[2015.10.27]
和歌山に、行ってきました。
なつかしい真野さん夫婦に会いに。
真野さんは、みんなから、おとうちゃん、おかあちゃん、と呼ばれているのだけど、わたしは、真野のおとうさん、おかあさん、と呼んでしまう。
おふたりにお会いするのは7年ぶり。
真野のおとうさんとおかあさんは、25年間、大阪の大正区で「そば切り 凡愚」というお蕎麦屋さんをしていました。
とてもおいしくて、自由で、きれいで、食べると、すごーく幸福になるお蕎麦。
わたしが、真野のおとうさんたちに会ったのは、28年前。
おとうさんたちがお蕎麦屋さんになる前、「シャンソニエ」というギャラリーをしていた頃です。
「シャンソニエ」は、町家の自宅の一階を改装したギャラリー。
作品を売るより、自由に何かやることを面白がるような所で、だけど、
変わったことをやっていても、近所の人やこどもらが「なに?なに?」と、気軽に入ってくるような、そういう大らかさのある、独特で不思議なギャラリーでした。
わたしは学生の頃、そこで友だちと展覧会をさせてもらいました。
部屋をわやくちゃにするような展覧会で、通いながら、毎日作っていました。
天井にも、床にもスキマなく作品。落書き。終わったら、全部捨てました。
向かいに駄菓子屋があったせいか、展覧会中は、子どもがいっぱい来てくれて楽しかった。
今思えば、自宅も兼ねていたギャラリーだから、あんなぐちゃぐちゃ、迷惑をかけたかも、と思うのですが、面白がってくれて、甘えさせてもらって、わたしは、その2週間で、なにか、大きく救われました。
何が、というと説明できないけど、忘れられない体験です。
以来、ずーっとおふたりが大好きで!めったに会えないのだけど、時々、すごく声を聞きに行きたくなってしまう。
前置きが長くなりましたが、
そんな真野のおとうさんたちが、この夏、和歌山は高野山の麓、天野というきれいな里に引っ越したと聞いたので、
「行きたい!」となり、行ってきました。
新しいお蕎麦屋さんは
「あまの凡愚」。
顔を見るのは7年ぶりだったのだけど、「ゆうこちゃーん」と真野のおかあさんが迎えてくれて、すごくうれしかった。
「あまの凡愚」は、どこのお蕎麦屋さんにも似ていない、世界に一つしかないお蕎麦屋さん。
幸せな食べものが、魔法みたいに出てくる。
どの食べ物にも、魔法がかかっている。
食べものって、いいなあ。ことばがいらない。
説明できない良いものが、さしだされて、からだが魔法で満たされるみたい。
お蕎麦はもちろん、息子は蕎麦シフォンケーキと絞り立てのミックスジュースのおいしさに目玉をくるくるさせていました。ほんとうに、おいしかった。
生きていると、いろんな魔法使いに会うけれど、真野のおとうさんとおかあさんは、ほんものの、すてきな魔法使いで感激する。
しかも、年を追うごとに、軽やかさを増していて、
すごい。
いいなあ。ほんとうに。ほんとうに。
わたしも修行しなくちゃ。
と、わたしが魔法の話をしたら、
「魔女の条件って、わかる?」と、おとうさん。
「魔女の持ってるもの、あるやろ…」と言いかけたところで、
わたしが、
「あ!ほうき!」。
答えながら、はっとした。
きれいにすることと、空をとぶこと。
両方できるのが、魔法使いの条件。
そっかー。まずは、そうじかー。
ゆうがたになると、ひんやりと、湿っけ。
山から霧が白くのぼって、にじんで、和紙のはしっこみたい。
白い月が出て、ひっそり鷹がやってくる。
「天野」の里は、そこらじゅう、魔法だらけ、と思ったのでした。
[2015.9.14]
ようやく青空。
道を歩くと、自分のかげ、葉っぱのかげ、電信柱のかげ、鳥のかげ。
ひさしぶりに見る、色んなかたちのかげがうれしい。
前回、
作品集のことを書いた、
浮田要三さんのこと。
一昨年89歳で亡くなった浮田さんのおっちゃんは、よく戦争の話をしてくれました。かなしそうに、くやしそうに、
「戦争だけは、ぜったいあかん。人間の自由が、根こそぎ、やられる。」
戦後すぐに生まれた芸術集団
「具体」。
