D.V.
6.闇の精霊
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「気づいてしまったものは仕方ないな。いや、弥生には、いずれ教えなければいけないと思ってたんだ」高志は、いつもの頼りない口調に戻った。
 だらしなく着くずれたパジャマ姿で頭をポリポリ掻いている様子は、どう見ても化け物に操られた殺人鬼ではない。
「だから弥生ちゃんには、話しておいたほうがいいって言ったのよ」カミーユも困ったような口調だ。「ホントにあなたは面倒なことは、みんな後回しにしちゃうんだから」ついでにグチをひと言。
 ありゃ、お父さん、もう見抜かれちゃってる。弥生は、思わぬ展開にキョトンとしていた。とりあえず口封じに殺そうという気はないらしい。
「だから弥生ちゃんには早く話したほうがいいって言ったのよ」カミーユも困惑顔だ。
 今にも襲いかかられるのではないかと震えあがっていた弥生は、すっかり拍子抜けした。ふう、気の抜けた溜め息をつく。
「弥生の言うとおり、お母さんは人間じゃないんだ。高貴なヴァンパイア一族のプリンセスなんだ」高志はおどおどした口調でありながら、その態度はどこか自慢げにも見えた。
 弥生は、あきれ顔である。どうだ。俺の嫁さんはお姫様なんだぞ、とでも言いたいのかしら。
 ヴァンパイアっていったら吸血鬼。やっぱり化け物じゃん。弥生は口をへの字にまげた。
「人は吸血鬼なんて呼ぶが、この200年、カミーユは人間の血を吸ってないんだ」高志は必死にカミーユをかばう。
 へーっ、200年!カミーユって、そんなにババアだったんだ。それに200年以上前は血を吸ってたってこと?弥生は、またしても身震いした。
「じゃあ、恵は?」弥生は眉をくもらせる。
 失血死だけど現場に血痕がないって言ってた。あれはきっと殺されてから運ばれたんじゃない。吸血鬼に血を吸われちゃに違いないわ!
「別な種族の奴の仕業よ」カミーユの目つきが鋭くなる。声にも凄みが増していた。
「そんな、おかしいわよ。あなたが来たとたん、人殺しを始めるなんて」弥生が声を荒げる。
「違うわ。おそらく、そいつはずっと以前から狩りを続けていた。ただし、今回と違って死体は決して見つからないように始末してたのよ」
 恐ろしい話に、弥生はゴクリと喉を鳴らした。
「獲物は、行方不明になっても騒ぎにならないような人間を慎重に選んでいたのだと思う」カミーユの冷ややかな声には、見えざる相手への憎悪が満ちていた。
「じゃあ、どうして急に」
「やっぱり私のせいね」カミーユはキリリと唇をかみしめる。「ヴァンパイアには縄張り意識の強い種族が多いの。一つのテリトリーに自分以外のヴァンパイアの存在を認めない」
 その顔は、まさしく闇の精霊。天使の優しさと悪魔の冷たさが同居している。
 弥生は息を呑んだ。これほど神秘的で美しい顔は見たことがない。人ならぬものゆえの美しさと言えた。
「恵さんの死体は、わざと見つかりやすい場所に放り出されていた。私への挑戦状よ」
「そいつは私たちの居場所に気づいているのかしら」弥生は恐怖心に駆られた。恵を殺した怪物が襲ってきたら、どうしたらいいの?
