悪しき運命(さだめ)のラセリア
第4部 亜空間城ガルベジア
2.宝玉の力(前)
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 暗黒のイヴィルガルドの力を得たグィルティズマが送り出した軍団は強大だった。柵を盾に防戦する心づもりだった王国軍の前線は、長く持ちこたえることが出来なかった。
 闇の軍勢に攻め込まれ、またたく間に森の中が修羅場と化していく。阿鼻叫喚の壮絶な戦闘が繰り広げられた。
 劣勢にたった王国軍であったが、森の民とも呼ばれるエルフたちは、その利を生かして善戦していた。敏捷な動きで木の陰から陰へと移動し奇襲をかける。鮮やかな戦いぶりではあるが、その攻撃力には限りがあった。
 特に上級の魔物は、一度や二度魔法攻撃を食らっても消滅しない。魔法戦士たちの魔力が尽きてしまうのも時間の問題と思えた。
 王国兵に至っては、敵の姿を見ただけで浮き足だってしまう者が少なくない。1対1では、到底敵わない相手である。
 連係プレーで戦うほかないのだが、足並みは乱れがちだった。特に激しい攻撃を受けると行動がバラバラになり、敵に付け入る隙を与えてしまう。取り乱した兵士たちは闇の軍勢に翻弄されていた。
 苦戦の中でシャルムたちは着実に敵を倒し成果を上げていた。彼らは獣人どもと一騎打ちできる数少ない戦士なのである。しかし、戦闘が長引くにつれ、彼らも少なからず疲弊してきている。
 シャルムは、自分よりも二回り大きいオークと対峙していた。知性を感じさせない間隔の狭い小さな目を血走らせ、手には刃幅の広い大振りなダンビラを握りしめている。
 オークは、獰猛な雄叫びをあげて切りかかってきた。力任せの大きな動き。敏捷なシャルムは難なくかわす。
 勢い余ってつんのめったオークの心臓めがけて剣を突きたてる。
「グエエエエ」オークは怒りの叫び声をあげた。
 少々狙いが外れてしまったようだ。何しろ生命力の強い獣人のこと、ちょっとやそっとの刀傷では倒れてくれない。
「チッ」シャルムは舌打ちして剣を抜き、一歩退がった。
 手負いとなったオークは無我夢中でダンビラを振り回す。シャルムは太い木を背にして立ち、オークを罠に誘う。
 シャルムが横に逃れて剣をかわすと、予想通りオークは木の幹に刃を食い込ませ動きを封じられた。
 その左腕にシャルムが切りつける。オークの左手は上腕部からスッパリと断たれた。
 オークは血の吹き出す腕を右手で握り、悲痛な雄叫びをあげる。シャルムは、返す刀で喉元を掻き切った。鮮やかな太刀筋である。叫びがゴボゴボという嫌な音に変わった。みるみると目から生気が失われていく。
 今度こそオークはドオと音を立て地面に倒れた。
 シャルムはハアハアと息を荒げている。その頭上から一匹の魔物が襲いかかってきた。
 体格はさほど大きくないが、猿に似た姿で動作が素早い。不覚だった。オークとの戦いに気を取られ、樹上に潜む敵に気づかなかった。
 横っ飛びによけて最初の一撃をなんとかかわしたものの、バランスを崩して倒れこんでしまう。
 魔物はピョンピョン跳ねて3メートルほど離れた場所で身構える。初期に現われた下級の魔物の生き残りだ。
 この程度の奴に遅れを取るとは。シャルムは必死で体勢を立て直そうとするが間に合わない。魔物は鋭くて長い真っ黒な爪を振りかざし、ひと跳びに襲いかかる。
 その時、ベルーカが割って入った。魔物の爪は緑色に輝く鎧を貫き、ベルーカの下腹部へ食い込む。茶色の瞳が燃え上がった。魔力は殆ど残っていないが、こいつだけはなんとしても仕留めてやる。
 ベルーカは歯を食いしばって痛みに耐え、意識を集中する。自らに刺さった魔物の腕を左手で押さえ、右手をかざして呪文を唱える。ゴオッと炎が吹き出した。
 炎の勢いで魔物は、弾き飛ばされ宙に舞った。見る間にメラメラと燃え上がって、そのまま消滅していく。
 ベルーカの身体がグラリと傾いだ。傷口から激しく出血しているうえ、魔力を使い果たして意識を失ってしまったのだ。
 ようやく立ち上がったシャルムは、慌てて駆け寄り、ベルーカの身体を支えた。上半身を抱えるようにして、慎重に横たえる。
