D.V.
12.体育館の地下にて
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「ジルベールがやられたわ」カミーユが顔をしかめる。
 え、あのコウモリお化けが!でも、どうしてそれでカミーユが倒れるの?弥生は事態がのみこめず首をひねる。
「使い魔や式が討たれると、それを使役する術者も手ひどい痛手をこうむる。人間の霊能者てあれば命を落としかねないほどの」ヴァネッサは両手を組み、上体を反らせて自らの知識を披露する。
 小鼻をピクピクさせているのは、自慢するときのクセらしい。へー、そーなんだ。弥生は素直に感心する。
「下等な敵だと思っていたが、なかなかズル賢い」ヴァネッサの目つきはあくまで冷静そのもの。「使い魔の存在を逆用して我等をおびきだし、直前に使い魔を屠(ほふ)ってカミーユにダメージを与えるとは」
「大丈夫よ。私はヴァンパイアのプリンセス。これしきのこと、ビクともしない」言葉とはうらはらにカミーユは足元がふらついている。
 カミーユは深呼吸するかのような仕草を数回繰り返す。わずかではあるが、全身に力が戻ったように見えた。
 ほう、夜の精気を吸い込んて自らのパワーとしだか。ヴァネッサは冷徹に観察する。だが、全快にはほど遠い。
 これなら、うまい具合に奴ら両方を始末できるかもしれない。カミーユを倒させてから、吸血獣人を退治すれば良い。ヴァネッサは思わず浮かんでくる笑みを押さえ込む。
 体育館入口の錠は外されていた。罠と分かっていても理沙が人質に取られている以上、踏み込まざるをえない。
 内部の灯りといえば、2ケ所ある常夜灯と非常口の表示灯のみ。体育館のだだっぴろい空間。そのうす暗さが弥生の不安間をあおる。
「灯りは点けないほうがいい。警備員とか調べにきたら面倒だ」ヴァネッサがカバンから暗視ゴーグルを取り出しながら言った。
「誰もいないわ」カミーユがつぶやく。完全なる闇の中ですら視力を保つ能力を持っている。
 カミーユの視線が一点に釘付けになる。一番奥にある鉄扉だ。
「あの扉の奥から妖気が漏れ出している」いつの間にかカミーユの瞳が金色を帯びている。
 扉の奥は運動用具の倉庫だ。弥生はゴクリと喉を鳴らす。あからさまに誘い込もうとしている。理沙は無事だろうか。
「虎穴にいらずんば虎児を得ず。行くぞ」こんなことわざ、どこで覚えたのか。ヴァネッサが踏み出す。
 カミーユと弥生も続いた。
 ヴァネッサは、いよいよ扉が近づくと歩調をわずかに落としカミーユを先頭に立たせる。いざとなったらカミーユが敵の攻撃を真っ先に受けるようひそかに仕組んでいた。
 カミーユは、そっと中を覗き込む。小さな豆電球の常夜灯一つ。かなり薄暗いがカミーユには関係ない。
「ここにもいない。もっと奥よ」
 えっ、奥ってなに。弥生は戸惑いながらカミーユに従う。
 体育館の倉庫には、さらに奥の部屋などなかったはずである。
「あっ、開かずの扉が開いてる」カミーユの進む先を見た弥生が声をあげた。
 体育館の地下は倉庫になっている。当初、書庫として設計されたのだが、湿気がひどく書類がカビて破損してしまうため封鎖されと聞いていた。
 弥生は地下に通じる扉が開いているのを初めて見た。扉の中には地下へと向かう階段があるのみ、2畳もないスペースだ。
「これを使え」ヴァネッサはカバンから取り出した懐中電灯を弥生に渡す。「間違っても私に向けるなよ」
 ヴァネッサは釘をさすのを忘れない。敏感な暗視ゴーグルに直射光は禁物なのだ。
 カミーユが先頭に立ち気配を窺いながら降りていく。湿気を帯びたかび臭い空気が澱んでいる。
「フン、下等な奴らしい悪趣味な隠れ処だこと」カミーユは皮肉っぽくつぶやく。
 高貴なヴァンパイア族は、心地よく乾いた場所に柩を安置して休息するのが常。このようにジメジメした場所は大嫌いなのだ。
 地下に降りたつと臭気は、いっそうひどくなった。
