D.V.
4.その名はヴァネッサ
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 生徒の中には、こっそりワンセグ端末を持ち込んでいる者もいた。休み時間になると、こまめにチェックする。
 周囲にはあっという間に人だかりができた。センセーショナルな事件なので取り上げている番組は多い。
 その内容は朝のニュースと大同小異。今のところ新しい発表はされていないようだ。
 ただ、報道陣が詰めかけているいるのは学校だけではないことが分かった。授業中で生徒たちに動きがないこともあるのか、恵の家近辺がターゲットになっているようだ。
 今まで事件が起きるたびに演じられてきた報道合戦。本人の家に押しかけてインターフォンを押してみたり、近所の人々に評判を聞いたり。
 これまでなにげなく見過ごしてきた映像。それが死んだクラスメイトの実家となると事情は全く違ってくる。
 弥生は、恵の家族の気持ちを考えると気の毒でならない。そっとしておいてあげればいいのに。
 テレビのレポーターや新聞の記者たちが死体に群がるハイエナのように感じられてくる。
 そうこうするうちに気もそぞろな授業は終わった。今日は部活など、すべての課外活動が休止とされた。生徒たちが一斉に下校しはじめた。
 心配して自家用車で迎えにくる父母も少なくない。
 校長の言葉に従うというわけでもないのだが、誰からともなく同じ方向に帰る者同志が集まっていく。
 弥生も沖山智代と一色江里の二人と帰ることになった。この二人とは時どき話をするくらいで特別に親しいというわけではない。
 智代とは、みんなで渋谷で買い物したときに一緒だったことが一度だけある。その程度だ。
 最初のうちは下校する他の集団がちらほら見えたりもした。学校から離れるにつれ、その姿も見えなくなってくる。
 弥生たちは、ひと気のない路地にさしかかった。両脇には民家が並び、妙にシーンとしている。なんだかイヤな感じだ。
 三人がそろそろと歩いていると、横にそれる小道から突然一つの人影が飛び出してきた。
「キャッ」智代と江里が悲鳴をあげて弥生の背後に隠れる。
 ちょっとちょっと、なんで私が盾になるのよ。理不尽な思いに駆られたが、後ろから江里に肩をつかまれて身動きできない。
「ヒイッ」弥生は眼前の人物を見て引きつった声をあげる。目を飛び出しそうなほどに見開いていた。
 一言でいえばガングロの女子高生。しかしてその実体は違和感の固まりだった。
 ガングロが妙に黒すぎる。弥生は思い出した。父の持っているCDの中にあったシャネルズとかいうグループのイメージだ。
 髪はサラリとしたしなやかなブロンド。カミーユが白金色に輝くプラチナブロンドであるのに対して、こちらはもっと黄色がかっている。
 文字通りの金髪だ。竜登が見たら大喜びするに違いない。染めているようには見えないナチュラル感がある。ましてやカツラではありえなかった。
 同様に青灰色で涼しげな瞳もカラーコンタクトでは出せない色合いである。
 セーラー服も女子校の制服とは趣きが違う。そう、アニメのポパイが着ている水兵の軍服。真のセーラー服なのだ。
 股下ゼロセンチメートルではないかと思えるミニスカートも異様だった。その下に二本の長い足がニョッキリ生えている。
 いくら日本人のスタイルが良くなったとは言え、これだけスラリとした足の持ち主はなかなかいない。足が長いため、スカートの短さがますます強調されてしまっている。
 しかも、その足にはいているのはルーズソックスではなかった。ムラサキ色のレッグウォーマーである。
 靴がブランド物とおぼしき高級そうな茶色い革靴なのもハズしていた。
「ウウッ」弥生は異形の人物に圧倒されうめき声をあげて後ずさろうとする。江里がしがみついているのでさがれない。
「あなたたちに聞きたいことがある」ガングロが一歩踏み出して言った。
 カミーユほどではないが、かなり達者な日本語を操る。それでも少々イントネーションが違った。やはり外国人なのだろう。
「ひ、人に物をたずねるなら、先に名乗るのが礼儀でしょ」弥生は内心ビビりながらも、精一杯言い返す。
