悪しき運命(さだめ)のラセリア
第4部 亜空間城ガルベジア
3.覚醒(前)
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 ラセリアは、バムティとグィルティズマの消えたあたりを茫然と見つめていた。「バムティ・・・」悲痛な呟きを漏らす。
 すでにラセリアは何事が起こったのかを理解していた。今になってようやくゴルワデスの刻印から情報がもたらされたのである。
 彼女に余計な悩みを与えないための配慮であったのかもしれなかった。だが、青い宝玉の情報だけが隠されていたことへの理不尽な思いは避けられない。結局は自分たちも駒の一つに過ぎないのだろうか。
 ここで思い悩んでいても仕方がない。ラセリアは気を取り直した。まだ道が開けたわけではないのだ。目の前にはモーズリットが立ちはだかっている。
 ヴィンスは気合を込めてモーズリットを睨みつけた。バムティが身を挺してて作った30分という時間。なんとしてもグィルティズマが戻る前にカタをつけなければならない。
 モーズリットの容貌は、すでに人間離れしたものになっていた。
 皮膚は硬質なものと化し黒光りしている。額には二本の角が突き出ていた。耳まで裂けた口からは真っ赤な二股の舌がチロチロと見え隠れしている。
 おぞましいその姿に、さすがのラセリアも顔をしかめた。ヴィンスは思わず怯みそうになった心を押さえつける。
「えいっ」自らを奮い立たせるように声を発してモーズリットめがけ斬り込んでいく。
 モーズリットは平然とした態度で一歩踏み出し、グラナヴァルでヴィンスの一撃を受け止めた。グンと勢いよく両手を前に突き出す。
 圧倒的なパワーだった。ヴィンスの身体が宙を飛ぶ。全身が石壁に激しく打ちつけられる。
 ヴィンスは目の前が真っ白になった。肺の中の空気が全て吐き出されて、一瞬息が止まった感覚に襲われる。そのまま倒れこんで床に突っ伏す。
 ラセリアは意識を集中し、全身全霊をかたむけて呪文を唱える。これまでよりひときわ大きい火球が出現し、ゴオッとうねりを上げて飛んでいく。
 モーズリットは左手で顔の前にかざす。炎に掴みかかるような姿勢だった。炎はモーズリットの手先で砕ける。全身が炎に呑み込まれたかのように見えた。
 しかしモーズリットは平然と立ち続けていた。火傷のひとつも負った形跡はない。グィルティズマの魔力で対魔法能力が向上しているのだ。
 黄色い目がラセリアを射すくめるように睨みつける。感情のない不死者であるが、ラセリアにはモーズリットが勝ち誇っているように感じられた。
 ラセリアは、攻撃魔法が無駄であると悟った。他の呪文を試してみるしかない。
 スローの呪文を放ってみる。うまく効果を発揮すれば、敵の動作を鈍くすることができる。
 だが、これも失敗した。ラセリアの魔力ではモーズリットを止めることはできないのか。彼女の心に暗い絶望感がよぎった。
 モーズリットはジリッと間合いを詰めていく。ラセリアは、モーズリットとの間隔を取りながら退がっていく。顔面が蒼白になっている。
 ヴィンスは、ようやく立ち上がった。両手で剣を握り締めて構え直す。剣は未だになんら変わりない。
 自分自身が不甲斐なかった。聖なる剣を使いこなす器ではないのか。
 と、その時、黒い雲に覆われた空が一瞬で晴れ渡るように、ヴィンスは自分の過ちに気づいた。
 剣がどうしたというのだ。預言がどうしたというのだ。
 自分は、この場に及んで逃げ道を探していた。自分自身が諦めなければ良いのだ。そうだ。生命ある限り戦い続けると誓ったじゃないか。
 このままでは暗黒のイヴィルガルドを取り戻すどころではない。この場でグラナヴァルの餌食にされてしまうのが関の山だ。
