悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
3.ヴルディアの盛衰
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 森の中にはギャズヌール王国軍の手で、いくつかの大型テントが設営されていた。
 ヴィンスたちはそのうちのひとつ、作戦会議用と思(おぼ)しき机を持ち込んだテントに案内された。
 一見ではどっしりとした大机だが、よく見ると4分割できるようになっている。バラした状態で馬に曳かせて運び込んだのである。
 机上には果物や菓子の器がいくつか置かれていた。デナ茶と呼ばれるハーブティーが供され、カップから新鮮な緑の香りが漂っている。
 ヴィンスたちにとっては、ヴルディアを出発して以来の穏やかなひととき。ではあるが、もちろんくつろいではいられない。
 こうしている今この時も不死者たちの軍勢が行進を続けているのだ。
 それでもヴィンスたちは遠慮なく器に手を伸ばす。可能なときに食料を詰め込んでおく習慣が身に付いているのだ。
 バムティなどは、ほとんどむさぼり食っている状態。
 ちょうど一息ついたとき、先ほど先頭に立っていた司令官トゥレールとシャルムたちが入ってきた。
 シャルムたちは、これまでの荒くれ者の装束から戦士の鎧に着替えている。
 いかにも無頼漢然としていたキリウスとカーニットも髭をあたり、すっかり小奇麗な容貌になっている。
「これは内密の話ですが、ギャズヌールは王国内の各自治都市に密偵を送り込み諜報網を作り上げています」シャルムは、これまでよりむしろ丁寧な口調で話し始めた。
「モーズリットがヴルディアに現れて騎士の位を得た頃です。ヴルディアに潜入していた密偵の一人から領主クローディオに不穏な動きがあるとの報告を受けました。そこでヴルディアに対する警戒を強化したのです」
 とすれば、ジグラス率いる暗殺団が暗躍し始めるより前からギャズヌールはヴルディアに目を付けていたことになる。
 エドウィンがクローディオを監視する地下組織を結成したことは、偶然の産物だった。ギャズヌールは、その機に乗じて軍の特殊部隊員であるシャルムたちを潜入させたのだ。実はジグラスたち暗殺者の犠牲となった者の中には王国の密偵もいたのである。
 その時点で王国がクローディオに疑惑を抱いたことには、それなりの根拠があった。
「ヴルディアは東のライティス国との貿易窓口として長年繁栄してきました。その権勢はギャズヌール王国内でも王都シャンダリアに次ぐものだったのです」
 ここまでは周知の事実、ヴィンスにとっても目新しい話ではない。
「この10年ほどの間に、その経済的繁栄に翳りが見えてきました。この事実は一般市民には巧みに隠ぺいされ続けてきました。把握しているのはクローディオの側近と一部の商人のみです」
 さすがのラセリアもヴルディアの経済面にまでは通じていない。意外だ、という表情を見せた。
「その要因は造船技術の発達でした。巨大で安全性の高い船が建造されるようになり、貿易の流れが変わってきたのです」
 山育ちのヴィンスは、船など川の渡し船しか見たことがない。山を越える商隊に匹敵するほどの船とは、いったいどのようなものだろうか。彼はシャルムの話に聞き入っていた。
「なにしろからヴルディアに向かうには険しい山二つを越えねばなりません。護衛を含めた大規模の商隊を組んで、危険な長旅を覚悟する必要があります」
 それでヴィンスにも得心がいった。商隊が山道で遭難したり、獣人族や山賊に襲われたという話は幾度となく聞いていた。
 まして雪に閉ざされる真冬ともなれば、常に命掛けの覚悟で出発しなければならない。
 海にうといヴィンスが知るよしもないが、海路にも二つの潮流がぶつかり合って渦を巻く危険海域がある。これまでは建造される船の大きさも限られており、危険を冒したわりに運べる荷物もたかが知れていた。
 そのため、もっぱら陸路での輸送が行われてきた。
