悪しき運命(さだめ)のラセリア
第4部 亜空間城ガルベジア
1.亜空間への道
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 王国兵、エルフの混合軍が一旦兵を退いた翌日の午後となった。待ちに待ったヴルディアからの増援が到着したのである。
 先行してきた300騎の騎馬兵団だった。後続の歩兵が到着するには、まだ数日かかるということだが、これだけでも十分心強い。
 エルフの魔法戦士たちも、かなり魔力を回復したという情報が入っている。
 ひと息入れた王国兵たちは、相次ぐ朗報に士気が上がっていた。一気に攻勢をかけ、決着をつけよう。司令官トゥレールの決定がくだった。森の出口に続々と兵士が配置されていく。
 いよいよ攻撃開始の号令が掛けられようとしたとき、異変が起きた。分けつが原を隔てた向う側、辺境へと続く森林の上空に暗雲が広がり始めたのだ。
 時折雷鳴を轟かせながら、黒い雲は瞬く間に天を覆う。分けつが原を越えて、王国軍の頭上に達した。ものの1分と経たないうちに日が暮れてしまったかのような薄暗さだ。
 出陣の準備を整えた兵士たちは、呆気に取られて立ち尽くしていた。
 その時、森の奥から地響きとも雄叫びともつかない不気味な物音がこだました。
 一体何事が起こっているのか。王国軍の兵士たちは落ち着きを失い、どよめいている。不吉な予感にブルブルと震え出す若い兵士もいた。
 森を抜けて姿を現したのは、魔物と獣人の一群だった。
 王国軍のあちこちから呻き声があがる。これまで戦ってきた連中とは明らかにレベルが違う。魔物たちは、いずれも強大な力を持つ上級の悪鬼たちだ。
 獣人たちも、今まで分けつが原で闘いを繰り広げていた連中に比べて数段手強そうだ。体格自体二回り以上大きい。顔つきも獰猛そのもので、目は血走り頑丈そうな牙を剥きだしている。
 戦闘に決着をつけようと意気込んでいた兵士たちの表情が変わる。迫ってくる敵の姿に、士気は一気に下がっていった。
 ジャジールは息を呑んだ。これだけの魔物を召喚し、獣人を操るとは。
 グィルティズマの力が格段にアップしたのだ。暗黒のイヴィルガルドが奴の手に落ちてしまったのだろうか。ラセリアたちは敗れてしまったのだろうか。
 3人が生きながらえていれば、まだ望みはある。決してあきらめずにグィルティズマを追っているに違いない。
 エルフの予言が果たされなければ、この世は闇に落ちてしまう。最悪の事態を考えても仕方がない。とにかく目の前の敵と全力で戦うしかないのだ。
 ジャジールは悲壮な覚悟を固めるのだった。
 トゥレールは、急遽作戦の変更を余儀なくされた。これほどの軍勢を相手に討って出るわけにはいかない。
 森の端に作った柵を盾に戦うしかなかった。いかにも脆弱そうな応急の柵。なんとも心もとないが、持ちこたえるしかない。
 徒歩で行軍してくる二千の増援が到着するまでの持久戦だ。エルフ軍の増援も近づきつつあるという情報が入っている。
 時間さえ稼げば、戦局を変えるチャンスはまだまだあるはずだ。
 分けつが原を揺るがせて迫ってくる敵を見ると、それが儚い希望であると思えてくる。それでも闇にやすやすと勝利を譲るわけにはいかないのだ。

 ヴィンスたちはサヴォイ砦へと到着していた。
 無人となり放置された砦は、すっかり荒廃し切っている。乾燥した天候のせいなのか、闇の世界から送られてくる瘴気のせいなのか、前庭に生い茂っていた雑草は茶色く枯れ果てていた。
「ここにモーズリットが潜んでいるのか」ヴィンスが額の汗をぬぐって言った。
「いいえ。奴は、もうこの世界にはいないわ」ラセリアは、眼前の砦をキッと睨みながら言った。「この砦の奥に、どこか別の世界への入り口がある。奴はそこからグィルティズマの元へ行ってしまった」
 ヴィンスはゴクリと喉を鳴らした。モーズリットたちは、この世ではない異世界にいるという。奴らを追って自分らも未知の場所へと踏み込んでいかなければならないのだ。
「さあ、こっちよ」ラセリアは決然とした足取りで進み出た。
 揺るぎない歩調。ゴルワデスの刻印は進むべき道を差し示していた。
