悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
7.シャグラムの惨劇
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 ラセリアたち一行は、エルフの聖地シャグラムへと馬を飛ばす。シャグラムは分けつが原の北西、シャンダリアの遥か北方に位置する高地にある。
 しかし、先行するモーズリットたちに追いつくことはできなかった。
 モーズリットは、すでにレーニャたち4人の暗殺者を率いシャグラムに到達しかけていた。
 エルフの聖地に隠された、モーズリットにとって重要なアイテムを奪い取る。レーニャたちは、 それだけを聞かされていた。
 どうしてモーズリットが地図も見ずにエルフの聖地を目指せるのか。
 不思議ではあったが、有無を言わせない雰囲気が今のモーズリットにはあった。いや、それは彼がもともと身につけていたもの。
 それが今では少しでも逆らえば切り殺されそうな凄まじさと化していた。暗殺団は何も言わずに従うしかない。
 愛馬ホワイトアローすら様子が変わっていた。生きた馬では恐れおののいてしまい、不死者が騎乗することはかなわない。ホワイトアローもやはりグィルティズマの手にかかっていた。
 その目付きは馬特有の温かさを失い、まるで黒い淵のようだ。やはり生命なき存在に成り果てていた。
 モーズリットが手綱を引き、ホワイトアローを停止させる。
「シャグラムはもう近い。ここからは馬を降りていくぞ」モーズリットは表情を変えず言い放った。
 こんな森の中で、どうしてそれが分かるのか。レーニャたちは、いぶかしみながらも命令に従う。
 鬱蒼(うっそう)とした茂みを分け進むと、確かにほどなくシャグラムが見えてきた。それは神殿というには小振りだが、祠(ほこら)としては重厚な石造りの建造物。その背面を小高い丘に接して建てられている。
 遥か昔、辺境を旅するエルフの家族が、この高地で狼どもの襲撃を受けた。追いつめられた彼らは必死の思いで神に祈りを捧げる。
 すると暖かな光が彼らを包み、その聖なる力に狼どもは近づくことが出来なかった。こうしてエルフの一家は無事に夜明けを迎えることができたという。
 それ以後、この地は聖地シャグラムと呼ばれるようになり、後年になって女神像を祀る祠が建造されたのである。
 木々の合間からシャグラムがちらちらと見え隠れするあたりにモーズリットは立ち止まる。そしてレーニャを斥候として送り出した。
 人間に比べて遥かに鋭敏な感覚を持つエルフを出し抜けるのは、盗賊の技能に長けた彼女以外にいない。
 シャグラムは、年4回行われる宗教儀式の時期以外は、少数の巡礼者が訪れるのみ。シーズンオフにあたる現在は、ひっそりと静まり返っていた。ここには常時10名の警備兵が駐屯している。
 エルフ王がこの地を隠し場所に選んだのは、いくつかの理由があった。
 ひとつは、なんといっても精霊力が強い場所でありイヴィルガルドを封印するには有利であったこと。そしてもうひとつは、警備の兵を常駐させても不自然ではないという理由だ。
 難点は、兵たちに真の目的を教えるわけにはいかないことと、不自然なほど大人数の兵を配備するわけにはいかないことだった。
 イヴィルガルドトは、あくまで敵の注意を惹かないよう目立たぬ場所に安置する必要があった。
 聖地シャグラムは石造りの建造物で、その正面には高さ8メートルほどの石柱が左右に並んでいる。
 レーニャは気配を消し、風下から近づいていった。さすがの彼女も緊張している。なにしろ全ての感覚に秀でたエルフが相手なのだ。
 シャグラムの警備にあたっているのは全部で10名。2名がシャグラムの入口に立ち、交替は1時間ごと。やはり1時間おきに2名が周囲を巡回していた。
 レーニャは半日の間茂みに潜んで、このパターンを把握した。さらに夜が更け日付けが変わっても見張り続ける。このパターンは終日変わらないようであった。
