D.V.
7.都市伝説の女
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 校門の前には今日も多くのマスコミが陣取っていた。生徒も少し慣れてきたのか、マイクを突き出すレポーターを、駅前のティッシュ配りのようにあしらっている。
 取材側も手慣れたもので、学校関係者が目を光らせている校門近くでは登校風景とレポーターの取材活動を表面的にを撮影するだけ。生徒の顔にはモザイクをかけてしまうから、「全校生徒が沈痛な面持ちで登校しています」とかテキトーなナレーションをつけても構わないわけだ。
 そして放送に使う本格的なインタビューは、校門から離れて学校職員の目が届かない場所でおこなっている。
 今日も弥生はレポーターたちを無視して校内へと入っていく。
 教室を見渡すと理沙の姿があった。いつもと変わらない様子だ。弥生の顔を見て小走りに近寄ってきた。
「ねえねえ、聞いた?なんかすごい噂が立ってるわよ」好奇心に目をキラキラさせている。
「なによ。今来たばかりで知るわけないじゃん」
 もちろん理沙も承知のうえ。早く話したくて仕方がないのだ。
「昨日、学校周辺に謎の金髪ガングロ女が出没したんですって」
「え!」弥生は絶句した。
 ヴァネッサだ。すっかり忘れてた。
 もし、あのガングロが本当にカミーユの隠し子だとしたら。あいつもヴァンパイア!
 でも、おかしいわ。昨日ヴァネッサと出会ったときには、まだ陽が落ちてなかった。日中のカミーユを考えると、ヴァネッサのハイテンションぶりは納得がいかない。
 とすると、あの娘ばヴァンパイアじゃないのかしら。その時、弥生の頭にひらめくものがあった。
 そうか、あのガングロメークよ!
 あれはきっと太陽光を遮(さえぎ)って、昼間でも活動できるようにするためのものなんだわ。
 私ってアッタマ良い。弥生は心の中で自画自賛する。
「どうしたの。急に一人でニヤついたりして」
 理沙の心配そうな声で弥生の魂が教室に戻る。
 またしても妄想の世界に入り込んでいた。そのうち妄想界の虜(とりこ)となって戻れなくなっちゃうんじゃないかしら。
「昨日はすごく悪い顔で笑ってたし、今日は今日で突然ニヤつくし。本当に大丈夫」理沙は真顔だ。
 大丈夫、大丈夫。あんまりヘンな話だから、顔の筋肉が緩(ゆる)んじゃっただけよ」弥生は口から出まかせ。
「そ、そうなの」理沙は、戸惑っている。
 たとえカミーユが血を吸わないというのが本当でも、ヴァネッサは分からない。もしかして恵を殺した犯人はヴァネッサ?
 そうよ。カミーユは娘をかばうために吸血獣人なんてでっちあげたに違いないわ。
 弥生は新たな考えに背筋が寒くなった。
「どうしたの、弥生。なんだか顔色が悪くなったみたい」
「なんでもないよ。ちょっと寝不足なだけ」弥生はフルフルと顔を横にふった。
「そうよねえ。こんな事件が起こってるうえに、弥生は家に帰ると継母だものねえ。神経高ぶっちゃうわよねえ」理沙は声をひそめた。
 カミーユのことは、他のクラスメートにはまだ内緒にしているのだ。
 授業が始まっても先生の言葉は、弥生の右の耳から左の耳へと通り抜けるだけ。カミーユとヴァネッサのことばかり頭に浮かぶ。
 もしもヴァネッサが犯人だったら、カミーユに連れ帰らせれば一件落着だわ。あとは母親の責任で人間を襲わないよう指導してもらうしかない。
 恵の事件は未解決になってしまうけど、これは仕方ないことだわ。現代の法廷で吸血鬼を裁くなんてありえないし。
 だが、弥生の心には暗い不安もあった。
 もし、カミーユのいうことが真実だったら。あのガングロ以外の犯人がいたら。
 それでもカミーユを帰国させれば、ひとまず弥生たちは安泰かもしれない。吸血獣人とやらに狙われる心配も、継母が実はヴァンパイアだとばれることを恐れる必要もなくなる。
 それで本当にいいのだろうか。
 カミーユのいうことが真実なら、彼女がいなくなれば吸血獣人はこれまで通り身を潜めて人間狩りを続けるだろう。
 独り暮らしの人間がふといなくなったり、突然子供が家出してしまったり。地方から遊びに来た人間が餌食になることもあるのだろう。
