D.V.
8.狩人
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 ヴァネッサがガングロじゃない。弥生の頭に、この言葉がエコーする。
 あのメークが太陽光線を遮(さえぎ)るためのものだという弥生の発想は、あっさりと覆(くつがえ)されてしまった。
 とはいえ、今日のヴァネッサも珍奇な出立ちには違いない。
 どうやら金田一耕助の扮装だということは分かる。本人としては、日本を代表する名探偵にに敬意を表したつもりなのだ。
 だが、やっぱりハズしている。ルンペン帽はいいにしても、かすりの着物に袴(はかま)ではなく、柔道着に黒いロングスカートという出立ちなのである。
 右手にはバカでかいカバンをぶら下げていた。ドクターズ・バッグと呼ばれるタイプだ。
 その顔立ちは、疫病で醜くただれているなんてとんでもない。キメ細かいバラ色の肌にスッと通った鼻すじ。ちょっと釣り上がった眼差しは青灰色の瞳と相まって冷ややかな美貌を際立たせている。
 実はこのヴァネッサ、弥生より一つ年上なだけなのだが、かなり大人びて見える。
 柔道着にロングスカートで分かりづらいが、スタイルもなかなかのもの。これで服装がマトモなら、モデルといっても通用するくらいだ。
 なによ、なによ。陽も沈んでないのに絶好調じゃない。カミーユの隠し子じゃなかったの?弥生は困惑していた。思わくがはずれてしまったのか。
「どーゆー了見なの?かってに国外に出るなんて」ヴァネッサは険しい面持ち。
「フン、あなたたちの決めたルールに従ういわれはないわ。ヴァネッサ・ヘルシング。またの名をヴァンパイア・ハンター、5代目ヴァン・ヘルシング」カミーユも腕を組み上体をそらせて、ふてぶてしい態度でやり返す。
 といっても、まだ陽が落ちていないので、どこか無理している様子だ。
 弥生はキョトンとしていた。ヴァン・ヘルシング?聞いたことある気がする。理沙と見た映画に、そんなタイトルのがあったような。
 理沙とはクリストファー・リーのドラキュラ物を見たこともあるのだが、ピーター・カッシングが演じた登場人物の名前まで覚えていない。
 え、でもヴァンパイア・ハンターって。もしかしたらカミーユを殺しにきたのかしら。
 だったら止めなきゃ。恵殺しの犯人と決まったわけでもないのに。私の目の前で人殺し、いえ吸血鬼殺しなんて、とんでもないわ。
「ちょっと、私んちで吸血鬼退治なんか始めないでよね。乱暴はしないで、おとなしくカミーユを連れて帰ってちょうだい」弥生が黄色い声をあげる。
「人類ではないこいつには、もともと国籍がないから、強制送還や逮捕はありえない。人類に害をなすとあれば抹殺あるのみ」ヴァネッサは綺麗な顔をして物騒なことを平然と口にする。
 そのまま、玄関から上がり込もうとした。
「キャッ、失礼ね。土足のままあがらないでよ。ここは日本なんだから」黄色い声のトーンがグッと上がる。
 ヴァネッサは素足に草履(ぞうり)をはいていた。鼻緒のついた履物は、どれも同じに見えたのだ。
「う」額に青筋たてて声を荒げる弥生の剣幕に、さしものヴァネッサもたじろいだ。
「日本は不便ね。いざというときに追いかけられないじゃない」ブツブツ言いながらも草履を脱ぎ、あらためて廊下に上がった。
 一見小柄に見えるヴァネッサだが、実際に並ぶと弥生より10センチ近く背が高い。
 袴代わりのロングスカートから綺麗な生足がのぞいていた。柔道着のせいで、日本の名探偵というよりは、道場破りにきた女格闘家という印象ではあるが。
「とにかく荒っぽいことはなしにして」勢いづいて弥生が釘をさす。
「安心しろ。今日は何もしない。今回の事件がカミーユの仕業でないことは明白だからな」
「そ、そうなの」あまりに自信たっぷりなヴァネッサの物言いに、弥生は口ごもる。
「こいつは、とてつもなく気ぐらいが高い種族の姫君だ。たとえ血を吸うにしても、こんな無様なマネはしない。もっとスマートにやってのけるだろう」
 血を吸うのにスマートとか不格好とかあるんだろうか。弥生には良く分からない。どうやらカミーユがヴァンパイアのプリンセスというのは本当らしい。
「絶滅危惧種保護条例があるからな。人間を襲った確証がないと手が出せない」
