ダイ・ハングリー
7.色男ミシェルの災難
「チッ」正面に置かれたソファの裏に身を隠して、モフセンは舌打ちした。
サングラスがなければ眼をふさいで敵の戦力を一人分減らすことが出来たのに。
よし、次の攻撃だ。モフセンは、両手にそれぞれリモコンを握った。2台のリモコンを器用な手つきで同時に操作する。
奥の自室からバリバリとエンジン音が響き始めた。先ほどのラジコン・ヘリが飛び立ったのだ。2機は開いたドアを見事にすり抜け、ハリソンとミシェルへと肉迫する。
思わず二人は、目の前でホバリングするヘリに見入ってしまった。
「攻撃開始!」モフセンは叫ぶと赤いスイッチを押した。
ダダダダダッと音が響き、2機それぞれの左右にあつらえた機銃から弾が発射される。
「イテテテテッ」二人が声を揃えて悲鳴を上げた。
顔や手のあちこちから血がプツプツとにじむ。普段、使用人を相手にするときは、先端を丸くした弾を使っている。
先ほどモフセンは父アミルに使用を禁じられている弾に交換した。この特殊弾頭は、先端に尖った金属が被せてある。
殺傷力という表現はさすがに大げさだが、小さな傷を作るくらいのことは出来る。敵をひるませる効果は充分あった。
「くそっ」自慢の顔に傷をつけられてミシェルは激怒した。ワルサーP38をベルトから引き抜き連射する。
ミシェルの正面にホバリングしていたハインドにガンガン大穴が開き、衝撃で後方に弾き飛ばされる。メインローターが止まり床に叩きつけられた。
「ざまあみやがれ」ミシェルが小躍りした。
モフセンは、ソファの後ろにペタリと座り込み、裸足の両足を伸ばす。足の指で床に置かれた2台のリモコンを器用に操作する。
キュラキュラとキャタピラの音をたて、モフセンの部屋から2台のラジコン戦車が姿を現した。今日、仕入れたばかりのM4A1シャーマンとティーゲルUだ。
それぞれ砲塔をミシェルとハリソンに向けてめぐらす。
「発射!」掛け声とともにモフセンが足の親指でリモコンの赤いスイッチを押す。
バコン。バネ仕掛けなので本物のような迫力ある音響ではない。鋼鉄の砲弾がミシェルの肩とハリソンの腹に命中した。
パアン、と景気のいい炸裂音。着弾点で火薬が破裂する特殊弾頭だ。といっても、カンシャク玉程度の火力。それ自体は服を少し焦がす程度の威力しかない。
だが、この砲弾の中にはコショウとトウガラシの粉末が仕掛けられていた。ただの硝煙と思って油断すると、とんでもない目に会う。
クシャン、クシャン。ハリソンが、くしゃみを連発する。
ミシェルは、それどころではなかった。なししろ、この手の刺激物には過敏症、デリケートなパリジャンなのである。目は真っ赤に充血し涙ポロポロ、鼻からも二筋の鼻水がだらだらと流れ続ける。こうなると色男も台無しだ。
「ぐぞう」ミシェルは左腕で目を拭うとシャーマンを狙い撃ちした。
銃声に続いて、金属のぶつかる激しい音が室内にこだまする。シャーマンはびくともしない。表面に僅かなかすり傷がついたのみ。
実はこの2台、ただのラジコン戦車ではない。実物の戦車を大量生産している四菱重工に作らせた特注品である。その装甲は、本物には及ばないものの拳銃程度の攻撃はものともしない。
モフセンは嬉しくて仕方がなかった。買ったばかりのオモチャが、実弾でテストできるとは思っていなかったのだ。
「ケケケッ」と笑うと、左手と両足の指で赤いボタンを連打。天と地からの総攻撃に移るのだった。
草壁は、パソコンに向かい情報収集にかかっていた。その背後では寺田が両手を後ろで組み、うろうろと歩き回っている。
海上保安庁本庁の他、防衛庁、警視庁にも連絡済み。非番の職員にも招集がかけられた。ここに合同対策本部が設置されるのだ。
まだ誰も到着していない。だが、大事件の発生に多くの人間が動き出していた。間もなくここは戦場のようになってしまうだろう。
そして海上保安庁長官は、ただ今ゴルフ中である。
秘書官によると「夜中まで時間があるなら、まだいいな。せっかくだから、もう1ラウンドまわってから行くからね。善処よろしく」という回答だったらしい。
ちなみに「善処よろしく」は長官の口癖で、先送りと丸投げを象徴する言葉である。
「ああ」寺田が天を仰いで呻いた。せっかく明日は早朝から海釣りを楽しむ予定だったのに。お流れになったら、いつ行こうか。来週は法事だし、その次は親戚の結婚式に呼ばれている。寺田にとって釣りのスケジュール調整は、いつも悩みの種だった。ってそんなこと考えている場合か。
