<想いや意見 いろいろ>その5  2010年1月1日から
               (広報いけだの「町長日誌」と分離して気ままに掲載)
★ 暑すぎた夏と作物への影響   2010/10/06
 今年の夏は、当初の冷夏の長期予報を覆す、大変な暑い夏、十勝にとっても全国でも異常気象、気象観測・統計始まって以来の酷暑だと報道されていました。 池田町でも35℃を越える猛暑もあり、エアコンを付けた家や扇風機を購入した、また買おうとしたらエアコンも扇風機も売り切れてしまっていたとの話も聞きました。 もちろん暑さ厳しい本州では、熱中症で救急車で病院に運び込まれた高齢者など5万人を超したと報道され、死亡に至った方も三桁に及ぶようで、大変な社会的事態となりました。
 地球規模、北半球でも大変な暑さで、ロシアでは火災が発生しなかなか鎮火せず、大きな災害をもたらしました。 エルニーニョやラニーニャ、偏西風の蛇行など地球規模の気象変化がこの異常気象の原因と分析されています。
 昨年は冷湿害による災害があった東部十勝、中でも一番大きい被害を受けた池田町ですが、その翌年にこのような天候になるとは思ってもいませんでした。 生育状況として早い・遅いの作況が報告されていて、暑い夏が続き、ほとんどの作物で生育が早まりこれはいいなと思っていましたが、暑さが続くにしたがって麦が小粒傾向で品質も良くない、豆類も莢数はいいがやはり小粒傾向で、小豆は色が黒っぽいものがあるなど心配が現実になってきています。 この暑さが続いたことで、空洞馬鈴薯が多く見られ、ビートの根の太りが遅かったり、普段発生の少ない虫やウィルス、カビ類が多発、異常繁殖して防除も大変な状況と聞いています。
 北海道、十勝は小麦やビート、馬鈴薯など本来冷涼地向きの作物でもあります。十勝らしい晴天が多く、温度差があり成長の期間も保つことができる天候が一番です。 大豆が期待できるなどの声もありますが、できるだけ猛暑被害の小さい今年であって欲しいものです。

★ タバコと税そして健康   2010/10/06
 今年の春頃だったと思いますが、毎日目を通す農業新聞に夕張診療所の村上所長が『ドクター村上の予防医療 地域医療を守る』と寄稿されていました。
 「限られた医療資源(特に人材)を大切に使う、・住民は予防すること 病気の多くは生活習慣病で、塩分を減らし、カロリーを摂りすぎず、運動をする、予防接種をする、禁煙をする、検診を受けることでかなりの病気を防ぐことができる。」と言っています。
 前の町長日誌に子どもの眼による疑問を紹介しましたが、生活習慣をなかなか直せない大人が多いのが現実です。しかし、子どもを不幸せにしないよう、親が健康を守ることは大切なことです。
 町長に就任してまもなくでしたが、町議会で予算に関係する審議をしていただいている時「町長はタバコ税を考えているのか?」との質問を受けたことがありました。 「財政難が続いている時に、町の税収が減ることは困ります。しかし、タバコに原因する疾病に要する医療費が税と比較すると医療費の方が大きい、との説もあります。」と答弁したことを思い出します。
 現在、札幌医科大学第3内科から町立病院に医師を派遣いただいています。この研究室は呼吸器が専門で当然、来てもらう医師は呼吸器疾患に詳しい先生です。最近、肺気腫のことを耳にします。 このことを尋ねますと「99%タバコに原因し、肺気腫は陸上で溺れるようなものです。」とのお話でした。
 肺疾患の治療で肺気腫が治療の妨げになり、最新医療の治療受けながらもあまりにも早く往った尊い友人もおりました。つい先日、受動喫煙が原因の肺がんや心筋梗塞による死者数が年間6千800人(女性が男性の倍)に及ぶこと、職場による原因が3千600人と半数を占めることが新聞報道されていました。受動喫煙、とくに子どもの周りでの喫煙を禁止する世界的な動きもあり、愛煙家にはとても不自由な生活環境になってきているかもしれません。
 「町長!財政難の池田町でタバコ税は貴重な収入だろう。止めたらと言うのはいかがなものか。」と意見されることがよくあります。町長として、「お金が大切か? 町民の皆さんの健康が大切か?」、「嗜好品で自分がいいと判断して吸うのだから他人に言われる筋合いではない。おせっかいは止めてくれ!」と返ってきそうです。
 責任ある町長であれば、「それは町民の健康が大切に決まっていますよ!お金は何とかやりくりしましょう。」と答えるものと思います。 財政に関することでなかなかはっきりと言いずらいことですが、以前から感じていることを綴ってみました。

