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町長日誌平成28年1月 素案その1 2015/12/19 畜産でも池田が有名に
あけましておめでとうございます。
肉牛全道共進会で東台の清水さんと常盤の神田さんの黒牛が池田町和牛生産組合の牛群として全道一に輝き、豊田の朝川さんのいけだ牛が北海道あか牛枝肉共励会で最優秀、清見のハピネスデイリーのナチュラルチーズが全国コンクールで第2位の成績を獲得しました。 いずれも最近の喜ばしいニュースでした。
池田町の繁殖農家が生産した十勝和牛素牛(子牛)生産は、市場でも高い評価を受けており、青年が多く参加する生産組合の皆さんの研究と努力が実を結び、池田地域として評価を受けていることは素晴らしいことです。
あか牛は昭和40年代に九州阿蘇から導入して、町自らの肥育事業にも取り組んだ経過もありますが、生産組合の皆さんが繁殖から肥育まで飼養する一環肥育を続けてきています。
褐毛和種は、池田町を含め道内で3地区と限られた地域で飼養されている家畜ですが、子牛が生まれ(繁殖し)、肥育して屠畜したブランド牛肉として長く流通し続けています。 北海道のみならず、全国にも名が通るようになってきていると思います。
ハピネスデイリーはアイスクリーム、イタリアンジェラードタイプで十勝管内はもとより、全国から来町する観光客の皆さんにも好評で、特に難しいハードタイプのナチュラルチーズが高い評価を得ました。第1位のチーズは長野県の小さなメーカーのソフトタイプでしたので、欧州の審査員が日本で最高のハードタイプであると評価したことになります。
私がワイン城で醸造を担当していた時代、試験的でしたが、ナチュラルチーズ造りに取り組んだ経過があります。くせのないクリームチーズ、そしてカマンベールタイプのブリーチーズの製造に挑戦しました。 ステンレス製の独自の道具を特注したり試行錯誤の結果、カマンベールチーズでなく細菌類が繁茂しウォッシュタイプのような強い匂いの失敗作になってしまったこともありました。
酒類販売会社の営業担当の皆さんがワイン城に研修に見えた時に、当時企業部長の故大石町長に「それでもいいから、出して見れ。」と言われて、表面を除き控えめに出したことがありました。 すると、試食した皆さんから熟成した味がいいのではないかと言われたことを思い出します。それから、ワイン城レストラン部の職員と一緒に勉強しながらナチュラルチーズを造りレストラン十勝で提供した時期もありました。
残念ながら、担当者が変わり継続しませんでしたが、35年ほど前のナチュラルチーズ造りへ挑戦したことを思い出します。今、ナチュラルチーズが池田町の特産品になったことを喜びたいと思います。
今年も良くできた小豆をはじめとした豆類や長芋ネバリスター、つくね芋、玉ねぎ、ユリ根など高品質畑作物と肉牛・酪農、耕畜バランスがとれた池田町の高品質農畜産物をこれからもアピールしていきたいと思います。
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町長日誌平成28年1月 素案その2 2015/12/19 100歳を超えても現役
新年あけましておめでとうございます。
私が毎週読んでいる週刊誌「日経ビジネス」に、104歳になった聖路加病院日野原先生の「生き方教室」が連載されていました。
「75歳以上のお年寄りを後期高齢者などと呼びますがね、あれはダメです。私は、75歳以上のお年寄りを『新老人』と呼びたい。新老人たちが生き生きと活躍する社会をつくりましょう!」と提案しています。
2000年に立ち上げた『新老人の会』では、75歳以上が「シニア会員」で60から74歳は「ジュニア会員」、それ以下はサポート会員とのことです。「老人にはいきいきと生きる権利と、自分たちにできることをやる使命がある。周りから、何かしてもらうだけでなく、自ら行動する。今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。これが若さを保つ一番の秘訣です。」とアドバイスされています。また、101歳の時にフェイスブックを始められたそうです。
