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青い薔薇の血族
五章 第五日
3.魔女の大世紀
 その日の夜、俊一たちは善後策を練るため、蘭山のオフィスに集合した。
 捜査の合間をぬって水上も参加した。水上は、ここでようやく昨晩の実験の結果を聞くことができた。青い薔薇とともに蘇る魔女の伝説。通常なら信じがたい話だ。今の水上には受け入れることができる。
 ちなみに警察の中に駐車場に現れた使い魔の存在を信じるものはいなかった。何らかのトリックであるとして無駄な現場の捜索が続けられている。
 沈痛な空気が室内に淀んでいた。デスクの上には古びた洋書が乱雑に積み上げられていた。蘭山が取り急ぎラスモーラに関する調査を行った資料である。どれも世界に数冊しか現存していないといわれる稀観本だった。
「青い薔薇の魔女ラスモーラについて幾つか分かったことがある」蘭山は、洋書の皮表紙に手を置いて話し始めた。「ラスモーラは、ほぼ百年ごとに動きを見せている。最初に現れて青薔薇教団を結成したときに、ラスモーラは次なる千年紀こそ自分の時代になると宣言していたようだ。新たなる大世紀の魔女を自称し、その時代は文明の力が自分を不滅の存在にすると語っていた」
「ラスモーラは、今回の復活を予言していたのか」俊一が唸った。
 大世紀とは歴史を十世紀ごとに区切った表現で、新たなる大世紀は2001年からの千年間をさす。
「ラスモーラの復活が、青い薔薇と同調していることは間違いない」蘭山が続けた。「今までの青い薔薇は、ラスモーラが現れるのと時を同じくして特定の場所で咲いている。だが、今回は違う。遺伝子組み換えによって青い薔薇は人工的に生み出される。あっという間に大量生産され、世界中に広まるだろう」
 文明の力が自分を不滅の存在にする。ラスモーラは、そこまで見越していたのだろうか。俊一は背筋が寒くなるのを感じた。
「今までのように焼き払うってわけにはいかないな」水上がペンで頭をかきながら言った。
「何しろ世界中の注目を集めていますからね。それにマクロ植物研究所は警戒厳重で有名です。忍び込むこともできないでしょう」俊一が重い口調で言った。
 マクロ植物研究所の警戒厳重ぶりは、真紀から聞いていた。俊一の脳裏に真紀と過ごした夜の記憶がよみがえる。たった4日前のことだというのに、遠い昔のように思えていた。
 個人的には今すぐにでもマクロ植物研究所に乗り込んで、全ての青い薔薇を焼き払いたい気持ちだった。それで真紀を救えるのなら、自分が犯罪者として逮捕されても構わない。
 しかし俊一は、たとえそれが成功しても根本的な解決にはならないことに気づいていた。
「魔女の復活を阻止するために青い薔薇を破棄してくれって言っても、誰も信じないだろうな」水上がため息をつく。
「問題はそれだけじゃない。遺伝子操作に関する研究は世界中で進められている。もしマクロ植物研究所の青い薔薇を処分できても、多少の時間稼ぎをしたに過ぎないんだ」俊一の声は、陰うつだった。
 もし今回の危機を切り抜けても、いつ青い薔薇が開発されるかと怯えて暮さなければならない。
「恐ろしいことだわ。科学の力が、誰も知らないうちに邪悪な魔女を不滅の存在にしてしまうかもしれないなんて」香奈が、心なしか震えた声を出した。
 香奈は修行のため禁欲的な生活を送っているが、これまで科学の発達した物質文明に否定的ではなかった。
 その香奈の心に、初めて現代科学など結局は錬金術の発展に過ぎないのかという疑念が湧いてきたのだ。
 一同は沈黙した。科学万能の現代に呪われた魔女が復活しようとしている。しかも、その魔女は科学の発達によって生まれた青い薔薇を力の源にして、この世に君臨しようというのだ。信じがたい、あってはならないことだった。
 過去の闘いでは、青い薔薇を葬ることでラスモーラに勝利してきた。今回は、その手段が使えそうにない。それ以外に魔女を滅ぼす方法はあるのだろうか。
 今の俊一にとってラスモーラの千年王国などは、どうでも良かった。ラスモーラが復活してしまえば、それは真紀が永遠に失われてしまうことを意味する。
 それから先のことなど、俊一には考えることが出来なかった。
 ラスモーラが人類に破滅をもたらす存在であろうとなかろうと関係ない。ラスモーラの復活は絶対に阻止する。それが俊一にとっての全てなのである。
「それから、もう一つ分かったことがある」今回も沈黙を破ったのは蘭山だった。
「ある文献によると、ラスモーラの一族に代々伝わる水晶玉があって、これも魔女の復活に関係しているらしいというのだ」
「水晶玉?」水上が眉をひそめて言った。
「そうだ。その水晶玉は最初の青薔薇事件直後、一族が処刑されると同時に行方不明になった。ところが魔女が復活した時には、どういう経緯からか、マリーナの家に現れているらしい」
 蘭山は肩をすくめる。オカルトの研究に携わる蘭山にとっても、今回の事件は驚くことの連続だった。
「残念ながら、この件に言及している書物は一冊しか見つからなかった。どの程度、信憑性があるかは定かでない」
「でも、それは一つの希望ですね。もしラスモーラの復活に水晶玉が必要不可欠だとしたら、水晶玉を奪って破壊するか封印してしまえば、ラスモーラに復活を永遠に阻止できるかもしれない。そうすれば世界中で青い薔薇が咲いても安心だわ」香奈が顔を輝かせていった。
 ラスモーラが完全に復活してしまえば、今の自分では太刀打ちできないかもしれない。弱点が一つでも見つかれば、それを有効に利用するのだ。
 青い薔薇が咲く前に敵と対決して真紀を取り戻すことが肝要だ。今のところ、真紀を救う手立ては他にない。
「いずれにしても敵のアジトを突き止めることが先決だな。敵の隠れ家には真紀さんもいるに違いない」水上が意気込む。
「こうなったら、少しでも早いほうがいい。八ヶ岳には明日の朝出発しようと思う」蘭山が一同を見渡して言った。
 別荘の鍵は、助手に行かせて友人から預かってきてある。
 俊一に異存のあるはずがない。真紀の捜索は、何にもまして最優先だ。今すぐにでも出発したいくらいだった。
 香奈も力強く頷いた。事件のあまりにも急な展開に、東京に出てきた旅支度をまだほどいてもいない。
 水上は別行動を取ることになった。皆と行動をともにしたい気持ちは強かったが、刑事としての職務がある。今夜も、すぐに本部に戻り捜査を再開しなければならない。明日の午後から休暇を取ることにした。
 神代真紀誘拐事件の捜査は、これから佳境を迎える。本来なら休暇を取れる状態ではない。無理を承知で押し通す覚悟でいた。思えば、ここの署に配属されて2年、初めての休暇だ。
 明日の午後東京を出発して皆と合流する。その後の行動は状況を見て決めることにした。
 警官時代から山ほど事件に関わってきた水上だが、今回の事件は勝手が違う。刑事という職業を捜査の足枷(あしかせ)と感じたのは初めての経験だった。