悪しき運命(さだめ)のラセリア
第3部 聖地シャグラムの呼び声
11.悪夢の始まり
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 開戦から一昼夜が経ち、戦局は膠着(こうちゃく)状態に陥っていた。王国・エルフ混合軍は、緒戦を有利に展開し、敵の数を半減させた。
 しかし、戦闘が長ぴくにつれ、兵士たちは疲労の色が濃くなってきた。なにしろ不死者どもは疲れるなどということがない。
 どれだけ長期戦になっても執拗に攻撃を仕掛けてくる。それは獣人や魔物も同様だった。獣人は、自らの意思に関係なく闇の波動に突き動かされているため、限界以上の力を発揮している。
 魔物たちは低級な連中であり、その魔力にも限りがある。だが、その分物理的な戦闘に長けており王国兵には大きな脅威となっていた。
 王国軍の兵士の中には、疲労と眠気で動きが鈍り、敵の手にかかって命を落とす者も増えてきた。指揮官らは急遽会議を開き、作戦の変更を決定した。
 森の木を切り倒して応急の柵を作り、その内側に下がって防戦する。時間を稼いで交替で兵士に休憩を取らせ、体制を立て直そうというのだ。
 闇の軍勢は攻勢をかけてくるだろう。それでも数のうえでは遥かに勝っている。防戦に徹するのであれば、兵の一部を割けば対応できると予想された。
 命令が下り、兵士たちが撤退を始める。
 闇の軍勢にとっては、またとない好機。一気に攻勢をかけてくるのではないか。
 守備にまわった兵士たちの間に張り詰めた空気がみなぎる。だが、予想外の結果となった。
 闇の軍勢は分けつが原にとどまり、攻撃を仕掛けてくる様子は少しも見せない。
 不死者も獣人も、ヒョオと風の吹きすさぶ分けつが原の中に立ち尽くしている。まるで置き忘れられた彫像のように身動きひとつしない。
 魔物たちにいたっては、どこに潜んだのか姿も見えなかった。
 王国軍にとっては大助かりなのだが、なんとも不気味である。なにかの罠であるかもしれないが、詮索ばかりしていても埒があかない。とにかく少しでも多くの兵に休憩を取らせることにした。

 シャルムたちも森の片隅で、配られたスープをすすり英気を養っていた。
「チッ、攻撃がやんだらやんだで、なんとも落ち着かねえな」カーニットがボソリとこぼす。
「ああ、休む必要のない奴らが休んでるんだ。なにか企んでるって考えるのが普通だからな」キリウスが合槌ちを打つ。スープを口に運ぶスプーンが止まらない。
「嫌な予感がするわ。ラセリアたちは無事かしら」霊感の強いベルーカは少し青ざめている。
 さすがの彼女も、暗黒のイヴィルガルトがモーズリットに奪われたことまでは分からなかった。
「あれこれ気を揉んでも仕方がない。何かが起きるかもしれないからこそ、今のうちに体力を回復しておく必要があるんだ」冷静な口ぶりのシャルムだが、彼とて内心は不安の虜となっている。
 だが、部下たちの前で弱気を見せることは許されない。普段と同じ自信に満ちたリーダーを演じきっていた。
「その通りですぜ」キリウスは立ち上がり、スープのお代わりを求めて歩き出す。
 肝が据わっているというか、鈍感というか。そんなキリウスの後姿を、シャルムは少し羨ましそうに見つめるのだった。

 ジャジールは握りしめた拳を震わせて慟哭した。この戦闘で、すでに13名のエルフ兵が命を落としている。
 エルフ軍は、この死者数の50倍以上の敵を屠っていた。王国兵の倒した数を加えれば、およそ千以上の敵を減らした計算になる。
 そして王国兵の被害も、ほぼ敵の被害と同数に達していた。
 これらの人数に比べれば、はるかに少ない被害である。だが、極端な少子でで緩慢な滅びを迎える種族と呼ばれるエルフにとっては、取り返しがたい損失なのである。
 ジャジールは禍々しい予感に突き動かされて天を見上げた。木々の間から覗く夜空を流れ星が横切る。青白く輝く凶星であった。
 不吉の前兆。暗澹たる顔つきでジャジールは身を震わせた。まだこれは始まりにすぎないのか。
 どれだけ犠牲を払おうと、ここで食い止めなければ世界は闇に覆われてしまう。戦うしかない。エルフ族にとっても、まさしく正念場なのだ。
 ジャジールは苦々しい面持ちで、戦死者たちのため弔いの祈りを唱えるのだった。

