悪しき運命(さだめ)のラセリア
第1部 ヴルディアの青騎士
2.青騎士モーズリット卿
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 使者は最期に一度痙攣して息絶えた。
 ヴィンスは肩に皮製で薄茶色のバッグを掛けていた。自分が運んでいる書類を入れたものだ。そのバッグに男から預かった書状を入れ、顔を上げた。
 目の前には駆けつけてきた鼻息も荒い白馬の姿。使者の乗っていた栗毛の若馬に比べ、二回り以上も大きいガッシリとした体躯。その毛並みも見事で、天から降りてきた駿馬のようにつやつやとしている。
 白馬に跨っているのは、青色の鎧を身に着けた騎士。鎧は、今までヴィンスが見たこともない鮮やかな色合いで輝いていた。
 今や骸(むくろ)と化した使者の傍らに片膝ついていたヴィンスは立ち上がり、「ヴルディアの青騎士」とつぶやいた。
 この目で見るのは初めてだったが、間違えようがない。人間界には二つとないと言われる鎧なのである。
 青騎士の名声はヴルディアのみに留まらない。広大なギャズヌール王国の全土でも知らない者はいないと噂されていた。
 ヴルディアの領主クローディオに仕える青騎士モーズリット卿。
 伝説の騎士と伝説の鎧。この鎧は、とあるエルフの王家から、その国を救った功績を認められ贈られたものと伝えられている。
 エルフの秘伝によって鍛えられた鎧。極めて軽量で、マント一枚分の重さしか感じないという。
 だが、その強度は圧倒的で、ドワーフの斧でさえ傷つけることが出来ないと言われていた。
 青騎士はひらりと身を翻し地上に降り立った。金属の鎧を着込んでいたのでは、とうてい不可能な身軽さ。
 鎧の重量についてヴィンスが耳にしていた噂は本当なのかもしれない。
 モーズリット卿は、ゆうに185センチを越える長身。178センチのヴィンスを威圧する迫力は、身長差を2倍にも3倍にも感じさせる。
 彫りの深い顔に漆黒の髪と口ひげ。40代も半ばと見えるが一本の白髪もない。
「私はデジナス・モーズリット。ヴルディアの領主クローディオ様に仕える者だ」モーズリット卿は名乗りを上げた。
 低く力強い声音。別段声を張り上げているわけではないが、聞く者を圧するパワーを秘めている。
 普段は物怖じなどしないヴィンスの身体に、ぞくりとした感覚が走った。
「私はヴィンス・ラングホーン。駆け出しの者ですが、ヴルディアの青騎士殿の高名さは聞き及んでいます」気後れしないようにと腹に力を入れて口上した。
「この男、ガディスから何か受け取ったと見受けたが」モーズリット卿が眼光鋭くヴィンスを見すえて言った。間違いなく見た、という自信に溢れている。
「はい」ヴィンスは別に隠し事をするつもりはない。
「あなたがガディスと呼んだこの使者は、私にクローディオ様への書状を託して息を引き取りました」
「そうか。書状は無事だったか。これは不幸中の幸い」モーズリット卿の顔に笑みが浮かんだ。
「我々は囮の馬車を走らせ、本物をガディスに運ばせて裏をかいたつもりだった」モーズリット卿は一呼吸間を置いて続ける。
「だが、情報が漏れていたようだ。馬車が何事もなく到着したので、かえって悪い予感がよぎった。そこでホワイトアローをとばしてきたのだが、間に合わなかった」
 ホワイトアローとは、モーズリット卿が乗ってきた白馬のことだ。彼の愛馬もまた、彼同様に名高い。ギャズヌール王国でも五指に入る名馬として誉れ高かった。
 モーズリット卿は青ざめたガディスの死に顔を一瞥(いちべつ)した。その表情には取り立てて何の感慨も浮かんでいない。
「部外者の君に何事もなくて何よりだ。書状は私が預かる。君も、それで肩の荷が降ろせよう。礼金は改めて用意するから心配には及ばんぞ」
 そう言うとモーズリット卿は左手を差し出した。威厳を感じさせる、揺るぎない身のこなし。気弱な者なら問答無用で盲目的に従ってしまうだろう。
「いえ、今お渡しすることは出来ません。これはガディスさんから、クローディオ様に渡すように頼まれたものです。たとえモーズリット卿殿といえども、第3者の手を介するわけにはいきません」
 あのガディスという使者が命を賭して守ったものだ。約束を少しでも違(たが)えることは、使者に対する礼にもとると思えた。
 モーズリット卿の目に冷たい光が宿った。
 ヴィンスの全身に戦慄が走る。万が一に備え、さりげなく姿勢を変えて受けの体勢に入りやすくする。
 一瞬の緊張。それは僅か1秒ほどであったが、ヴィンスには半時ほどにも感じられた。
 この若造、駆け出しと言うわりには鋭い勘をしている。モーズリット卿は、無駄に一戦交えるのは得策でないと判断した。氷が溶けるように、その表情から険が消えていく。
「フム、せっかくのチャンス。逃がしたくないという気持ちも分かる。よかろう。私と同行するが良い」
 ヴィンスが領主クローディオに顔を売るため、自分の要求を拒んだという口調だった。売名行為呼ばわりされるのはヴィンスにとって心外なこと。
 しかし、ここで揉めても埒があかない。モーズリット卿が譲歩しただけでも良しとせねばならなかった。
「馬には乗れるのだろうな」
 モーズリット卿には、このような若造と愛馬ホワイトアローに相乗りする気など毛頭ない。すでに冷たくなり始めた主人の傍らで、悲しげな目付きをして佇む栗毛の若馬の手綱を掴んで言った。
 ヴィンスは野生に裸馬でも、一日で乗りこなしてしまう。乗馬に関しては、町育ちの冒険者とは年季が違うのだ。
「ご心配なく」力強く、一言だけ言い放った。
「それでは、この馬に乗っていけ。ガディスの死体は後から荷車をやって回収させよう」
 モーズリット卿は、ヴィンスに手綱を渡すとガディスの傍らにかがみこんだ。
「フム、こいつだな」ガディスの左手を持ち上げ、人差し指から指輪を抜き取りながら言った。
 モーズリット卿は、その指輪をヴィンスに向けかざしてみせる。鈍く光る銀色の指輪だった。
「精霊呪文除けの魔法アイテム。安物でレベルは低いが、眠りの呪文を退けるには十分だったようだな」
 ヴィンスは複雑な気持ちになった。このようなアイテムを身につけていなければ、ガディスという男が命を落とすこともなかったのだ。
「まあ、おかげで書状を奪われずに済んだのだがな」モーズリット卿は、ヴィンスの心中を察したかのように皮肉な口調で言った。
 モーズリット卿は、ガディスという男と顔見知りのようだが、その死など気にもかけてないという様子だ。指輪をガディスの指に戻すと立ち上がった。
「これ以上グズグズしていると、クローディオ様の首が伸びてしまう」言うが早いかホワイトアローにひらりと跨る。これまた重力を感じさせない身のこなし。
 続いてヴィンスも若馬に飛び乗った。
「それでは、ついてまいるが良い」
 ホワイトアローが駆け出す。さすがは名馬。馬には詳しいヴィンスが思わず見とれてしまうほどの走りっぷりだ。軽やかでいて、しかも力強い。
 遅れてはならじとヴィンスも両膝で若馬の脇腹を軽く蹴る。
 栗毛の若馬は、最後にもう一度街道に横たわる主人に悲しげな目を向けると向きを変え、ヴルディア目指して駆け出すのだった。