おっちゃんがいた「具体」の作品のまんなかにある精神は、
「人間の精神が自由であることを、具体的に表現しよう」というもの。
作家の人たちは、みんな、戦争体験している。
亡くなる前の東京の個展の時、来た人の前で作品の話をひとしきりしたあとで、おっちゃんは言っていた。
「現代美術とか、ぼくの作品がどうとか、そんな話は、ぜんぶ忘れてもいいです。でも、これだけはおぼえといて下さい。戦争は、絶対あかん。それにくらべたら、芸術がどうとか、そんな話、どうでもいいです」。
「自由が、根こそぎ、やられる」。
根こそぎ。
表現の自由だけではなく、生きる自由も、殺さない自由も。ない。
わたしは今の安保法案が、憲法も民意もおきざりにして、大急ぎで進んでいくのが、とてもこわい。
いやだ。このスピードは、何のためなんやろう。
あたりまえのことだけれど、
殺したくない、死にたくない。
家族や子どもに、誰かを殺してほしくないし、死んでほしくない。
そんなことを「いやだ」と言える自由が、なくならないでほしい。
[2015.9.2]
夏のこと。
色々書こうと思っているうちに、9月になってしまいました。
夜中に雨がざあっときたら、朝の庭が、すっかり秋のにおい。
こどもが夏休みにはいってすぐに、友だち家族と五島列島の海に行ってきました。
小値賀という、ちいさい島。
海は、深いところでも足の指まで見える透明さ。
砂粒が雲みたいにもくもくと流れるのもきれいに見えて、すごくうれしかった。
ひかりが、海の底を行ったり来たりするのを見ていたら、胸の中まで透明になってくる。
あー。やっぱり海はいいなあ。
夏休みの間に、もう一回、海に行きたい!
と、思っているうちに、涼しくなってしまった。ざんねん。
それから、この夏「よかったなあ」と思ったこと。
一昨年亡くなった、
浮田要三さんの作品集ができました。
扉野良人さんと、浮田さんを慕う有志の人たちで、とても良い本を作って下さいました。
わたしも、中に文章を書かせてもらっています。
戦後、子どもの詩や絵を紹介していた雑誌「きりん」の編集者であり、美術集団
「具体」の作家でもあった浮田さんは、子どもの頃、うちの向かいに住んでいたおじさんで、わたしはずっと「おっちゃん」と呼んでいました。肉親みたいな、友だちみたいな、先生みたいな…亡くなるまでずっと、大好きでした。
いい本が出来て、おっちゃん、よろこんでるやろなあ。
こんな本。
はたさん(夫)のサイトで、紹介してくれてます。
おしらせ、いろいろ。
Kodomoe(コドモエ)10月号(白泉社)がそろそろ発売です。
今回のイラストエッセイ「おもちゃ箱ぐらし」は「だっこのしくみ」。
これは、わたしにとっては、目からウロコの発見だったのです!
おしらせ、もうひとつ。
ずっと前に挿絵を描かせてもらった、
北村薫 さんの「月の砂漠をさばさばと」 という本を、又吉さんがテレビで紹介して下さったそうで、(いろいろな人に言われました。すごいなー、又吉さん効果)本屋さんに並んでいます。
うれしくて、ありがたいことです。
読み返すと、とても懐かしい。
挿絵の打ち合わせの時、北村さんが実際に娘さんとやり取りした「ききまちがい」をメモしたノートを「ほんとにあった話なんです」と、大事そうに、楽しそうに、見せて下さったのを思い出しました。
挿絵を描いた時、わたしにはまだ子どもがいなかったけれど、今読むと、あの頃、通り過ぎたエピソードに、はっとしたり、おかあさんのふつうの言葉にぐっときてしまう。
なんというか、なくならない時間を、別の自分が、もう一度体験するような不思議さ。
本って、おもしろいな。
[2015.7.2]
7月の梅雨空。
友だちとおでかけ。
雨のなかを歩く。
ぽやぽやとした雨の風景を見ながら、
あほみたいについ、なんども「あー、つゆやなあ」とつぶやいてしまう。
雨は、いいにおい。
前にも書いた気がするけど、
「毎年のこの感じ!」と、湿気やら蒸し暑さやらを楽しみつつ歩くと、
からだじゅう、懐かしいような嬉しさでいっぱいになってきてしまう。
季節の変わり目の、この醍醐味!