私は情報公開の一環として15年前にホームページを始め、日野原先生とほぼ同時期にフェイスブックで行事や会議など出来事や印象を伝えるようにしていますが、40歳も年上の日野原先生が現役医師として活躍の上、常に新しいことに挑戦、実践する行動力は聞いたことがありません。 自分を高齢だ、もう老人だからと消極的、控えめに考える人々にとって、本当に模範的、目標になる方だと思います。
高齢化率が40%近くなった池田町では、その年代の町民の皆さんが元気に生活されていることが池田町の元気度の現れになります。歳を重ねるに従い、病気になったり介護が必要になることは避けられないことかもしれませんが、日野原先生が提唱されるようにいつまでも元気シニアとして、新しいことに向って挑戦しつづける心身共に元気な現役生活者であって欲しいと願っています。
これから、池田町のみならず日本全国で高齢化が進み、人口減少傾向が続きます。産業部門でも医療や介護・保育の部門でも担い手が不足することが指摘されています。いろいろな分野でシニア世代が積極的に社会に関わることができれば、人口減少時代の日本が維持できるのではないでしょうか。
災害がなく昨年のように豊作で、老若男女の町民の皆さんが、健康で活躍する池田町の一年であって欲しいと思います。
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町長日誌2015(平成27)年11月 素案 その1 弟子屈町栽培の山幸ワインと肥育和牛
弟子屈町で栽培し池田町で醸造した山幸ワイン2014「葡萄(えび)色の旦(よあけ)」と鹿児島県日置市から導入した優良繁殖牛に受精卵を移植した肥育した和牛の発表会に出席して、お祝いと今後の地域連携をお願いしました。
弟子屈町として、「2大産業である農業と観光の連携を目指し、地産地消の新たな産品開発である」と言っているように、牛肉とワイン、そしてチーズをまちづくりに含めた事業にしようとしています。池田町が50年前に始めた時の発想と同じです。
弟子屈町は池田町よりも気候条件が厳しいところで、町内にある玉川大学農学部の圃場で清舞種などと試験栽培し、現在、市街地に近い町民農園に30アールほど栽培し、これから増やして行く予定と聞いています。発表会の懇親会で摩周湖農協の組合長、専務とご一緒した時、おふたりとも小さな面積で山幸を栽培しているとも聞きました。
苗が寒さで枯れ植え替えした圃場も見せてもらいましたが、しっかりした栽培管理により、安定した品質の山幸ブドウが生産されることを期待しています。
40年以上前から、十勝ワインが屈斜路湖ホテルで使っていただいたり、道の駅などのお店で販売をしていただいていました。弟子屈町で民間経営する民芸館が撤退した後を利用して現在の道の駅「摩周温泉」として新しくし、足湯を整備したり池田町のワイン樽を飾り、山幸ブドウの展示棚も見られました。
徳永町長は、「弟子屈町でも町民農園付近は厳しいと思っていたが糖度20度(今年は22.6度)ほどに熟した。栽培が難しければ温泉のある川湯地区がこの地域では気温が高く、そこで栽培することも考えていた。」と話していました。
このように、池田町で長年かけて研究開発した世界の新品種「山幸」や「清舞」が、十勝のみならず、北海道内に広がっていくことは望ましいことで、全道、全国的に特徴ある香りや味が認識されていくものと期待しています。
ぶどうの試験栽培から55年ほど経過した池田町ですが、町外で栽培されワインが評価を受けることは、池田町の十勝ワインにとっても有利に作用しますし、交付金や補助金を受けずとも、町営事業の利益で品種改良を重ねてきたことに大きい意味合があるものと振り返っています。
私が企業部を担当した20年ほど前から剣淵町の農家が清見種を栽培していますし、釧路管内鶴居村でも栽培を始め、もっと厳しい環境だと思われる西興部村でも試験栽培が行われています。