★ 平成21年度決算を終えて   2010/10/5
 毎年、9月の議会定例会に前年度決算認定について審査の提案をします。 以前にも財政状況の概略を説明したことがありますが、今年も決算の概要と経過に触れて見たいと思います。 町としての借金にあたる地方債が全体として95億円ちょっと、貯金にあたる基金が全体で19億円、そして組織の一員となっている中部広域水道企業団に出した7億円などの出資金8億円などが主なお金についての財産関係です。
 町民の皆さんに上下水道料金の値上げをお願いしたり、町議会議員の皆さんの報酬削減、職員数削減、本給カット、事務事業の見直しなど厳しい行政改革を進めた結果、赤字に陥ること無く、10年前に150億円ほどあった借金が95億円ほどに減りました。そのうち一般会計分の59億円に、後年度に地方交付税に100%積算される臨時財政対策債という借金が19億円ほど含まれます。 職員数も当時240名が現在180数名に減らさざるを得ませんでしたし、議員定数も減っています。
 貯金については10年前からそう減っておらず、一般会計と特別会計の19億円に、ブドウ、水道、病院の各企業会計の流動資産に現金11億円ほどあり、うちワイン会計が7億円です。
 明日6日からの決算審査では、予算に基づき実施した事業内容、成果の別冊も用意しながら、議員の皆さんに一年間の結果を説明して審議いただきますが、町長としては、町立病院や池田中学校の改築という長期的な施設整備、大型事業と将来の借金償還を中期財政推計を行い、こういった財産状況の展開を鑑みながら、行政執行しています。
 災害の発生時には有無を言わず復旧をしなければなりませんし、これからの施設、道路や橋の改修・改築にも対応していかなければなりません。 年度の中で、政府の交付税など地方財政に対する姿勢など取り巻く財政環境を注視しながら、次年度事務事業の課題解決に向けて予算を立てる時期に入ってきます。
 町の財産としては、土地・建物、道路・橋などの財産もありますが、当然ながらそれらの維持管理費用も考えなければなりません。お金の話で恐縮ですが、池田町の現状や課題を前にして、厳しい行革の嵐の真ん中にいた町長として、決算と将来の姿勢として概略を簡単に記しました。

★ 子どもの疑問     2010/9/1
 職場を含めて毎日、新聞8紙に目を通し、他に専門紙として農業新聞、そしてパソコンで自治体情報などをインターネットで見ます。
 その中に、毎週土曜日に日本経済新聞と一緒に配達される別刷「日経プラス1」を楽しみにしています。今年から、そのプラス1に、大人から子どもまで時事問題をやさしく、面白く解説する「ニュースにチャレンジ」などが載った「子どもニュース」面が新設されました。
 7月初めの「子どもニュース」面の『ティーンズランキング』コーナーに「大人が夢中になるのが不思議なこと」のアンケート結果が紹介されていました。
 第1位が「たばこ」、「お酒」、「パチンコや競馬などのギャンブル」、そして「スポーツ番組」「ダイエットやエステ、美容」などと続いていました。タバコについては、子どもにとって「煙がくさい」、「味がまずそう」、「お金の無駄遣い」「健康に悪いことになぜお金を使うのか」、お酒に対しては「飲みすぎて苦しそうなのに、なぜまた飲むのか」、「ギャンブルはどうせ当たらないのに」、ダイエットについては「大して太っていないのに、どうしてやせたいのか」、「たくさん食べて太っているのに、ダイエットグッズにお金を使うのは無駄では」、バーゲンセールには「安いからと必要以上に買い過ぎている」などと、手厳しい指摘、また、もっともだと思われるひと言が多いようです。
 子どもを育て、取り巻く親、大人の世界に、純粋な子どもの目、疑問の目がするどく指摘しています。子ども時代にはきっと同じように思ったに違いないだろう大人にとって、子どもの目線、立場でものごとを考え、正しいことは意志を強く持ち、実行することが期待されているような気がします。