 えっ、ヴァンパイアって絶滅危惧種なの!弥生は目を丸くした。どうりで滅多に見かけないと思ったわ。弥生の思考はトンチンカンになっている。
 ヴァネッサはニマッと相好を崩す。目尻が下がって、なんか下品な顔つき。クールな美少女が台無しである。
 私、からかわれているのかしら。あまりに非現実的な話の連続に弥生の頭は混乱の極み。判断力も鈍りっぱなしだ。
「ウチの子をからかうのは、いいかげんにおし」カミーユが尖った声を出す。
 全身に力が満ちている。いつの間にか陽が沈んだらしい。
 弥生は思わず一歩退いた。パワフル・ヴァージョンのカミーユを前にすると、どうしても腰が引けてしまう。
 なにしろ相手は人間じゃないんだから仕方ないわ。
 横のヴァネッサは平然としていた。先ほどとはうって変わった冷ややかな笑みを浮かべ、鋭い視線をカミーユに向けている。。
 さすがはヴァンパイア・ハンターの末裔(まつえい)。堂々たるものね。感心した弥生は、ちょっぴりヴァネッサを見直した。
「それに現場から吸血獣人の体毛が見つかっている」
 どうしてそんなこと知ってるの。弥生は驚く。ヴァンパイア・ハンター、あなどれない存在だわ。
「私にはインターポールがバックアップについている」ヴァネッサは、弥生の心中を見透かしたかのように言い放つ。
 インターポールって何だったかしら。国際刑事警察機構など縁もゆかりもない弥生にはピンと来ない。
 ヴァネッサの口調から、けっこうすごいことらしいと推測するだけだ。
 対するヴァネッサは、弥生の反応が鈍いので、少々御不満の様子。
「日本の警察は、その体毛が人間のものではないことだけは突き止めた。動物学者に鑑定を依頼しているが、該当する生物は地球上に存在しない。そのうちパニックを起こすだろう」気を取り直したヴァネッサは、自慢げに続ける。
「ね、ねえ。その吸血獣人って映画の狼男みたいなものなの?」弥生は前から気になっていたことを聞いてみた。
「そう。共通点は多い。昼間は人間の姿をしてるし、他のヴァンパイア族よりも聖水で清めた銀の弾丸の効果が高い」ヴァネッサが専門家らしい博識ぶりを披露する。「だけど、根本的に違う存在。狼男は人間が変身した姿だけど、吸血獣人は魔獣が真の姿だ」
「フーン、詳しいのね」弥生は感心した。
「代々続くヴァンパイア・ハンターの家系だからね。エサになるような連中とは出来が違うのよ」鼻高々のヴァネッサは、不遜な口振り。
 この言いように弥生は、なんだかカチンときた。
「だったら、こんなとこにいないで、さっさとその獣人を捜しなさいよ」思わず皮肉っぽい口調になる。
「フン、私はカミーユを全面的に信用してはいないからな。目を離すわけにはいかないのだ」ヴァネッサも語気が鋭くなった。青灰色の瞳が冷たい光芒を放つ。「それに吸血獣人の目下のターゲットはカミーユだ。こいつを見張っていれば、おのずと事件は解決する」
 なんかずるい。これって他人(ひと)をエサにして漁夫の利を得ようってことじゃない。弥生は、ますますムッとした。
「ヘヘーン、偉そうなこと言って格好つけようったって無駄よ。よそさまの国に来たお上りさんだから、どこ調べていいか分からないんでしょう」弥生は子供口調で言い切る。
「なによ、そんなことないわよ。私にはインターポールの情報網があるんだから。警察の捜査状況だって全部分かるもん」ヴァネッサが気色ばむ。カッとして普段の大人びた口調が実年齢に戻ってしまった。
 弥生の発言も、まんざら的外れというわけではないのだ。ヴァネッサが日本警察の情報をつかめることは事実だが、捜査に進展がないのでは、その特権も意味がない。
 カミーユ同様、ヴァネッサも今回の事件がヴァンパイアの縄張り意識が要因であることを見抜いていた。
 見方を変えれば、長年水面化に潜んで存在すら分からなかったヴァンパイアを退治するチャンスなのである。
 ヴァネッサの鼻息が荒くなるのも当然のこと。
 うまく立ち回れば、共倒れさせてカミーユも滅ぼせるかもしれない。インターポールとカミーユの協定など、ヘルシング家にとっては何の価値もないのだ。ヴァネッサは心の奥底で目論(もくろ)んでいた。
 血を吸わないヴァンパイアとして人間に協力することもあるカミーユだが、先ほどから公言しているとおりヴァネッサは信じていない。
 ヴァンパイア・ハンター、ヴァネッサにとってはカミーユもまた人類の敵なのである。