悪しき運命(さだめ)のラセリア
第4部 亜空間城ガルベジア
2.宝玉の力(後)
「フン、情け無いわね。青騎士モーズリットともあろうものが、不死者と化して魔人の下僕になり果てるとは」ラセリアは、一目でモーズリットの正体を見破っていた。
「ムフウ、不死者か。こいつは面倒だな」バムティは、瞳に暗い影を宿した。
モーズリットの青き鎧は、ハイエルフのアンジェスタル家秘伝の特殊な金属でできている。通常の武器では傷をつけることすら難しい。
しかもその中身が不死者と化しているときては、苦戦は必至といえた。
すでに魂を失っているモーズリットは、ラセリアの揶揄(やゆ)など意に介さない。大きく一歩踏み出し、グラナヴァルを抜き放つ。全身から発散する禍々しい気は三人を圧倒した。
ヴィンスは思わず下がりかけてハッと気を取り直し踏み留まる。ハナから敵に呑まれていたのでは勝てるわけがない。意を決して気合を入れると剣をスラリと抜いた。
バムティも眉間にしわを寄せ目をひんむいて剣を構えている。死を賭しても譲らない覚悟で臨んでいた。
モーズリットがズイと無造作に間を詰める。
ヴィンスとバムティは、少しずつ左右に展開していく。
モーズリットの姿がユラリとしてヴィンスめがけ一気に斬りかかってきた。
ヴィンスは紙一重でかわし、剣を振り下ろす。体勢が万全でないため、太刀筋に鋭さが欠けていた。
モーズリットは、こともなげにグラナヴァルで受け止め身体をぶつけてきた、
「うわっ」その勢いにヴィンスが弾き飛ばされてしまった。
今度はバムティが斬りつける。これもモーズリットは余裕でかわし、グラナヴァルを横にないだ。一見無造作な動きだが、信じがたい素早さだ。
バムティは必死の思いで身を引く。しかし、切っ先を完全にかわしきることはできなかった。プレートメールにザックリと裂け目が入る。
「バムティ!」ラセリアが悲鳴じみた叫び声をあげた。
「大丈夫、やられたのは鎧だけだ」バムティは内心の動揺を隠してニヤリと笑ってみせる。
まるで傍観者のような態度で成り行きを眺めていたグィルティズマが、スッと右手の平を突き出す。虚空から白い球体が飛び出し、ラセリアへと向かっていく。
ラセリアは咄嗟にシールドの呪文を唱える。白球は冷気の固まりだった。シールドにぶつかり無数の氷片が飛び散っていく。
グィルティズマの魔力は強大になっていた。シールドは破壊され、渦となった冷気がラセリアに襲いかかる。
「キャアッ」華奢な身体が宙に浮かび、床に叩きつけられた。
ラセリアの皮膚や衣服の表面には霜のように氷片がこびりついている。素早く回復呪文を唱えて凍傷になるのを防いだ。
バムティが駆け寄っていく。ヴィンスは、剣を構えモーズリットを牽制した。
グィルティズマは、ひざまずいたラセリアめがけて再び魔法攻撃を仕掛けてきた。先ほどより一回り大きな冷気の固まりがゴオッと音を立てて宙を飛ぶ。
走り寄ったバムティが剣で冷気を叩き斬る。キインと甲高い音を立てて氷の固まりが八方に散った。分断された冷気は上下に飛び、床と天井を凍りつかせる。
バムティの剣は冷気で氷つき、中央でボロリと折れてしまった。
「クッ」バムティは目を吊り上げる。
その目がヴィンスと合う。ヴィンスは、バムティの瞳に決意の炎が燃え上がるのを見た。
バムティは右手を腰に提げた袋に突っ込みながら脱兎のごとく駆け出す。
「バムティ!」ヴィンスが叫ぶ。目の前にグラナヴァルを構えたモーズリットがいるため動きがとれない。
グィルティズマはバムティに向けて魔法攻撃を仕掛けようとする。その動きを見て取ったラセリアは、すかさず炎の呪文を唱えた。火球は見事にグィルティズマが放った冷気に命中した。
ジュッという音とともに炎は一瞬で消滅する。魔法力に明らかな差があった。
多少勢いをそがれたものの冷気は飛び続けている。バムティは、かろうじてかわすことが出来た。火球が稼いだ一瞬の賜物である。