★ 3代の北海道知事来町(町長日誌8月号素案)    2010/8/1
 先日、高橋はるみ北海道知事が来町され、町内の飲食店で食事しながら東部4町の民間活動家の皆さんと「まちかど対話」され、その後、農業改良普及センターの次にワイン城を視察いただきました。今回は、ワイン城裏のブドウ畑で40以上前からの新品種育成の大変さ、北海道でも気候条件の厳しい池田町でのワイン用ブドウを可能にした歴史、これからも研究開発を進めることなど外で説明し、地下熟成庫ではちょうど作業中だったスパークリングワインの二次醗酵、熟成したあと特有の作業である滓の部分を凍らせて除去してスパークリング特有の傘コルクで瓶詰する様子も見ていただきました。さらに、樽から用意した昨年産の清見と山幸の新酒と今の商品を試飲していただき、その違いを知っていただきました。町村長大会の後のパーティーなどでお会いし、旦那さんと一緒にフランス滞在経験もあり、ワインがお好きなようですので、試飲も興味深そうにお飲みになっていました。 昨年8月も冷湿害で被害を受けた千代田の畑を視察され現場で説明し、秋のワイン祭りの際にも会場においでいただき来訪にお礼申し上げ、まつり会場のステージでたくさんのお客様を前に挨拶していただきました。丸焼き牛肉などおいしいメニューと十勝ワインをゆっくり楽しんでいただけるものと期待していましたが残念ながら、中川昭一代議士が急逝されたこともあり、急いで札幌に戻られました。高橋知事ご本人も「牛肉と十勝ワインを楽しみにしていたのですが・・・」とおっしゃっていましたが、とても天気もよく祭り日和でもあったのですが本当に残念に思いました。 私が町長に就任後、札幌で会議やパーティーでお会いすることも結構ありましたが、町長になったとしても一般的には知事は遠い存在であり、このように頻繁に会うことは考えてみませんでした。
 北海道の知事として、横路孝弘知事の時に石井町長時代と思いますが、ワイン城裏で当時の大石部長が案内している姿を身近で見ておりましたが、職員として知事の姿を見るのは初めてでした。元町長の丸谷さんから町村知事のことを聞くことはありましたが、知事は遠い存在に感じていました。
 また、前知事の堀さんの時ですがワイン城でのことを今でも鮮明に覚えています。8年前になりますが、皇太子殿下が池田町を行啓された際に接待者の立場で随行されました。 特別養護老人ホーム池田光寿苑の入り口で皇太子殿下に自己紹介した後、殿下が施設内で保育園児や高齢者と言葉を交わすなど触れ合われた後にワイン城で皇太子殿下をお迎えした時に会うのが初めてでした。道議会議長も一緒でしたが、皇太子殿下がお休みになられた時、ワイン城事務室でアルコールで赤らんだ堀さんと面と向って話したのが最初でした。今回、高橋知事にご案内、説明したと同様にワイン城地下熟成庫で説明し、ワイン城レストランで皇太子殿下と共に食事しながら、殿下の質問に一緒に答えながら、各種十勝ワインを前に懇談させていただきました。「だいぶお飲みになられたようですね?」と言うと「町長がいろいろ説明して飲ませるからさ。」と返ってきたことを思い出します。 福祉施設と道議会議長と共に当時の堀知事さんが随行された際にお会いして一緒にワイン城で懇談しながら食事しております。堀さんとは、ふるさと銀河線の経営が大変になり第1基金にてがつく寸前になりどうするかの協議を始める時に同じテーブルに付いてもらうように要望して、ようやく協議が始まったことも最近のように振り返っています。 堀さんが知事退任後、札幌大学の理事長をされていた時に、読売新聞社の要請で札大生を前に講演した時にもお会いして、講演のことではなくワインの話題に終始して「町長、もう時間ですので・・・」と促されて講堂に出向いて話したことも5年ほど前のことです。
 このように、町長に就任してから知事にお会いして池田町の課題解決にむけて要望を行っており、先日の地域づくり推進会議でも「道東に医学部・医大の誘致、整備」「基盤整備・土地改良事業の推進」を提言させていただいています。
 日本の国民は、道民である前にすべて市町村民であることが基本です。市町村と北海道の役割を分けて行政推進する立場の違いがあります。今、国全体のあり方として地域主権や道州制が課題となっています。 町村で行うことと広域で行う道は同じ自治体です。 このように知事さんと関わりがあるのも、町長として町の各課題解決に向けてお願いしたり町物産のピーアールする立場だからこそと振り返っています。