「まだだと思うわ」カミーユが目を細める。「報道された傷跡から察して、相手は下等な吸血獣人。単細胞な連中だから、私の居場所をつきとめていれば、直接闘いを挑んでくるはず。おそらく魔物の霊感で縄張りの中にヴァンパイアが入ったことを察知しただけよ」
 カミーユは顔を歪める。高貴な種族の彼女にとって、獣人のことなど口にするのも汚らわしいと言いたげな態度だ。
「そいつはカミーユとは違う連中なのね」
「フン。大違いよ」カミーユは険しい顔つきで断言した。「私は高貴なる闇の種族。敵は下等で醜い吸血の獣人にすぎない」
 弥生にはイメージがわかない。血を吸う狼男といった奴なのかしら。
 その時、カミーユの眼差しが翳(かげ)りを帯びた。
「ごめんなさい。私が来たばかりに、こんな事態に巻き込んでしまって」
「そ、そうよ。ホントにもう、大迷惑」弥生の口調には、いつもの迫力がない。やっぱり相手がヴァンパイアと分かっていると、少々ビビってしまう。
「弥生ちゃんは、ぜったい私が守る。下等なケダモノなんかには決して負けない」カミーユは瞳をギラリとさせて言い放つ。
 これほど美しくて恐ろしい女性の表情を弥生は見たことがない。神秘の存在である証しだ。
 ああ、やっぱり、この人はこの世のものではないんだわ。弥生はトリ肌立つ思い。
「今、使い魔を放った。先に見つけて、これ以上犠牲者のでないうちに滅ぼしてやる」
 使い魔とは、先ほどのコウモリのことらしい。ただのコウモリではなかったわけだ。
 興奮したのかカミーユの歯がグンと伸びて牙に変わる。弥生はビクンとして後ずさった。
「ぜったいに!ぜったいに弥生ちゃんには指一本触れさせない」カミーユの声が凛(りん)と響いた。
 怖いけど格好良くて頼もしい。弥生は複雑な心境だ。
「本当なら竜登にも話さないといかんのだが」高志がおずおずと口をはさむ。「なにしろ、あいつはまだ幼い。ショックが強すぎて心に傷がつくといけないので、しばらく隠しておこうと思ってるんだ」
 高志は、弥生の瞳をのぞき込む。同意してほしいという要望を消極的な態度で表したのだ。
 ま、竜登の奴は、ちっとやそっとでトラウマ作るようなタマじゃないけどね。この数日で竜登に対する見方がすっかり変わってしまった弥生は、シレッとした反応。
 あいつのことたから、逆に大はしゃぎするんじゃないかしら。
「わーい、キンパツ、キンパツ。しかもキュウケツキ、キュウケツキ!」とか言って。
 弥生は、ハッとした。
「氷堂んとこの新しい嫁は吸血鬼じゃ」噂は、あっという間に広がってしまうに違いない。
「悪魔の家族を滅ぼすのじゃ」どことも分からぬ広場に群衆が集結し、数人の聖職者が煽(あお)りたてている。坊主に神主、神父に牧師。奇妙な衣をまとった新興宗教の教祖もいる。
 扇動された群衆は、手に手に松明を掲げて弥生の家を目指し始める。闇夜の中に炎が河をなし、幻想的な光景ではある。
 やがて氷堂家の門前に到着した群衆は、口々に「悪魔を殺せ!悪魔を殺せ」と喚き出す。形相は醜く歪み、どっちが悪魔か分からない御面相だ。
 先頭に立つ聖職者たちが、松明を放り投げる。それに続いて皆が次々と松明を放っっていく。
 無数の炎が弧を描いて宙に舞う。弥生の家の壁が屋根が、メラメラと燃え上がり始める。 瞬く間に家全体が炎に包み込まれてしまった。
 燃え上がる家の中で弥生たち家族が肩を寄せあっていた。熱気と煙が容赦なく押し寄せてくる。まさしく風前の灯火だ。
「じゃ、ま、そーゆーことで」カミーユは、ヒラリとコウモリに変身して飛んでいってしまう。
「なにが、そーゆーことでよ。この裏切り者!」弥生の罵声(ばせい)は、ゴウゴウという炎の音に掻き消される。
 ついに壁も屋根も崩れて炎が渦となり襲いかかってきた。
「きゃあっ」弥生は自分の叫び声で我に返った。
 妄想の世界に入り込んだ弥生を、じっと見つめていた高志とカミーユが思わずのけぞる。
「ダメよ。ダメだわ。竜登に話しちゃ絶対にダメ」弥生は必死の形相で訴えた。
「まあ、なんて弟思いなの」さすがに妄想を見透かす能力は持ってないカミーユが、感動して涙ぐむ。
「そ、そうだ。竜登には悪いが、ここは三人だけの秘密ということにしておこう」どさくさまぎれに高志が、まとめにかかる。
 ヴァンパイアを継母に迎えるかいなかという根本問題に話題が戻る前に、この場を収めてしまおうというハラだ。明日は明日の風が吹くのである。
「とにかく今日は、もう寝なさい。物音で竜登が起きてきたらたいへんだ」うまい口実ができたと内心ニヤついている。
 いつの間にか3時近くなっていた。確かに少しでも寝ておいたほうがいいかもしれない。こんな状況で眠れればの話だが。
 弥生は、とにかく自分の部屋に戻る。
 あっ、しまった。水飲むの忘れた。弥生は、ベッドに入ってから思い出した。
 興奮したせいか喉の渇きはいっそう激しくなっている。でも、いまさらもう一度台所に行く気にもならない。
 我慢して寝てしまおう。弥生は目をつぶる。
 その途端、まぶたの裏に様々なイメージが走馬灯のように駆け巡り始める。牙をむくカミーユ。宙を舞うコウモリ。異様なテンションではしゃぐ竜登。松明を手に叫ぶ狂信者たち。燃え上がる我が家。
 結局、目覚めているのか夢見ているのか分からない状態が夜明けまで続いてしまった。
「ああ、私の辞書に熟睡という文字が戻ってくる日はあるのかしら」
 妙に黄色っぽく目に映る朝日を眺めながら弥生は嘆くのだった。