今後も池田町起源のワイン用ブドウ種があらたな地域に栽培されワイン造りに展開し「ものづくり、町づくり」の一つの策として取り組まれていくことを期待し、相乗的に十勝ワインの評価が上がり、安定販売に結びついていくものと期待しています。
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町長日誌2015(平成27)年11月 素案 その2 微生物の大きな力
大村智北里大学特別栄誉教授がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。大村特別栄誉教授は、山梨大学を卒業し、東京理科大などで苦労しながら研究を続けて放線菌という微生物から薬効成分を取り出して駆虫薬を開発してアフリカなどで利用され、人間の眼科病などの治癒に貢献したことが授賞の理由とのことです。私も同じ大学同窓のひとりとして、とても誇りに思います。
昭和44年、自分が大学一年の時、当時の藤岡由夫学長が同じ研究所の友人で、ノーベル物理学賞を授賞した朝永振一郎博士の特別講演を聞いたことを思い出しました。内容が難しくて、アインシュタインの相対性理論の言葉が出てきたことだけ覚えています。その頃、すでに山梨大学工学部発酵生産学科に放線菌の利用を研究する野々村英夫教授の研究室がありました。
山梨大学生命環境学部生命工学科(学部・学科の名称が変わりました)で現在も放線菌の研究を続けているようです。放線菌は様々な物質を作り出し、薬などに利活用しています。前ブドウ・ブドウ酒研究所長の内藤さんから、この3月まで教授だった早川正幸教授が同期生だったとも聞きました。
微生物を利用する産業は、自然界から新しい菌株を分離・保存し、人間にとって有効・有用な機能を発見し、醸造品、食品、医薬などの生産に役立っています。微生物は10万種とも言われるほど膨大な種類が存在し、有用な微生物は、身近な食品では納豆やヨーグルト、チーズなど大切な発酵食品をつくる大きな役割を果たし、人間の生活を助ける大きな力を持っています。
作物を栽培する土壌に必要不可欠な有機堆肥もそうです。微生物が家畜の糞尿や繊維質などの有機物を食べて分解し、窒素・リン酸・カリなどバランスが取れ、微量成分も含まれる植物が成長に有効な肥料を作ります。
醸造して造る池田のワインも、いずしや漬物などの発酵食品もそうです。微生物の働きが無くてはそのものが出来ません。ワインは、ぶどうの果汁に甘い糖分が存在し、酵母が糖分をアルコールや炭酸ガスに変え、熟成の過程では乳酸菌がワイン中のリンゴ酸を乳酸に変え(マロラクティック発酵)、まろやかな味にします。
私は、放線菌ではありませんが、ワインなど糖を含む果実などからアルコールを作り出すこの酵母を主に研究する講座・研究室で学びました。
ブドウはもちろんのこと、腐敗した果実や野菜から酵母やカビなどいろいろな微生物を分離し、培養・成育させたことを思い出します。自然から微生物を探し出し培養、増やして有効に利用する、あるいは増殖を防ぐ策に利用する基本の研究でした。
国際化が進み人間が国境を越えて移動する時代になり、急激に死に至るエボラ出血熱など国際的な問題となっていますが、今、世界的に早急な対応を迫られている病気もあります。
土壌に生存する放線菌など未知の有用微生物がまだまだ自然界に数多く存在すると言われていますので、症状を和らげたり治癒する有効な薬ができることを期待しています。
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町長日誌2015(平成27)年4月 素案 その4
日本でラジオが誕生して90年、NHK深夜便25年になるそうで、記念番組が放送されていました。
災害とラジオの関係では、4年前の東日本大震災でラジオの威力を感じた被災者がおられたようで、避難所や安否確認など的確な情報を伝え、精神的にも支えた面があったようです。停電と電波の混線状態が続きテレビ・固定電話・パソコンや携帯が使えず、新聞も届かず、外部からの情報源がいっさい無いなかで、被災直後の生活でラジオが大切な役割を果たしました。
