『マディック家のお引越し』作:ミッキー 原案:朽木&M−鈴木

2026年10月6日午前9時

 「しかし、手続きなど細かいことが色々残っていまして・・・」
 「なあ。いいじゃないか、そんな細かいことは。それに、守護天使小隊の面々はもう引越したって聞いたぞ」
 ブラッドハウンドの総務にて、マディック・ウォン・ヴァレリウス大尉は交渉中だった。再建なった士官宿舎に、早い所引っ越しさせてくれ。家族一緒の部屋に入れさせてくれ、という交渉だ。現在ブラッドハウンドは、士官ですら相部屋という、実にせせこましい暮らしを送っている。兵士ともなると、一室に8人も押し込まれることすらあるくらいだ。
 
 それもこれも、クリタの侵攻軍が5月にパエトン基地に攻め込んできたからである。倍する戦力を撃退したのはいいが、基地の施設に多大な損害を受け、大人の事情で再建ができなかったのだ。
 しかし、最近になって状況は変わった。
 一月ほど前に行われた天使降臨作戦よって、トットリ基地から大量の建設資材を得ることができたからだ。これによって工事は急速に進んでいる。
 その中でも、士官宿舎は真っ先に完成した。しかし、なぜか、引越しは未だに行われていない。守護天使小隊を除いては、だ。
 
 「なあ、頼むよ。いつまで別居状態を続けるんだってユミナが怒るんだ。セイも一緒に暮らしたいって駄々こねるし・・・」
 マディックは、昨夜のユミナを思い出した。婉然とした笑みをしたまま、深く静かに怒っていた。彼女は、怒ると恐いのだ。しかも、強い。
 小さい頃、度胸試しにユミナの働いていた神社に忍び込んで賽銭泥棒をした時には、仲間共々ナギナタであっさり転倒させられてつかまり、逆さ吊りにされてしまった。その時、マディック達6人は7歳。ユミナは11歳だったろうか?
 宗教組織は、世俗の権力から支配されないかわり、守ってももらえない。そのために、自衛戦力を持っている。僧兵、戦巫女、神官戦士・・・呼び方は様々だが、その実力は侮り難い。武術を教えることを主な収入源にしているところもあるくらいだ。そうやって有力者一族にコネを作り、より強大な権勢を振るう宗教組織もある。
 そしてユミナは、まさしく戦巫女と呼ぶにふさわしい実力を持っている。裏切り者の親族として、当局から追求されたはずのユミナが、幼いセイを連れてカウツVまでたどり着けたのも、それが大きいだろう。ユミナは、黙して語らないが・・・ 
 
 「なあ、頼むよ!!」
 マディックの切実な様子に何かを感じ取ったのか、事務員はため息を一つ吐くと書類を1枚引っ張り出した。
 「これに必要事項の記入を。それと、無理をいって早く引っ越しをするんですから、後でいざこざがないように、一筆書いて貰います。いいですね?」
 「おお! わかってくれたか! ありがとう!」
 マディックは、大喜びで書類を書いた。そして・・・
 
10月6日1時30分

 パエトン基地内にある士官用隊舎の修理は完了していた。4階建てのフェロクリート製で5月の戦闘の痕跡はほとんど目立たず、落ち着いた色のペンキを塗られたその姿は、実にオシャレだ。
 入り口に取り付けられている警備装置もしっかりしたもので、あとは歩哨が二人もたてば完璧だろう。まだ、正式に引っ越しが開始されていないために誰も立っていないのが惜しまれる。
 この警備装置については、マディックが進言して取り付けてもらったものだ。総務の者達は、予算が足りないのがどうのこうのといっていたが、強引に押しとおした。士官達は暗殺の対象になり易い。寝る時くらい安心できないでどうすると言うのだ。プロの傭兵の常として、安全には気を配らねばならない。早く入りたいと言うセイとユミナをなだめ、引越しの大荷物を持ったまま士官宿舎の周りを一周する。
 「うむ。完璧である!」
 マディックは、一人で納得するとようやく士官宿舎の中に入る事にした。

  しかし、大喜びで引っ越し荷物を持って士官宿舎に入ったマディックの目にしたものは・・・

1:カーテンがない
2:湯沸かし器がない
3:下駄箱がない
4:掃除用具がいっさい無い
5:ベッドがない
6:服を入れるロッカーがない
7:イス・テーブルがない
8:通信ターミナル(電話やテレビ、パソコンまで一通りのことがこなせる端末)がない
9:個室にシャワールームがない(大浴場はちゃんとある)

 と、何から何までない物づくしの士官宿舎だったのである。

 隊員宿舎という物は普通の会社で言う社員寮に近い物で、通常は日常生活に必要な物はほぼ完備されている。それが士官宿舎ともなると、内装を含め、その備品はかなり高級なものとなる。破壊工作員が忍び込んだりするのに対しての備えもばっちりになるのが普通だ。まあ、将校用なのだからそれも当然といえば当然である。

