ダイ・ハングリー
9.キャット&ドッグ
モフセンはモニターを監視し続けていた。
ハリソンとミシェルは金庫から何かを盗み出し、そそくさと引き上げていった。室外の通路を映すモニターにも、今は全く動きがない。
姿を隠しておびき出すという作戦でもないようだ。モフセンは鉄扉のロックを解除してパニック・ルームを出た。
先ほどまでの戦闘が嘘のように静まり返っている。部屋の奥では大金庫がパックリと口を開けていた。
モフセンは、その中を覗き込む。彼の宝物は奪われることなく残っていた。二人の目的は、あくまでもサザンクロスをはじめとする貴金属類にあったのである。
父アミルに使用を禁じられ、取り上げられてしまった最終兵器。
モフセンはニタリと笑う。オモチャなどではない。秘密ルートで入手したものの、すぐ父親に取り上げられてしまったため、その威力が未知数という新兵器の試作品。初めて威力を確かめるチャンスが来たのだ。
裏切り者ハリソンとその仲間に目に物見せてやる。モフセンは金庫の中に上半身を突っ込み、一番奥に眠っている究極の武器を取り出すのだった。
通信室のラッツォは「サザンクロス」奪取の連絡を受けて躍り上がった。
「キキキッ」思わず甲高い笑い声を上げる。
「よしっ。ただちに撤収する。ヘリを呼べ。それから全員に連絡を入れろ」ラッツォは傍らの部下に命令した。
そこにアタッシュ・ケースを提げた別な部下が入ってきた。
「こちらも作業完了ですぜ」下卑た笑いを浮かべて、その部下が言った。
パチリと音をたててアタッシュ・ケースを開け、その中をラッツォに指し示す。
「キキキッ、ちょうどいいタイミングだ」ラッツォは、更にご満悦の様子。
差し出されたケースの中は空っぽだった。
ようやっと、あやと三十郎は「アフロディーテ」に辿り着いた。
「おおっ、ここが食べ放題か」
三十郎は単純に大喜びしているが、あやは気が気でない。ガラス張りの入口の向こうには、黒アリの群れのような人影がひしめいていた。
レストランの客という生易しい人数ではないことが、一目で見て取れる。この異常な光景が事件に無関係なはずはない。
と、思う間もなく三十郎は店内に飛び込もうとしていた。
「あ、待って。少しは用心しなさいよ」あやは声をかけたが、すでに遅かった。
店内にいたチアーリが、いち早く三十郎に気づいた。
重量のあるM60マシンガンを構え続けて、かれこれ1時間半。チアーリの虚弱な身体は、すでに限界に達していた。全身に脂汗がにじみ、心なしか肌も血の気が失せて白っぽくなっているようだ。
三十郎を見つけたチアーリ。ようやく自分の見せ場が来たっ、とばかりにM60を向けようとする。
だが、M60の重さに耐え切れず、バランスを崩してよろけ始めた。そのはずみに引き金を引いてしまう。
バリバリと銃声が店内に響きわたる。あちこちで悲鳴がおこった。
チアーリは必死に体勢を立て直そうとするのだが、うまくいかない。よろける方向が変わるだけだ。
その度にマシンガンが唸る。あっちにバリバリ、こっちにバリバリ。メクラ滅法撃ちまくる。恐怖に駆られて逃げまどう群集。阿鼻叫喚。こうなると人質も犯人もない。
幸いなことに銃口が上を向いていたため、怪我人は出なかった。
それを見ていた三十郎。
「おおっ、酔拳を使うガンマンは初めて見たぞ」って感心してどうする。
「だが、修業が足りんな。腰に力が入りすぎている。よし、俺が見本を見せてやろう」
よせばいいのに三十郎は酔拳の構えを始めた。ヒョロリヒョロリと身体をくねらせて、ジグザグに進んでいく。
その姿を見たチアーリの表情が変わった。実はチアーリ、ランボーとスティーヴン・セガールの大ファンではあるが、ジャッキー・チェンは嫌いだった。心の奥底に潜む人種差別意識のなせる技なのかもしれない。
「この野郎!ざけんじゃねえ」チアーリは怒声を上げた。
最後の力を振り絞り、三十郎に銃口を向けようと体勢を立て直す。その時、チアーリの体力が限界を超えた。「グキリ」と鈍い音がして右肩が外れたのだ。
「グェエエエエー」激痛にチアーリが悲鳴を上げる。人質さえも思わず同情してしまうほどの悲痛な叫び声。
フラリとチアーリの脇に回りこんだ三十郎が、首筋に手刀を叩き込む。意識を失ってグラリと倒れるチアーリ。長く尾を引いた叫びが途絶え、店内が一瞬静寂に満ちた。
人質たちは折り重なるような状態で、この様子を眺めていた。「おお」と人の波の中に歓声が起きる。
その中に警備員クラウスの姿もあった。