インターネット網のブロードバンドやテレビのデジタル化で「放送と通信の融合」が進みました。今、スマ-トフォン(携帯電話)でテレビを見ることができ、ラジオ番組も聞くことができるようになりました。さらに国外で編集されている音楽番組も聞くことができます。すごい情報通信の技術革新だと振り返っています。
7年前に町長日誌でラジオのことを話題にしました。テレビが無かった小学生時代から、ニュースや音楽をはじめとしてNHKの「朝いちばんのビジネス展望」や「ラジオ深夜便」を今も聞き続けています。録音もして聞くこともありますが、いま放送情報をパソコンやスマートフォンで聞くことが可能になりました。大変な進化だと思い、それも利用しています。
特に朝のビジネス展望は、町長職にとってもとても参考になります。この番組は農業問題から外交や経済、エネルギー、金融、生活・社会と幅広い現状と問題について大学教授や評論家が毎日10分ほど分かり安く話しているものです。
田園ホールでNHKラジオ深夜便の公開録音があり、日色ともゑさんの講演と宮川泰夫、宇田川清江両アナウンサーの楽しいやりとりを覚えています。終わった後、お二人をワイン城の施設を案内し、両アナウンサーとレストランで懇談して、ワイン事業を含めて池田町を宣伝したこともありました。
深夜便で、昨年お亡くなりになった丸谷さんが池田町のまちづくりについて講演した様子も流れたこともありました。
災害時の緊急放送、ニュースや音楽番組などこれからも放送伝達媒体としてラジオの役割は貴重だと思っています。一方通行でも迅速かつ的確な情報が音声で伝わることが社会生活に重要だと感じています。
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町長日誌2015(平成27)年4月 素案 その3)
2月末、札幌市で北海道産ワインメーカーが集まり、20回目になる「北を拓く道産ワインの夕べ」を実施して、800名の参加の皆さんにお礼と今後の支援をお願いしてきました。
昭和60年、道産ワインメーカーがあつまって組織した道産ワイン懇談会が主催となり、十勝のナチュラルチーズメーカー、十勝池田食品の骨付きハムなども会場に用意され、ワインと共に楽しんでいただく催しです。
北海道にワイン用ブドウ苗木の購入、道産ワインの振興を支援してもらっていますが、今回は高橋知事が来場し、食の北海道、全国でも注目される道産ワインを応援する挨拶をいただきました。高橋知事は池田町を三度訪れており、十勝ワインを試飲してもらい、その前の堀知事、横路知事時代にも池田町のワイン城を視察、十勝ワインを楽しんでいただきました。
今、全国で国産ワインが注目され、自治体で新たにワイン用のぶどう作りやワインづくりで地域を活性化しようとする動きも出ています。
地方創生が大きな課題となっている現在ですが、池田町は50年前から6次産業化の取り組みをはじめ、牛豚肉を原料とした食肉加工、豆類や生乳を使用した菓子、乳製品の製造も古くから取り組まれています。
地方戦略もこれまでのものづくりの挑戦の伝統を生かし、国が用意する補助金や交付金を活用して、よりいっそう高付加価値製品を生み出し、流通する挑戦を続ける必要があると考えています。
★ 町長日誌2015(
平成27)年4月 素案 その2)
長い冬が終わり、いよいよ春が来ました。3月は卒業式シーズンで、池田高校、池田中学校の卒業式に出席しました。毎回、出席していますが、送る言葉と去るにあたっての答辞、歌の交換そして退場する卒業生のお礼の言葉、そして見送る担任の先生の姿にいつも感動を覚えます。
池田警察署の署長が「まちの中を散歩していると、池田中学校の生徒や町民の方に元気な挨拶を受け、町の中もきれいで気持ちが良い。」と話されていました。そのことを紹介し、そのような池中生徒の皆さんですので、学習も部活動もしっかりやってきたと信じていますと前置きし、「学校を卒業して各界各層で活躍している先輩のことを例に、夢や目標を持って今後、どんな困難があろうが、友人や親を大切にして乗り越えて欲しい。」とお願いしました。