「どうやら、ここが奴のカタコンベのようね」ヴァネッサが低い声で言う。
「えっ、アカンベがどうしたの」弥生がベタなボケをかます。
「アカンベじゃない!地下墓地。獲物にした人間の死体を隠してるってこと」
 弥生はギョッとして中を懐中電灯で照らす。
 ガイコツがゴロゴロしてるんじゃないかと思ったが、見あたらない。一角に崩れたスチール製の書棚が打ち捨てられているだけだ。
 弥生は気づかなかったが、カミーユとヴァネッサは床の異状を看破していた。
 打ちっぱなしのコンクリート床のあちらこちらに色の違う部分がある。どれも2メートル程の長さだ。
 いくら封鎖されているといっても、体育館の地下に死体を放置するのは、あまりにリスクが高い。
 床のコンクリを砕いて地中に死体を埋め、元に戻しているのだ。長年に渡って人間たちに気づかれず狩りを続けるためには、やむを得ない手間ということなのだろう。
 懐中電灯の光輪が、地下室の奥にたたずむ亜美先生をとらえた。一糸まとわぬ全裸。引き締まった体型にボリューム感のある乳房が突き出ている。
 先ほどの舞衣先生の下着姿といい、親衛隊が見たらヨダレを垂らしそうな場面の連続だ。
 その時、亜美先生の身体が膨張し始めた。しなやかさが失われゴツゴツした筋肉が盛り上がる。全身を硬そうな体毛が被っていく。
 骨格までが変形しているようだ。見る間に2メートルあまりの巨体と化していた。
 ここまでは弥生が理沙とビデオで見た狼男の変身と、さほど変わらない。
 大違いなのが頭部の変形だ。身体とは逆に毛髪が消え失せ、目は昆虫を連想させる黄色い複眼に変わり果てる。
 ガパリと開いた口が顔の下半分を占め、尖った牙がズラリと並んでいる。その口から、ニュルリと延びた赤黒い舌のような管状の器官がうごめいている。鋭く尖った先端部が開閉していた。
 噛みやぶった傷口に突き刺して血を吸い上げるための器官なのだろう。
 映画の狼男であれば獣をもしたデザインであるため、恐怖感はあっても人間の知識を超えたものではない。中にはブタ男なんじゃないかと思えてしまう笑えるデザインのものもある。
 しかし、眼前に立ちふさがる吸血獣人の姿は、既知の生物から逸脱したものだった。未知の存在ゆえの恐怖感が弥生に襲いかかる。
 とんでもない場所に踏み込んでしまった。だが、理沙を助け出すまでは逃げ出すわけにいかない。
 その理沙が獣人の背後に横たわっているのが見えた。
「理沙!」弥生が悲痛な声を絞り出す。
 懐中電灯の明かりでは理沙の状態を確かめられない。
「大丈夫。理沙ちゃんは無事よ」カミーユの視力は、理沙の胸が規則的に上下するのを見極めていた。見える範囲では傷を負わされている様子もない。
 どうやら気絶させられているだけだ。あくまで人質として扱っていたのだろう。
 役目が終わってしまえば、獣人にとって理沙を殺すことなど瞬きするほどの時間があればこと足りる。
 理沙を守るためには、攻撃を仕掛けて獣人に振り向く隙を与えないようにしなければならない。
 もともと力の勝負では獣人にかなわない。持ち前の敏捷さで勝機を呼び込むしかなかった。
 今の自分にどれほどのスピードが出せるだろうか。カミーユは痛手を被った直後で十分に回復していない。
 カミーユは、おぞましい獣人のきょくをにらんだ。やるしかない。カミーユには弥生と交わした約束がある。この身と引き換えにしても理沙を助け出す覚悟だった。
「私が引きつけている間に脇から回り込んで理沙ちゃんを助け出すのよ」カミーユが弥生に小声で伝える。
 無言でうなずき返した弥生は、カミーユの姿を横目で見やった。
 風もない地下室であるにも関わらず、プラチナブロンドの髪がザワザワとうごめいていた。瞳は金色を帯びてキラキラと輝き、白い肌に真っ赤な唇が映える。
 醜悪な姿で迫る吸血獣人とは究極のコントラストをなす妖しくも美しい闇の精霊である。
「シャアッ」鋭い声とともにカミーユは仕掛けていった。