 それが渦巻きをものともしない重量級の大型輸送船が建造されるようになり、様変わりしつつあるのだ。積載できる量も、以前とは比べものにならない。ライティスでは現在10隻の大型船を建造中であり、海路による輸送は更に増える見込みだという。
 繁栄の中心は王都シャンダリア南方に位置する港湾都市ザルコーに移りつつある。
 ヴルディアがギャズヌール第一の都市の座を明け渡す日も、さほど遠くはないだろう。
 老いも手伝い領主クローディオの心に焦りが生まれた。代々繁栄を続けてきた領主の家系という誇りが、マイナスの作用を引き起こしてしまったのだ。
 モーズリット、いやグィルティズマは、その心の隙間ににつけ込んだのだ。
 心に植えつけられた闇は、ギャズヌール征服という妄執にまで膨らんでいった。当初ギャズヌールではグィルティズマの存在までは知らなかったが、クローディオの野望は察知していたのだ。
 今、クローディオの野望を打ち砕くため、3万のギャズヌール軍がヴルディアに迫っているという。
 ヴィンスは、ヴルディアの美しい街並みが戦火にさらされるかと思うと身震いがしてきた。
 ヴルディアには、さほど多くの知り合いはいない。それでもクローディオ邸の使用人たちや地下組織の人々の面影が脳裏をよぎる。彼らの無事を祈らずにはいられない。
 その思いはラセリアも同様だった。話がそこに及ぶと顔色が白蝋のようになってしまった。グィルティズマが動き出せば再び戦乱が起きる。頭の中では分かっていたこと。それがいざ現実となって眼前につきつけられると、想像以上の生々しい衝撃が彼女を襲ったのである。
「当初我々はモーズリット軍の攻撃目標が王都シャンダリアであると推定して作戦を立てていました。ラセリアさんの話を聞いて急遽軍を移動させたのです」
 ヴィンスとラセリアがシャルムの不審な行動を目にしたあの朝。シャルムは、軍との連絡係を勤めていたベルーカに、その案を託したのである。
 彼としては大きな賭けに出たわけだ。外れてしまえば故郷である王都シャンダリアを存亡の危機にさらすことになる。不死者どもがヴルディアへの道をとった時に、不謹慎とは思いつつも安堵の表情が浮かんでしまったのも仕方がない。
「ことグィルティズマとモーズリットのことに関してはラセリアさんほど詳しい人は他にいません。今回は本当に助かりました」シャルムは白い歯を見せて言った。
「うむ、なんとしてもこのジェリミオ草原で不死者どもを撃退してやる。モーズリットの野望など木っ端微塵に打ち砕いてくれるわ」トゥレール司令官が鼻息を荒くする。
 その力強い言葉に応えてバムティが大きく頷く。ヴィンスもまた心の奥に炎を燃え上がらせていた。
 グィルティズマとモーズリットのためにバナウェイとヴルディアの人々が危険にさらされている。いや、ここで撃退できなければ戦火は王国全土に広がっていくだろう。
 クローディオにしても、奴らがいなければ名領主として人生をまっとうできたかもしれないのだ。
 ラセリアも、いつになく緊張した面持ち。額に刻まれたゴルワデスの刻印。この呪いを解く機会がついに訪れたのだ。彼女の心中にもふつふつとたぎるものがあった。
 長い間潜入活動を続けていたシャルムたちには所属する部隊がない。今回の戦闘では独立した単独チームとして行動することになった。
 付け焼刃で既存の部隊に編入されるよりも、そのほうが機動力を生かした戦いが展開できるとシャルムが主張したのである。
 ヴィンスたち3人も、今回はシャルムの指揮下に入ることを了承した。
 すでに不死者軍の動向を探るため斥候が送り出されている。帰還は早くとも明朝になるはずであった。
 今晩一晩は兵士たち一同英気を養おうということになり、普段より多めに夕食が支給された。乾燥肉やチーズといった保存食が中心という点では通常通りであるのだが。
 さすがに酒は配られなかったのだが、こっそり隠し持っている者はどこにでもいる。あちこちでささやかな宴が開かれることとなった。
 だが、兵士たちの表情からはピリピリとした緊張が伝わってくる。この百年間、王国は大きな戦争をしていない。せいぜい獣人族との小競り合い程度だ。
 兵士たちは初めての戦闘を控えて不安感を隠し切れないでいたのだ。