悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
4.吉報と凶報、そして(後)
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 街道を下る闇の軍勢の動向を調べに走った斥候は、予想外の光景を目の当たりにした。ヴルディアを目指しているのは二千の不死者だけではなかったのである。
 まずはオークやコボルトなどの獣人族たち。グィルティズマの発する暗黒の波動に同調して操られたと思われる。その数は、およそ五百。
 もともと凶暴性な性質の連中だが、今回は明らかに様子が違っていた。目を赤く爛々とギラつかせ、牙を剥いた口の端からはよだれを滴らせている。まさしく血に飢えたケダモノの有様。
 完全に自己を見失い殺戮に駆り立てられている。報告によると行軍に加わっているのは獣人族でも意思や体力の弱そうな者ばかりらしい。まだ闇の波動が弱いということなのだろう。
 それでも獣人は、通常の人間に比べはるかに高い戦闘能力を備えている。1対1で互角に戦える者といえば、ヴィンス、バムティを含めたシャルム隊のメンバーを除くと、わずかな人数しかいない。
 操られて戦闘機械に成り果てている現在の状態では、なおさら不利である。強靭な肉体の全能力を発揮して襲いかかってくることは間違いないだろう。
 斥候のもたらした凶報は、これだけではなかった。さらに百体を超える魔物が行軍に加わっているというのだ。
 グィルティズマによって魔界から召喚されたのである。報告を分析した結果、現時点で敵軍に加わっている魔物は、どれも低級な連中のようだ。それでも人間にとっては恐るべき脅威に値する。
 物理的攻撃が通用しないほどのレベルではなさそうだが、耐性が強いことは間違いない。たやすくダメージを与えることはできないだろう。
 魔法よる攻撃が有効であるが、ここに出動した王国軍に魔道士はラセリアやベルーカなどほんの一握りである。
 敵勢力の構成が分からなかったため、標準的な構成で臨むしかなかったのである。
 この知らせはキャンプの空気を一変させてしまった。単純計算で王国軍はいまだに倍近い勢力を持っている。しかし、敵は人間以上の戦闘能力を持つ者ばかりなのだ。
 特に魔物の存在は脅威といえた。たかが百といっても決して侮(あなど)れない。
 獣人族はともかく、魔物など見たこともない兵士がほとんどなのである。未知の敵に対し王国の兵たちは、恐怖感にとらわれてしまったのだ。
 指揮官トゥレールは、ヴルディアに逗留する王国軍に援軍を要請する使いを出した。文書を受け取った軍が直ちに騎馬部隊を編成したとしても分けつが原に到着するのは、最短で4ケ日後のことになる。
 グィルティズマの軍勢とは、約二日早く接触する見込みだ。
 弱気に駆られた副官の一人からは、一旦軍を引いて時間を稼ぎ援軍と合流して戦おうという意見も出た。
 だが、指揮官としてはこの主張を容れることはできなかった。ただでさえ士気が低下している。ここで軍を退いてしまえば、軍の統率が致命的に崩壊してしまう可能性が高い。
 しかもここから先バナウェイまで、軍で待ちぶせるにあたって、この森以上に有利な場所はない。
 ここは上に立つ者が戦意を鼓舞し、士気を高めて分けつが原で戦い抜くしかなかった。たとえ闇の軍勢を打ち破ることはできなくとも、援軍を迎えるまで怯まずに戦いたい。は拳を固く握り締めた。

 この情報も、またたく間にキャンプを駆け巡った。これまた尾ひれはひれがついて膨らみ、兵士たちを混乱させていく。
 王国軍キャンプの西の端にあたる場所では、若い兵卒ルタルゴーが輻湊(ふくそう)する情報に肝を冷やしていた。
 敵軍の勢力もニ千から一万まで、話によってまちまちであり、どれを信じていいのか分からない。共通しているのは、王国軍が不利な状況に追い込まれたということ。
 ルタルゴーは、ヴルディア攻略部隊に従軍した弟を思った。トーレスの奴、うまいことやりやがった。昨晩は酒場にでも繰り出してハメはずして、今頃二日酔いでヘロヘロしてるに違いない。それにひきかえ兄貴の俺は。
 この季節にしては妙に冷たい風がヒョウと森を吹き抜けた。ルタルゴーはプルリと身を震わせて辺りをキョトキョトと見回す。
 向うの茂みで何かが動いたように思えた。人か獣か分からない。かすかな気配を感じた気がする。
 じっと目を凝らすが、眼前の森は静まり返っていた。鳥の鳴き声、虫の音も全く絶え静かすぎるぐらいなのだが、ルタルゴーはそこまで気がまわらない。
 怯えるあまり吹き抜けた風の音を何かの気配と勘違いしたのだろう。彼は溜め息をつくと額に浮かんだ冷や汗を手の甲でぬぐった。
 一瞬つぶった目を開けると、武装した男たちがズラリと居並ぶ光景が飛び込んできた。ルタルゴーはパニックに陥った。口から心臓が飛び出しそうな状態。
 ほんのわずかな文字通り瞬きするほど間に、忽然と現れた兵士たち。ルタルゴーは心底驚愕させられた。
 奇襲されたか!ルタルゴーは叫び声をあげて仲間に知らせようとした。情けないことにアワアワと妙な呻き声が口をついて出るばかり。
 兵の一人が悠然とした足取りで歩み寄ってきた。自分の命もこれまでか。ルタルゴーは恐怖に目を見開き、気絶寸前の様子。
 男は落ち着いた良く通る声で話しかけてきた。
「私はエルフの将校カスバルト。貴軍の指揮官殿にお目通り願いたい」
「へ?」ルタルゴーは間の抜けた声を出す。
 よく見れば兵たちは皆白い肌で整った顔立ちをしている。カスバルトは兜で耳が見えないが、背後の兵には兜をかぶっていない者が多く、特徴ある尖った耳が確認できた。
 大半は身軽そうな皮の鎧をまとっている。中には神秘的に輝く鎧姿の者もいた。
 エルフは通常の金属を身に着けることがない。彼らだけが製法を知る特殊な金属で出来た鎧だ。
 ルタルゴーは、ようやく呼吸を整えたものの突然の事態に動転し返事に窮していた。
 そこに異変を察した上官のスキナーが現れた。
「これはいったい。どうしたことだ」スキナーは武装したエルフたちの姿に警戒し、腰の剣に手をかけて気色ばむ。
 彼らにとってエルフは決して物珍しい存在ではない。シャンダリアにも多数のエルフが暮らしている。だが、武装したエルフの集団に出くわすのは初めてだった。
「落ち着いてください。我々はアーロニウス王の命によって、グィルティズマ率いる闇の軍勢を討つために参ったのです」凛とした声でカスバルトが語りかける。
 彼の言葉には言霊の力が込められていたのだろう。スキナーは冷静さを取り戻して剣の柄から手を離した。
「分かった。取り次いでみよう。今しばらくここで待っていなさい」スキナーは、周囲の部下たちにエルフたちの見張りを命じると、王国軍の司令部テントを目指して歩み去っていった。