持つ力を借りれば、普段の自分にはできないことまでやってのけられそうな気がした。それこそが香奈の持つ言霊の影響力だった。
「八ヶ岳に向かう前に、敵のことを少しでも知っておく必要がある。神代さんとの面談の件は、くれぐれもお願いしますぞ」蘭山が釘をさした。
　敵の正体が見当もつかないまま、敵陣に乗り込む無謀は避けたい。
　水上は強く頷いた。もう後戻りはできない。だが、真紀との出会いは水上の調整を待たずにやってくる。運命の輪は、少しずつ回転を速めているのだった。

　真紀は俊一の提案した実験を今夜のうちにすませ、その後しばらくはホテル住まいすることにした。不経済ではあるが、事情が事情だけにやむを得ない。２４時間体制で警察の警護がつき、俊一も可能な限り付き添う心づもりだ。
　真紀は病院で検査と事情聴取を受けた。事情聴取では慎重に言葉を選び、魔物や白い光に関しては曖昧（あいまい）に言葉を濁した。真実を話しても、精神状態の安定を疑われるのがオチだ。俊一と相談した結果だった。
　これから行おうとしている実験についても説明していない。真紀が精神的にショックを受けている可能性があるので、俊一の勤める研究所で検査すると偽った。
　昼近くに異状なしと精密検査の結果報告を受けて、真紀たちは病院を出た。警護に同行したのは江川という刑事。年は水上と同じくらいのようだが、インテリ・タイプで線が細く頼りなげな印象の刑事だ。
　三人は警察車で真紀のマンションに向かった。真紀の身の回り品を持ち出すためだ。
　警察車がマンション前に到着したのは、水上一行が引き上げようと車に乗り込んだ、まさにその時だった。水上は真紀たちに気づくと蘭山たちに車内で待つように告げ、一人で降り立った。
　江川は、歩いてくるのが水上と知って小さく舌打ちした。江川はバリバリのキャリア組である。一つ年上であるとはいえ、水上に先輩面される覚えはない。
　あと数年すれば自分が指揮する側に回るのだ。にもかかわらず江川は水上を苦手としていた。力強く水上に発言されると、なぜか萎縮（いしゅく）してしまい逆らえないのだ。
「水上さん、どうしてこんなところに」気後れしながらも江川が尋ねた。水上が非番だということは知っている。
「どうも事件が気になってな。のんびり休んでいる気にならなかったんだ」
「誰か同行しているんですか」
　水上が降りてきた車の後部座席に二つの人影が見てとれた。日陰になっているので姿までは分からない。
「個人的な知り合いだから心配するな。事件の情報をリークしたりはしないからな」水上は先回りして言い切った。有無を言わせない口調だ。
　江川は眉をひそめて口をつぐんだ。水上の言葉を頭から信じたわけではない。マスコミと取引して情報を得るのは、むしろ江川の得意とする手段だ。そのことは水上にも知られている。下手に追求すればヤブヘビになる可能性があるからだ。
「ところで真紀さんの具合はどうなんだ」これ以上蘭山たちのことが追求されないよう話題を変えた。
「おかげさまで何ともありませんでした。本当にありがとうございました」後部座席から真紀が答えた。
　水上は返事に困った。ここでは口にできないが、助けられたのは自分の方だ。真紀は、真夜中の出来事を覚えていないのだろうか。
　真紀は、自分たちがここに来た理由を説明した。
「そうですか。それでは江川くん、神代さんが荷物を持ち出すのに立ち会ってくれたまえ。ちょっと話があるので加賀さんは残ってくれませんか」水上は素早く仕切った。
　江川はしぶしぶといった体で従う。俺が研修を終えて本庁に戻れば、くん呼ばわりなどできなくなるんだぞ、とでも言いたげな顔つき。ともかく真紀とともにマンション内に消えていった。
　これで厄介払いできた。水上は胸を撫で下ろす。
「加賀さん、紹介したい人がいます」
　水上は俊一を蘭山たちが待つ車へと導いた。
　俊一は車中の人物が五代蘭山であることに気づき驚いた。俊一は元々この方面に造詣が深い。蘭山の著作も数冊読んでいた。