 屋内は暗く、黴臭い匂いが満ちている。ラセリアは明かりの呪文を唱えた。3人の頭上にボウッと白い光球が現れる。その光球は一行の足元を照らしながら、追従していく。
 ラセリアたちが行き着いた先は地下倉庫だった。かっては不死者と化した兵たちが居並んでいた大倉庫。
 ラセリアの呼んだ光球も、この倉庫の奥まで照らすことはできない。不気味な暗闇が広がっている。
 ヴィンスは、その闇の中に何か邪悪な存在が潜んでいるように感じた。だが、動く気配は全くない。さらに部屋に淀んだ闇の気配が錯覚を起こさせるのか。
 ラセリアは口をキッと結び、ゆっくりと踏み出していく。
 地下倉庫の突き当たり、奥の壁には四角い穴がポッカリと開いていた。そこから闇の気配が溢れ出ている。
 ヴィンスは、眉をひそめて遠巻きに中を覗き込む。四角い穴の中では黒い靄が蠢いている。
 何か不吉な軟体動物を連想させたが、生き物というわけではないようだ。その穴は不思議なことに、全く奥行きのない平面のようにも、果てしのない深淵のようにも見えた。
「これが魔界へ繋がっているのか」口の中がすっかり乾いていた。ヴィンスは、かすれた声でラセリアに問いかける。
 ラセリアは、目を閉じて穴の方向に右手をかざす。
「どうやら違うようね。グィルティズマは、地上と闇の世界の中間地点に自らの結界を築いた。この穴は、その結界への入口だわ」ラセリアは、カッと目を見開き、穴の奥を見据えて言った。
「グィルティズマは暗黒のイヴィルガルドの力を手に入れてしまったわ。強大な力を。命がけで挑んでも勝ち目は少ない」ラセリアの言葉は、ヴィンスとバムティだけでなく自身にも向けられていた。「覚悟はいい?」
 悲壮感のこもった声音。ヴィンスもバムティも、ためらわずに頷く。
 ヴィンスは胃を締めつけられるような感覚に襲われていた。恐怖心を完全に克服できたわけではない。それでもとっくに意思は固まっていた。
 一方のバムティは、平然とした態度を装ってはいたが、どこかに焦燥感のある表情であった。
「さあ、行きましょう」ラセリアは決然とした態度で歩き出す。
 ヴィンスとバムティも、その後に続く。三人は道の世界へと踏み込んで行くのだった。

 それから暫くして、レーニャもサヴォイ砦へと到着した。彼女は開け放たれた門のすぐ前には三頭の馬が繋がれている。未覚えのあるヴィンスたちの馬だ。
 自分の馬を離れた場所の繋ごうと、レーニャは木々の間へと分け入っていく。馬を降りて木の枝に手綱を絡ませようとした彼女の手が、ふと止まった。
 胸騒ぎがしたのである。黒い瞳に影が差した。ここにはもう戻れない。不吉な気分だった。
 レーニャはフッと笑うと手綱を手放す。馬は、何処に行くともなく下生えの草を食み始めた。
 断固とした足取りでレーニャは砦の門へと戻っていく。馬は頭を持ち上げて、その後姿を見つめ、別れを告げるかのように一声いななくのだった。
 レーニャは用心のため前庭を横切らず、建物の中を窺(うかが)いながら塀の内側に沿って進む。次には砦の壁づたいに入り口へと向かう。
 砦は森閑として人の気配は全くない。レーニャは屋内に忍び込んだ。夜目の効く彼女だが、砦の奥はまさに暗黒だった。落ちていた木材に布きれを巻きつけて即席の松明を作る。
 火打ち石で明かりを点し、通路を照らす。積もった埃に4種類の足跡がついていた。
 3種類は真新しい。今しがた歩いて行ったものだ。憎たらしい三人連れのものだ。
 もう一つは、よく見るとわずかに埃が落ちていた。多少ではあるが時間が経過している。大きさからいってもモーズリットだろう。
 レーニャは周囲を警戒しながら足跡を辿っていく。そして地下倉庫の奥へと導かれていった。
 4つの足跡は、ことごとく壁に開けられた不気味な穴の中へと消えている。
 レーニャは眉間に皺を寄せ、歯をキリリと鳴らした。
 この向うに何があるのか。穴の中に蠢く暗黒は、闇の属性を持つレーニャにとってすらおぞましく感じられた。
 ここまで来たら引き返すわけにいかない。レーニャはフンと鼻を鳴らし4人の後を追って空間を越える穴に姿を消すのだった。