D.V.
11.保健室に揺れる影
弥生の脳裏に舞衣先生の顔が浮かぶ。
恵は誰かに電話で呼び出された。しかし、警察が捜査した結果、恵が付き合っていた男は見つからなかったという。
もし、男ではなく、女だったとしたら。
舞衣先生から「誰にも言わずに出てきたらデートしてあげる」なんて電話を受けたら、恵はノコノコ出かけていくに違いない。
弥生の背筋に冷たい戦慄が走る。舞衣先生の優しげな笑顔の陰に、恐ろしい魔性が隠されていたのだろうか。
「理沙を助けに行かなくちゃ!」弥生が悲痛な叫びを上げる。
「弥生ちゃんは残りなさい。お友達はママが必ず助けてあげるから」
「そうよ。素人がついてきても足でまといなだけ」ヴァネッサが冷たく言い放つ。
「いやよ!ぜったい行く。それに学校の中は、私が一番詳しいんだから」
確かにその通りだ。ヴァネッサは言葉を呑む。
カミーユは別な理由で引き下がった。弥生の言葉に強い力を感じたのだ。心の底からの決意であれば、それを曲げさせることが簡単には出来ないことをカミーユは知っている。
三人はヴァネッサの運転するヴァンで学校を目指す。
「ねえ、あなた何才?無免許じゃないの」弥生は、ハンドルを握るヴァネッサを心配そうにのぞき込む。
「大丈夫!免許も身分証明書も、ちゃんと作ってあるから。それに大使館ナンバーだから、ちょっとやそっとじゃ止められないって」ヴァネッサは自身満々。
作ったって何よ。偽造ってこと?弥生はますます不安になった。
ヴァネッサの運転そのものは手慣れて危なげない。一路学園を目指し突っ走っていく。
車中で弥生は自分の推理をかいつまんで話し、車を学校の西側にまわすよう指示した。
東側の正門脇にある鉄扉は夜間でも開いている。しかし、目の前に警備員の詰め所があり、理由を説明して記名しなけば入れない。
今夜は西側に通用門を乗り越えるしかなかった。
通用門は2メートル半ほどの鉄格子になっている。普段は気にもしてないのだが、あらためて目の前にすると、そびえ立っているみたいに感じられた。
フウ、弥生は思わず溜め息をついた。
「行くわよ」本格的に日が暮れて、カミーユは絶好調だ。
ヒラリと身をひるがえして跳躍する。まるで重力から解き放たれたかのように宙を舞う。カミーユは軽々と門を跳び越えてしまった。
ヴァネッサは、まず大きなドクターズ・バッグを投げ込む。続いて鉄格子に飛びつくと身軽な動作でよじ登っていく。
弥生はポカンと口を開けて見とれていた。カミーユはともかく、ヴァネッサの敏捷な動きは予想外だった。
さすがはヴァンパイア・ハンター。ただのコスプレ娘じゃないわね。
遅れじと弥生も通用門に飛びつく。鉄格子にぶら下がったが、身体を持ち上げることができない。
足がかりになるものがないと無理だわ。弥生はジタバタと足を動かすがどうにもならない。
「あ〜ん、待ってよう」我ながら情けない声だ。これ幸いとばかりに置いて行かれるんじゃないか。不安が弥生の心をとらえる。
その時何かが弥生の右腕をつかんだ。見上げるとカミーユが門の上から手を伸ばしていた。
5センチほどしか幅のない門の上辺部に、人ならぬ者ゆえのバランス感覚でかがみこんでいる。
その感触はヒヤリと冷たい。カミーユと肌が触れ合うのは初めてだ。やっぱり人間じゃないという実感が身に迫ってくる。
弥生はカミーユの手首をグッと握り返す。カミーユの手に力がこもったかと思うと、弥生の体が持ち上げられていく。
「うわ」カミーユのパワーに圧倒されて弥生が呻き声をあげる。
そのまま弥生は門を越え、校内側へと下ろされていく。ようやく地に足が着いて弥生がホッと溜め息をついた。
目の前ではヴァネッサが両手を腰に当ててフンと鼻を鳴らす。顔に「やっぱり足手まといじゃない」と書いてあるようだ。
弥生は悔しさに唇をキュッと噛みしめた。確かに事実だから反論できない。
カミーユがスッとヴァネッサの眼前に立ちはだかる。ジロリとヴァネッサを睨んだ金色の瞳は、これまでにない妖気を放って輝いていた。
