D.V.
13.死闘の果て
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 いつしかカミーユの口には2本の牙が生えていた。長くしなやかな指の先には鋭い爪が尖り、凶器と化している。
 カミーユは、その爪を獣人に突き立てようとおどりかかる。だが、やはり本来の動きは発揮できない。身軽さに欠ける跳躍となってしまう。
 獣人は素早い動きで身をかわす。カミーユの爪は、わずかに獣人の脇腹をかすめただけだ。
 獣人の右脇腹に三筋の細い傷が走る。その傷口から緑色の体液がにじみでた。
 だが、見る間に傷は消えてしまった。ヴァンパイアの中でも生命力の強い吸血獣人は、並みはずれた再生能力を有している。
 獣人は蹴りを繰り出す。力まかせの雑な攻撃だったが、カミーユはかわしきれなかった。
 完全に蹴りが決まったわけでもないのに、カミーユの身体は後方に弾き飛ばされる。桁外れのパワーだった。
 カミーユは宙で身体を一回転させて着地しようとする。ズルリと足元がすべり体勢を崩してしまった。
 死体を埋めたあとのコンクリートが、まだ固まりきっていない場所だったのだ。
 すかさず獣人が仕掛ける。巨大な黒い爪がカミーユめがけて突き出していく。
 受ける体勢が間に合わないカミーユは横に転がってこれを避ける。なんとかかわして起き上がることができた。
 吸血獣人ごしに、身をかがめて理沙に歩み寄る弥生の姿が見えた。二人の安全を確保するまでは、攻撃の手を緩めるわけにいかない。
 気を取られたカミーユに一瞬の隙が生じる。獣人はこれを見逃さなかった。
 重みのある蹴りがカミーユの腹部に決まる。再びカミーユの身体が宙を舞う。
 今度は体勢を整えることもかなわなかった。地下室の壁に叩きつけられ、そのまま床に落ちていく。常人であれば即死してもおかしくない勢いだった。
「キャッ」弥生は意識を失ったまま横たわる理沙の傍らに達していた。そこでカミーユの惨状を目の当たりにし、思わず叫び声を上げてしまった。
 弥生の声に反応して獣人が振り向く。忌まわしい複眼をまともに見てしまった弥生が縮み上がる。
 獣人の口から伸びた不気味にうごめく真っ赤な器官が、獲物に飛びかかろうとする蛇の形を取る。
「ヒィッ」弥生は理沙をかばうようにおおいかぶさる。
 吸血獣人は鋭くとがった吸血器官の先端部を弥生の身体に打ち込もうと迫ってきた。
 思わず弥生は目をつむる。理沙を抱きしめる手に力がこもった。その時、何かがおおいかぶさってきた。
 弥生が目を開けると、カミーユがいた。ひんやりと冷たい身体。にもかかわらず弥生は自分の心が温かいものに満たされていくのを感じた。
 振り下ろされた獣人の器官がカミーユの背中に突き刺さる。
「グウッ」激痛にカミーユは顔をしかめた。
 傷口から赤い体液がほとばしる。
「キャッ。カミーユ、大丈夫」それを見た弥生が黄色い声をあげた。
 人間の血とは違う物なのかもしれない。だとしても弥生には吸血獣人の緑色をした体液よりも、はるかに親しみやすいものに感じられた。
 シャッ。カミーユは身をひねって手刀で背後をなぎはらう。鋭い爪は長く伸びた器官の先端を切り落とした。
「グエエッ」獣人はけたたましい雄叫びをあげる。
 切り落とされた先端部は、打ち上げられた魚のようにコンクリ床の上でピチピチはねまわる。
 一方、先っぽを失った獣人の吸血器官は見る間に再生していく。切口の部分からムクムクと盛り上がり、あっという間にとがった先端部まで完成してしまう。
 ヴァネッサは手を出さずに様子をうかがっていた。カミーユは、そのヴァネッサに金色の瞳を向ける。
「私のことはいいから、弥生ちゃんと理沙ちゃんを守って」カミーユの口調は、力強いがどこか哀しさを感じさせるものだった。
 ヴァネッサはドキリとして息を呑む。自分の企てを見透かされた気分になったのだ。
 ヴァネッサは動揺を隠せない。これまでヴァンパイアたち不死者どもは皆魂を持たぬ存在だと信じてきた。
 人間をエサとしてしか認識しない邪悪な者どもだと。弥生を守ろうとするカミーユの姿に、その信念が今揺らいでいた。