★ 国家財政と選挙   2010/07/10
 先日、財務省帯広財務事務所長が見えられ、管内市町村の財務状況を診断した結果の報告を受けました。政府では、参議選を前に、政権を担っている民主党、自民党から消費税の増税議論が出ております。政権党とマニュフェストの関係も問われていますが、どのようなことを公約しようとそれに用意する財源がなければ絵に書いた餅になってしまいます。現政権では、子ども手当て、高速道路の無料化、ガソリンと自動車重量税の暫定税率廃止が完全にできなくなったことなど、先の衆議院選挙で約束して、実現できないことになっています。
 北海道や大阪の緊急財政状況打開、帯広など近隣市町村の行政改革も耳にしますが、事業の見直しや職員数減、給与カットなど総人件費を減らすことが待ったなしで実施されています。池田町のこの10年間の行財政改革の取り組みの経過を簡単に説明させてもらいました。事務事業の見直し、委託・指定管理制度の導入、上下水道料金の値上げなど町民の皆さんの負担増、そして職員数の2割以上の減少、給与カットの継続がそうです。町立病院と中学校改築の投資のことを上げられましたので、地域医療を守ることの必要性から病院の公設民営化で過疎辺地医療に精通した地域医療振興協会にお願いすること、10年ほどの中期財政推計を実際の数字を入れながら、先行きを見ながら情報公開して進めていることをお話しました。国の事業仕分けもいわゆる行政改革です。財務所長さんが、国の財政状況は財政破綻した夕張市よりも財務状況が問題と言っておられました。子どもや孫の時代に負担を先送りする、後年度負担がどんどん増えてきており、国全体の問題で、政治・政策で解決することがこれからの大きな課題でもあります。借りたお金は返さなければなりません。子どもや孫たちの将来に甚大な負担を残すことは、責任ある国家財政とはいえません。少子子育て教育、年金・医療・介護など年々増大する社会保障費、成長戦略、持続的農林水産業、環境など各種課題と共に国家財政を論点に7月の参議院選挙が行われ、この日誌が町民の皆さんに読まれるときにはその方向が定まっているものと推測しています。

★ 戦没者追悼式式辞  2010/06/23
  本日ここに平成二十二年池田町戦没者追悼式を挙行するにあたり、謹んで追悼の意を捧げます。
 過去の大戦において数多くの方々が国内、国外において亡くなられたことは、私たちにとって永遠に忘れることのできない深い悲しみであります。 最愛の肉親が犠牲になられましたご家族の方々のご心情を拝察するとき、お慰めの言葉もございません。かけがえのない一家の支えを失い、戦後の混乱のなか多くの苦難に耐え立派に子弟を育て、また家業に精励してこられたご家族のご努力に対して心から敬意を表するものであります。 今年は先の大戦が終わりを告げてから六十五年を迎えます。戦後、我が国は焦土の中から立ち上がり、たゆまぬ努力を積み重ねて、平和で豊かな社会を築き上げてまいりました。 今、この平和と繁栄は、身命を捧げ歴史の礎となられた尊い犠牲の上に成り立っていることを、改めて心に深く刻んでまいらなければなりません。 池田町は、多くの町民の皆さんの努力と協力により、ワイン事業の展開など個性あふれる町づくりを進めてきました。今月十一日には地域医療の新たな拠点となる、池田町立病院の起工式をとりおこないました。平成二十三年十月には新しく町立病院ができます。 今後も町民の皆さんとともに知恵を出し合い、安心して暮らせる町、子孫に誇ることのできる町づくりに向け、努力して参ります。ことを英霊の皆様にご報告いたします。 私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません。  本日、ここに、不戦の誓いを新たにし、戦争の悲惨さと平和の尊さをしっかりと語り継ぎ、国際社会に向け発信していくことが、現在を生きる私達の重要な使命であると思います。 戦争で犠牲となられた皆様をしのび、地球上から戦いがなくなることを願い、世界の恒久平和と町民の幸せを求め、平和への努力を続けることをお誓い申し上げます。 終わりに、戦没者ご遺族の皆様の今なお変わることのない深い苦しみ、悲しみに思いを致すとともに皆様のご平安を心から祈念し、式辞とします。