今年は、25周年を越えて活躍している「ドリカム」の吉田美和さんが成人式のお祝いに駆けつけてもらったことを紹介し、「ドリームズ・カム・ツルー」の名は卒業する皆さんを送るにふさわしいと加えました。
私は、50年前、宮城県北部の色麻中学校を卒業しましたが、吉岡桃太郎という名の校長の言葉が今も耳に残っています。「これからいかなる困難があろうとも“なにくそ!”という気持ちで乗り越えていって欲しい。」そのような言葉でした。ずいぶん昔のこととなりましたが、今、町長の任にあたっている自分にも言い聞かせています。 これから、入学式にも出席して学習と部活の積極的な活動をお願いしますが、一人ひとり新たな目標と希望に向かって進むことを信じています。
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町長日誌 2015(平成27)年4月 素案 その1)
国鉄分割民営化、国道の基幹統廃合、小泉政権の三位一体改革で地方交付税が激減するなどのいわば国策の展開で、池田町の人口は急減しました。
今、人口急減、少子高齢化が顕著化し、「まちやむらが消滅する」と表現され、何とかしなければと国が「地方創生」として重い腰を上げました。
これまでも人口減少が続く自治体の対策として、政府の過疎対策事業が用意され、池田町もこの事業(3割のお金で仕事ができます)を利用し、各種インフラ整備など、安心で住みよい町、人口減少を最小限に食い止める町づくりを進めてきました。
今後、人口急減・超高齢化が大きな課題となり、さらなる対策が必要と国が腰を上げました。『消滅する可能性のある自治体・・・』と表現され、今、「地方創生(『まち・ひと・しごと創生』の取組み)」が国政の中心的な政策の一つになりました。
地方の人口減少は20年以上前から指摘されていることで、今に始まったことではありません。 池田町の人口は、昭和30年代をピークに減り始め、製紙工場の閉鎖や国鉄の分割民営化、電報電話局、郵政省など国の公社現業部門の合理化により減少したことが大きな原因です。
国鉄に至っては、多い時で職員数1千人ほど勤務しており家族や関係する人を含め、4千人ほど減ったものと振り返っています。時代の変化と国策だったと言っても過言ではないと思います。
私になってから、突然に小泉政権時代の骨太方針、三位一体改革で主たる財源である地方交付税が激減し、事務事業の見直し、公共料金の負担増など町民の皆さんにも大変協力いただいてきました。収支合わせるのに、人件費が一番大きく、職員に本給カットの協力をもらいましたが、やはり大きかったのは指定管理導入、民営化した町立病院の約50名を含め、100人の職員数が減ったことです。そのことでも派生して人口減少が大きく進んでしまいました。
しかし、これまでの間、丸谷さん石井さん大石さんと歴代の町長が職員、議会議員の皆さんと総合計画を策定するなど、懸命に人口を維持しようと過疎対策事業に取り組んできました。
活力ある日本社会を維持するには『まち・ひと・しごと創生』として、夢や希望を持ち豊かな生活をおくる地域社会、地域を担う個性豊かで多様な人材、地域で魅力ある多様な就業機会が必要と目標を投げかけられました。
池田町では、日本で注目された創生事業といえるワイン事業、誘致企業による食肉加工や農産物加工、民間酪農家の乳製品製造をはじめとして、いま地方創生として提起されている六次産業化を50年も前から挑戦して現在も健闘しています。
「消滅する」ことは、「行政が立ち行かなくなる」ことを意味していますので町村合併を選択すると名が消えることになります。合併促進策なのか?と受け取る方もいます。
今、池田町は第4次総合計画に沿って人口目標を設定しながら、過疎対策事業を活用してまちづくりに取り組んでいます。総合計画に整合性ある地方版総合戦略を策定して、国の財源を利用して『消滅しない町 池田町』であり続けたいと思っています。