悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
5.刻印の発動
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 今回のエルフ軍遠征には、隠れ里エルミカスの長ジャジールも参加していた。
 トゥレールとの面会が認められ、カスバルトとジャジールの2名が臨むこととなった。
 スキナーに先導され、森の中に待機する王国軍の兵士たちの間を抜けていく。その姿は、いやがおうにも兵士たちの視線を引きつける。
 長期間に渡る遠征で兵士たちはそれぞれ皆、薄汚れた風体に成り果てていた。
 それは辺境付近の森を行軍してきたエルフたちも同様のはずである。にも関わらず、2人のエルフは不思議なほど身ぎれいで、どこか浮世離れして感じられるほどであった。
 カスバルトの鎧は一点の曇りもなく、木の葉の間から差し込む陽光を反射してキラキラと輝いている。
 深緑で色合いこそ違うが、青騎士モーズリット卿の鎧と同様な神秘的な輝き。あたかも貴族の居間で毎日磨かれている装飾品の鎧のようだ。
 ジャジールのまとっている長衣も、まるでおろしたてのように純白で染みひとつない。
 二人はスキナーに導かれ、トゥレールの待つテントへと歩んでいく。
 トゥレールに面会したカスバルトは、王国軍との共闘を申し出た。トゥレールは、驚愕の思いを隠すことができなかった。
 個人レベルの戦いであればともかく、エルフと人間の軍が手を携えて戦うなどということは聞いたことがない。
 だが、スキナーの報告によれば、実際にエルフの兵たちが森に到着しているという。
 カスバルトは、エルフ王アーロニウスの意向を伝えた。今森で待機している先遣隊は総数およそ500。
 400名強の弓兵と約50名の剣士、そしてやはり50名ほどの魔道士で編成されていた。
 さらに大人数の第二陣が準備中であるともいう。
 トゥレールは救われた思いだった。この援軍は、500という実数を遥かに上回る効果がある。
 エルフの戦いぶりは、華麗ともいえる機敏な身のこなしで知られている。特に弓さばきの巧みさは伝説的ですらあった。
 肉体を決定的に破壊して、行動力を奪わねば止められない不死者には不向きかもしれない。だが、獣人族には弓矢の攻撃は極めて有効なのである。
 王国軍にとって、さらにありがたい存在が魔道士だった。50人の魔道士がいれば、脅威と思われた魔物たちにも十分に対抗できるだろう。
 人間ならぬ者たちとの対戦と聞いて言い知れぬ不安に駆られていた王国の兵たちも、ようやく平静さを取り戻した。全軍が浮き足立っていたところに、エルフの援軍はまさしく起死回生の朗報だった。
 それどころか舞い上がった者の中には、エルフとともに魔物と戦うなんて、きっと語り草になるに違いない。吟遊詩人が歌い継ぐ伝説になるかもしれないなどと有頂天になる者すらいた。
 実体験がないため戦闘そのものが絵空事としてしか把握できないのである。
 いや、この男の考えは、あながち間違いとはいえない。たしかに分けつが原の戦いは伝説となり、吟遊詩人に歌い継がれていくことになる。
 しかし、その一つの要因が、あまりにも熾烈な戦闘内容ゆえであったことも、また事実なのだ。
 不運にも、この若い兵士は分けつが原で命を落とし、吟遊詩人が自分らを讃える歌を聴くことはなかった。
 喜びに湧く王国軍をよそに、ラセリアはピリピリと緊張感を高めていた。まさかエルフ王が戦争に踏み切る決断を下すとは思っていなかった。
 エルフは永遠ともいえる時を生きる。その反面、極端な少子で、それゆえ緩やかな滅びへと向かう種族とも呼ばれている。そのエルフ族にとって、人口を著しく減少させる戦争は最も忌むべきものである。
 そのエルフ族が分けつが原の戦いに参戦するというのだ。アーロニウス王と側近、そして神官たちの苦渋の決断であったに違いない。
 まさしく光の勢力が危機に瀕しているとの判断がなされた証しなのだ。
 さすがのラセリアも唇が渇くのを感じていた。この戦いに敗れれば、この大地は闇の手に落ちてしまう。世界の明暗を分ける決戦。その緒戦が、この地で始まろうとしているのだ。
 闇の力は相乗効果で増幅していくに違いない。ラセリアの緊張がピークに達したとき、額の紋章がズキリと痛んだ。頭の中が空白になり、フッと意識が遠のいていく。
 ラセリアはドサリと地面に倒れ込んだ。ヴィンスとバムティが彼女の名を叫んで駆け寄る。ラセリアの耳には、その声がひどく遠くから聞こえていた。

 ラセリアが意識を取り戻したとき、傍らにはヴィンスとバムティだけでなく、シャルムやジャジールも付き添っていた。
 意識を失っていたのは、ほんの10分ほどの間だった。それがラセリアには果てしなく長い時間に感じられた。ゴルワデスの刻印から多くの情報がもたらされていたためである。
「大丈夫ですか」ヴィンスとバムティが異口同音に声をあげてラセリアの顔をのぞき込む。
「ええ、大丈夫」
 嘘ではなかった。与えられた情報にとまどいは感じていたものの、久方ぶりにすっきりした気分。ここ数日の間に感じていたゴルワデスの刻印の違和感は、完全に消え失せていた。
 ラセリアは、時折見せる神秘的で老成したようにも見える面持ちになっていた。彼女は今、自分が何をなすべきか、自分の身に課せられた使命の重さがどれほどのものであるかを知らされていた。
「バムテュ、ヴィンス、私たちは急いで出立しなければなりません」透明感のある落ち着いた声音。
 やはり言霊の力が込められているのだろう。周囲の者に有無を言わさず納得させてしまう力があった。
「シャルムさん、申し訳ありませんが、私たちは、この地で戦うことは出来ません」言うとラセリアはジャジールに向き直った。「暗黒のイヴィルガルドに施された封印が破られました」
「なんとしたことだ」いつもは飄々(ひょうひょう)として表情を変えることのないジャジールが驚愕の声を上げた。長く伸びた眉の下で黒い瞳を見開いている。
「イヴィルガルドが発する闇の波動で、グィルティズマは隠し場所を知ってしまいました。今頃はモーズリットたちが、その場所に向かっています」
 一同を重い空気が包む中、ラセリアは続ける。
「増幅した闇の力をイヴィルガルドに呼応させ封印を破らせる。今回の行動は、全てこれが目的だったのです。不死者軍の進攻も、そのための捨て駒に過ぎません」
 ジャジールは動揺のあまり身じろぎした。深い洞察力を持ったエルミカスの長であるが、今回ばかりは迫りつつある闇の軍勢にすっかり注意力を奪われていた。
「ラセリア、お前にはイヴィルガルドの在り処がわかっておるのじゃな」
 イヴィルガルドの隠し場所はエルフ王アーロニウスと封印を施した神官たちのみが知る。ジャジールといえども、触れることの出来ない秘密中の秘密だった。
「はい。ゴルワデスの刻印はイヴィルガルドの発する波動を正確に感知しています」ラセリアは深く青い目を輝かせてうなずいた。
 おそらく光の勢力の中で暗黒のイヴィルガルドが始動したことに気づいた者はただ一人。額にゴルワデスの刻印を持つ呪われしエルフ、ラセリアのみなのだ。
 ラセリアは、ヴィンスとバムティの顔を交互に見つめた。
「私たちは行かねばなりません。暗黒のイヴィルガルドが隠されし場所、エルフの聖地シャグラムへ」