 カミーユは立ち上がり、吸血獣人と向き合う。使い魔を討たれ、傷を負い、かなり霊力を消耗してしまった。時間がかかればますます不利になる。
 恐ろしく強力な回復能力を持つバケモノではあるが、完全に不死身というわけではないだろう。
 その能力にも限りがあるはずだ。執拗にダメージを与えていけば、いずれは傷も再生しなくなる。こちらがそれまでもてばの話だ。
 カミーユは獣人のパンチをかわし、その腹部を爪でえぐった。
「グギャア」けたたましい咆哮が響き、傷口からドロドロした緑色の体液が吹き出す。
 だが、体液の流出はすぐに止まり、傷口もふさがってしまう。
 チッ。カミーユは舌打ちすると連続攻撃を仕掛ける。本来のスピードが出せれば、獣人にかなりのダメージを与えられただろう。
 しかし、今のカミーユの力では、ほとんどの攻撃を獣人にかわされてしまう。
 カミーユのあせりは隙を生み出す結果となった。
 スッと伸びた獣人の左手がカミーユの首をつかむ。その怪力にカミーユの身体が浮き上がる。
 そのまま獣人は突進し、カミーユを壁に押さえつける。
 カミーユの足は床から30センチ以上も離れてしまった。獣人の腕の筋を切断しようと、カミーユは必死で手を振り立てる。
 傷だらけになった吸血獣人の腕が緑色に染まっていく。だが、獣人は動じない。そのままカミーユの首ねっこをねじきる勢いで左手の力をこめていく。
 このままではカミーユがやられてしまう。その光景に弥生は意を決した。近くに落ちていた棒切れを拾い、両手で振りかぶって獣人の背後に迫る。
 それを見たヴァネッサは茫然とした。何やってるの、あの娘。そんなんで獣人と戦えるわけないじゃない。
 あきれかえる一方でヴァネッサには弥生の顔つきが輝いて見えた。先ほどのカミーユと同じ、必死に何かを守ろうとしている人間の気高さ。
 ヴァネッサは胸の奥からフツフツと熱いものが湧きあがってふるのを感じた。
 弥生は獣人の後頭部に渾身の力をこめて一撃を加えた。が、獣人がダメージを受けたようには見えなかった。
 獣人は左手でカミーユの首を押さえたまま、身体をひねって弥生に掴みかかろうとする。
 その時、地下室に銃声が谺した。ヴァネッサが銃を撃ったのである。
 ヴァネッサの脳裏からカミーユを倒すという企みは消し飛んでいた。これ以上カミーユたちを傷つけさせない。その想いだけに突き動かされていた。
 装填されているのは聖水で清められた銀の弾丸。ヴァネッサはたて続けに引き金をしぼり、全弾を吸血獣人に叩き込む。
 最後の一発は獣人の眉間を撃ち抜いた。
 獣人は弾丸の勢いで後方へと弾き飛ばされた。コンクリートの床に地響きをあげて背中から倒れ込む。
 獣人の手をふりほどいたカミーユは壁によりかかって喘いでいる。
 だが、獣人は息絶えてはいなかった。複眼をギラギラさせながら、ムクリと起き上がる。
 傷口からは緑色の体液が大量に溢れ出していた。さしもの獣人も銀の弾丸で負った傷は、されほど容易に治癒できないようだ。
 ヴァネッサは傍らのドクターズ・バッグをさぐり、一本の剣を取り出す。
「カミーユ、これを!」ヴァネッサは剣を放り投げた。
 剣は回転しながら弧を描いて宙を舞う。つばの部分がやけに長い。十字架を模して作られた銀の聖剣である。
 ヴァンパイアであるカミーユに扱えるかヴァネッサにも分からない。だが、銀の弾丸を撃ち尽くしてしまった今、獣人の近くにいるカミーユの力に賭けるしかないのだ。
 カミーユは右手で剣を受け止めると、ノロノロとした動作で向かってくる獣人めがけてジャンプする。
 凄絶(せいぜつ)な表情で振りかぶった剣を獣人の首筋めがけて一気に振りおろした。薄暗い地下室の闇を切り裂いて銀色の輝きが走る。
 聖剣は獣人の首を見事に断ち切った。緑色の飛沫とともに獣人の首が飛ぶ。巨体はそのまま前のめりに倒れ込んだ。
 床に転がった首は切口を下にして止まった。まるでコンクリートに首まで埋められているように見える。少しの間、獣人は口から飛び出た吸血器官をくねらせていたが、それもやがて止まった。
 黄色い複眼も生気を失い、ドンヨリと暗く濁っていく。圧倒的な生命力を誇った吸血獣人もついに滅び去ったのである。