悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
6.預言書の3人
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 ラセリアたち三人は、早速出発準備にかかった。といっても、たいした荷物があるわけではない。
 ジャジールとラセリアは、手持ちの薬品をチェックした。不足のあるものは、ジャジールが手持ちの分から分けてくれた。そこにシャルムが駆けつけてきた。
「トゥレール司令官が兵を一部さいて、ラセリアさんたちに同行させると言っておられる」息を弾ませ、顔を輝かせている。「そうなったら、俺たちも一緒に行くぞ」
「お言葉は、ありがたく受け取ります。しかし、これは私たち三人の使命。私たちだけで行かなければなりません」ラセリアは申し訳なさそうな表情だが、きっぱりとした口調で言い切る。
 ヴィンスは、ラセリアの言葉にいぶかしんだ。世界の趨勢を決する旅路になるかもしれないのだ。人数が多いほど心強いのではないか。
「いや、気を悪くなさるな。ラセリアは、エルフ族に伝わる預言書に従って行動する定めなのじゃ」今度はジャジールが口をはさんだ。
「それに小人数のほうが動きやすい場合もあるからの」ジャジールは、持ち前の飄々(ひょうひょう)とした風貌。
 傍らではバムティが大きく顔を上下させてうなずいている。彼もまた、ラセリアに聞かされて預言書の内容は熟知していた。
 狐につままれたような面持ちのヴィンスは、預言書について説明を求めた。
「フム、古(いにしえ)よりエルフ族に伝わるものじゃよ。どれほど古いものかは誰も知らん。エルフが、まだ若い種族で他の人種は影も形もなかった時代のものとも言われておる」ジャジールは預言書について語り始めた。
 エルフ族の歴史は、人間のそれと比べて、とてつもなく長い。人類どころか他の動物が存在しない時代に起源を発しているという。地上にはエルフ以外に植物しか存在しない太古の時代からだと。
 その真偽はエルフ自身判然としていない。
 そして彼らは、その歴史のごく初期に独特な絵文字を使っていた。ジャジールが言う預言書も、今は使われていないこの古代文字で記されていた。
 エルフ族の中でも、その内容に接しているのは、ごく一部のディレッタントのみである。
 ラセリアが刻印を受けて旅立つとき、神官の一人が彼女に自らの研究書の写しを託したのだ。
 この神官にしても、ゴルワデスの刻印と預言書に記された文言との関連に自信があったわけではない。例えれば虫の知らせ、とでもいうものによる行動だった。
 旅の間に研究を重ねたラセリアは、自分たちが預言書に記されている三人であると信じるに至った。そのことはエルミカスの里で、やはり預言書の探求者であったジャジールと議論を交わしてもいたのである。
「その預言によると、光の世界を救うのは三人の勇者だそうだ」バムティが腕組みしながら言う。彼にしては、かなり神妙な表情だ。
「道を拓く呪われし者、、闇を打ち破る者、盾となりし者」バムティは続ける。「ヴィンス、どうやらお前は闇と対決する宿命を負っているようだな」
 ヴィンスは言葉に詰まった。いつしかラセリアとともに命を賭けて戦う決意をした彼だが、これほど大きな話になるとは思ってもみなかった。
「えらく驚いているようだが、ラセリア様はヴルディアでお前に助けられた時から預言書の勇者と感じていたそうだ」バムティが不敵な笑みを浮かべる。
 ヴィンスとラセリアの最初の出会い。あの日のことを思い出すとヴィンスは思わず赤面してしまう。
 花売り姿の少女が、よもや自分の数倍の年月を生きているハイエルフとは思いもしなかった。まだ1ヶ月も経たないというのに、遥か昔の出来事のようだ。
「様はやめて、様は」ラセリアが割って入った。「逃れられない運命の輪というものなのよ」あっさり言ってのける。
 ラセリアの透き通る青い瞳に見つめられると、それだけで納得してしまいそうな気分になる。ヴィンスは心を見透かされているような、少々居心地の悪い気分になった。
「ヴィンス、あなたはそもそもどうして冒険者になろうとしたの?」