★ ビフテキと消費傾向   2010/4/30
 昔はビフテキ、ビーフステーキはとても高価で、普段は食べることができないごちそうでもありました。25年ほど前の牛肉の輸入自由化もあって安くなり、牛丼や焼肉やファミリーレストランなどのメニューとなり特別で珍しいお肉ではなくなりました。 池田町のワインづくりへの挑戦と食生活改善から始まったレストランの事業展開で、ビーフステーキやシチューが道内外のお客さんに好評を得ました。
 今、池田町の肉牛繁殖生産農家の皆さんの研究と努力もあり、十勝の中でも黒牛の頭数も増え、平均取引価格も十勝の中で上位に位置していると聞いています。価格が高いということは、池田町の生産農家の皆さんの繁殖、飼養の評価が高いということにつながります。40年ほど前に池田町で九州阿蘇から導入した褐毛和牛、いけだ牛は一貫肥育農家の地道な努力で、枝肉出荷も続いています。
 肉の間に霜のようにきめ細かに入る脂肪交雑率の高い「霜降り」と言われるお肉は市場、肉店でも高価な牛肉として流通しています。いっぽう、現代病の原因として、カロリーの摂取量、運動不足の生活習慣で重大な疾患になるとして、メタボ対策とも言われ、予防策として特定健康診断が行われるようになりました。最近の農業新聞を見ていますと、値段ではなく高脂肪を嫌う消費者が増えるなど消費傾向の変化もみられ、農水省などが霜降り肉の促進から短角牛など赤肉など多様な肉牛生産の推進する方針も出ているようです。飼養期間が短く、程よい味のいけだ牛も好まれる傾向もあるようです。
 今、値段の安い物へ向うデフレ状態が長く続いていますが、いっぽう赤肉がカロリーがそう高くなく、味もよく受け入れやすいとの消費層も増えているようです。黒毛繁殖農家、素牛生産者の多い池田町ですが、素牛取引価格が高い時は市場にまかせ、安い時は手放さず肥育に向け、脂肪交雑に左右されなず生産費が十分まかなえるような枝肉価格で流通することができないものだろうか。市場を見ながら、より付加価値のある流通に調整可能な生産地域として、畜産地「池田ブランド」ができるのでないかと思ったりしています。

★ ふるさと元気基金とこども夢基金   2010/4/30
 昨年度から、レストラン清算金を基にした二つの基金をつくり、町民の皆さんの事業に生かしてもらっています。
 レストラン事業はワイン事業とも密接な関係にありましたので、十勝ワイン・レストラン事業の基金といっても表現してもいいと思います。
 先達の皆さんが残してくれた貴重な財産でもあります。
 こども夢基金は、教育委員会など行政で生かす事業もありますが、団体や地域において独自の取り組みに活用いただきたいと思っています。
 ふるさと納税では、「子ども夢基金に入れて池田町のこどもの事業に活かしてください」との申し出もありました。
 ふるさと元気基金は、昨年度から団体や企業、商店から新規製品や新しい取り組みの為の調査、起業の支援などがあり、内容を精査して事業の一部に使用するよう交付しています。
 元気基金については、いろいろな方面に展開しています。この基金については、ワイン事業や直営のレストラン事業などに挑戦してきた精神を生かして、ぜひ事業が成功して、事業が軌道に乗った経営が順調になったあかつきには、ふるさと納税のように、基金に寄付いただくようになればすばらしい基金事業になるものと考えてもいます。
 今、雇用問題が国としての大きな問題のひとつであり、高校や専門校や大学などを卒業して就職できない若者が増えている異常な経済状態でもあります。
 ここ数年、国の緊急経済対策として仕事が増えていますが、恒常的に新卒の若者が仕事に就ける社会に、安定した状況になることが国民の切なる願いでもあります。
 町としても、十分な基金ではありませんが、このような中で一人でも二人でも雇用が生まれることを期待しています。

★ 池田町の難視聴地区解消ICT(情報通信技術)環境向上   2010/4/11
 平成23年7月に今のテレビのアナログ放送が地上デジタル波のみとなり、池田町が昭和48年から全国に先駆けて実施してきた議会中継や文字放送による町の情報、今の10年前の懐かし映像や私自身が出演して話している『月刊町長』など有線放送テレビが視聴できなくなります。同時に、有線で解消してきた難視聴地域の問題も生じます。そこで、国の地域ICT(情報通信技術)交付金を活用して難視聴地域でもデジタルテレビ放送を見ることができるようにし、また現在の市街地区のみならず町の全域で利用できるように今年度中に光ファイバーを敷設します。国策の「いつどこでも何でもネットワークにつながり、さまざまな通信サービスを利用できる『どこでもネットワーク』を整備する『ユビキタス日本』構想」の一貫でもあります。このことで議会中継や町ホームページで地域情報発信の充実を図るなど、(デジタル)通信と放送の融合(政府インターネットテレビなど)の可能性が出てきます。費用がかかりますが光ファイバー利用の大容量高速通信により、デジタル情報を見ることができる端末(テレビや画面)でアンテナ(放送電波)無しでテレビ放送、多チャンネル放送を見ることができるようになり、すでにインターネットで国会(衆)インターネット審議や収録を見る(開催当日は回線が混雑して繋がりずらいことがあるようです)ことができます。
 光ファイバーや無線通信など農山漁村、離島を含めた全国の過疎地域で大容量通信が可能となり、携帯電話も使用可能地域が拡大し無線・有線のU-ジャパン構想に近づきます。しかし、これから茶の間での利用を普及するには、画像やきれいで音がはっきり(光ファイバー容量も100メガから200メガに、将来には1ギガに)、利用料も安く、高齢者を含めてだれでも簡単で使いやすい機器などの仕組みが大切だと思っています。 先日、日本の企業と米国大学の共同研究開発で、生中継のテレビ映像でもインターネットでトラブルなく送信できるようにするそうです。 池田町でも、この情報通信技術の革命的な進歩によるしくみが、医療や福祉など施設と在宅を繋ぐ通信手段、他に誇れる地産物の直販物流など多方面に利活用することが大いに期待されます。