 しかし、何もない。
 呆然と、マディックは立ちすくんだ。
 あの事務員を締め上げ、これ以上年を取らなくて済むようにしてやりたい衝動に駆られる。

 「マディック・・・説明してくれるわね?」 

 ギギィ・・・と、油の切れたブリキ人形みたいな音を立ててマディックは振り向いた。そこには、にっこり笑いながら怒りのオーラを背負っているユミナと、普通の士官宿舎というものの常識を知らずに事態を把握していないセイがいた。
 「い、いや、だからこれは・・・俺も知らなくって・・・」
 「どうやってこんな所で暮らすのかしら・・・?」
 「い、いや、だからその・・・」
 マディックは、じりじりとあとずさった。ユミナのそばには、薙刀が有る。まずい。このままでは絶対にまずい!
 マディックは、さらに後ずさって廊下にまで出た。と、そのとき、背後にあったドアが開いた。
 「あら? なんだか騒がしいと思いましたらセイちゃんにマディック大尉? どうしたんですの?」
 「あ、ああ、マルガレーテ中尉!? いや、その、こちらに引っ越してきたんですよ。はっはっはっは。これから宜しくお願いします」
 マディックは、ほっとして振り返った。天の助けとはこの事だ。少し不安もある助けだが、ユミナも人目がある以上無茶なことはしないだろう。
 「あら、マルガレーテ中尉。マディックとセイがいつもお世話になっています。今日からこちらで家族一緒に暮らすことになりました。宜しくお願いしますね」
 ユミナが、丁寧に挨拶する。セイもぺこりと頭を下げた。
 「今、お茶をしていた所なんですの。ごいっしょにいかがですか?」
 マルガレーテが自分の部屋へと誘った。マディックは、この場を何とかしたくて、ともかくも招待を受けた。マルガレーテの部屋に入る。
 入った瞬間に、マディックは後悔した。
 マルガレーテの部屋には、当然の事ながら守護天使小隊の面々がそろっていた。だが、それはまあいい。問題なのは別のことだ。その部屋の中は、これでもか! これでもか! というくらい、豪華な家具が溢れていた。ふかふかの絨毯、かわいらしいリボンがあちこちにあしらわれたピンク色のカーテン、壁にはタペストリー、白木の箪笥と収納棚、ダブルサイズの天蓋付きベッド。お茶をしているテーブルは、見事な彫刻の施された手彫りのもののように見える。
 自分達が割り振られた部屋とは、エライ違いだ。
 「まあ、ステキな部屋ですわね。こちらの絨毯は(中略)本当にステキですこと」
 お茶をしながら、ユミナが、部屋を、調度を誉める。マルガレーテは、誉められて悪い気はしないのだろう、調子良く会話に乗っていた。そして、決定的な返答とがマルガレーテからなされた。
 「ええ。そうですわ。家具は全部自前ですの。まだ手続きなどの細かいことが終わってなくて、家具も入っていない、それでもいいかと聞かれたのですけど、私達は関係ないですものね? 家具なんて、自分で用意すればいいだけですもの」
 「・・・・・」
 そういえば、書類を書いてる時になにかそんな事を言われたような気もする。いやそれより・・・警備装置を高級なものにするよう押し通した時の反論のひとつが・・・たしか、『それでは調度にまわす予算が無くなります!』というものだった様な気が。ということは、俺のせいなのだろうか!?
 「まあ、そうなんですの。マディック、貴方も、それは承知で準備したんですのよね?」
 ユミナが、有無を言わせぬ調子で聞いてきた。もっとも、笑顔でカモフラージュされているので、わかるのはマディックにだけだろう。
 「あ、ああ。ちょっと、家具屋さんが遅れてるみたいで、まだ届いていないんだ。いまから、ちょっと急っついてくるよ(汗)」
 マディックは、部屋を出るまで何気ないふうを装い、ドアを閉めたとたんにダッシュでリュキアの町に向かった。家具屋を脅すも同然にして必要なものを即座に用意させ、運送業者に倍額を払って緊急輸送させる。今夜までにあの部屋に一通りの家具を入れなければ、ユミナにどんな目に合わされるかわかったものではない。
 「・・・・・この前のボーナスが吹き飛んだな・・・」
 マディックは、残高が随分減ってしまったコムスター銀行の通帳を見ながらため息を吐いた。

 その夜。
 うっかり毛布とベッドを買うことを忘れていたマディックは、2年ほどしけった倉庫に保管されていた毛布8枚の交付を受け、それをタイルの上にひいて寝床を作るはめになった。当然ながらユミナは怒り・・・
 機嫌を取るため、朝までみっちりユミナにサービスすることになった。何をサービスしたかって? 子供は知らなくていい事である。

 翌朝。

 「おはよう、マディック」
 お肌をものすごくつやつやさせたユミナが、にこやかに微笑んで朝の挨拶をした。一方マディックは・・・頬がげっそりこけ、精も根も尽き果てたという様子だ。 
 「空が黄色い・・・」
 マディックは一言つぶやくと、毛布の上に突っ伏した。今日は、一日足腰たたなそうだった。