D.V.
9.共闘
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 そこに玄関で物音がした。竜登が帰ってきたのだ。弥生とカミーユが顔色を変える。
 急に様子がおかしくなった二人を見て、ヴァネッサがポカンと口を開ける。
「ワーイ。キレイな金髪のおねーちゃんだ」ヴァネッサの姿を認めた竜登が、開口一番歓声を上げる。
 まったく軽薄なんだから。弥生は心の中で舌打ちした。
「フフン、だから日本人はシャイだって言われるのよ。遠慮しないで絶世の美女とお呼びなさい」ヴァネッサは背筋をのばしてポーズをつける。こらこら、あんたが少しは遠慮なさい。
「ちょっと私の部屋にきて」弥生はヴァネッサの手をつかみ二階に引っ張る。
「どうしたのよ、急に」ヴァネッサはブツブツ言いながらもついていく。
「いい、カミーユのことは弟の竜登には内緒だからね。火焙りなんてまっぴらよ」部屋に入った弥生は、ドアに耳をつけ外の様子を確認しながら言った。
 なんで火焙り?弥生の妄想など知る由もないヴァネッサは首をひねる。
「とにかく弟の前で吸血鬼の話はしないで」竜登が廊下で立ち聞きしているかもしれない。弥生は声をひそめた。
「そうか。ヘッセリウスの掟。生贄には秘密厳守というやつだな」ヴァネッサはしたり顔で目を細める。
「ちがーう。なんで弟を生贄にするのよ。でも、それホント?」不吉な話に弥生の顔は心無しか青ざめていた。
 ヴァネッサは、またしてもニタニタと、人を小バカにしたチェシャ猫のように嫌らしい笑いを浮かべている。
 やっぱりからかわれているのかしら。どうもヴァネッサの考えていることは分からない。
 由緒正しいヴァンパイア・ハンターには違いないのだろうけど、なんか得体の知れないところがある。まあヴァンパイア自体が得体の知れないものだから仕方ない気もするけど。
 そこにドアを開けて竜登が入ってきた。お盆にドーナツとオレンジ・ジュースをのせている。ヴァネッサは一瞬で美少女モードに戻った。見事な変わり身の早さ。
 この娘、どっちかというとヴァンパイアに近いんじゃないかしら。弥生は、あきれ顔だ。
「まあ、いい子ねえ。でも正統派の英国流はクッキーにミルクティーよ」どうもこいつは一言多い。
 弥生は後で知ったのだが、カミーユは竜登に、ヴァネッサをおばさんの結婚相手の姪の同級生の隣に住んでる子だと説明していた。
 そんなんで納得するほうもどうかしてる。金髪で青い目なら、他のことなど、どうでもいいのだろうか。
「分かったわ。あの子には内緒にすればいいんでしょ」竜登が出ていくと、ヴァネッサが真顔になる。「どっちにしろヴァンパイアのことは機密事項。知る人間が少ないにこしたことはない」
 どうやら火焙りはまぬがれたわ。弥生はホッとして胸をなでおろす。
「じゃあ、あなたたちも獣人狩りに協力するってことでいいのね」ヴァネッサも交換条件に念を押す。
 いずれにしてもカミーユは吸血獣人と決着をつける気でいる。ヴァンパイア・ハンターの加勢を得られるとなれば心強い気がする。
 ヴァネッサがカミーユとモンスターの共倒れを狙っていることなど知るよしもない弥生には、そう思えた。
「それじゃ、せいぜいカミーユの足を引っ張らないようになさい」弥生は内心とはうらはらに皮肉っぽい口をきく。
 なんで私がカミーユの肩を持たなくちゃならないの。そんな気もしたが、不遜な態度のヴァネッサを相手にすると、どういうわけかカミーユに気持ちが傾いてしまう。
 ああっ、私ってなんて優しいのかしら。たった数日間暮らしただけで吸血鬼にも心を開いてしまうなんて。