★ ワイン城これまでとこれから(「ふんべ」落成35年に寄せて)   2009/12/05投稿
<落成式のこと>
 落成した当時のことを振り返るのに、元町長の丸谷さんの本「乾杯!ワイン町長」を手に取り、1974年のワイン城落成の時の様子を記した頁をめくりながら読み返したその日の夜、ラジオで森繁久彌さんの訃報を聞きました。 当時のことを思い出しながら、ワイン城のこれまで、そしてこれからをどのようにまとめたらいいだろうと考えながら、「森繁さんはだいぶお年を召したろうな。元気でお過ごしだろうか?」と思っていたところでした。 池田町と関係があると聞き及んだのか、新聞社の取材があり、「生前大変お世話になったことを聞いています。」とコメントしました。 東京の青山葬儀所で行われた森繁さんを偲ぶ会に出席し、池田町を代表してご子息にお世話になったお礼を言いながらあいさつし、心からお悔やみ申し上げ、お参りさせていただきました。
 このような書き出しをお許し願いたいと思いますが、小さな町の挑戦、取り組みを応援くださった多くの皆さんに支えられ、現在の池田町のワイン事業、ワイン城があります。 もちろん、“大いなる田舎の挑戦”の主役は議会議員や職員そして町民の皆さんからなる池田町そのものです。
 落成式の日、それはそれは暑い一日でした。昭和49(1974)年7月31日は、池田町そして十勝ワインにとって、全国いや世界的に十勝ワインの名を発信する、その名のとおり“攻めの城”になった日だと思います。 森繁久彌さんや藤村志保さんを招き、全町挙げてのお祝いに大きな花を添えていただきました。 その日は新人職員として、樽の積み上げが終わったばかりのワイン城地下熟成庫で、町民の皆さんをはじめ、来訪者の皆さんを案内する役目でした。 ワイン城完成に合わせて工場も稼動させるため、新しいタンクに各種ワインを移動し、そして空いたタンクは新しい倉庫に移動し設置するなど、商品づくりにも携わりながら、今では考えられないほどの仕事があった1年でした。同時に始まった町営レストランの混雑する昼食時間帯の応援や手伝いもあり、とても忙しかったことを思い出します。
 それから35年が経ちました。 職員としての27年間のうち、役場本庁舎に勤務した約9年を除きワイン城が職場でしたので、多くの思い出があります。そして今、町長として将来のワイン城について思いを巡らしています。

<ワイン事業の経営形態>
 池田町議会史を開いて見ますと、ワイン城の建設に取り掛かる当時は当然ながらいろいろな議論があったようです。
 当初の製造販売の目標が1千石(約180キロリットル)でしたが、議会史に載っているように、昭和43年当時の丸谷町長が議員の質問に対し、製造販売量が1千石を超えると販売流通の課題から、当時の全国規模の食品会社に経営を譲渡し民営化する考えを述べていました。その目標とした1千石を超え、事業の継続と製造に必要な施設として議会に諮問し、ワイン城を建設して引き続き町営で進むことが可とされ、大変苦労して国からの起債(借金)を認めてもらい、ようやく建設にたどり着いたと丸谷さんの著書「乾杯!ワイン町長」に詳しく紹介されています。
 ワイン城の経営が始まり、丸谷さんは要請されて参議院選挙に出馬、国会議員として活躍することになり、石井明さんが後継町長に就任され、引き続き十勝ワインの販売増の時代に入っていきます。 日本のワインは第一次ワインブームだった東京オリンピックを境として1960年代から増え出し、これまでに幾度かのブームがあり、国内のワイン消費も増えてきました。 池田町でも町直営ワイン、自治体商法などとマスコミに取り上げられ、商工会青年部が中心となった「池田町ワイン祭り」がNHKのゴールデンタイムのニュースに流れるなどして名前が知られるとともに十勝ワインの売れ行きが大きくなっていきました。
 販売網の拡大やいけだ牛など地元食材をメニューとしたレストラン十勝の展開などでは、関係者や池田町、町営ワインに対する応援をたくさん頂いたように思います。日本の高度成長時期とも相まって洋風料理が一般的になり、相性のいいワインの消費も増えてきたこともありました。

