ダイ・ハングリー
3.ランボー者
前へ 目次 次へ
 「アフロディーテ」はすでに客で溢れていた。ホワイト・ヴィーナス号には5軒のレストランの他に4軒のバー・ラウンジがあり、そこでも軽食が用意されている。
 もちろんルーム・サービスを使って自室で食事する乗客も少なくない。それでも一番人気の「アフロディーテ」は客が集中してしまうのだ。
 その「アフロディーテ」の裏手にある専用エレベーター。給仕たちによって料理の載ったワゴンが運び出されていく。
 料理を定められたテーブルに置くため、ワゴンが列をなしている。その最後尾についた給仕が鋭い目つきで周囲を窺っていた。
 決行時間が来た。その給仕は,いきなり自分の背後から銃を取り出してドンとワゴンの上に載せる。なんとガトリング砲。軸に6本の銃身が取り付けられ、丸ごとリボルバー式に回転するマシンガンだ。こんなでかいものどこに隠してたんだ。
 ガトリング砲はマカロニ・ウェスタンの常連だが、今日びのテロリストが使うものではない。気づいた乗客も本物とは思わず「オウ、テンコー・イルージョン・ファンタスティック」とか言って喜んでいる。
 一方「アフロディーテ」の入口にも二人の男が姿を現した。
 先頭の男はM60マシンガンを構えた痩せぎすの男。その名はジャン・クロード・チアーリ。強そうで弱そうな、ギターの達人のようでもある名前だが、実態は虚弱体質のハッカー。
 チアーリは、その明晰な頭脳でラッツォの右腕となっている。この船に仲間たちが潜り込めたのもチアーリの実力。
 チアーリが乗組員の個人データを改ざんしたおかげだ。ところが困ったことに本人はランボーの大ファンだった。よせばいいのに実行グループの先頭に立つと言い張って聞かなかったのである。
 赤いバンダナもビン底メガネのおかげで浪人生のハチマキにしか見えない。あばらの浮き出た上半身裸で、ダブダブの迷彩ズボンを無理やりベルトで絞って止めている姿はランボーというよりチャップリンに近い。
 いくら映画でランボーが使ったとはいえ、弾帯を含めると12キロを超える武器の選択も間違っていた。よろけながら銃口を上に向けると、どうにか天井に発射した。
 銃声に驚き、一斉に乗客の視線が集まる。だが、一旦は緊張した乗客の表情も、すぐに穏やかになってしまう。
「この船は、我々が乗っ取った。抵抗するものは容赦なく射殺する」チアーリは精一杯声を張り上げた。
 それでも乗客は皆落ち着き払っている。チアーリの珍妙な姿に全員がアトラクションと思い込んでしまったのだ。
 天井はマシンガンによって穴だらけなのだが誰も気づいていない。視線は二人に釘づけなのである。
 後ろに控える黒人シドニー・トルシエは身長2メートル、眼光鋭い体重130キロの巨漢。強面でサブマシンガン・マドセンを構えた姿は、まごうかたなきテロリスト。
 ところが前に立つチアーリとのコントラストが激しすぎた。かえってユーモラスな効果をあげているのだ。
 乗客たちの好奇心と期待に満ちた熱い視線。突如、チアーリに場違いな使命感が生まれた。
「おい、お前「ランボー」って映画知ってるか」チアーリが出し抜けにシドニーに話しかける。
 もともと無口なシドニーは、妙な展開に無表情のまま反応がない。
「デュカプリオがオカマ掘る映画とちゃいまんでー」チアーリは乗客の期待に応えるべく、とっさに漫才を始めたのだった。
 思いつきを口に出しているだけなのだが、対するシドニーの無反応さが妙に受けた。漆黒の顔に真っ白な目をむいて表情一つ変えない姿はバスター・キートンを彷彿(ほうふつ)とさせる。そうなるとギャグのつまらないのが、かえって面白い。観客の中に笑いの渦が広がっていく。
 当初予定した方法とえらく違っていたが、とにかくチアーリたちは「アフロディーテ」を掌握(しょうあく)した。
 間もなく、フランク船長たちが銃を構えたラッツォたちにつき立てられてやって来た。青ざめた表情でうつむいている。ここに来てようやく乗客たちもアトラクションではないことに気がつき始めた。
 ついでクラウスを捕虜にしたピーターもやって来た。防災センターには、仲間が残っている。他の警備員たちも捕虜になるのは時間の問題だ。
 ラッツォは下卑た表情でニタリと笑う。すでに通信室も乗っ取ったと連絡が入っている。他のレストランや各施設、更に自室にいる乗組員、乗客たちも部下たちが順次連れてくる手筈になっていた。
