悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
10.神託
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 奥室へと踏み入ったヴィンスは、突然巻き起こった光の風に包まれた。眩しさに目がくらみ、一瞬視界が閉ざされる。はっと立ちすくんだが、光は瞬く間に消えていった。
 ヴィンスは、茫然として辺りを見回す。そこは祠の中ではなかった。果てしなく広がる空間。白い光に包まれている。
 自分がどこにいるのか見当もつかない。ラセリアもバムティも姿を消してしまっていた。いや、もしかしたら姿を消したのは自分の方なのかもしれない。
「おーい、ラセリアさーん、バムティさーん」試しに大声で呼んでみた。
 妙なエコーのかかった響きになる。だが、声が消えた後には静寂のみが広がり、返事をする者はいない。
 光は慈愛を感じさせる穏やかさに満ちており、心をかき乱すようなことはない。それでもヴィンスは、たった一人見知らぬ空間に放り出され、戸惑いを感じていた。
 その時、スッとヴィンスの目前に光の固まりが現れた。一定の形は成さず。フワフワと浮かんでいる。
 ヴィンスは、その光に不思議な力を感じた。言葉を失い、魅入られたように立ち尽くす。
「あなたは、ようやく自らの使命に気づきましたね」美しく凛てした声が響く。女性の声のようであるが、そうではないようにも思える。幽玄さに満ちた声であった。
 それは耳から聞こえるのではなく、ヴィンスの精神に直接語り掛けていた。
 この世界を闇に落とそうとするグィルティズマの野望を阻止する。それは同時にラセリアにかけられた呪いを解くということでもあった。確かに今のヴィンスは目的を持っている。
「ですが、あなたには、まだ覚悟が出来ていませんね」
 ヴィンスはドキリとした。試合というならともかく、殺し合いとして戦うことには強い抵抗感がある。
 相手は人間ではない。闇の存在なのだ。自分自身に言い聞かせ続けて ここまで来た。それでもなおかつ向き合って剣を構えたときに、全くためらわないという自信は持てないでいる。
「あなたに剣を与えます」声と同時に細長い光が新たに出現した。それは光に包まれた一本の剣だった。
 ヴィンスの頭上からゆっくりと降りてくる。
「さあ、受け取りなさい」
 剣は、今やヴィンスの30センチほど前、目の高さより少し下の位置にあった。声に促されてヴィンスは両手を差し出し、捧げ持つように剣を掴む。
 ズシリとした重量感。ヴィンスは右手で柄を握りスラリと抜き放つ。ヴィンスは別に剣の目利きというわけではない。それでも、この剣が特別なものとは思えなかった。
 確かに刃は曇りひとつなく、キラキラとした輝きを放っている。
 例えばヴィンスが今腰に下げている安物のブロードソード。これに比べれば間違いなく上物である。だが、あくまでその程度にしか見えない。神聖な霊的存在から授けられる傑出した剣とは思えない。
 重量のある分、ヴィンスにとっては扱いにくいという気すらした。
「あなたが本当に覚悟を決めたとき、この剣も真の力を発揮します」
 この剣は自分を試そうというのか。ヴィンスはジロリと剣をにらんだ。
 ふと周囲が暗くなった。剣から目をそらして辺りを見る。ヴィンスはシャグラムの奥にある小部屋へと戻されていた。

 ラセリアもまた、ただ一人光に包まれた別世界へと運ばれていた。霊力の強い彼女は、ここが極めて神聖な属性を持つ異世界であることを悟っていた。
 落ち着いた眼差しで周囲を見渡す。フッと目前に光の固まりが出現した。
 暖かな輝きにさらされ、ラセリアは自分自身に力が満たされるような感覚を得た。
 光は時折ラセリアの眼前で人の形を成す。シャグラムに祀られている女神ルヴァーナの姿だ。
 ラセリアは、神霊に一定の形がないことを知っていた。ルヴァーナに近しい姿をとるのは、ラセリア自身のイメージが投影されているからにほかならない。
