悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
8.イヴィルガルドの洞窟(前)
モーズリットは、脇目も振らずシャグラムを目指して歩いていく。レーニャたちも、あたふたと後を追う。
辺りは夜明けが近づいて空も白みかけている。だが、祠の中は真っ暗で右も左も分からない状態。
モーズリットはよほど夜目が効くのか、躊躇もせずに踏み込んでいく。レーニャたちは、慌てて用意してあった松明に火を点す。
中に入ると、そこは祠というには広めの空間が確保されていた。その中央には女神像が安置され、松明の炎に揺らめいて見える。
エルフ族の崇拝する女神ルヴァーナ。長衣をまとい右手を高くかざし、その顔も天を仰いでいる。慈愛に満ちた顔つきも、今は心なしか哀しげに見えた。
「イヴィルガルドは、この奥にある」モーズリットは女神像には目もくれず、その背後の壁に歩み寄った。
石材を複雑に積み上げて築いた壁だ。
早速ジグラス、アルカズ、バスティスの三人が取りついて力まかせに押してみる。ウンウン唸るばかりで、ビクともしない。
レーニャはといえば、少し離れた位置から腕を組み目を細めて壁全体を観察していた。フン、と鼻を鳴らしてツカツカと近づいていく。
「おどき!」一喝して三人を下がらせた。
いくつかの石を拳で叩いてみる。その顔に自信ありげな笑みが浮かぶ。
右上の石の一つに手をかける。さほど力をかけたようには見えなかったが、その石はズブリと奥に押し込まれていく。
次にレーニャは、新しくできた隙間に左隣の石をスライドさせる。どこかでカチリという音がしたが、何も起こらない。ジグラスたちの顔が失望に曇った。
レーニャにとっては先刻承知のことだったようだ。表情一つ変えずに右に移動した。
今度は少し下の方の石で同様な動作を繰り返す。再びカチリという音。
「さあ、もう一度押してごらん」レーニャは不敵な笑みを浮かべて言った。
ジグラスたちは、半信半疑の面持ちでこれに従う。先ほどはビクともしなかった壁がズズッと重い音を立てて動く。
それは高さ2メートル半、幅2メートル程の扉になっていた。その奥には洞窟が続いている。どうやら山肌を掘って作った人工のものであるらしい。
ジグラスが松明をかざす。10メートルほど先で右に曲がっているようだ。通路の先を見通すことはできない。
「ここは俺様が一番乗りだ」言うが早いかバスティスが洞窟に踏み込んでいく。
「バスティス、およし!」レーニャが鋭い声で制止する。
その言葉にバスティスは振り向きかけたが遅かった。彼は、すでに地獄へ踏み出してしまっていたのだ。
悲鳴だけを残して、その姿を一瞬で消してしまう。落とし穴だった。
レーニャたちが淵に立ってのぞき込む。バスティスは、3メートル下で串刺しになり即死していた。穴の底には数10本の槍が整然とした配列で植えてあったのだ。
幸か不幸か苦悶する時間はなかったようだ。驚愕のみをその表情に宿し、乱杭歯をむき出したまま絶命している。
「フン、この程度の罠に引っ掛かるとは情け無いね」レーニャは冷たく言い放つ。
その口調には何の感慨も含まれていない。彼女は一目で床の異常に気づいていた。ドジな仲間の死に様に同情する気など全くないのだ。
ジグラスとアルカズは息を呑んで顔を見合わせる。二人とも落とし穴には全く気づかなかった。
「小屋の横に梯子があった。それを取っておいで」レーニャは、ジグラスたちに命じる。
先ほど、目ざとく見つけて憶えておいたのだ。心当りのないジグラスとアルカズは、首を傾げながら出ていく。
もちろんレーニャの記憶に間違いはない。数分もしないうちに二人は梯子を抱えて戻ってきた。
レーニャは、この梯子を落とし穴に渡すと、その上を渡っていく。
あふなげのない身軽な足取り。ほとんど足元を見ていない。あっというまに渡り切ってしまった。
続くモーズリットは体格が違ううえ、エルフの特殊な金属製とはいえ鎧を着込んでいる。一歩ごとに梯子がミシミシと悲鳴を上げるのだが、本人は気にする様子もない。
穴の底に並ぶ槍など意に介さないかの平然とした足取り。これまた一気に渡ってしまう。
残った二人は、そうはいかない。どちらもおっかなびっくりのヘッピリ腰。冷や汗を滴らせながら四つん這いで進む。梯子が軋むたびに、ヒイッと情けない声を上げる。それでもどうにか奥側へと到達した。
レーニャは洞窟が右に折れる突き当たりになった壁をしばらく観察していた。どうやら罠はないと判断して近づいていく。
よく調べると、一度掘り進んだあとを石と土で塞いである。一見では周囲と区別がつかないように表面を偽装したものであることが分かった。
いったい何のために。罠を仕掛けるために違いない。レーニャは右手に進む通路を睨んだ。
一見何もない洞窟。だが、レーニャは目ざとく一本の糸を見つけた。10メートルほど続く通路の中央、地上20センチほどの位置にピンと張られている。
常人では、まず気づくことのない細い糸。レーニャは知るよしもないが、それは生まれてから一度も髪を切ったことがないと伝えられるエルフ界伝説の巫女、ファトラシアスの髪の毛だった。
その髪は、通路の右側に先端が埋め込まれている。左側はコンマ数ミリというどうやって開けたのか分からない分からないほど細い穴の中に消えていた。
左側の壁を見やったレーニャは、ひと目で罠の仕掛けを看破した。フン、と鼻を鳴らすと素早い動作でナイフを投げる。
暗い洞窟の中を一筋の銀線を描いてナイフが飛ぶ。見事にファトラシアスの髪を切断した。
と同時に左の壁から無数の槍が一斉に突き出された。まさに槍ぶすまの状態。反対側の壁に当たって鋭い金属音を響かせる。
エルフたちは、通路の向うにもう一本洞窟を掘り、この罠を仕掛けていたのだ。
槍が飛び出す無数の穴は、エルフの工芸師によって丁寧にカモフラージュされていたが、レーニャの目をごまかすことは出来なかったのだ。
これまた何も見つけられなかったジグラスとアルカズは、顔を青くして呻き声を洩らす。
モーズリットは顔色一つ変えずにズイと踏み出し、スラリとグラナヴァルを抜く。
まるで草でも刈るような無造作な仕草で槍の根元を切断し始めた。またたく間に通路は奥へと道を開ける。
今度は右へと曲がっていた。4メートルほどの短い通路の先に5メートル四方ほどの小部屋が設(しつら)えてある。
どうやら、ここが突き当たりのようだ。部屋の中央には大理石の台座が置かれ、その上には黒い玉が安置されている。
溶岩のようにゴツゴツした質感。今はエルフの神官たちが施した封印を破り、禍々しい瘴気を放っていた。本来の神聖な気配が汚され、部屋中に淀んだ空気が溜まっている。
これこそまさに暗黒のイヴィルガルドだった。