ダイ・ハングリー
6.ルーム・アローン
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 通信を終えたラッツォは、ほおっと溜息をついた。ポケットから胃薬のビンを取り出す。緊張すると胃が痛くなる体質なのだ。
 一息ついたラッツォはニンマリと笑う。うまくいった。これで時間が稼げる。
 この犯行、身代金が目的ではなかった。狙いは各国のVIPがホワイト・ヴィーナス号に持ち込んだお宝。貴金属品なのである。
 中でも最大のターゲットはアミル・サラヴァンディが所有するダイヤのネックレス。その中央には「サザンクロス」と呼ばれる南アフリカ産のダイヤモンドが燦然(さんぜん)と輝いている。
 「サザンクロス」は450カラット。英国王室の王杓に付けられている「偉大なアフリカの星」は530カラットを超える。これに比べれば一回り小さいが、希少価値の高いピンク・ダイヤモンドの中でも最も美しい色合いと評価されている。
 ネックレスには、それ以外にも大小20個のダイヤがちりばめられている。これだけでも2億ドルの価値はあるはずだ。
 バカどもが必死に金をかき集めている間に、お宝を頂戴してトンズラ。これがラッツォの描いた計画だった。
 とにかく「サザンクロス」は、この計画の要。半年前からアミルの元にハリソンをボディガードとして潜り込ませている。
「ミシェル、行動開始だ。ハリソンと合流して「サザンクロス」を奪って来い」ラッツオは傍らに控える二枚目に命令した。
 このミシェル・ポルノレズはフランス出身の洒落者。プラチナブロンドの長髪が自慢の色男だった。
「ウイ、ムッシュウ」ミシェルは白い歯を見せてニヤリと笑い、「アフロディーテ」の出口に向かう。すれ違いざまにオリビアにウィンクするのも忘れない。と言うより女と目が合ったら、ウィンクするのが習慣になっているのだ。
 オリビアはクールな表情。鼻であしらうのだが、気にするミシェルではない。ファッション・モデルを彷彿とさせるリズミカルな足取りで通信室から去っていった。
 ラッツオは満足げに笑みをもらす。その他の船室は、この計画のために雇った金庫破りたちがすでに回っている。
「オリビア、お前は「アフロディーテ」に行って人質が身につけている装飾品を奪ってこい」今度はオリビアに指示を出す。
 時計一つとっても、下手すれば数100万ドルを超える特注品があったりするのだからたまらない。
「濡れ手に粟とはこのことだ」ラッツオがキッキッキッと含み笑いした。
「ところでボス」ドアに向かいかけたオリビアが振り返って尋ねる。
「さっきの[美しき5月のパリ]って、いったい何のこと」
「フン、出まかせさ。組織名があった方がハクがつくと思ってな」
 だったら、もう少しそれらしい名前考えろよ。

 通路に出たあやと三十郎は、いきなり二人の敵と鉢合わせになった。
 戻りの遅いシドニーたちの様子を見に来たヤンとマーのウェザー兄弟。体格も含めて瓜二つの双子だ。ホワイト・ヴィーナス号の船員服姿にミラーのサングラス。肩までかかる銀髪をオールバックにしているさまは、あまりに怪しい。
 2人は武道家であり、武器は携行していない。自分たち以外に武装した人間がいるとは予想だにしていなかったのだ。
 あやは、相手が素手だったので犯人一味という確信が持てなかった。とにかくホールド・アップしてから身元を確認しよう。ずいと一歩前に踏み出す。ウェザー兄弟が思わずたじろぐ。
「おとなしく手を上げなさい」凛々(りり)しい口調で命じると、あやはトンプソンを構える。つもりだったのだが、左手に握っていた部品がガチャリと音を立てて外れてしまった。
 あやはバランスを崩して、危うく転びそうになる。
「なによ、このポンコツ」照れ隠しもあって、あやは声を荒げた。
 実はこのトンプソンン、銃筒にグリップが取り付けられているタイプなのだが、小柄なあやは手前のマガジンを握ってしまった。しかも慌てて妙な持ち方をしたために指が着脱スイッチに当たったのだ。
 マシンガンなど初めて持つのだから、仕方の無いことではある。とはいえポンコツ呼ばわりされたトンプソンにとっては濡れ衣もいいところだ。
 チャンスとばかりにウェザー兄弟はベルトの左右に取り付けられた鞘からナイフを抜く。ギラリと冷たい輝きを放つ大型の狩猟用ナイフ。これで犯人一味と確信できたが、えらく不利な状態に陥ってしまった。
「ウェザー兄弟の天地双竜剣を受けてみろ」兄のヤンが雄叫びを上げ、あやめがけて突進する。
「きゃっ」あやは悲鳴を上げて三十郎の背後に回りこむ。
 何かがおかしい。ヤンは前かがみになって全力疾走の姿勢なのだが、実際にはやたらと動きが遅い。ジョン・ウーのアクション・シーンみたいだ。
 その時、弟のマーがヤンの背を蹴って宙に舞った。
 なるほど早すぎると飛び越せないのね。上下からの同時攻撃という戦は理解できたが、なんともスピード感に欠けている。
 あやは何とも情けない必殺技につき合わされている気がした。
 三十郎も腕組みしたまま身動きしない。構える必要もないという様子だ。
 ゴン。鈍い音を立ててマーが脳天を天井にぶち当てた。高さを見切りそこなったのだ。
 気絶したマーは、白目をむいて前方に落下。ヤンの後頭部に見事な頭突きを決めた。
 2人は折り重なって倒れ込み、そのまま動かなくなった。さすがは双子、気のあった自滅ぶりではある。
 結局一歩も動かずに終わった三十郎は落胆の溜息をつく。もう少し強い奴はいないのか。
 あやは、右手にトンプソン、左手に外れたマガジンを握りしめたままだ。
「こんなポンコツ、重いばかりで役に立たないわ」言いがかりも、はなはだしい。
 とはいえ、その辺に放り出したら敵に拾われてしまうかもしれない。プロなら簡単に直しちゃうんじゃないかしら。
 あやは万全を期してトンプソンを通りがかりのトイレに放り込んでいくことにした。今日はトンプソンにとっても厄日のようである。

 モフセンは、船内の状況を察知していた。父アミルの服に盗聴器が仕込んでおいたのが功を奏したのだ。親の動向を絶えず掴んでおくことがワルガキの兵法。
 とにかくハリソンに知らせよう。そう思って捜したが船室には姿が無い。おかしい。プロのボディガードが黙って持ち場を離れるとは。
 不審に思ったモフセンがドアの魚眼レンズを覗くと、通路には二人の男がいた。ハリソンともう一人、給仕服でワルサーP38を手にしている。犯人の一味に間違いない。ということはハリソンも!