「フム、それもそうだな」ガングロは異様な外見とはうらはらに、案外素直な態度を取る。「私の名はヴァネッサだ。人を捜している。この女を知らんか」
 超ガングロメイクのため定かではないが、おそらく弥生と変わらない年齢と思えた。
 その割りに偉そうな口調だ。はたして地なのだろうか。それとも日本語にうといだけなのか。弥生は首をひねる。
 ヴァネッサは一枚の写真を三人の前に突き出す。それは人物の写真ではなく、肖像画を写したものだった。
 かなり古びた油絵のようだ。弥生にはよく分からないのだが、ヴィクトリア王朝風とでも呼びそうな古風な空色のドレスをまとった女性。
 問題はその顔だった。カミーユと瓜二つなのである。弥生は思わず出そうになった声を呑み込む。
「どう、見覚えある?」ヴァネッサは、さらににじりよる。
「し、知らない」弥生はプルプルと首を横に振った。
 カミーユのことは、理沙以外には秘密にしている。ことが公になる前に出ていってもらいたかった。
 智代たちの前でカミーユのことを話すのは憚(はばか)られた。しかも相手が正体不明のガングロときてはなおさらである。
 後ろに控えた智代と江里も必死に首を振って否定した。
「そう」ヴァネッサは案外あっさりと引き下がった。身をひるがえして駅の方向に歩み去る。
「なんなの、あれ」江里が唖然とした顔つきで言う。ちょっと青ざめてもいた。
 普段ならば、ただのヘンな女の子ですむ。しかし、恵の事件が起こったばかりなので、どうしても警戒してしまう。
 もしかしたら犯人は、あのような変質者かもしれないのだ。
「どうする?警察に届けたほうがいいかしら」智代もかなり怯えた様子だ。
「そ、そこまでする必要ないと思うわ。身なりはヘンだったけど、人を捜してるだけみたいだし」弥生は慌てていた。
 あのガングロ、カミーユと関係があるのかもしれない。二人だけの問題ですむのならいいが、私たち家族にまで火の粉が飛んできたら大変だ。うかつな動きは取らないほうがい。
 それにしても、あの娘、何の目的でカミーユを捜しているのかしら。
 もしかしたらカミーユの隠し子かも知れない。わざわざイギリスから追いかけてきたんだわ。あんなヘンな子を隠していたとなれば、うまく追い出せるかもしれない。
 きっとこれは千載一遇のチャンスなのよ。弥生はニヤリと笑った。
「どうしたの、氷堂さん」智代が心配そうな顔で声をかけた。
 弥生は、すっかり自分の世界に入り込んでしまっていた。ハッと我に返る。
「なんだか、すごく悪い顔して笑ってたわよ」江里はオドオドしている。普段快活な弥生の、こんな表情は初めて見たのだ。
 しまった。顔つきまで悪くなっちゃうなんて。最悪だわ。
「あ、あれよ。あんまりヘンな子見たから、こっちまで変な顔になっちゃったのよ」弥生は、あたふたと弁解した。
「そ、そう」智代と江里は力なくうなずく。
 二人と別れた弥生は、肩を落としてトボトボと家路をたどるのだった。

 一方、ガングロのヴァネッサは、駅前商店街を大股で進んでいた。足のリーチが長いので、かなりの速度である。
 道往く人々は皆ギョッとした表情で道を開ける。いまや希少価値となったガングロも渋谷あたりであれば目立たないだろう。
 しかし、都内とはいえ閑静な住宅街に近いこの商店街では、きわめて人目を引く存在なのだ。しかもヴァネッサは、ただのガングロではない。
 ドッキリカメラかと思ってキョロキョロとカメラを探す通行人もいた。
 どうしてみんなヘンな目で私を見るのよ。資料をたっぷり調べて、ニッポンのコギャル・ガールに完璧な変装をしたはずなのに。
 これも誤った東洋観の一つなのだろうか。本人は過ちにまったく気づいていない。
 それにしても、あいつめ!どこに潜伏しているのかしら。この地域に潜入したことは間違いないはず。
 しかも昨夜の事件。ぜったいに手がかりがあるはずだわ。
 ヴァネッサは唇をキュッと結んで突き進んでいく。
 買い物時で通りは混雑していた。行き交う人々は、モーゼに進路を作る紅海のようにササッと左右に分かれていくのだった。