 ベルーカの顔は血の気が引き、すっかり青ざめてた。事態に気づいたキリウスとカーニットも駆け寄ってきた。
「キリウス、カーニット!ベルーカを野戦病院に運ぶんだ」大声で指示を出す。
 キリウスが脇の下に手を入れて上半身を持ち上げ、カーニットが両足を抱える。シャルムが剣を構えて周囲を警戒しながら進む。
 野戦病院の医師たちは、戦闘が始まると即座に負傷者を運んで森の奥へと移動していた。
 応急の野戦病院には三人の医師と七人の看護婦がいたが、運び込まれる負傷者の数は刻一刻と増え続けている。
 野戦病院といっても、今は仮設テントがひとつだけ。負傷者の殆どが地面に横たえられている。それも下に何か布切れを敷いてもらえた者は運が良いほうだ。
 大半の負傷者は、ずらりと地面に直接並べられている。
 横たえられたベルーカに看護婦の一人が止血処理を施す。まだ幼さを残した顔つきの若い看護婦の手つきは少々心もとない。疲労で顔つきがやつれて見える。
 負傷者が多すぎて治療が追いつかない状態に陥っていた。いずれにしても簡単な応急処置しかできないのだ。当初は治癒魔法を使えるエルフも協力していたが、とっくに魔力を使い果たしていた。
 ベルーカは顔一面に玉のような汗を浮かべ、悪夢にうなされてでもいるように呻き声をあげている。
 今や王国軍は完全に押されていた。戦闘の物音は、さほど遠くない距離に迫っている。
 なんとしても食い止めなければならない。ここを攻め込まれたら、大虐殺が繰り広げられてしまう。
 シャルムは悲壮な決意を胸に、キリウスとカーニットに目配せした。二人は深く頷く。
 三人はそれぞれの武器を手に戦場へと戻っていくのだった。

 サヴォイ砦の地下に作られた闇への通路。ラセリアたちが踏み入ると、そこは真の闇だった。不思議なことにラセリアの呼び出した光球も、完全に輝きを失って宙に浮かぶ黒い塊となった。
「大丈夫。真っ直ぐ歩けば抜けられるわ」
 ラセリアの声に励まされ、ヴィンスとバムティは恐る恐る進んでいく。
 唐突に闇を抜ける。三人はグィルティズマの居城ガルベジアの一室に出ていた。床も壁も黒ずんだ石材で出来ている。
 明りは全くないが、頭上の光球が再び明るさを取り戻していた。といっても闇の力に影響され、以前よりも一回り小さくなり、弱々しく揺らめく状態になっている。
「ここは私たちにとって不利な場所のようね」ラセリアは張りつめた表情だった。
 ヴィンスとバムティは即座に頷く。霊感を持ち合わせていない二人にも、場内に渦巻いている負のエネルギーは感じることができた。
 通常の人間が、この城に滞在すればたちどころに精神を病んでしまうことだろう。
 ラセリアは意識を集中した。ここではゴルワデスの刻印も、その力を弱められている。それでも目をつぶり深呼吸すると、ラセリアの脳裏にはガルベジア城の構造が浮かんできた。
 額に脂汗が浮かぶ。現在の位置と暗黒のイヴィルガルドの在り処を探って、そこまでのルートをイメージする。
 次第にラセリアの呼吸が速くなってきた。
「分かったわ」必要な情報を得終わったラセリアはハアハアと呼吸を荒げていた。
「こっちよ」手の甲で額の汗をぬぐい歩き出す。部屋を出ると通路を右に進み、2フロア分の階段を上がった。
「この先にイヴィルガルドがあるわ」
 さらに前進しようとした時、通路を突風が吹き抜けた。妖気をはらんだ魔風である。
「奴らが来たわ」ラセリアは、両手を顔の前で交差させ風をしのいだ。
 ヴィンスとバムティも足を踏ん張る。
 三人の前に二つの黒い影が立ちはだかった。グィルティズマとモーズリットである。
 ヴィンスにとって、この二つの顔を見るのは、ヴルディアの領主邸以来だった。両者とも、あの時とは比べものにならないほど強い邪悪なパワーを発散している。
 暗黒のイヴィルガルドによって闇の力を増幅させたグィルティズマは、かっての姿に比べて二回り体格が大きくなっていた。
 そのグィルティズマによって操られているモーズリットは、明らかに人間とは違う瘴気を発していた。カッと開いた目は、魔人のごとき黄色い輝きを帯びている。
 それはまさに悪魔の傀儡(かいらい)という印象だった。