<すばらしい上司、大石さん>
 そのリーダーは、名実ともにワイン城主で、昨年お亡くなりになられた大石前町長でした。わたしの職員時代、大石さんには公私共にいろいろな面で教えていただきましたが、新しい取り組みにとても理解がある一方、厳しい上司でした。
 現場の仲間と提案したものをほぼ取り上げていただきました。例えば、本格シャンパンに追いつこうとしたスパークリングワインや醗酵途中の果汁にブランデー添加するポートワイン的な天然甘口ワイン、圧搾残渣を水蒸気蒸留するブランデーの1種(フランスでマール、イタリアでグラッパと呼ばれているもの)、各種果実のリキュールや果実酒、ブランデーなどです。
 トカップロゼを開発販売しようと考えた時のことです。「還元用ロゼに影響が出るのでは・・・」と町長などから心配の意見があり、結論が出るまでしばらく時間がかかりました。 部長だった大石さんに「還元ロゼの落ち込みはそんなに心配することはありません、それ以上にトカップロゼが飲まれます。」と考えを繰り返し述べ、「よし、そこまで言うなら、俺に任せておけ」となり、ようやくその方向でゴーサインが出て商品化にこぎ着けたことを思い出します。 また理解が得られず、残念ながら提案が実現しなかった低アルコールブランデーや低アルコールワインなどもありました。
 「世界のワイン生産地を見なければいい十勝ワインは造れない。世界のワイン産地、それぞれの地域のいろいろなワインやブランデーを飲みなさい、経験しなさい。」と言われていましたが、まさに“人づくりが基本“を示していたものと思います。ワインツアーばかりでなく他団体などから案内があるなど機会あるごとに、醸造や栽培などに勤務する職員を積極的に中長期の海外研修に出張させました。ブドウやワインばかりでなく、その国や地域社会を勉強してくるよう強く指示されたものです。
 予算では試飲用のワインの購入費を認めてもらい、定期的に試飲の場を持ち、評価・研究をしました。ブランデーの試飲の場で、20本ほどのフランス産コニャックやアルマニャックの銘酒がテーブルに並んだことがあり、商品の購入費を計算すると100万円を超えるほどの貴重なブランデーだったように記憶しています。大きな金額でしたが、試飲は量が少なくて済みますので、以後、何度も香りや味を確かめながら、十勝ブランデーの蒸留や貯蔵、商品化の参考にした経過があります。
 昼食の時間帯にどんどん増えるお客さんを迎えるレストランの日々の運営やぶどう栽培からワイン造り、急速に増えていく販路拡大、アンテナショップとしてのレストラン経営、十勝ワインの卸や販売促進、販路拡大の役割を果たす札幌や東京の第3セクターとの関係、卸小売社に販売流通ルートを確立するなど、想像を絶する大変さだったと思います。また「ワイン会計ではなく、毎日現金の入ってくるレストラン会計で君らの給与を払えるのだ。よく覚えておきなさい。」と言われたことも思い出します。 ワイン事業の経営についても、起債や一時借り入れをしながらの経営で、起債償還や資金繰りなど経営面でもご苦労されているのを身近で見ておりました。
 今回の「ふんべ」への寄稿も、本来であれば現職のわたしではなく、大石さんがお書きになったのだろうと思いますし、大石さんでしたら、紙面が足りないくらいたくさんの話題があったでしょうし、昨年の急逝を本当に残念に思っています。

<ワイン城町営レストラン>
 町営レストランは、社会福祉センター1階からワイン城に移動し、本格的な洋風レストランに生まれ変わりました。ワイン城に移転してすぐに、丘の上のワイン工場開設との全国的なマスコミ報道もあり、大変なにぎわいが続くことになります。地元食材であるいけだ牛、十勝牛の特製ソースを添えたステーキやシチュー、ビーフコンソメスープ、肉料理とジャガイモ、ニンジン、行者ニンニク、野菜などを中心としたメニューで、入り口ホールはもちろんバルコニーもいっぱいになるほどお客が待つ盛況ぶりでした。イクラの載った十勝産の厚い鮭ステーキなども利用客の皆さんに大変な好評を得ました。 後で聞きますと、レストラン十勝のメニュー展開は大石さんがドイツで研修した際に体験した煮込み料理などがその基本になったとのことで、ここでも大石さんの貢献度はとても大きいものでした。
 ワイン城には、レストラン十勝の利用も含めて、大蔵省や北海道海開発庁、今の国土交通省北海道開発局など官公庁の皆さんにもおいでいただきました。わたしは醸造の担当でしたので、国税庁や国税局の方をご案内し、各種十勝ワインの説明をしながら試飲していただく席に同席することが多い状況でした。 石井町長や大石部長が連日のように視察で訪れるお客さんを案内し、レストランで食事されている姿を見て、よくも毎日のようにステーキやシチューという同じようなメニューで一緒に食事しながら相手ができるものだ、体は大丈夫なのかと不思議に感じたものでした。 ことしで100回になる池田ワイン会や池田町ワイン友の会、各種パーティーなど町内外のたくさんのお客さんにご利用いただきました。また、わたしが町長になって、皇太子殿下や常陸宮両殿下を地下熟成庫などにご案内して、レストランで食事をご一緒させていただくなど、皇室関係の方々にも訪問いただいたワイン城レストランでした。池田町の誇りある町づくりの歴史の1ページになったものと思います。

