最初に知覚したのは・・・・自分の身の回りの状況。
窮屈な場所、薄汚れた毛布越しに身に染みる寒気が押し寄せる。
固いコンクリートの上で横になって為、背中が痛む。
不意に人の気配を感じる。
そう思う間も無く、肩を揺さぶられる。
「・・・おいクラウゼ、朝だぞ起きろよ」
「・・・・ああ、もう朝か・・・」
目をあけて毛布を剥ぎ取りながら、身を起す。
爆撃か砲撃で破壊された建造物の地下室・・・そこがねぐらだ。
目の前には相棒のアイン・ナッシュが立っていた。
すでに準備は整っているらしく、スチールヘルメットを被って背中にはKar98kが回されている。
「今日の猟場はどうするんだ?」
「飯を食ってから考えるさ・・・」
「どうした?いい夢でも見られたのか・・・?」
何を言っているのか解らなかったので尋ねた。
「なんで?」
「お前・・・笑ってたぞ?」
「そうか・・・?」
確かに夢は見ていた・・・だが、内容は思い出せない。
だが、とても心地の良い夢だったのは確かだ。
「いい夢だった・・・と思う」
「そうかい、ここでそんな良い夢が見れるとは・・・良いねお前は」
荷物を担ぎながら、外に這い出る。
そこは一面、廃墟が連なっていた。
道は破壊され、建物は崩れ落ち、木々は枯れている。
ある意味、地獄といっても過言では無い。
そんな所に雪が舞い始めた。
「こりゃ積もるかな・・・まいったね」
「・・・・・」
相棒の言葉を聞きながら、手のひらに落ちて消えていく雪を眺める。
ここはスターリングラード、畜生共も逃げ出す地獄。
この地で戦うのは人間のみ。
彼・・・・クラウゼ・V・“エアハルト”の戦場だ。
1942年の夏季攻勢「ブラウ(青)」作戦。
9月、フリードリッヒ・パウルス大将指揮下の第6軍は要衝であるスターリングラード攻略に取り掛かっていた。
8月23〜24日の未明にかけて行われた大規模な空爆を受けた為、郊外のほとんどは焼け野原となり、市街に残っているのは石造りの建物と大きな工場だけだ。
ヴォルガ川を挟んで対峙するドイツ・ソ連両軍にとってこの場所は正念場であった。
クラウゼは規格帽を被るとフード付きの灰色の外套に身を纏い、戸口に立て掛けてあったKar98k ZFを手に取った。
銃の作りはKar98kと変りが無いが、スコープが取り付けられた狙撃銃だ。
クラウゼはこの銃に6倍率のスコープを取り付けている。
「おい、今日はあの坊主は連れて行かないのか?」
「坊主?・・・ああ、セイのことか・・・今日は休ませてやろう思う」
「そうか・・・荷物を運んでもらおうかと思ったんだが・・・ところで、あいつは何歳なんだ?」
「18だと聞いている・・・・志願兵だそうだ」
朝食を食べたあと、二人はクラウゼが連れている志願兵の話をした。
その志願兵の歳を聞いて、ナッシュは驚いた顔をした。
「18だあ〜?まだガキじゃないか・・・なんでまた・・・?」
「知らん・・・聞いてないからな・・・名前はセイ・W・ヴァレリウス・・・母親はヤパニッシュ(日本人)らしい・・・・」
「どおりで・・・変な名前だと思った・・・親父の方は?」
「ドイツ人だろ?・・・親衛隊っていってたが・・・・どこの部隊かは知らない」
瓦礫を避けながら、二人は今日の“猟場”を目指した。
彼らは第4装甲軍・第94歩兵師団・第2連隊・第1歩兵大隊所属の狙撃グループに所属している。
このグループは22名以上で編成されており、通常6名が大隊司令部の指揮下に入り残りは各中隊に配備されている。
この二人の場合、クラウゼが狙撃しナッシュは周囲の状況を観察する役割を持つ。
「そろそろ、警戒した方が良いな・・・・」
「ああ、解っている」
二人とも銃を構えると、腰を低くして遮蔽物から遮蔽物へと素早く移動しながら隠れる場所を探した。
