天測点へとスキーで藪漕ぎ
和寒山は、道北の塩狩峠東方に位置して、国道40号線から山頂部に反射板を見ると、山容に特色はないが、北海道に8ヶ所ある「天測点」の一つが頂きにあると知り、山行を計画する。
塩狩駅の鉄道を横断して、東側に延びる林道に入り、高速道路架橋下を抜けると林道は消えて小川を渡る。
沢筋を離れて、広尾根に笹藪の間隙を抜けながら、緩やかに高度を上げると林道に出るも再び広尾根に入る。
今年の降雪時期は、例年になく遅れ、冬将軍が本格的な雪を降らせて1週間と、積雪量は比較的少なく又笹藪もあり不安定な状態で降り積もり、スキーが笹に絡まり難儀状態が続く。
c600付近から、反射板の山頂部を確認し、迂回ルートより距離が短い和寒山南斜面に取り付きたい衝動に駆られるが、この積雪状態では一層大変と南尾根合流尾根筋に向かうと広い笹斜面が広がる。
南尾根分岐点に到達するも、予想以上の時間経過に進退を考えるが、.700m以降は等高線感覚が広く、重くなった足を笹藪と格闘状態で前進を続行する。
高低差のない広尾根に反射板が見えてホッとする…顕著な高みのない頂上の一角に雪をかぶった「天測点」がある。
4日前にもペラリ山(日高)にて「天測点」を晩秋の景色に見たが、ここ道北は冬景色であり、「お前さんを見るため」に4時間も苦労したと、埋もれた石柱の雪を感慨深く払い落とす。
眼下には、地味たる森林景観と乙部山が遠望され、西尾根ルートを下山開始である。
この斜面も、笹藪が濃密で幾度となく、雪に隠れた枝等にスキーを取られて、頭から雪中へ次いで頭上の樹木からだめ押しの落雪と真っ白!!なかなか起きあがれない。
c400で、林道に出てラッセルをしつつ、斜面を痛快に楽しむ事は、一瞬たりともなかったと冷え込んだ夕刻に塩狩駅に到着する。疲れた!!
塩狩駅近傍の「長野政雄氏殉職碑」に三浦綾子著作「塩狩峠」を思いだし、手を合わせ山行を終える。
備考:長野政雄氏殉職碑文より
「明治42年2月28日夜、塩狩峠に於いて、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す、乗客全員転覆と恐れ色を失い騒然となる。
乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所、長野政雄氏、乗客を救わんとして車輪の下に犠牲の死を遂げ全員の命を救う。
その懐中より、クリスチャンたる氏の常持ちせし、遺書発見せらる。
「苦楽生死均しく感謝、余は感謝してすべてを神に捧ぐ」
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塩狩駅
A c600付近から山頂部
B 山頂部「天測点」
C c400林道
D 長野政雄氏殉職碑
塩 狩 駅 | |||
登り | 4時間05分 | 2時間40分 | 下り |
山 頂 |