 その日の真夜中、ヴィンスは焚き火のそばで倒木に座って張り番をしていた。
 パチパチと薪のはぜる音がするほかは森全体が静まり返っている。揺らめく炎を見つめながら意識を集中し、周囲の様子を窺っていた。生き物の気配は何も感じられない。
 獣たちはもとより、夜行性の猛禽類や虫すらも姿を隠している。闇の跳梁を予見して身を潜めてしまったかのようだ。
 ヴィンスは剣を抜きはなった。白刃を見つめ、闇への闘争心を燃え立たせようと試みる。何の変化も現れない。やはり、とりたてて変哲のない普通の剣にしか見えない。
 ラセリアは、ひと目でこれが魔法剣であることを看破した。とすれば、この剣が真の力を発揮しないのは、ひとえにヴィンスの精神面が問題なのであろう。
 彼は剣を鞘におさめ、深い溜め息をつく。その時、人の気配がした。ヴィンスは一瞬緊張したが、すぐにバムティであると気づいた。
「どうしました。少し早いようですが」ヴィンスは気を落ち着けて人影に声をかけた。予定された見張りの交替まで、まだ1時間ほどある。
 バムティは、ゆっくりとした歩調で焚き火の明かりの中へと進み出た。
 シャグラム以来、少々様子が変わってきている。口数が少ないのはもともとだが、表情そのものが妙に陰欝になっていた。顔つきもこころなしか、やつれたように見える。
「ちょっと話があってな」かすれた声だった。
 ヴィンスはゴクリと喉を鳴らす。どのような内容かは分からない。だが、決して楽しい話でないことだけは見当がつく。
 バムティはヴィンスの隣に腰を下ろし、しばらく押し黙って焚き火の炎を見つめていた。
 ややあって口を開きボソボソとシャグラムでの出来事を語りだすのだった。

 そこは地上でも魔界でもない亜空間だった。全方向をゴツゴツした岩肌に囲まれた閉ざされし空間。その中央にグィルティズマの居城ガルベジアは浮かんでいた。
 その城は切りたった岩山を逆さにしたような土台の上にそびえ立ち、城壁はグィルティズマの皮膚同様、不気味に黒光りしている。
 グィルティズマは暗黒のイヴィルガルドを手の平に乗せ、ジロリと睨んでいた。表情の少ない魔人であるが、黄色い瞳を細め酷薄な笑みを浮かべる。
 背後にはモーズリットが立ち尽くしていた。今は微動だにせず、かってサヴォイ砦の周囲を見張っていた番兵たちと同様の有様である。
 15メートル四方ほどの部屋で、扉のない三面の壁ではランプがチロチロと赤い炎を揺らめかしている。
 床の真ん中には台座が設えられていた。高さ1メートルほどで中央がくびれた細い台座。
 その先端には、くの字型をした金具が8本取り付けられている。あたかも獲物に掴みかかろうとする蜘蛛の触手のようだ。
 グィルティズマは呪文を唱え始めた。人間には発音することの出来ない言語である。
 ランプの炎が青白く変化し、部屋が薄暗くなった。気温も1、2度低下している。
 グィルティズマはツカツカと台座に歩み寄り、8本の爪に暗黒のイヴィルガルドを嵌め込む。
 さらに呪文を唱え続けると、イヴィルガルドの周囲にチカチカと青白い電光が走った。次の瞬間には、何処からか雷鳴が轟き黒い靄が湧き出てくる。
 闇の世界からエネルギーを送るルートが開いたのだ。グィルティズマは自らの身体に力が漲(みなぎ)ってくるのを感じた。
 どのような魔人も、地上で使える魔力には限界がある。
 今やグィルティズマは、闇の世界から無尽蔵に送られてくる力を手にすることが出来た。グィルティズマの黒光りする体躯自体が、一回り大きさを増したように見える。
「ウオオオオッ」拳を握り締めた両手を広げ、天を仰いで咆哮した。
 その大音声は亜空間に浮かぶガルベジア城全体を全体をビリビリと震わせるほどだった。
 いよいよ時は満ちた。分けつが原に、真なる闇の軍勢を送り込む準備が整ったのである。
                                        第3部 終わり