悪しき運命(さだめ)のラセリア
第1部 ヴルディアの青騎士
7.書状の謎
「僕はヴィンス・ラングホーン」
「ヴィンスね。私たちのリーダーを紹介するわ」ラセリアは右に立つ初老の男を指し示した。
「エドウィン・ボーレガードよ」
エドウィンは、髪も顔の下半分を覆う髭も雪のように白い。だが、その背筋はピンと伸び、目は自信に満ちて輝いていた。
「我々は、領主クローディオとモーズリット卿の動向を密かに監視している。このところ不穏な動きがあってな。今回はラセリアくんに危ない橋を渡ってもらったわけだ」
エドウィンは、鋭い視線をヴィンスに向けて続けた。
「ラセリアくんが、君のことを見込んでここに連れてきたのだから間違いないのだろうが、あえて言っておこう。我々のことも、この場所のことも他言無用。君が闇に組する者でないことを信じるしかないのだ」
「大丈夫。昨日、屋敷の様子を窺っていたとき、私を守ろうとしてくれた彼から強い光の力を感じたわ」ラセリアがフォローする。
ヴィンスは頬が赤くなるのを感じた。ラセリアは長い年月を生きてきたエルフなのだ。あのような連中をあしらうことなど、容易(たやす)いことに違いない。
「こちらはバムティ・ストルツ。私の相棒といったところかしら」ラセリアは、続いて頭巾を外した大柄な男を差し示して言った。
バムティは、間近でみると、がっしりとした体格で一層大きく見える。
意志の強さを感じさせる角ばった顎と太い眉。歴戦の強者(つわもの)という逞しさを体現している。長い風雪に耐えてきたかのような風格ある面構え。とはいっても実年齢は30歳前後と見えた。
「ラセリア様の従者バムティです」緊張した面持ちだ。
「何度言ったら分かるの、あなたは従者なんかじゃない。それから様はやめて、様は」ラセリアは、あきれ顔だ。
「ところで今夜はグィルティズマと出くわしたわ」ラセリアは一同に向き直って言った。
ラセリアの言葉に、一同からどよめきが漏れた。
グィルティズマというのか、あの魔人は。ヴィンスは初めて知ったが、ここにいる連中には馴染みの名前らしい。
正確に言えば、ラセリアの発した言葉は人間に発音できるものではなかった。人間の発音に直せば、グィルティズマが一番近いというにすぎない。。
「そうか。奴が動き出したとすると、モーズリットに対する監視も強化せねばならんな」エドウィンが緊張した面持ちで言った。
「今日運ばれた書状で何かが分かるかも知れないな」とこれはエドウィンの傍らにいた金髪の男。
20代後半、明らかに剣の心得がある身のこなしをしている。ラセリアは、男を傭兵のシャルム・クレストと紹介した。
彼の背後には先程のキリウスを含めた3人の男女が並んでいる。どうやらシャルムをリーダーとした傭兵チームのようだ。
「今夜の首尾はバッチリだったわ。早速書状の中身を確かめましょう」ラセリアが自信ありげに言った。
ヴィンスは、この言葉に首を傾げた。間違いなくモーズリット卿は書状の無事を確認していた。
全く同じ外観で、クローディオの紋章を型どった封蝋をしたものが用意できたとも思えない。
ヴィンスの怪訝な表情を見て、ラセリアは猫のような笑みを浮かべた。
「フフッ、作戦を変えて魔法を使ったのよ。書状が無事と思わせておいたほうが、動きやすいから」
ヴィンスには、まだ状況が把握できていなかった。
「さあ、始めるわよ」ラセリアは呪文を唱え始めた。
部屋の中央に、ぼんやりとした光が浮かび上がった。その光はみるみるうちに、はっきりした形状をとっていく。
それは一枚の広げられた書状だった。
「どう、分かった。私は精霊の力を借りて、書状を開けずに文面を写し取ったの」ちょっと自慢げな口調のラセリア。
魔法に門外漢のヴィンスには分からないが、きっと高度な魔法なのだろう。
「あなたが見つけたのは、盗むところじゃなくて、戻そうとしていたところなのよ」
これでヴィンスにも合点がいった。
一同は身を乗り出して写し出された書状の文面を見つめる。
そこには「出発は8日の7時、砦には3週間で到着の予定」とだけあり、文末にはバナウェイの駐屯地を仕切るユングスタル将軍の署名があった。
バナウェイの駐屯地はもともと北の辺境を見張る部隊の待機所である。国境を見張る最前線はサヴォイ砦。バナウェイに駐屯する3大隊のうち1大隊が交替で駐留している。
ヴィンスには、この文面が何の変哲もない軍の移動報告書にしか見えなかった。
「なんだこれは」ヴィンスが思わず呻く。「こんなもののために死人まで出したのか」
「落ち着いて、ヴィンス」ラセリアが諭すように言った。「ガディスを殺すことは、私たちの計画になかった。でも後悔はしていない。あいつは、これまでに数多くの人を殺(あや)めてきた」
確かにガディスという男は、剣呑な雰囲気を持っていた。
「犠牲者の中には何の罪もない女子供もいたわ。ガディスとその一味は、クローディオお抱えの暗殺者なのよ」
そうか。それで合点がいった。あの様な連中が領主邸に出入りしているのは、やはり尋常な理由ではなかったのだ。
それにしても名君の誉れ高いクローディオに、そのような闇の顔があったとは。ヴィンスは前日の朝までの世界観が、すっかり壊れてしまった気分だ。
「残党の連中も、いつかカタをつける時がくる」エドウィンが熱っぽい口調で語った。「だが、先決はこの書状の持つ真の意味を探りだすことだ。囮の馬車まで仕立てて守ろうとした書状だ。クローディオに無意味であるはずがない」
「よし、俺たちが砦に向かう部隊を追跡して見張ってみよう」シャルムが腕組みしながら言った。色白の美男子ながら不敵な面持ちをしている。
背後に控えた3人の男女が彼の言葉に頷く。やはりシャルムの部下なのだ。
「私はバナウェイの町に潜入して情報を集めるわ」そう言うとラセリアはヴィンスの瞳を覗き込んだ。「で、あなたはどうするの?」
ヴィンスは返事に詰まった。あまりに急な展開で思考が追いつかないのだ。
モーズリット卿と魔人の陰謀を追求してみたい気持ちはある。その反面、自分には荷がかち過ぎるとも思えた。
「少し考えさせてくれ」結論を先延ばしにするのは情け無いが、一度頭を冷やして考えたかった。
「そう、仕方ないわ」ラセリアの声が沈んだ。その表情にも翳りが差して見える。「残念ね、クローディオの屋敷に忍び込んだのは今日が初めてじゃなかった。でも、私の気配に気づいたのは、あなた一人よ」
シャルムたちは、アジトの場所を知ったヴィンスを黙って帰すことに不服な様子。それでもエドウィンとラセリアの手前、口に出して抗議はしなかった。
「夜が明けたら私たちはバナウェイに向かうわ。そのとき無事に送り届けてあげる」ラセリアは、どこか寂しそうな様子だ。
意気消沈した彼女の姿にヴィンスの胸が痛んだ。
ラセリアと行動を共にすべきではないのか。ヴルディアの中枢に忍び込んだ闇と対決すべきではないのか。
迷いの心がヴィンスに重くのしかかってくるのだった。