バムティは袋から取り出した青い宝玉をグィルティズマに向けてかざす。その距離は1メートルに迫っていた。
宝玉は閃光を発した。バムティもグィルティズマも、まばゆい光輝に包み込まれていく。
ヴィンスもラセリアも眩しさに思わず目を細めた。モーズリットは、わずかにではあるが明らかにたじろいでいた。どうやら光は聖なる力を秘めているようだ。
光は、その中心に吸い込まれるかのように急速に消滅していった。と同時にバムティとグィルティズマの姿も掻き消えていた。
ヴィンスの脳裏に、先日の記憶が甦った。焚き火の傍で張り番をしていたヴィンスに、バムティは語りかけてきた。
シャグラムから飛ばされた白い空間で、バムティも白く輝く存在に遭遇していた。
「暗黒のイヴィルガルドは、グィルティズマの手に渡ってしまいました」光はバムティの心の中にメッセージを送ってくる。
「イヴィルガルドの力を得たグィルティズマには、ヒトの力で対抗することは到底出来ません。たとえそれが預言の者たちであっても」
バムティは全身に震えが走るのを感じた。彼は預言を信じてここまでやってきたのだ。闇を打ち破り、ラセリアに課せられた呪いを解くために。
自らの存在が根底から覆されるほどのショックだった。こめかみに青い筋を浮かべ、握り締めた両手がワナワナと震える。
「グィルティズマと戦って勝つことはかなわぬ。されど時を稼ぐことは出来ます。そなたにこれを授けましょう」
バムティがふと気づくと眼前に見事な青い宝玉が浮かんでいた。
「さあ、お取りなさい」
光の声に促がされてバムティは両手で包み込むように宝玉を掴んだ。冷たいようで温かい、不思議な感触が伝わってくる。
「この玉を使えば敵一体を異なる次元の世界へ送ることができます。どれほど強い魔力を持つ相手でも例外はありません。この世界へ戻るには最強の魔人でも30分はかかるでしょう」
30分。その時間が尽きるまでに暗黒のイヴィルガルドを取り戻さねばならない。バムティは、手の中の玉をじっと見つめた。
「ただし、この玉の力を使うためには、大きな代償を払わねばなりません」
バムティの瞳がギラリと光る。何を犠牲にしろというのか。
「宝玉の力を使用した本人も、異なる世界へと飛ばされるのです。そしてヒトの力では、この世界に戻ることは決してできないでしょう。その覚悟が出来た者にだけ、宝玉は力を発揮するのです」
バムティは冷水を浴びせられた気分になった。30分という時間のために、自分は二度と帰らぬ旅に出なければならないのか。
そこまで話すと、バムティは自嘲気味にフッと笑った。
その視線は焚き火の揺らめく炎に注がれているが、ヴィンスには彼が果てしない遠くの方を見つめているように感じられた。
「ラセリア様のためなら生命も惜しくないと思っていたのに、いざとなったら、うろたえてる。笑っちまうぜ。死ぬってわけでもないのにな」
「当然のことだと思います。見知らぬ世界に送り込まれて帰れないとなれば、誰でも恐慌を起こしてしまいますよ」ヴィンスは、背中に冷や汗が伝うのを感じていた。「宝玉の力を使わなくても、暗黒のイヴィルガルドを取り戻す方法がきっとあるはずです」
「そうだといいが。いずれにしても、俺は覚悟を決めた」バムティは、感情を押し殺した口調で言った。「心残りはラセリア様のことだ。俺はなんとしてもラセリア様の呪いを解きたかった。だが、最後までつきあうことはできなくなりそうだ」
押さえてきた感情がせきをきったのか、バムティはひと時慟哭した。
「ヴィンス、後のことはお前に託す。なんとしてもラセリア様の呪いを解け。イヴィルガルドを取り戻して闇を打ち破れ。お前なら出来る。お前は預言書の男なんだ」普段は無口なバムティが一気にまくしたてる。
「分かった。この命に替えても」ヴィンスは、バムティの言葉に力強く応えた。
自分の生命ある限り、この約束を守って戦い続ける。ヴィンスは心に誓うのだった。