悪しき運命(さだめ)のラセリア
第2部 サヴォイ砦の暗雲
4.夜襲
やがて日が暮れると「最果ての憩亭」の酒場も、数組の泊り客が加わって多少賑やかになった。それも夜半にはお開きとなり灯火を落とす。
宿は静けさと闇に包まれ、建物全体が眠りについたかのようだ。
その闇の中に蠢く5つの影があった。レーニャたち暗殺団である。足音もなく廊下を進み、ヴィンスたちが泊まっている部屋の前に達した。
レーニャは、宿の主人に渡された部屋の鍵を取り出した。そっと差し込んで音をたてないようにゆっくりと回す。
カチャリという小さな音と共に鍵は外れた。扉を開け、ソロリと身体を室内に滑り込ませる。
室内を照らすものといえば窓から差し込む月明かりのみ。
暗殺団の連中は、皆夜目が利く。暗がりの中で2つのベッドとソファに人間が横たわる様子を認めた。
レーニャが目配せする。アルカズ、バスティス、ライカーはナイフを構えて、それぞれベッドとソファに忍び寄っていく。
3人が持ち場についたことを見て取ったレーニャは、人差指を立てた右手を頭上に上げた。その動作に合わせて、3人もナイフを振りかぶる。刃が闇の中で月明かりを反射し、キラリと青く冷たい輝きを放つ。
タイミングを計って同時に攻撃し、確実に3人とも葬ろうというのだ。
レーニャがサッと右手を下ろし、3本のナイフも毛布のふくらみ目がけて突き立てられる。
「あっ」3人が驚きの声を上げたのも同時だった。
手応えが全くない。刃先が人肉に食い込む生々しい感覚。死にゆく者の断末魔の呻き。何もなかった。
バスティスが慌てて毛布をはぐ。下には丸められた布団が置かれている。
レーニャは、自分たちが罠にハメられたことを悟って愕然とした。ゾクリと冷たい感覚が背筋を走る。
と、そこに部屋の暗がりから女の呟き声。レーニャたちが声の主の居場所を突き止めるよりも早く、部屋の中央に光る物体が出現した。
ラセリアが光の精霊呪文で呼び出したのだ。予期せぬ明かりに、たじろぎながらもレーニャはラセリアたちの姿を認めた。
3人は部屋の右隅に身構えていた。一番奥にラセリア。ヴィンスとバムティが盾になるかのように、その前で剣を構えている。
エルフであるラセリアは、もともと4、5日間睡眠を取らなくてもビクともしない体質。ヴィンスやバムティにしても、1日2日眠らないからといって緊張感が途切れ睡魔に襲われるようなことはない。
この3人が同時に眠くなったのである。食事に眠り薬を盛られたことは容易に想像がついた。
そこでラセリアが持ってきた薬草で解毒剤を調合し、逆に罠を仕掛けることにしたのだ。
レーニャは、闇討ちの失敗を知った。敵の力を見誤る彼女ではない。たとえ5対3であっても正面きって戦えば敵(かな)うはずのない相手であることを承知していた。
「出直すよ。引き揚げだ」一声叫ぶとレーニャはナイフを投げた。
一つの動作にしか見えなかったが、3本のナイフがヴィンスたち各人を目がけて飛んでいく。鮮やかな手腕であった。
ヒュンと空を切る音を立てて、銀色の筋となり標的を目指す。
だが、これは一瞬の時間稼ぎにすぎない。投げると同時にレーニャは素早く身を翻して室外を目指して走り出していた。
暗殺団の誰ひとりとしてレーニャのナイフをかわすことはできない。彼女が新しい首領の地位を確保できたのも、それゆえだった。
だが、二人の剣士にとっては、さしたる脅威ではない。ヴィンスとバムティは慌てもせずに剣でナイフを叩き落す。
ラセリアもヒラリと身をひねってかわしたが、左の上腕をかすめてしまった。
「くっ」ラセリアは、思わず顔をしかめた。
白い腕に真紅の筋が浮かび上がる。
「ラセリア様!大丈夫ですかっ」その様子を見て取ったバムティが血相を変えて声を張り上げる。
「平気よ、かすり傷だわ」言った途端にラセリアの全身を悪寒が駆け抜けた。
毒!ザワリとした感覚。すーっとラセリアの身体から力が抜けていき、ヨロリと揺らいだ。
「ラセリア様っ!」ただならぬ様子に再び名を叫んだバムティが駆け寄ろうと向き直る。
再後尾で部屋を出ようとしていたライカーは、バムティの狼狽ぶりに気づいた。無防備に背中をさらしているではないか。
ライカーは彼我の実力差を見極めるには若すぎた。こいつを仕留めれば大手柄だ。たちまち功名心の虜となってしまう。バムティの背中を目がけてナイフを振りかぶり駆け寄っていく。
怒りに我を忘れたバムティは無慈悲だった。ライカーの気配を察し、ギロリと横目でにらむ。ナイフの切っ先をヒラリとかわし、一刀のもとに切り捨てた。ライカーは、何が起こったのか理解する間もなく息絶えていた。
当初の作戦は、賊の一人を捕らえて情報を聞き出すというもの。頭に血の昇ったバムティの脳裏からは、あっという間に消し飛んでいた。
すでに生命を失ったライカーの身体が、客室の粗末なカーペットに倒れ込む。
その姿には見向きもせず、バムティはラセリアの元に駆け寄った。
すでにヴィンスがラセリアのぐったりとした身体を抱きかかえている。
ラセリアは、意識を集中して毒消しの呪文をいくつか唱えてみた。どれも効果がない。ナイフに塗ってあったのは、彼女にとって未知の毒薬であるようだ。
このまま呪文を試し続けても、いたずらに体力を消耗するだけだ。
ラセリアの荷物には、幾種類かの薬草が入っていたが、呪文同様効果のある薬品を調合することは不可能と思える。
血の気が失せ、ラセリアの顔は紙のように白くなっていた。全身から冷や汗がにじんでいる。
彼女の面に暗い影がよぎる。それは毒薬の影響のみによるものではなかった。
ラセリアは、生存を賭けた決断を迫られていたのである。そして彼女は、ついに決心した。
「ここから北北西に20キロの位置にエルミカスというエルフの隠れ里があるわ。そこに行けば治療できるはずよ」
「分かりました。すぐに向かいましょう」バムティは、闇の中に一筋の希望の光を見いだした面持ちだ。
「これから私は身体の活動を落とすけど、心配しないでね。毒の回りを遅くするためだから」言うとラセリアは、目を閉じた。
次第に呼吸が浅くなり、自ら作り上げた仮死状態の中へと入っていく。
「バムティさん、急ぎましょう」ヴィンスが促す。
「うむ」バムティは、ぐったりとしたラセリアの身体を軽々と抱え上げる。
その時、ラセリアが額に巻いていたバンダナがほどけ、ハラリと床に落ちた。
ヴィンスは息を呑んだ。初めて見るラセリアの額には、何か紋様がくっきりと浮かび上がっていた。白い肌に漆黒の紋様がどぎついコントラストをなしている。
左右対象で、鳥、いやコウモリを思わせる関節ばった翼を広げているかの模様。見方によっては邪悪な者が目を細めて睨んでいるようでもある。
いずれにしても、それは光の精霊使いであるラセリアには似つかわしくないものだった。禍々しいオーラを発散していることが、魔力とは縁遠いヴィンスにすら、ひしひしと感じられる。
これこそラセリアに課せられた呪いの証なのだった。