 いや、だめよ。同情は禁物。やっぱりカミーユは、ヴァネッサに連れ帰ってもらわなきゃ。なにしろ火焙りがかかってるんだから。
「フンッ」ヴァネッサは不服そうに腕組みして、そっぽを向く。
 とはいっても他に吸血獣人をつきとめる有効な手立てもない。不満はあっても、氷堂家と手を組まざるを得なかった。
 小生意気な弥生も血を吸われていける死人になっちゃえばいいのよ。そしたらカミーユもろとも滅ぼしてやる。ヴァネッサは心の奥底で、さらに物騒な考えをめぐらす。
 裏では不協和音を奏でながらも、こうしてヴァンパイアのプリンセスと5代目ヴァン・ヘルシングとの共同戦線が開始された。

 ヴァネッサは、緊急の連絡先として携帯電話のナンバーを教えた。弥生の家を出た彼女は、独り自分の本拠へと帰っていく。
 といっても、それは氷堂家の目と鼻の先に停められたヴァンである。インターポールから借り出しているものだ。
 睡眠は奥に設置された簡易ベッドでとる。あくまでも仮眠にすぎないが、夜の種族を相手にするヴァンパイア・ハンターの宿命といえた。
 ヴァネッサはレトルトのシチューを皿にあけ、電子レンジで温める。決してまずくはない。だが、16才の美少女としては、あまりにもわびしい晩餐である。
 車内の液晶モニターには氷堂家の玄関が写し出されていた。ヴァンの天井に取りつけられた隠しカメラで撮影しているのだ。
 少し前に父親が帰ってくる姿が見えた。今頃は一家団らんで食事をしているのだろう。
 こんな生活には馴れっこのヴァネッサだが、すぐ目の前にある家の中でヴァンパイアがぬくぬく暮らしていると思うと不条理を感じずにはいられない。
 考えれば考えるほどヴァネッサは、悔しい気分になってきた。ヴァンパイアなんてジメジメした地下室に置かれた棺の中でカビだらけになって暮らすのが、お似合いなのよ。
 青灰色の瞳に冷たい光を宿らせキリリと歯を鳴らすのだった。

 その夜、弥生は久々にぐっすり寝た。ここ数日間の寝不足で疲れきっていたのだろう。ベッドで横になった途端に寝入ってしまった。
 夢も見ない深い深い眠り。次に目を開けると、もう朝になっていた。
 ああっ、よく眠り過ぎて、なんだか寝たっていう実感がないわ。
 時計を見れば、間違いなく7時間近くが経っている。頭も体もスッキリしていた。それなのに寝た気がしないってどういうこと?
 いやだわ。悪夢に馴れちゃって、熟睡が物足りなくなっちゃったのかしら。少々うんざりした気分で弥生はベッドから起き出す。
 ダイニングキッチンには相変わらず朝食というにはボリュームありすぎる料理が用意されていた。
 舌ビラメのムニエル、サイコロステーキ、生野菜のサラダに手づくりドレッシング、両目になったベーコンエッグ、鍋に入ったコーンポタージュ、バケットに詰められたロールパンとクロワッサン、その前には各種のジャム、マーマレード、ハチミツのビンが並んでいる。
 努力は認めるけど、日本の朝食はもっとシンプルなほうがいいわ。弥生は見ただけで胸ヤケがしてきた。
 食卓ではひと足早く起きた竜登が、おいしそうにムシャムシャやっている。朝っぱらから底無しの食欲だ。
 弥生は、なんだか自分が年寄りくさくなったような気がしてきて、ますます肩を落とす。結局、スープとパンで朝食をすませた。
 時計を見ると、もうギリギリの時間だ。あわてて家を飛び出そうとした弥生は、ハンカチを忘れていることに気づいた。見ると昨日取り込んだ洗濯物がたたまれた状態でサイドテーブルに積まれている。
 弥生は無意識に一番上にあったハンカチを取って登校したのだった。