クラウスは、今日が一生の転機であると感じていた。今日という日を生き延びることが出来たら、昨日までとは違った自分になろう。生まれ変わるのよ。今度こそ本当の自分をさらけ出して生きるんだわ。
開放感に精神が高揚し、頬がピンク色に染まる。感極まったクラウスは、警備員の制服であるブルーのワイシャツと濃紺のズボンを引きちぎるように脱ぎ捨てた。その下にはピンクのレオタードと黒い網タイツ。
派手な色と動きに三十郎は思わず視線を移してしまった。クラウスと目が合う。
クラウスの瞳にハートの輝きが浮かぶ。キャー、頑張ってぇー。チュバッチュバッ、大げさなポーズで投げキッスを送る。
スキンヘッドにヒゲのマッチョが、ムチムチモッコリのレオタードとスネ毛の飛び出たタイツ姿で投げキッス。この攻撃には、さすがの三十郎もダメージを免れなかった。
頭がクラッとして足がもつれる。って、応援するんじゃなかったのか、ダメージ与えてどうする。
動きの鈍った三十郎。チャンス!とばかりにオリビアはルガーの狙いをつけた。オリビアは百発百中を誇る狙撃のプロ。この距離なら拳銃でも外すことは決してない。
必殺の構えで引き金を絞る。
「フギャア」オリビアが叫び声とともにルガーを取り落とした。弾みのついたルガーは床を滑っていく。右手にはフォークが突き刺さっていた。あやが、とっさに投げたのだ。
「やったあ。やっぱしコックはフォークとナイフよね」思いがけぬ命中に、あやは興奮して訳の分からないことを口走る。厨房だったら良かったのに。必殺の包丁があったわ。
「ふん、やるわね、坊や」包丁がなくて一安心のオリビアは余裕をかます。
フォークを抜くと気取ったポーズで投げ捨てた。
「何ですって、坊やとはなによ」禁断の言葉が、あやのハートをメラメラと燃やした。「金髪だからって!胸が大きいからって!腰がくびれてるからって!でかいツラするんじゃないわよ!!」
あやは瞳に怒りの炎を宿し、鼻息も荒く突っ込んでいく。
それを見たオリビアは素早く足首に手をやる。くくり付けたサックから狩猟用ナイフを抜いた。
オリビアは、あやに向かってナイフを突き出す。だが、さしものオリビアもナイフさばきは拳銃ほど手馴れていない。敏捷性においては小柄なあやが勝っていた。先ほどフォークで受けた傷がズキリと痛んだことも、あやに幸いした。
あやはナイフの切っ先をかわすと、オリビアの胸元に飛び込む。身をかがめて両手を上に突き出し、オリビアの鼻先でパンと叩いた。
相撲技の一つ「猫だまし」。小手先のかわし技だが、その名の通りオリビアには効果絶大だった。
「ヒニャン」思わずひるむオリビア。
あやは、オリビアの右手に組み付いて、思い切りガブリと噛み付く。うーわんわん。
「フギャー」オリビアは、あまりの痛さにナイフを放り出した。
「このガキィ」力任せに、あやを突き飛ばす。
体格差は、あまりに大きい。跳ね飛ばされたあやは、料理を載せたテーブルに背中から激突した。
テーブルもろとも倒れるあや。積んであった皿が床に砕けて大きな音をたてる。トレイに盛り付けらていたオードブルやフォアグラのテリーヌ、子羊のローストがぶちまけられた。
その時、オリビアの仲間がトランシーバーを片手に怒鳴った。
「オリビア、ミッション終了だ。甲板に急げ」言い終えるが早いか「アフロディーテ」を飛び出していく。
「フン、命拾いしたわね。悪運の強い坊やだこと」オリビアも捨てゼリフを残して身を翻(ひるがえ)す。
何しろラッツォのことだ。少しでも遅れたら置いてけぼりを食いかねない。
「あっ、こら、待ちなさいよ」
再度坊や呼ばわりされたあやは怒り心頭、転がった痛みなど感じていない。あわてて立ち上がろうとする。
あやは、傍らに立ち尽くす三十郎に気づいた。ようやくダメージから回復しつつあるようだ。
「なんてことを」三十郎は両の拳を白くなるほど握りしめ、呻くように言った。
「大丈夫だよ。どこも痛まないし。怪我してないから」こんなに心配してくれるんだ。あやは、嬉しさに頬を赤らめながら言った。
「いくら気に入らないからって、食い物を粗末に扱うとは!」三十郎は、床に散らばる料理を睨みながら吼えた。
なんだ、そっちかよ。あやはガッカリだった。
「許せん!」三十郎の身体から、怒りの気が発せられた。熱風と化して「アフロディーテ」の店内を駆け抜けていく。
三十郎、完全復活である。オリビアたちを追って脱兎の如く駆け出す。
「あ、待って。私も行く」
こうなったら最後まで見届けずにはいられない。あやも全速で追いかけていく。
行くぞ!シェーン。うーわんわん。