 それではバムティが取った決死の行動も全て灰塵と帰してしまう。
 だめだ。そんなことはさせない。ヴィンスの魂の深奥で何かが激しくスパークした。
 バムティとの約束はなんとしてでも果たしてみせる。ラセリアは僕が守る。呪いも必ず解いてみせる。この大地は決して闇に渡さない。
 光の剣は、にわかに輝きを帯びた。柄の端から刃の先端へと光の輪が滑らかな動きで走り抜ける。
 剣は、外観から明らかに変容していた。
 柄に嵌っていたガラス玉然とした石が幻妖な輝きを帯びた宝玉と化した。刃は研ぎ澄まされてキラリと光を放つ。
 光の剣が、その秘めたる力を解放したのだ。剣に満ち溢れた力は、ヴィンスの身体へとフィードバックされていく。
 ヴィンスは自らの全身に、かってないパワーがみなぎっていくのを感じた。光の剣が預言の勇者であるヴィンスの潜在能力を引き出したのである。
 ヴィンスは力強く立ち上がった。全身に白いオーラをまとい、薄暗いガルベジア城の通路で仄かな輝きを放っている。
 その気配にモーズリットが振り向く。
「グゥオゥ」耳まで裂けた口をクワッと開いて不気味な呻きを漏らす。
 聖なる光に目を細め、顔を醜く歪める。
 モーズリットは、グラナヴァルを構え直して向かっていく。ヴィンスめがけて袈裟掛けに振り下ろす。
 光の剣の力で心の余裕を取り戻したヴィンスは、生来の動体視力を発揮していた。今やモーズリットの動きを完全に見切っている。
 これまでは避けるのが精一杯だったが、今は次の動きまで読むことができた。モーズリットの攻撃を軽くいなして斬りつける。
 モーズリットは紙一重でかわす。さすがに青騎士の異名を取っただけのことはある。鮮やかな身のこなし。
 だが、これはヴィンスのフェイントに過ぎなかった。ひらりと身を翻して、もう一太刀繰り出す。
 モーズリットも今度は避けきれない。剣先が青く輝く鎧に当たってキインと甲高い音をあげた。
 青騎士の象徴、伝説の鎧に初めて傷がついた瞬間である。
「グァァァッ」モーズリットが雄叫びをあげた。
 青騎士の証しである鎧を傷つけられた怒りの声とも取れたが、じつのところ不死者である今のモーズリットに騎士としての誇りはない。光の霊力を持った剣の攻撃を受けたことに、闇の魔物として反応しただけなのである。
 それはもはや魔獣そのものの咆哮。その姿も更なる変貌を遂げていた。
 目はギョロリと大きくなり、鼻は平たくつぶれて鼻孔が横に広がる。口からは細かい牙が覗いていた。巨大な吸血コウモリを連想させる風貌である。
 皮膚だけでなく、グラナヴァルを握る指の爪も黒く変色した鉤爪と化していた。もはや人間らしい面影は、ほとんど残っていない。
 力任せに剣を振り回してヴィンスに迫る。攻撃方法も騎士らしさを失い、粗削りなものに変化していた。
 グラナヴァルはヒュンヒュンと空を斬って唸りをあげる。人間離れした力強さを感じさせる攻撃ではあるが、あまりにも粗野すぎる。
 ヴィンスは身軽な動きでモーズリットの攻撃をかわし続けて、冷静に隙を窺っていた。
 先ほどラセリアが「情け無い」と罵った言葉の通りだった。ヴルディアにその人ありと謳われた青騎士モーズリットとは思えない身のこなしである。
 ヴィンスは、特に大振りな一撃を避けると思いっきり踏み込んで剣を突き出した。光の剣は青騎士の鎧を貫き、モーズリットの脇腹に突き刺さる。
 不死者と化しているモーズリットは、傷の痛みなど感じない。だが、血の流れないその身体に食い込んだ光の剣は雷撃に打たれたに等しい衝撃をもたらす。
「ギャアッ」叫び声とともにモーズリットの身体は後方へと弾け飛んだ。