クラウゼとナッシュは場所を変えて、さらに獲物を待ったが敵は現れなかった。
そうこうしている内に、日も暮れてきた。
クラウゼが銃を構える横で、ナッシュはあくびをかみ殺しながら言った。
「今日はもうこないな・・・・どうする?引き返すか?」
「・・・俺は残るよ・・・明日の朝まで待ってみようと思う」
「それじゃあ、俺も残るか・・・そう言えば飯を持ってきてないな・・・取ってくるか?」
クラウゼはあきれたというような顔をした。
「お前は・・・・食うことばかりだな」
「飯ぐらいは食っときたいさ・・・お前の分も取って来るよ」
「解った・・・気をつけろよ」
ナッシュは手だけ振って答えた。
彼が出て行くと、辺りは静けさに包まれた。
既に砲撃もやんでおり、ただ静かに小雪が舞うだけだった。
これで町が廃墟でなかったら、それなりにロマンチックな光景だったのかもしれないが、この状態では虚しいだけだった。
「何で俺はここに居るんだろう・・・」
当然ながら、答えが返ってくるわけではない。
どれ位経ったのか、雪はやみ日は完全に落ちようとしていた。
そこに音が聞こえてきた。
顔をあげ、空を見上げるとそこには・・・2機の戦闘機が日も暮れた空を舞っていた。
一機は友軍のBf109メッサーシュミット。
今空を舞っているのはBf109E型でエミールと言う愛称がついている。
ドイツ空軍を象徴する単座戦闘迎撃機だ。
もう一機はソ連軍の最新鋭機Mig-3であった。
最新鋭機といってもMig-1の改良機種である。
エンジン出力の増加、キャノピーのスライド式への変更など操縦性が若干改良されただけである。
お互いの背後に回り込もうと乱舞する動きは、美しい物であった。
クラウゼがその光景に見とれていると、Bf109がMig-3の背面に回り込み機関銃の斉射を見舞った。
どうやら着弾したようで、Mig-3から黒い煙が噴出しているのが解った。
機体はそのまま、体勢を崩しながら地面にゆっくりと落ちてくる。
Bf109のパイロットは墜落を確認するでもなく、その場から飛び去っていった。
クラウゼはそのまま、落ちて行くMig-3を見ていたが・・・・・・それがこちらに向かって落ちている事を悟ると顔がサッと青くなった。
慌てて銃と荷物を掴むと廃墟から飛び出した。
そうする間もMig-3は黒煙を纏いながら墜落してくる。
「ちくしょう!!」
クラウゼは悪態をつくと瓦礫の山の影に飛び込んだ。
Mig-3は先程までクラウゼが潜んでいた場所に突っ込み、大きく反転しながら地面に衝突した。
地面に落ちても、勢いは止まらずにそのまま地面を滑るようにして突き進んだ。
Mig-3は崩れかけの建物の壁にぶつかり、ようやく止まった。
クラウゼは落ちてきたコンクリートの破片などを払いのけながら、ゆっくりと立ち上がって墜落したMig-3を見た。
機首は壁にのめり込み、翼は両翼とも折れていて、その折れた翼はクラウゼが潜んでいた部屋に突き刺さっている。
煙は上げているが、爆発の気配はなかった。
P−38をホルスターから抜き出すと、クラウゼはゆっくりと機体の方に歩み寄った。
敵のパイロットが生きているかもしれないし、可能性は低いが何か重要な書類かなにかを持っているかもしれないと考えたからだ。
もしパイロットが生きていて捕虜に出来れば、それに越した事はない。
だが、抵抗すれば・・・殺すつもりだ。
クラウゼは慎重に、油断無く銃を構えてキャノピーの方に向かう。
ひび割れたキャノピー越しに、パイロットの姿が見える。
項垂れている事から、気を失っていると推測できた。
変形したキャノピーを強引に押し開け、銃を相手に向けながら様子を窺う。
「・・・・子供か・・・・こんな子供まで・・・うん?」
最初、狭いコックピットに収まっているのは子供に見えた。
だが、よく見てみれば何かがおかしい・・・クラウゼはその理由がしばらくの間はわからなかった。
疑問を持ちつつも、好奇心から相手の顔を見てみたいと思ったクラウゼはヘッドギアとゴーグルを取り去り・・・・固まった。
「お、女?」
金髪で青い瞳、整った顔立ちだがどこか子供っぽさを残す・・・そんな感じの女の顔があった。
美人である事に違いは無いが、背は低い。
クラウゼは自分が感じた疑問は、例え子供でも男にあるはずが無い胸の膨らみにあったことに気が付いた。
「何で女がパイロットなんか・・・・あっ!」
そこでようやく、クラウゼは思い出した。
女だけで編成される航空部隊のことを・・・
当時のソビエト赤軍空軍では、女性が戦闘任務について戦場でパイロットとして闘っている。