お知らせが遅くなりましたが、
6月、7月と、NHKみんなのうたで「クロ」(詞曲/遊佐未森)が再放送中です。
見かけた方、いらっしゃるでしょうか。(わたしはアニメーション担当です)
↑に書いた、雨のお出かけのお友だちは、遊佐未森ちゃん。
オンナふたり。ひさしぶりのおしゃべりごはん会でした。
「みんなのうた/クロ」
2015年6月・7月
NHK 総合 毎週水曜 10:55〜
NHK Eテレ 毎週水曜 6:35〜 毎週火曜・木曜 12:55〜
いつもの、おしらせ。
Kodomoe(コドモエ)8月号(白泉社)がそろそろ発売です。
イラストエッセイ「おもちゃ箱ぐらし」。
今月は「 なんでパンツって、はくの?」。
パンツなんて大嫌いな、ちいさい子どもたち。
担当のHさんがこれを読んで、「動物園でおムツしているサルの子を見たときの違和感を思い出しました!」とひとこと。そうそう!それです。
さて。梅雨明けまで、あとすこし。
雨の季節は、なんでかこう、色々、ものを捨てたくなってしまう。
ものを捨てるのはへたくそなのやけど、
スッキリしない天気が続くと、せめて身の回りをスッキリしたくなるんやろか。
影ぼうしの季節まであとすこし。
[2015.6.7]
もうすぐ夏至。
毎日、お日さまが沈むのが、おそくなっていく。
7時になっても外があかるいと、なんか、うれしい。
夏にむかう季節は、気持ちもぐんぐんのびていく。
おそい夕焼けを見て、かおが、思わずわらってしまう。
ああ、この季節!と、思う。
春ごろ、はたさん(夫)が骨折。しかも右肩。
夫の仕事の予定はみんな吹っ飛んでしまい、一ヶ月の自宅療養となりました。
幸い、単純な骨折で、自然治癒を待つことになったので、いろいろあきらめがついて、がっつりとお休みすることになった夫。
「なんぼでも、眠れる!」と、昼も夜もこんこんと眠っていました。
ねむると、筋肉が復活、その筋肉が骨になるそうな。
からだって、すごいな。ねむるって、すごい。
それにしても、家にずっとお休み中の人がいると、なんか、のんびりムード。
やることが増えて忙しいのに、ゆるゆるした時間が伝染してきて、
こっちもゆるゆる。
ほんというと、なまけもののわたしは、このぐらいのスピードがちょうどいい。
みんな早すぎる、と、子どもの頃からずっと思っていた気がするのでした。
休んでみると、ああ、ほんとうに、どうにでもなるもんだ。
と、そばで見ているわたしの方が、
なんというか、あたらしい気持ちになってしまった。
だけども、そんな日々もあっという間。もうすっかり復帰。
ふつうの生活に戻りました。
そんなわけで、つられて、わたしの仕事も遅れてしまい…
と、いう言い訳は…
……通らないか。
今は「みちくさ絵本」の漫画の描き直し中です。
これが、ぜんぜん、おわりません(遠い目)。
ちゃんと本になるように、みちくさせずにせねば。
いつもの、おしらせ。
遅くなりましたが
Kodomoe(コドモエ)6月号(白泉社)が出ています。
「おもちゃ箱ぐらし」今回は「むかしむかし」。
江戸時代の子育ての、目からウロコの話。
むかしは、いちにちが長かったろうなあ。