 全てが順調に進んでいる。後は最後の気がかりを片づけるだけだ。
「後は厨房だな」ラッツォがボソリとつぶやく。
 シドニーとピーターは意味が分からずキョトンとしている。
「気のつかん奴らだな。最強の男は厨房にいると相場が決まっているだろうが」ラッツォがキイキイ声で目を吊り上げた。
「そりゃ、映画の見すぎですぜ、ボス」ピーターが思わず言ったが、傍らではチアーリがしきりと感心した素振りを見せている。
 チアーリは「ランボー」だけでなく、スティーヴン・セガールの大ファンでもあった。
 幹部二人の命令には逆らえない。結局、シドニーとピーターは厨房に向かった。
「ちぇっ、何で俺たちがこんな無駄なことを」冗舌にぼやき続けるピーター。
 相変わらずムスッとしたシドニーは、こいつとチアーリが組んだら乗客にもっと受けたかもしれないと考えていた。自分の仏頂面が受けたとは夢にも思っていないシドニーだった。

 船内のトラブルをつゆ知らぬ厨房の二人。
 後片づけもようやく終わりかけていた。ほとんどがあやの作業だ。
 グレッグは後片づけそっちのけで、しきりにあやをナンパしていた。ところがこのグレッグ、アメリカでも南部のかなり奥地から湧いて出てきたしい。その言葉づかいは、聞き取りにくいことこの上ない。いわばズーズー弁の英語版だ。
 どうやら「君、可愛いね。この船初めてだろ。今度案内するからさあ」とか言っているようなのだが、実際には「おんめえ、めんこいなや。こん船ば、はじめてですじゃろ。ちけえうち案内しちゃるけんのお」てな具合だ。
 あやは、グレッグの言葉を理解しようとする努力をとっくにやめていた。どのみち無内容なのだから聞いても聞かなくても同じこと。いや、聞かないほうが精神衛生上良いかもしれないくらいだ。
 完全に無視して黙々と後片づけを続ける。あまりしつこいので「口を動かしてる暇があったら、少しは手を動かしなさいよ」と言おうかと思ったけど、英語での言い回しが考えつかなかったのであきらめた。
 あやは、とりあえず思い切り悪い目つきでジロリと睨みつけるにとどめた。だが、グレッグは、そんなあやの表情を気にもとめず不毛なモーションを続ける。
 想像を絶するほど鈍いのか、相手の感情など気にならないほど図太いのか。いずれにしても底知れぬボンクラぶりではあった。
 そこに踏み込んできたのが銃を構えたシドニーとピーター。あやとグレッグの姿を認めると、いきなり天井向けて威嚇射撃する。
 あやは最後の鍋を洗っていたし、グレッグはほとんど独り言状態でナンパを続けていた。二人とも完全に不意を突かれてしまった。
 突然轟いた銃声に度肝を抜かれた二人があわてて入口方向に目をやる。そこには銃を構えた二人の男。どちらも大男で猛悪な顔つきをしている。
 グレッグはヒイッと呻くと、どっさり倒れこんだ。あまりの恐怖に失神しただけなのだが、倒れるはずみにテーブルにあったボウルをひっくり返した。ボウルの中にあったトマトソースがグレッグの胸にバシャリとかかる。
 あやは突然の事態で冷静な判断力を完全に失っていた。白衣に広がる真っ赤な染みを見て、グレッグが撃たれたと勘違いした。自制心を繋いでいた最後の糸がプチンと切れる。思わずキャーキャーと悲鳴をあげて、すぐ脇の冷凍庫へと逃げ込んでいく。
 ピーターは、素っ頓狂な悲鳴に気を取られ反応が遅れた。あわてて銃口を向けたが、すでに冷凍庫の中へと姿を消していた。
 重い金属音が響いて冷凍庫の扉が閉まる。シドニーとピーターは顔を見合わせた。ラッツォの怖れていたのは、少なくともこの二人ではなさそうだ。
「それ見ろ。厨房に最強の男がいるなんて、勘違いも良いとこだ。とんだ無駄足だぜ」とか何とか言いながらピーターは置いてあった白ワインのボトルを取り上げた。コルクを引き抜いてグビグビとラッパ飲みする。
「う、うめえ」ピーターは大げさな声をあげた。
 ホワイト・ヴィーナス号にとっては調理用に過ぎないワイン。それでもピーターが普段通っている酒場の安酒とはランクが違う。
「こりゃいい。これでこそ足を運んだ甲斐があるってもんだぜ」
 シドニーのしかめっ面をよそにピーターはご機嫌である。
 ここに最強の男がいることを二人はまだ知らない。