悪しき運命(さだめ)のラセリア
第4部 亜空間城ガルベジア
5.崩壊のとき
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 荒れ狂う闇の力の影響で、虚空に浮かぶガルベジア城全体がブルブルと振動している。
 サヴォイ砦に続く次元の通路がある部屋にヴィンスとラセリアは戻ってきた。部屋の中央にポッカリと開いた四角い闇の通路。
 ヴィンスとラセリアが通路に駆け寄ろうとしたとき、部屋の空間がグニャリと歪んだように感じられた。思わず足を止める二人。
 次の瞬間、目の前に黒い魔人が立ちはだかっていた。グィルティズマが戻ってきたのである。
 表情に欠ける魔人であったが、今度ばかりは憎悪をあらわにしていた。顔を醜く歪めて不気味な唸り声を上げている。
「イヴィルガルドは絶対渡さない。命にかえても守ってみせる」ヴィンスが剣を構えて前に出る。
 ラセリアは先制して炎の呪文を唱えた。グィルティズマも素早く冷気を撃つ。
 青白い輝きを放つ冷気は、心なしか先ほどの戦闘より勢いも大きさも劣っているように見えた。
 ラセリアの炎に当たってジュウッと音を立て砕け散る。炎はいくつかに分かれた。こまかい火球となってグィルティズマを襲うが、ダメージを与えるにはいたらない。
 グィルティズマは片手で炎を払いのけた。
 そこにヴィンスが斬り込んでいく。光の剣が白銀の弧を描く。グィルティズマは、かろうじてかわしヴィンスを黒い爪で引き裂こうとする。
 ヴィンスは身をかがめて爪をよけ、グッと踏み込んで間合いを詰めた。今度こそ光の剣はグィルティズマを捉えた。切っ先が右胸をかすめる。
 スッと傷が走り、黒い体液が流れ出す。
 勝てる。ヴィンスは確信した。
 グィルティズマは判断を誤ったのだ。魔人らしからぬ激情に駆られて、まずはヴィンスたちを血祭りに上げようと舞い戻った。
 しかし、すでに暗黒のイヴィルガルドから送られていた闇の力は絶たれている。そのうえ異次元から戻るために多くの力を消耗してしまっていた。
 2メートルをはるかに越えていた体躯(たいく)も、今は少々小さくなったように見える。
 しかもヴィンスは光の剣を覚醒させ、自らも秘めたる力を発揮していた。先ほどとは別人と思えるほどの技量を感じさせている。
 グィルティズマは手をかざすと虚空から暗黒剣を出現させて対抗した。黒光りする刃を持った大振りの剣(つるぎ)。光の力と闇の力が激しくぶつかりあい火花を散らす。
 だが、剣技においてはヴィンスの敵ではない。グィルティズマは劣勢に立たされていた。
 ヴィンスは猛攻をかける。グィルティズマに闇の世界へと逃亡する隙を与えないためであった。
 グィルティズマは、一歩また一歩と身を退いていく。暗黒剣は明らかに打ち負けている。
 そしてついに光の剣がグィルティズマの胸を刺し貫いた。
 断末魔の叫びを上げるグィルティズマ。その雄叫びはガルベジア城を揺るがす轟音すら、かき消すほどだった。
 こいつらだけは生かしておかぬ。なんとしても道連れにしてくれる。グィルティズマの最後の想いは、闇に満たされた暗い執念だった。残された力を振り絞って最後の呪文を唱える。
 いち早く気づいたラセリアは、慌ててヴィンスに魔法防御の呪文をかけた。
 だが、グィルティズマの狙いはヴィンスでもラセリアでもなかった。呪文はサヴォイ砦と亜空間を繋ぐ闇の通路へと向けられていた。
 広間の中央に浮かび上がる四角い闇の空間。それが一瞬で巨大な氷の板と化す。瞬く間にピリピリとひびが入り、バンという破裂音とともに砕け散って消滅した。
 閉ざされた亜空間唯一の脱出路が破壊されてしまったのだ。ヴィンスとラセリアは呆然と立ち尽くす。地上と闇の世界との狭間に作り上げられた亜空間に閉じ込められてしまった。
 グィルティズマは薄笑いを浮かべる。すでに限界に達していた。体全体がぼやけ、黒い煤(すす)のようになって分解していく。それもシュウシュウと音を立てて消滅してしまう。
 ついに魔人グィルティズマは滅び去った。

 ヴィンスとラセリアは、ガルベジア城の黒く冷たい階段に身を寄せて座り込んでいた。
 振動は更に強まっている。ガルベジア城全体が軋んで唸り声を上げていた。全てが崩れ、この亜空間が呑み込まれてしまうのも、さほど先のことではないだろう。