 彼女は夜明けの直前に襲撃を決行することにした。人間とは体質の違うエルフが相手。この戦法に、どれだけ効果があるかは分からない。
 むしろ彼らにとっての常套手段を採用したということである。
 まずはレーニャが巡回路に待ち伏せた。精一杯気配を消して潜むのだが、さすがの彼女もエルフの鋭敏な感覚を完全に欺くことは出来ない。
 数メートル手前で、巡回中のエルフ二人は茂みの中にかすかな気配を察した。
 レーニャに幸いしたのは、風下に忍んでいたことと、長年の平和に慣れたエルフたちがよもや刺客が潜んでいるなどとは考えず何かの野生動物だろうと判断したことだった。
 剣の柄に手を掛けてはいたが抜き放ちもせず、慎重な足取りで近づいて来た。
 茂みの影ではレーニャが緊張の面持ちで息を潜めている。さすがのレーニャも、短刀を握る手の平に汗がにじむのを感じていた。
 まだだ。もう少し近づいてからだ。レーニャはジリジリしながらタイミングを計り続ける。
 レーニャはギリギリの間合いで飛び出し、前にいたエルフ兵の喉を短刀で掻き切った。続く動作でその短刀を投げ、慌てて剣を構えようとしていたもう一人の脳天に突きたてる。
 わずかに数秒間、鮮やかな手際。人間であれば周囲の誰も気づくことがなかっただろう。だが、エルフたちはこの凶事を聞き逃すことはなかった。
 祠の入り口に立っていた二人がいぶかしみながら様子を窺う。小屋の中にいる6人も起き出していた。
 立哨していた二人の兵は顔を見合わせ、左側の一人が状況を確認しに持ち場を離れようとする。そこにジグラスたち三人の放った矢が飛来した。
 一本は外れたが、一本が左側の兵の腰に刺さり、もう一本は右側の兵の喉笛をとらえた。
 一方、モーズリットはエルフ兵が待機する小屋へと突っ走っていた。獣も追いつけないほどの人間離れした速さ。あっという間に小屋の入り口に達していた。
 飛び込んできた異形の者に、とりあえず武器だけを携えて出ようとしていたエルフ兵たちが後ずさる。
 モーズリットは、その姿に変容をきたしていた。肌が青黒く変色し、目は黄色に輝いていた。しかも額からは2本の角がせり出している。
 もはや人間の姿ではない。グィルティズマを模した魔物であった。
 我らが聖地をこのような闇の存在に汚されるとは!エルフ兵のリーダーが、普段は端正な顔を怒りに歪ませて斬りかかる。
 モーズリットは、こともなげにその一刀を名剣グラナヴァルで受け、体当たりしてリーダーの身体を部屋の反対側まで弾き飛ばした。
 続いて斬りつけてきた兵の剣を軽くかわすと、一太刀でその兵の首を切り落とす。
 チッとモーズリットは舌打ちした。あまりにも簡単に楽しみを一つ減らしてしまった。
 剣を構えながらも残ったエルフ兵たちは、この異形の者の鬼気迫る残忍さに息を呑んでいた。
 モーズリットは一同をぬめまわすとニッと下卑た笑いを浮かべる。その酷薄な表情にエルフ兵たちは思わず怯んで後ずさった。
 その彼らを追いつめるかのようにモーズリットは一歩を踏み出していく。残忍な殺戮の始まりだった。
 表の4人に止(とど)めを刺したレーニャたちが小屋に踏み込んだ途端、血の生臭い匂いが襲いかかってきた。
 血生臭い場面には慣れっこの暗殺者たちですら胸が悪くなるほど。まるで屠殺(とさつ)場のようだ。
 小屋の中にはズタズタに切り刻まれた死体が転がり、あたりは血まみれの修羅場と化していた。
 そのど真ん中にモーズリットが立ち尽くしている。姿こそは元に戻っていたが、この場でニタリと笑みを浮かべている様は凄惨の極み。
 殺人に禁忌を持たない暗殺者たちですら背筋が凍りそうな思いだった。
「これで邪魔者はいなくなった」モーズリットは平然と言ってのける。「心置きなく暗黒のイヴィルガルドが探せるというもの」
 モーズリットは、何事もなかったかのような顔で小屋を出ると、シャグラムを目指し足早に歩んでいくのだった。