 モフセンの考えを肯定するかのように、ハリソンは左脇のホルスターからベレッタM84を抜く。ミシェルにニヤリと笑いかけると、スライドを引いて弾を装填した。
 ハリソンがスイートのドアノブに手を伸ばす。一瞬早くモフセンはキーをロックした。
 顔をこわばらせたハリソンは、ノブをガチャガチャと捻る。モフセンは素早くチェーンをかけると自室にとって返した。
 棚に置いてあった2機のラジコン・ヘリコプターを床に並べる。AH-1WスーパーコブラとMi24ハインド、どちらも攻撃用ヘリコプターだ。
 ただのオモチャではない。左右には四角い突起物が装着されていた。弾のマガジンである。実際に連続攻撃が出来るように改造したのだ。
 モフセンは、同じ棚に積んであったマガジンを4本取った。元からヘリに付いていたマガジンと素早く交換する。
 閉め出されたハリソンは、懐からピンを出してキーの解除に取り掛かっていた。器用な手つきである。実はハリソンの正体はコソ泥、銃よりもこちらの方が手慣れていた。
 数秒もかからずカチャリと音がしてロックが外れた。喜び勇んで突入しようとするが、チェーンのため15センチほどしか開かない。
「くそっ」ハリソンは毒づいてドアに体当たりをかませる。
 びくともしない。このチェーンは、アミルの指示により特注品に換えられていた。ハリソンも、そのことは聞き及んでいたが身をもって試したのは今日が初めてだ。
 モフセンは戸棚から何やら大きな白いゴムを取り出し、空気注入口にスプレー缶をあてがった。またがってピョンピョン飛び跳ねるゴムのオモチャだ。
 ゴムはふくらませれば1メートルほどもある球体となる。スプレー缶はパーティーグッズのヘリウムだ。足ぶみ式の空気ポンプもあるのだが、こちらのほうが早いと判断した。
 ふくらませすぎると浮力がついて扱いにくくなってしまう、モフセンは3分の1ほどふくらませたところでスプレーの噴射を止めた。
 今度は強力接着剤のチューブを手に取る。ブヨブヨするゴムの表面にチューブから直接に接着剤を塗りたくっていく。
「どけ、俺がやる」通路では、業を煮やしたミシェルがハリソンを押しのけてワルサーP38を構えた。
 チェーンに向けて3発立て続けに撃つ。1発が命中。頑丈なチェーンも、ようやく真っ二つとなった。
 ハリソンが先頭となって、アミルのスイートになだれ込む。
「くらえっ、オレンジ警報」モフセンは怒鳴ると、ハリソンめがけて白いゴム球を力まかせに投げつけた。
 ゴム球は、ヘリウムで少々浮力がついていた。それでもハリソンめがけて勢いよく飛んでいく。見事顔面に命中。出会い頭のことでハリソンは何が起こったか分からないまま、口と鼻を塞がれてしまった。
 呻き声を上げ必死に取ろうともがく。接着剤は速乾性で簡単には剥(は)がれない。グフッグフッ。さすがに息が詰まってきたようだ。
 ミシェルは素早くワルサーP38をズボンのベルトに突っ込み、ポケットからナイフを取り出す。
「穴を開ける。じっとしてろ」
 言うが早いかミシェルはゴム球をグッと押さえた。白いゴムにハリソンの顔がレリーフとなって浮かび上がる。
 ミシェルは、ハリソンの口の部分にゆっくりとナイフの刃を突きたてていく。
 顔の前にだらりとなったゴムをぶら下げ、ゼイゼイと息をつくハリソン。サングラスのおかげで眼は無事だった。
 ようやくひと息ついたハリソンは、サングラスの両端を持って力一杯前方に押し出す。バリバリと音をたてて顔からゴムが剥がれていく。
 ハリソンの顔は真っ赤になり、あちこちから血がにじんでいた。サングラスを外した顔には、思い切り似合わないつぶらな瞳。くっきりとした二重まぶたに長いまつげ。
「クソッ、このワルガキめ、ぶっ殺してやる」
 ハリソンは本気ですごむのだが、ゴム球に穴が開いたときヘリウム・ガスを吸い込んでしまっていた。キンキン声に可愛い目つき、どうにも迫力がない。
 隣のミシェルも思わず吹き出すのだった。