 突然の質問にヴィンスは戸惑う。自己流で剣の修行を積んではいたが、特別な目的があったわけではない。故郷での猟師暮らしに不満を抱いたわけでもなかった。
 あれこれ考えるのだが、明確な答えは浮かんでこない。ある日突然思い立ったという、あいまいな結論しか引き出せなかった。
「あなたは、名誉や出世を求める人ではないわ。ましてや、お金のために生きたりはしない」答えに窮しているヴィンスに、ラセリアが語りかける。まるで百年の旧友について話すような口振り。
「あなたが冒険者になったのは、今ここにいるためだったと信じてる」
 ラセリアの真摯な言葉はヴィンスの胸に沁み込んでいく。確かに戸惑いはある。光と闇との決戦の渦中で、本当に自分は役立つことができるのだろうか。
 それでも不思議なことに、シャグラムへの旅を断ろうという考えは一度も浮かばなかった。
「でも、どうして今まで預言書のことを話さなかったんですか」ヴィンスは素朴な疑問をぶつける。
「必要なかったからよ。ヴィンスは預言のことなんか何も知らなかったけど、私たちと行動を共にしてくれた。それでこそ預言の実現なのよ」ラセリアは、これまでに見せたことのない慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。
 その通りだった。ラセリアの言葉に間違いはない。バナウェイで軍の追撃を受けてラセリアたちと行動を共にするようになった。
 それ以来、ヴィンスは何のためらいもなくラセリアの使命に協力してきた。いつしか、これが自分の進む道であったと思うようになっていた。
 ヴィンスは無言で微笑み返した。すべてを了解したという証である。
 預言書にどうあろうとヴィンスにとっては重要ではない。彼にとって大切なのは、自分の信ずる道を全うすることだった。
「私たちはエルフの掟に従って三人だけで行かなければなりません」ラセリアは、シャルムに繰り返した。「ここでの戦いも熾烈なものになるでしょう。シャルムさんたちは、グィルティズマの軍勢をなんとしてでも食い止めてください」
 シャルムは黙りこんだ。それでもラセリアたちを3人だけで行かせるのが不安なのだ。
 その時、テントにエルフの若者が入ってきた。青いローブをまとった魔道士。軽くウエーブのかかった金髪に整った童顔。とは言っても百年以上生きていることは間違いない。
 彼は恭しい態度で何やら金色に光る物をジャジールに手渡す。ジャジールが命じて彼の荷物から取ってこさせたのだ。
 それはボウナシーの金糸と呼ばれる特殊な繊維で織られた布と巾着だった。
「ラセリア、これを持っていくがよい」ジャジールはラセリアに差し出す。「決して暗黒のイヴィルガルドを直接さわってはならない。この布を使って掴み、この袋に保管するのじゃ」
 ボウナシーの金糸は、もともと闇の力に対する抗力を持っている。この布と巾着には、さらに破邪の魔法がかけられていた。
 闇の力に侵されたアイテムを扱うときに用いる物である。
「よいか。暗黒のイヴィルガルドを扱うときは、夢ゆめ油断してはならんぞ」ジャジールが漆黒の瞳を輝かせ3人をジロリと見回して言った。
 ラセリアは、布と巾着を受け取りながらコクリとうなずく。
「なにしろ、とてつもない魔力じゃ。このアイテムでも不十分かもしれん」ジャジールはなおもブツブツと呟く。独り言の口調になっている。
 彼はふと思い立ったかのように顔を上げ、3人に向かって言い足した。
「イヴィルガルドに触れれば、その魔力は、どのような光の性質を持つ者の心も侵してしまう。瞬時にして魂は腐り、闇の下部と化してしまうのじゃ」
 ジャジールの恐ろしい言葉に、ヴィンスは脇の下を冷や汗が伝うのを感じていた。
「自分だけは大丈夫かもしれない、などと考え出したら危険な兆候じゃ。すでにイヴィルガルドの術中にはまっていると思ったほうがよい」ジャジールの双眸は、鋭利な刃物を彷彿とさせて輝いていた。
 程無くしてラセリア、ヴィンス、バムティの3人は馬上の人となり分けつが原を後にした。目指すはエルフの聖地シャグラム。
 ヴィンスは、ジャジールの言葉を胸の奥深くに刻み込んでいた。