　どれも冷静な分析に基づいて書かれた真摯（しんし）な内容で好感が持てた。マスコミ事情に詳しい俊一は、俗悪な著書名や扇情的なコピーは出版社が押し付けたもので、本人の意向ではないことも看破していた。
　それにしても水上と蘭山の取り合わせは奇異な印象だ。しかも蘭山の横には真白い巫女装束に身を固めた若い女性が座っている。
「水上さん、五代蘭山先生とお知り合いだったんですか」
　どのような関係か分からないが、俊一には渡りに舟だった。今回の事件に超常的要素が絡んでいることは間違いない。蘭山のような専門家の協力は願ってもないことだ。
「いや、そういうわけではないんだが。実を言うと、今回の事件に非公式で協力してもらうことになったんだ」
　非公式という言葉がいわくありげだ。そういえば先程も水上は、江川に対して蘭山たちのことを隠していた。
　俊一は、あえてこの場では詮索しないことにした。水上自身、昨日とは様子が違う。真紀を襲った魔物と対決したのだ。彼もまた日常から一歩踏み出してしまった一人なのかもしれない。
「どうやら、じっくり話し合う必要がありそうだ。何とか江川と交代しよう」水上が提案した。
　今回の事件で真実を隠している以上、江川がいては思うように行動できない。妙な立場に追い込まれてしまったが、自分の判断が正しいと信じるしかなかった。水上は携帯電話で署に連絡をとった。
　上司の浜岡部長刑事にマンション前で真紀一行と合流したことを報告する。次いで非番を返上するので、江川と警護を交代したい旨を伝えた。
　浜岡は水上の意向を了解した。警護という任務に関しては江川より水上のほうが適任と思えたからだ。江川には本部で自分の指揮に協力してもらいたかった。
　ボストンバッグを提げた真紀と江川が降りてくると、水上は早速任務の交代を告げた。江川はどこか怪訝な様子だったが、自分が現場向きのタイプではないことを承知していた。真紀たちを水上に預け、そそくさと警察車で署に戻っていく。
　こうして五人は、ついに一堂に会した。蘭山と香奈も車外に出て、あらためて各々の紹介がなされる。
　真紀は、蘭山の著作こそ読んでいないが、雑誌への寄稿は幾度か目を通していた。しかし真紀は蘭山以上に香奈に関心を寄せた。なぜか視線が惹きつけられてしまう。
「この服装、町中では目立ってしまいますね。でも、霊的な活動をするときには、この方が集中できるものですから」視線に気づいた香奈が、女同士の気安さからか、はにかんだ様子で言った。
「いえ、そんなつもりじゃないの。とっても綺麗な霊能者の方だと思って」
「あら、あなたもとても綺麗」香奈は言葉を途中で呑み込んだ。
　あなたもとても綺麗な霊能者。そう言いそうになったのだ。
　今の真紀が常人以上の霊気を発しているわけではない。それでも香奈は、真紀が強い霊力を秘めていることを感じ取っていた。真紀が香奈に惹かれるものを感じたのも、内なる霊力が無意識下で共鳴したためだろう。
　香奈は自分の予感が当たっていたことを確信した。式を打ち返したのは真紀の力だ。そして今回の事件は、真紀が霊能力を持っていることに何かつながりがある。
　香奈は、いっそう気を引き締めた。体内の霊気が高まり、体温も上昇する。頬にほんのりと赤みがさした。
　水上は、香奈が綺麗だと言われて照れたのだと勘違いした。思ったより可愛いとこがあるじゃないか。それにしても白い面差しの頬に朱をさした様子は人形のような美しさだ。
「いつまでも立ち話しているわけにもいきません。どこか場所を変えて情報交換といきませんか。それから今後の方策を立てましょう」水上が一同を見回しながら言った。
「私のところでいかがですかな。決して邪魔は入りません。建物の設計自体に霊的防御を施してありますから、敵の影響も多少は受けにくいはずです」蘭山が提案した。
　異存のある者はいない。話はすぐにまとまって五人は蘭山の車に乗り込んだ。
　運転する水上は、後部座席で両手に花の状態になった俊一がうらやましくてならない。署で一番の強面刑事である水上だが、どうも香奈と出会ってからペースを乱しているようだ。