う、さすがのヴァネッサもカミーユの迫力に気おされて一歩退く。
「フン、のんびりしている時間はないわ。行くわよ」そのまま後ろを向くと校内を目指していく。
カミーユが弥生を振り返ってニコッと笑う。いつもの優しい顔つきに戻っている。
ヴァネッサは心臓がドキドキと大きく鼓動を打つのを感じていた。これまで幾度もヴァンパイアと対決してきたが、これほどの戦慄を感じたのは初めてだ。
さすがはヴァンパイアのプリンセス。見逃すことのできない相手だわ。
通用口は施錠されていたが、ヴァネッサはヘアピン一本で5秒もかからず鍵を外した。
「保健室はこっちよ」弥生が廊下を走る。幸いスニーカーなので足音がしなかった。
ヴァネッサは特殊ラバーを底に貼った靴で、これまた足音はない。
不思議なのはカミーユだ。ごく普通のハイヒールなのに鮮やかな走りっぷり。しかも靴音をさせないのだ。
どうやらカミーユとヴァネッサは、走る速度を落として弥生に合わせているらしい。ヴァネッサは、あからさまにじれったそうな顔をしている。
「そういえば、ジルベールが敵はもう一つの大きな建物に入っていったって言ってたわ」走りながらカミーユが話しかける。
ジルベールとは、カミーユが放ったコウモリ風な使い魔のことらしい。
「え、何」すでにイッパイイッパイの弥生は、カミーユの言うことが良く理解できない。「もう、これ以上混乱させないで。とにかく保健室を調べましょう」
弥生は走りながら声を荒げる。保健室の前に来ると、中から女の呻き声が漏れてきていた。
「理沙!」真っ青になった弥生があわてて保健室のドアを開ける。
「待って、用心しなければダメ!」カミーユが叫んだが、間に合わない。
弥生は無我夢中で保健室の中に飛び込んでいく。室内を見回すが誰もいなかった。
その時、休憩用ベッド・コーナーを仕切っているカーテンに人影が浮かび上がっているのに気づいた。怪しげに揺らめいている。
弥生は思い切って近づき、カーテンをパッと引く。さすがに、すぐさま後ずさるのを忘れなかった。
中の様子をのぞき込んだ三人の目が点になる。
そこには、あられもない下着姿の舞衣先生がいた。Dカップはある黒いブラジャーが悩ましい。
その奥で胸を隠す仕草をしているのは、弥生が名前を知らない生徒。たしか3年生だ。顔を真っ赤にしている。
「ひ、氷堂さん。こんなところでなにしてるの」舞衣先生は髪が乱れ、やはり顔が上気している。
「先生こそ、なにしてるんですか」弥生は目を吊り上げて詰め寄った。
理沙の姿はない。単に不純異性、じゃない、不純同性交遊に耽っていただけなのだろうか。
予想とはかなり違ったが、笑顔に隠された舞衣先生の魔性を見せつけられてしまった。弥生の背筋に冷たいサブイボが走る。
「先生、理沙のこと知ってます?」弥生は戸惑いながら尋ねた。
「理沙って、浅木さん?足の怪我を診てあげてから知らないわよ」
しまった。推理が外れたみたい。弥生は意気消沈。
「じゃあ、恵の事件も違うんだ」失意に弥生の声が小さくなる。
「フン、あのフタマタ女」
弥生は、ベッドの奥で3年生がボソッとつぶやくのを聞き逃さなかった。
「えっ、フタマタって」思わず弥生が聞き返す。
「恵って子、舞衣先生と亜美先生の両方に色目を使ってたのよ。そんなことするからバチが当たったのよ」女生徒はふてくされてムチャクチャ言う。
えっ、亜美先生?そういえば、さっき言ってた、もう一つの大きな建物って体育館のことかもしれない。
「保健室が怪しい!」弥生たちは体育館目指して駆け出していく。
後には、すっかりムードを壊されてボカンと口を開けているカップルが取り残されていた。
体育館への渡り廊下が見えてきたとき、カミーユはギャッと叫んで倒れこんだ。
グッと呻きながら上体を起こす。なんだか急激にパワーを失ったみたいだ。
「だ、大丈夫?」弥生が駆け寄る。
いよいよ敵を目前にしてどうしちゃたの!理沙のことを考えると弥生の焦りはつのるばかりだった。