『カーティス准尉の平凡な毎日 そのA』 作:緑の雑魚 戻る  トップへ

 『ユミナ・ウォン・ヴァレリウスの場合』後編   前編へ

その日の午後…。
マディック・ウォン・ヴァレリウス大尉は、メックの整備状況を確認するためにメックハンガーへと来ていた。
そして、愛機であるブラッドハウンドのチェックを行っていたその時である。
ふと、整備員達の話し声が聞こえてきた。

「なあ、お前聞いたか?」
「何がだ?」
「カーティス准尉の事だよ…!」
「ああ、カーティス准尉の例のアレ、か?」
「そうそう…。」
「………。」

耳に入ってきた人名にマデック大尉は思わず渋い顔をしてしまった。
カーティス准尉といえば、女たらしとしてBH隊で何かと問題になっている新入隊員である。
マディック大尉自身としてはあまり好印象をもっている相手ではないが、だからと言って噂にあるような女たらしというイメージはもっていなかった。
それゆえ、整備員達の話は無視して機体のチェックを続けていたのだが彼の研ぎ澄まされた聴覚は正確にある単語を拾い上げてしまった。

「それがさあ、アイツ今度はユミナさんにまで手を出したらしいぜ…。」
「ええっ、マジかよ!」
「しっ、声が大きい…! マジ、らしい。二人で逢引しているのを見た奴が居るってよ。」
「おいおい、やばいよそれ…。マディック大尉が知ったら…。」
「マディック大尉が知ったら何だというのだ…?」

突然割り込んできた声に、二人の整備員はぎょっとして振り替えり…、そして絶句する。

「噂をすれば影とは、古代の諺だが…。意外に当たるものだな。」

そう、整備員達の話を聞きつけたマディック大尉その人が居たのである。

「さて…。詳しい話を聞かせてもらおうか…?」

鬼気迫る迫力のマディック大尉の言葉に、二人の整備員はがくがくと震えながら何度もうなずいていた。

それからしばらくして…。
噂話の全てを聞いたマディック大尉は静かにメックハンガーから出て行った。
凄絶な殺気をまとって。

「はぁ…。殺されるかと思った…。」
「…これは、やりすぎたか?」
「う〜ん、まあそもそもカーティス准尉が悪いんだし…。」

マディック大尉のあまりの殺気に、完璧に腰が抜けてしまった二人の整備員は自分達がした事を今更ながらに後悔しはじめていた。
そう、この二人はわざとマディック大尉に聞こえるように話していたのである。
結果としては彼らの企みは見事に成功したのだが、二人は後味の悪さを隠せずに居た…。

メックハンガーから、出てきたマディック大尉は難しい顔をしながら通路を歩いていた。
時々、他の隊員たちがマディック大尉の横を通り過ぎていくが、皆ぎょっとして去っていく。
普段からあまり愛想が良いほうではないマディック大尉だが、今は不機嫌そのものの顔の上、殺気まで撒き散らしているのである。
こんな姿を何も知らない人間だったら、逃げ出してしまいそうなほどの威圧感だった。

(一体、何があったんだろう…。)

そんな周囲の疑問をよそに、マディック大尉はただひたすらに己の考えの中に埋没していた。

(確かに、このごろユミナは朝早く起きると、何も言わずにどこかへといってしまう…。
てっきり禊か何か、昔からの習慣だろうと思っていたが…。)

ぶつぶつ言いながらマディック大尉は、段々自分の想像が笑えない事になってきている事に気づいてしまった。

(い、いや、しかし、まさか、ユミナに限ってそういう事は…。待てよ、限ってという時に限って起こって欲しくない事が起きるという話を聞いた覚えが…。)

必死になって自分の想像を振り払おうとするマディック大尉だが、その度に妄想は広がりあらぬ方向に飛び散っていてしまう。

(……まずい、このままでは戦闘になってもまともに集中できん…!)

幸いにしてここの所、大きな戦闘は起こっていないが…。
万が一にもこの状態で珠理少佐のような凄腕と交戦するようなことになれば、一方的に敗北するのは目に見えていた。

(くっ…。明日、自分の目で確かめるしかあるまい…!)