 氷堂家が狙われる確率が低くなるというのにすぎない。
 万が一、自分の身近で誰かが行方不明になったりしたら、どんな気持ちがするだろう。しかも、次は自分が狙われるかもしれないと、ビクビクしなから生きていかなくてはならないのだ。
 弥生の脳裏に美しくて力強いカミーユの風貌が浮かぶ。闇の精霊としての気品と自尊心に満ちた顔つき。
 やはりカミーユに倒してもらうしか手がない気がする。帰ってもらうのは、その後でも遅くない。
 ちょっとムシが良すぎるように思えるが、弥生が安心して暮らすためには、そうするしかない。
 いずれにしても事件が解決するまでカミーユとの付き合いは続きそうだ。とにかく今日帰ったら、ヴァネッサのことをはっきりさせなくちゃ。
「おい氷堂、なにボーッとしてんだ」藤原先生の声で弥生は我に返る。「今の続き読んでみろ」
 え、続き?ど、どこ?弥生はうろたえまくる。机に目を落とすと、テキトウなページで開いて置かれていた。
 しまった、なんでこんなミスを!弥生は頭の中が真っ白になった。なにしろ藤原先生は世界史の担任である。
「テヘヘ」窮地に陥った弥生は、笑ってごまかそうと無駄な試みをするのだった。

 午後になると、すでにヴァネッサの噂は都市伝説の様相を呈していた。
 いわく、ガングロ女が見せる写真は、本人のものなのである。
 たぐいまれな美貌の持ち主だった彼女は、猛悪な伝染病に冒され、顔の皮膚が醜くただれてしまった。
 ガングロのメークは、それを隠すためのものなのである。
 高熱で精神に異常をきたした女は、かっての美しい自分を知る者を抹殺しなければならないという妄執(もうしゅう)に取りつかれた。
 彼女は写真を見せ、「知っている」と答えた者の顔を隠し持ったナイフでズタズタに刻んでしまうというのである。
 様々なヴァリエーションはあるが、基本となるストーリーは以上だった。
 たった半日で噂話って、ここまで進化してしまうのね。弥生は感心した。
 先ほどは自分の思いつきにうぬぼれた弥生だが、筋書きとしてはこっちのほうが面白い。
 でも真相に近づけるのは私だけよ。弥生は、ひそかな優越感にひたる。
 ようやく授業が終わった。今日の弥生は、理沙と寄り道もせず、まっしぐらに家を目指す。早くヴァネッサのことを確認したくてウズウズしていた。
 帰宅すると玄関に竜登の靴が見あたらない。うまい具合に遊びに出ているようだ。
 ということは、今この家に私とカミーユの二人っきり?竜登がいなくてラッキーと思ったのも束の間、急に心細くなってきた。
 お父さんが帰ってくるまで待ったほうが安全かしら。でも、早くヴァネッサの正体を知りたいという気持ちも強い。
「あら、弥生ちゃん。お帰りなさい」その時、カミーユがダイニングキッチンからフラリと出てきた。
 青白く生気のない顔つきで目がトロンとしている。
 そうだ。まだ日が暮れてなかったんだわ。チャンスよ!
 カミーユが弱っているのを見て、弥生は元気づく。相手が人間ではないんだから、ぜんぜん卑怯じゃないわ。これでも私が不利なくらいよ。
「カミーユ!あのガングロとの関係を話して」勝手な理屈で勢いづいた弥生が声を張り上げる。
「ガングロ?ガングロってナニ?」カミーユが首をひねる。
 どうやらガングロそのものが分からないようだ。
「え、あ、だからあのガングロのヴァネッサよ」気勢をそがれた弥生が口ごもる。声のトーンも下がってしまった。
「ヴァネッサ?」カミーユの顔つきが険しくなる。「あのヴァネッサが、やってきたの?」
 昨夜、吸血獣人のことを口にしたときの猛々しさが甦っていた。弥生は思わすビクリと一歩後ずさる。
 な、なによヴァネッサの名前がでたらパワーアップしちゃったじゃない。いったいどういうこと?弥生はうろたえた。
 その時、背後で玄関のドアが開いた。弥生が振り向くと、そこには妙な扮装をした金髪の美少女が立ちつくしている。
「カミーユ、とうとう見つけたわよ」凛(りん)とした声が響く。
 ガングロメークでないので一目では分からなかったが、その声は確かにヴァネッサだった。