「あなたはゴルワデスの刻印が持つ役割を知りました」光が心に直接語りかけてきた。
「あなたの一族は闇に心を奪われてしまったため、大切な輝くルミナシェールを暗黒のイヴィルガルトに変えられてしまいました」
 ラセリアは、ゴクリと喉を鳴らす。彼女にかけられた呪いの物語だ。
「呪いを解くためには、あなたが闇に背を向けてみせなければなりません」光の存在は凛とした意思を、ラセリアの精神の深奥に送り込んできた。
 ラセリアは闇に屈するような態度を取ったことは金輪際ない。この先、グィルティズマとの闘いでは、さらなる試練が待ち受けているということなのだろう。
 ラセリアが決意を新たにしたとき、光の存在は輝きを増し、空間全体が光に包まれた。ラセリアは思わず目をつぶる。
 次にまぶたをあげたとき、彼女はシャグラムの奥へと戻っていた。
 そこにはヴィンスとバムティもいた。二人とも周囲を見回している。ラセリアは、どうやら二人も異世界を体験してきたと察した。
 ヴィンスは剣を握りしめ、怪訝な顔つきをしている。バムティは青く輝く宝玉を手にしていた。いつになく陰気な表情だ。
「バムティ、それは何?見たことのないアイテムだわ」ラセリアが目に好奇心をあふれさせて尋ねる。
「ムフウ、たいしたものではない。一種のお守りだそうだ」これまた珍しくぶっきらぼうな口振り。
 そそくさと青い玉を腰に提げた荷物袋に仕舞い込んでしまう。何か事情があるに違いない。ラセリアは、とりあえずこれ以上追求しないことにした。
「ヴィンス、それは魔法剣ね」話題を変えてヴィンスに声をかける。
「あ、ああ」こちらの返事も少々心もとない。
「そうね。封印が解けていない。多分ヴィンスの心に反応するのだと思うわ」ラセリアは、ヴィンスを勇気づけるように言った。
 ラセリアたちが祠を出ると、太陽は先ほどとほぼ同じ位置にあった。どうやら三人が異世界へと転送されていた時間は、ほんの一瞬であったらしい。
「さあ、モーズリットを追うわよ。奴はサヴォイ砦を目指しているわ」ラセリアは張り詰めた声で言った。
 祠での出来事に、さすがのラセリアも少なからず動揺しているのだ。されはヴィンスとバムティも同じである。
 でなければ少し離れた茂みの中から様子をうかがっている者の存在を見逃すことはなかったかもしれない。
 ヴィンスは新しい剣を腰に差し、外したブロードソードは馬の鞍にくくり付けた。
 3頭の馬は、わずかな時間ではあったが、足を休めて草をはみ、多少回復したようである。元気にいななくと東のサヴォイ砦に向かって駆け出していった。
 蹄の音が遠ざかっていくのを確認して、茂みの中から這い出す人影。レーニャだった。
 丘の麓で意識を取り戻した彼女が、よじ登ってシャグラムに戻りついたとき、ラセリアたちが出てきた。とっさに身を潜めていたのである。
 暗黒のイヴィルガルトを奪ったモーズリットは、サヴォイ砦へと向かったらしい。
 レーニャは九死に一生を得た、このまま姿をくらまして、どこか他の都市の闇社会に潜り込む。もちろん名前も変えてしまう。彼女の才覚を持ってすれば、身の置き場に困ることもないだろう。
 理性はそう訴えるのだが、それに反発する心情があった。
 今は人間ならぬ存在にだしてしまった青騎士モーズリット卿。一度は叶わぬ想いに身を焦がした男が何を目指しているのか。
 見届けずにはいられない激情に、理性が押し流されていく。
 もしかしたら彼女もまた巨大な運命の輪に巻き込まれた一人であったかもしれない。
 レーニャは、茂みを抜け出すと少し離れた茂みの中の馬をつないだ場所へと急いだ。ホワイトアローだけがいなくなっており、他の馬はつながれたままになっている。
 レーニャは、ジグラスら命を落とした者たちが乗っていた3頭の馬を放すと、自分の馬にまたがった。
 目指すはサヴォイ砦。レーニャは、黒い瞳を冷たく輝かせて馬に鞭をあてる。馬は一声いななき、駆け出すのだった。