そこまで考えたマディック大尉だが…。
ふと『最悪』の仮定が頭をよぎった。

(今は何も考えるな…! 明日、明日が全てだっ…。)
「ああ、マディック大尉。少しお話があるのですが…?」

途中、ゲッツ准尉が話し掛けてくるものの、自分の考えに没頭しているマディック大尉はまったく気がつかないでいた。

「…これは、遅かったかな。カーティス准尉、無事だといいんだけど…。とはいえ、このままにはしておけないよな。どうするか・・・」

ぶつぶつ言いながら去っていくマディック大尉を見据えながら、ゲッツ准尉は心配そうに溜息をつくのだった。

そして次の日の朝…。
先日の偵察で戦闘が発生し、ゲッツ准尉は軽い怪我を負ってしまっていた。
大きな傷ではないのだが、無理をしてはいけないというユミナさんの言葉により、ゲッツ准尉は二日続けて特訓を休む事になってしまっていた。

「おはようございます、ユミナさん。」
「おはようございます、カーティス准尉。」

いつものように、にこやかに挨拶する二人だが…、常とは違いさらにもう一人の人物がその場にいた。
こっそりとユミナさんの後をつけていたマディック大尉である。

(おのれ…。噂は本当だったのか…!)

偵察兵としての本格的な訓練も受けたこともあるマディック大尉の陰行は見事としか言いようがないものだった。
流石のユミナさんも気づく事は出来ず、偵察兵そしてはアマチュアもいい所のカーティス准尉も、まったく気づいていなかった。
ぎりぎりと歯軋りする目の前で、ユミナさんとカーティス准尉はごく親しげに会話をしていた。
マディック大尉の位置からではどのような会話をしているかまでは判らないが、それがまるで恋人同士の語らいに見えて仕方なかった。

「じゃあ、今日は素振り1000回から入りますね。」
「…わかりました。」

実際には、とんでもないしごきだったのだが。

(いっその事、このまま出て行くか…?)

最悪の事態にマディック大尉が覚悟を決めた、その時だった。

「きゃっ!」
「危ない!」
「…!」

ユミナさんが、木の根に脚を引っ掛けてしまったのだ。
かろうじてカーティス准尉が抱き止めて、ユミナさんが転ぶ事はなかった。
だが…、冷静さを失ってしまっているマディック大尉の目からすればそれは、カーティス准尉が無理矢理ユミナさんを抱き寄せているようにしか見えなかった。

「貴様っ、人の妻に何をしているっ!」
「…マディック大尉!?」
「マディック!?」

眼前の光景に逆上したマディック大尉が、潜伏を解いて突然現れたのだ。
突然の事態に混乱するカーティス准尉とユミナさんに対し、マディック大尉は目を血ばらせ殺気を撒き散らしているのである。

「…! マディック、違うのよ!」
「ユミナは黙っていてくれ!」

尋常ではないマディック大尉の様子にユミナさんは、すぐに事態に気がつくが頭に血が昇っているマディック大尉の耳には届かなかった。
そして、カーティス准尉はマディック大尉の異様な殺気に完璧に居すくめられてしまっていた。

「覚悟は出来ているのだろうな…!」
「ああ、もう…!」

修羅の形相でカーティス准尉をにらみつけるマディック大尉。
だが、次の瞬間…。

ごんっ!

「え…?」

恐ろしく鈍い音と共に、マディック大尉の上体が揺れる。
そして、呆然として振り返ったマディック大尉が見たものは、家伝の高速振動ナギナタを振り上げたユミナさんの姿だった。

ゴォン…!

再度、鈍い音がマディック大尉と直撃したナギナタの間で鳴り…、そのままマディック大尉の意識は刈り取られていた。


「ぐ…。うう…。」
「あ、目を覚ましたのかな。」
「大きなたんこぶになってましたからね。」

(ここは、何処だ…?)