1000人以上の女性が男性と同じように、部隊の一員として闘い、そして散っていった。
また女性メンバーのみで編成された部隊を結成し、勇敢に母国のための戦闘に勇ましく向かっていったのである。
スターリングラードの白バラと呼ばれた「リリア・リトビャック」は12機の敵機を撃墜し、「カティア・ブダノバ」は10機のドイツ機を屠ったが、両者とも戦闘の最中に戦死した。
また旧ソ連の女性パイロットは、危険な夜間飛行も慣行する。
『夜の魔女』とあだ名された彼女たちは、のべ2万4000回もの飛行をし、戦争中、ソ連の英雄として表彰された。
「・・・・『夜の魔女』か・・・」
クラウゼはしばしの間、途方にくれてしまった。
噂には聞いていたが、まさか自分の目で夜の魔女を見るとは夢にも思っていなかったのだ。
それ以前に、女性が戦っている事がクラウゼにはショックだった。
そこにぱらぱらと崩れかけの壁から小石が落ちてきた。
激突のショックでかなり壁が脆くなっているのだ。
「やば・・・」
クラウゼはシートベルトをナイフで切断して、その女をコックピットから引きずりおろした。
このままでは壁に押しつぶされて死んでしまうからだ。
クラウゼは少し離れた家屋の中に女パイロットは担ぎこんだ。
次の瞬間、戦闘機が突き刺さっていた壁は崩れ去った。
大きな破片がコックピットを直撃し、ガラスが割れる音が響く
あのままあそこに放置しておけば、確実に押しつぶされていた事だろう。
「ふう・・・とりあえず、命拾いしたか・・・」
クラウゼは汗を拭うと、壁に寄りかかっている女パイロットを見た。
どこからどう見ても女性・・・それも美人だった。
ふと、腰の部分にリボルバーが入ったホルスターがあることに気が付いた。
クラウゼはスッとホルスターからリボルバーを抜き、背嚢に入れた。
よく見れば右腕の上腕部に怪我を負っている。
おそらく、墜落の衝撃か銃撃で負った怪我なのだろう。
袖の部分を手でちぎって、消毒済みの包帯を巻いてやる。
他に怪我が無いか見てみたが、これといった外傷は見当たらなかった。
一応、やる事が無くなったクラウゼは女がもたれている右側に回り、座り込んだ。
「どうするよ・・・俺・・・」
クラウゼはポツリと、呟いた。
飯を取りに行ったナッシュも戻ってこない。
大隊にいこうにもパイロットは気絶したまま。
背負っていって、途中で敵に遭遇したら目も当てられない。
「待つしかないか・・・」
この時、クラウゼが所属する部隊はソ連軍の攻撃をうけていてナッシュは戦闘の真っ只中にいたのだ。
この為にクラウゼは一人だけ、孤立していたのだ。
その為に彼は来るにこれないナッシュを待つことになったのだ。
「うっ・・・」
完全に日も落ちた頃、女パイロットは呻き声を漏らした。
クラウゼは船を漕いでいたが、すぐに意識を覚醒させてサッと身をひいた。
意識が戻ったパイロットは虚ろな瞳で天井を見上げた。
「ここは・・・・・どこ?」
クラウゼは声を掛けようとしたが、いきなりドイツ語で話し掛けたらパニックになると思いロシア語で声をかけた。
声を掛ける以前に服装と装備を見ればドイツ兵であることはすぐにわかるのだが・・・
彼は訛りがあるが、それでも十分に通じるぐらいは話せた。
「気が付いたか?」
女はびっくりしたようだが、ゆっくりと首を回してクラウゼを見た。
そこでクラウゼはおやっと思った。
彼女はやはり虚ろな瞳のままで、クラウゼを見ていない。
「だれ?・・・誰かいるの?」
彼女はゆっくりと右腕を上げて、何かを探すように動かそうとした。
「痛ッ・・・」
「右腕は動かさない方がいい、怪我をしてる・・・」
クラウゼはそっと肩に手を置いた。
一瞬、体を強張らせたが自由に動く左手で肩に置かれた手に触れた。
そして、体を小刻みに震わせながら言った。
「わ、わたし・・・目が・・・目が見えない・・・」
「墜落のショックか・・・」
クラウゼはそう言うと、手を彼女の目の前で振った。
だが、まったく何の反応も見せなかった。
クラウゼはため息をついた。
「・・・・軍医に見せなきゃいけないな・・・・名前は何て言うんだい?」
彼女は躊躇いがちに言った。
この話し掛けてくる男は何者だろうと考えているのだろう。
「エリザヴェータ・・・・エリザヴェータ・ルビンスカヤ・・・・」
「エリザヴェータ・ルビンスカヤ・・・・いい名前だね」
クラウゼは心からそう言った。
これがクラウゼ・V・“エアハルト”とエリザヴェータ・“ルビンスカヤ”の出会いであった。