戦闘騒音が遠くから響き、銃声が散発的に聞こえてくる。
「狙撃兵に注意しろよ」
「誰に言ってるんだ、誰に?・・・・おい、あそこが良くないか?」
ナッシュはそう言いながら、前方にある空爆で破壊された三階建ての住宅を指差した。
クラウゼは頷くと、銃を構えてその建物を観察した。
三分後、クラウゼは銃を降ろした。
「・・・・敵の狙撃兵はいないみたいだな」
「よし・・・じゃあ行くか」
「待ってくれ」
そう言いながらクラウゼは狙撃銃を背中に回すと、左の腰につけたホルスターからワルサーP38を抜いた。
本来なら、弾薬パウチが装着されている部分だがクラウゼはその予備弾が入ったパウチを右側だけにつけている。
接近戦になった時、対処できなくなるからだ。
以前の戦闘で、廃屋でいきなり出くわした赤軍兵士との戦闘での教訓だ。
「準備良し・・・いくか」
「了解」
クラウゼが最初に遮蔽物を出て、住宅を目指す。
ナッシュは遮蔽物の影でライフルを構えて援護の体勢を取っている。
住宅の入り口までくると、拳銃を構えて一つ一つの部屋を捜索して敵がいないことを確認する。
二人で全ての部屋を確認すると、爆弾で崩れた3階の一室にやって来た。
クラウゼは羽織っている外套のフードを被ると、外の通りが見渡せる所で伏射の姿勢を取った。
その横ではスチールヘルメットを脱いだナッシュが同じように伏せると、双眼鏡を取り出した。
「今日は何人始末できるかな・・・」
「・・・・昨日は3人、その前が7人だ・・・・・運次第だ・・・」
「早く本国に帰りたいよ・・・・ここは寒すぎる・・・」
「ああ・・・」
それ以降、二人の会話は途切れ辺りに響くのは遠くで炸裂する砲弾の落ちる音だけ。
数時間後、大通りを5人の赤軍兵士が歩いてきた。
全員、クラウゼ達と同じく薄汚れた服を着ている。
「来た・・・イワンだ」
「言われないでも解る・・・・」
ナッシュの言葉に軽く返すとクラウゼは先頭を歩く赤軍兵士に狙いを着け始めた。
「距離は・・・170mくらいか?」
その問いには答えず、クラウゼは引き金を引いた。
先頭を歩いていた兵士は何が起こったか理解できぬまま、瓦礫の中に崩れ落ちていった。
クラウゼはボルトを操作しながら言った。
「・・・・175mだ」
言いながらもボルトを操作して次弾を送り込む。
敵は一瞬何が起こったのか理解できていなかったようだが、慌てて遮蔽物の影に入ろうとする。
こちらに向けて背を向けていた兵士に、躊躇無く銃弾を発射する。
ヨロヨロと歩いたかと思うと、そいつはドサッと地面に倒れ込んだ。
「士官がいない・・・・下士官に指揮されている偵察部隊だな」
「MGが欲しいな・・・あれならすぐに一掃出来るのに」
「それは俺達の仕事じゃないぞ・・・・」
相手はデタラメに銃弾を撒き散らしている。
銃を撃つ為に出ていた腕に目掛けて、クラウゼは引き金を引く。
腕を撃たれ、遮蔽物の影からその兵士が転がり出てくる。
その兵士を助け出す為に、別の兵士が走り出してきた。
「・・・・バカが・・・」
走り出てきた兵士の眉間に銃弾を送り込み、茫然としている腕を撃たれた兵士にも止めを刺しながらクラウゼは呟いた。
銃弾が無くなったので、パウチから出したクリップを挿入して再び構える。
最後の一人は、ちょうど死角となる部分に隠れている。
「持久戦か・・・・」
「いや・・・・すぐに終わる・・・」
4人の死体が大通りに残り、遠くで砲弾の落ちる音が響き渡る。
すると突然、大きな悲鳴を発して死角に入っていた最後の一人が銃を投げ出して飛び出してきた。
砲声といつ狙撃されるか解らないこの状況で恐怖がピークに達したのだ。
「ほらな・・・」
クラウゼはそう言うとゆっくりと引き金を引いた。
最後の兵士も倒れ、死体は五つに増えた。