朦朧とした意識の中で、マディック大尉は何人かの話声を聞いていた。

「でも、まさかあんな風にマディックに誤解されるんて…。」
「恐らく、私が尾けられていたのでしょう。…不注意でした。」
「マディック大尉相手では、ナイトストーカークラスじゃないと尾けられてもわかりませんよ。」
(一体、何を話しているのだろう…。)
まるで頭の奥に霧がかかっているかのようだった。
思考が取り止めもなく溢れては、あっと言う間に崩れ去ってしまう。

「まあ、マディック大尉には事の次第を説明すればわかってくれるでしょう。」
「でも、…カーティス准尉って女難の相があるのでは?」
「…言わないで下さい。」

辛うじて聞き取れる話の断片から、マディック大尉はそれがついさっきまで自分の目の前にいた二人の話である事にようやく気づいた。

(そうだ、こんな所で寝ているわけにはっ…!)

「ぬおっ…!」

痛みの為に動かなくなってしまった体に鞭打って、マディック大尉は無理矢理体を起こした。

「あ、起きましたか。」
「大丈夫ですか? こんなおっきなたんこぶが出来ていたんですよ。」
「大丈夫、マディック…?」
「…大丈夫だとは思いますけど。」
「…ここは?」

マディック大尉が目を覚ましたのは、医務室だった。
痛む頭をさすりつつ辺りを見渡すと、何故かゲッツ准尉、アルベルト少尉、ファーファリウス少尉待遇軍医(出産休隊中)。
それに…、カーティス准尉とユミナがそこにいた。

「貴様っ!」
「あ、駄目よマディック。」
「っっっ…!」

カーティス准尉の顔を見た瞬間、先ほどの激情が蘇ったマディック大尉はカーティス准尉の胸倉に掴みかかるが、ユミナさんにたんこぶを殴られあっさりと悶絶してしまう。

「ちょっと落ち着いて話を聞いて欲しいの、マディック。」
「…話、だとおう!? あの状況でどんな話があるというんだ!」

嫉妬と疑いに染まったマディック大尉にユミナさんは、ことの次第を委細もらさず話した。
が、頭に血の上った人間に事実を話しても疑いを深めるだけである。マディックをなだめるには、アルベルト少尉とゲッツ准尉のとりなしと証言が必要だった。それでも、マデック大尉を納得させることができたのはかなりの時を擁してからである。なにしろ、マディック大尉の暴走を止めるためとはいえ、ユミナさんは実力行使をしてしまっているのであるから、それもまあ仕方ないといえるだろう。

「…ちょっと待ってくれ。という事は、私は単に勘違いしただけなのか?」
「ま、結果的にはそうなりますね。」

あまりの事に呆然とするマディック大尉に、アルベルト少尉が苦笑で答える。

「実を言えば、私も大尉と同じ事をしてしまったんですよ。」
「…ああ、噂には聞いた事がある。医務室で、カーティス准尉がファーファリス少尉待遇軍医を押し倒そうとして、逆に気絶させられた、という話の事だな。」
「ええ…。でも実際は、脚立から落ちた彼女をカーティス准尉がかばってくれたんですよ。」
「そうだったのか…。すまん、カーティス准尉。」
「いえ、疑われるような私も悪いんですし…。」

アルベルト少尉の言葉にすっかり萎れてしまったマディック大尉に、カーティス准尉もゆっくりと首を横に振る。

「流石に…、今回の事で堪えました…。こちらも少し手を打ちましょう。」
そう言って、カーティス准尉はハンガーへと向かうのだった。

それからしばらくして。カーティス准尉の、必死の懇願により女性整備兵がカーティス准尉で遊ぶような事は、ひとまず取りやめられる事となった。
…だが、だからと言ってそう簡単に一般男性隊員の理解が得られるはずもない。というか、女性隊員たちに人気が高い理由である、カーティス准尉の美辞麗句は、少なくなったとはいえ消えたわけではないのだ。今もカーティス准尉の機体整備は女性隊員のみで行われているようだ。

今回の事例としても、カーティス准尉は運が悪かっただけと言えるが・・・
果たしてそれが本当にカーティス准尉の本性なのか?
この事例の他にも多数の情報がある以上、つぶさにこれらの情報の分析を行わなければならないだろう。