 グィルティズマが滅んだ今も、ラセリアの額を汚すゴルワデスの刻印は消えていなかった。とうとう呪いを解くことはできなかったのだ。
 バムティとの約束を果たせないままなのが口惜しい。だが、暗黒のイヴィルガルドを取り戻し、グルティズマを滅ぼした。
 世界は闇の脅威から解放されたはずだ。達成感と喪失感がないまぜになったヴィンスは不思議な感覚に揺り動かされていた。
 僕はどうなっても良い。でも、ラセリアだけは助けたかった。ラセリアの細い肩にかけられたヴィンスの手に力がこもる。
 その時、暗い想いがヴィンスの心をよぎった。そうだ。懐には暗黒のイヴィルガルドがある。
 イヴィルガルドの力を手に入れれば、例え自分は闇に堕ちたとしてもラセリアを救うことができるのではないだろうか。
 ヴィンスは、そっと懐に左手を入れ袋の中から暗黒のイヴィルガルドが包まれた布を取り出す。
 その手首をグッと押さえるものがあった。ラセリアの細い指だった。
「そんなことをしてはだめ!」ラセリアは、ヴィンスの考えを察していた。「それで助かっても何の意味もないわ。闇に堕ちたヴィンスを見るくらいなら死んだほうがまし!」
 ラセリアがヴィンスにしがみついた。少しでも力を緩めたら手をすり抜けて消えてしまうとでもいうかのように強く必死に。ヴィンスにはラセリアの想いが痛いほど伝わってくる。
 ヴィンスはフッと我に返った。ほんの僅かな間、彼は暗黒のイヴィルガルドの魔力に支配されていたのだ。彼の手から暗黒のイヴィルガルドがこぼれ落ちる。ゴロンと床で鈍い音をたてた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」今のラセリアにとって、呪いなどどうでもよいことに思えていた。
「そんなことない。予言書とかは良く分からないけど、ラセリアと共に闘えて本当に良かったと思ってる」ヴィンスは、ラセリアに応えるように力強く抱き締め返す。
 全てを達成した今、ラセリアにとって心残りはヴィンスを道連れにしてしまったことだった。
 その反面、ひとりぼっちで死を迎えなかったこと。初めて愛という感情を抱いた相手と共に最期の時刻を過ごしていることに至福の悦びを感じてもいた。
 ラセリアの青く澄んだ瞳に涙が溢れてくる。大粒の涙がポタリポタリと落ちていく。
 その涙の一粒が、床に転がっている暗黒のイヴィルガルドに当たった。ドス黒い溶岩を思わせるゴツゴツした表面にピシリと一筋のヒビが入る。
 そのヒビから白亜の輝きがまぱゆいばかりに漏れ出してきた。
 見る間に白光を発するヒビは八方に広がっていく。瞬く間に暗黒のイヴィルガルドは網目状のヒビで覆われてしまう。
 ついには表面にこびりついていた黒い残滓(ざんし)が球から剥がれ落ち、光に溶けるかのように消えていく。
 今や醜き暗黒の宝玉は、目のくらむ神聖な光を放つ白球となっていた。
 グィルティズマによって闇の象徴に変えられ永い歳月を経てエルフの宝、光の至宝、輝くリュミナシェールが甦ったのである。
「おお」ヴィンスは感嘆の声をあげた。「刻印が、ゴルワデスの刻印が消えている」
 ラセリアの額は白磁のように滑らかで何の痕跡も残っていない。アンジェスタル家にかけられた呪いも、ようやく解くことができた。再びラセリアは女神の祝福を受ける身となったのである。
 ヴィンスは輝くルミナシェールを拾いあげ、右の掌(たなごころ)に乗せた。暖かな力が染み込んでくる。
 ルミナシェールの発する白光は、輝く球形を成していた。いまや半径50センチほどの光の玉と化し、さらにその大きさを増している。
 ラセリアは、リュミナシェールを持つヴィンスの手の平に自分の右手を重ねた。不思議なことに輝くリュミナシェールが二人の手に覆われてしまったにも関わらず、取り巻く光は消えずにいる。
 光はさらに大きさを増し、ひしと抱き合うヴィンスとラセリアを包み込んでしまった。
 その時、ついに崩壊の時が来た。暴走する闇の力に巻き込まれ、轟音とともにガルベジア城が内側に向かって崩れ去っていく。
 次の瞬間には亜空間を取り囲んでいた岩盤が全ての方向から押し寄せるように押し寄せる。瞬く間に亜空間そのものを押しつぶしていくのだった。