「ううむ、公安や防衛庁のデータベースに[美しき5月のパリ]という組織は登録されていませんね」草壁が顔を上げて言った。
キーボード上の指を止めて考え込む。もしかしたら内閣調査室あたりで極秘扱いされている秘密結社なのかもしれない。組織名そのものが何かの暗号という可能性もある。
今度は一般の検索サイトを試してみた。結果が表示される。
「どうやら[美しき5月のパリ]というのは加藤登紀子のシングルにあるようです」検索されたサイトを開きながら草壁が言った。
「もしかしたら歌詞に何かヒントが隠されているかもしれません。早速、この曲が収録されたアルバムを手配しましょう」
その時、草壁の肩越しにモニターを眺めていた寺田が、ボソリとつぶやいた。
「私は森繁久弥の方が好きだな。「知床旅情」は」
誰が「知床旅情」の話をしとるか。
あやと三十郎は、少々遠回りしてしまった。二人とも艦内の構造にはまだ慣れていない。厨房のすぐそばに中央階段があったのだが、通り過ぎてしまい、艦首側の階段を昇ることになった。
ようやく「アフロディーテ」のあるEデッキに到着。その途端、またしても敵と遭遇した。
見廻りをしていたカミユとイリアだ。今度は敵と一目で分かる。カミユはルガーP08を、カンフー・マニアのイリアは両手にトンファーを構えていた。
カミユは三十郎に銃口を向けようとした。ところが、いち早くイリアが飛び出してしまった。
奇声を発して両手のトンファーを力まかせに振り回しドスドスと駆ける。図体のデカさを除けば、ケンカする子供にしか見えない。マニアといってもビデオソフトで見るのが専門、修行など一切したことがないのだ。
チッ、これでは狙えない。カミユは舌打ちした。まあ、いつものことだ。すぐに自分の出番が来ることをカミユは知っていた。
あやは思わずあとずさった。素人目にも素人と分かる無様な攻撃ではあるが、とにかくトンファーはブンブン唸っている。
あんな力まかせの一撃くらったら、コナゴナにされちゃうわ。あやは三十郎の背後から怖々と覗く。
三十郎自身は、あまりにもひどい攻撃ぶりに呆れ果てていた。構えようともせずに、頭をボリボリ掻きながらつぶやく。
「これじゃ、アドバイスのしようがないな」ってコーチしてどうする。
ドゴンッ。鈍い音が響いてイリアが動きを止めた。見事にトンファーを自分の後頭部に食い込ませている。二本のトンファーを同時にキメて自滅するとは、さすがただの素人ではない。素人以下ともいえるが。
数秒間、イリアは立ったままの姿勢を維持していた。白目をむいて意識を失い、鼻血が顎を伝ってポタポタ垂れる。ややあって前のめりにドウと倒れ込んだ。
わあ、痛そう。でも鼻血だから大丈夫だわ。耳から血を出したわけじゃないし。あやは、勝手に納得して安心した。
予想通りの展開で障害物のなくなったカミユは、あらためてルガーP08を構える。
それを見たあやは、悲鳴をあげ両手で頭を抱え込み床に伏せる。
三十郎は跳躍した。あまりの素早い動きに、突如姿を消したように見えた。次の瞬間、右側の壁にほぼ垂直に立つ姿勢で姿を現す。
そのまま足をほとんど曲げず、足首のバネだけで再び跳躍。空中で反転して、今度は左の壁面に立つ。
すごい。この人、奥歯に加速装置でも仕込んでるんじゃないの。あやが思わず感心したときには、3回目の跳躍で姿を消していた。
一方、カミユは感心するどころではない。人間以外の存在に遭遇したような恐怖感に捉えられていた。
正面の姿が消えたと思ったら、左に現れ次は右。その早い動きに自慢の動体視力も全く追いつけない。あっけに取られて引き金を引くことさえ出来なかった。
三度、三十郎を見失ったカミユは、背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。
その時、すでに三十郎の姿はカミユの頭上にあった。飛び越しざまに右の踵をお見舞する。
カミユは何が起きたかも分からないまま意識を失い、前のめりに飛ぶ。ちょうど大の字に倒れているイリアの足元に、顔面から着地した。
まるで炎の字みたいね。つながって倒れている二人を見てあやは思った。脇をソロリソロリとすり抜ける。
なんだか同じことばかり繰り返している気がした。デジャヴではない。実際倒れている二人の男の脇を通り抜けるのは、今日三度目なのだ。
あやはプルプルと顔を振った。マンネリだからって気を抜いちゃダメ。油断した途端、足首をムギュッ、なんてよくあるパターンよ。そんな手に引っ掛かるもんですか。
やっぱり、あやはホラー映画の見すぎのようである。