<ワイン城の本格改修と新工場建設>  
 わたしが町長に就任した当時は、ポリフェノールが健康に良いとたくさん売れたワインブームが終息し、地場産ブドウで造る国産ワインの増加、バブルの崩壊、消費景気後退などの大きな環境変化がありました。
 ワイン城に勤務していた当時から課題だったワイン城の改修と工場、貯蔵庫の建設に取り組みました。 利別に配送センターがあって非効率だった出荷システムをワイン城と一体化することや衛生的な瓶詰めラインの構築、ワイン城の1階を民間の皆さんに開放して物産館化すること、観光客にワイン城の施設を体感していただくことなど、いろいろな課題を同時に解決しようとして取り掛かった事業でした。わたしがワイン城担当部長時代にそのような考えを内部で提案・検討し、さらに議会の特別委員会にワイン事業の経営計画や資金計画を諮問し、答申いただいた整備計画でもありました。経営状況では一時借入金をすべて返済し、建設整備基金も積みあげて準備を進めていたところでした。 折しも国の構造改革や三位一体改革による地方交付税の激減により町の収入が減り予算規模が小さくならざるを得ず、職員数や人件費の削減、町民の皆さんにごみの有料化や上下水道料金、使用料手数料の値上げで協力いただくなど、行財政改革真っただ中の時期でした。 「ワイン城を10億円をかけて改修、工場を建設するなど、勝井町長は正気ですか」、「担当部局の職員が納得していません」、「職員の給与を減らして、多大な資金を投入することは理解を得られません」「私は絶対反対です」などと、メールや書面で意見を受けたことがありました。 「取り組まなければいけない、いくつかの課題を挙げた通りで、それ以外に何か対策があれば提案してもらいたい」と返したこともありました。
 各種の課題解決と販売安定に向けて理解してもらえるものと考えていましたが、強く行革を進める中で財政的な心配や不安があり、町長に対して意見する行動に出たものと振り返っています。

< 新たなる役目を果たす施設 >
 ワイン城西側の「物産の館」は、十勝ワインはもちろんのこと、池田町の自慢の各種物産の販売で長く活躍しました。 ワイン城の改修に当たり、当初の計画から瓶詰め部門の移設により空くので、できればワイン城全体を観光施設としてお客様に開放するよう検討を始めたものです。研究所の職員が最大限の効果を期待しながらアイデアを出し、蒸留室や樽熟成庫の見学や試飲などもできるように1階を物産コーナーに一新しました。品揃えや応対の良さもあり、エージェントなどの専門家の皆さんに物産施設として今も好評を得ています。
 役目を終えた利別の「ワイン配送センター」は、隣接する十勝池田町農協に購入してもらい、「小豆氷温ストレージ」として利用されることになり、自慢の池田小豆の高い品質を保持するため、十勝特有の自然エネルギー、氷温熱を利活用した先進的な取り組みとして全道のモデルになり、昨年、北海道経済産業局長表彰を受けています。
 旧「物産の館」は、池田町出身のドリカム、吉田美和さんの大きな協力でDCT garden IKEDA(ディーシーティー ガーデン イケダ)に生まれ変わり、全国の幅広いファンの皆さんがたくさん来訪するようになり、池田町の観光資源の一つになりました。 
 衛生的な瓶詰めが可能となり、ダンボールに入った十勝ワインの熟成安定化のための出荷システムや倉庫併設の新工場完成により、所期の役目を達成した物産の館、ワイン配送センターそして旧工場はいずれも、最善の形で再利用して効果を発揮し、活躍する施設に生まれ変わったものと振り返っています。

< レストラン 町営から民間へ >
 国内のバブルも弾け、道内の歴史ある北海道拓殖銀行の破たんといった道内経済界を大きく揺るがす事件もあったようにデフレとなり、しかも景気悪化が連鎖的に進行するデフレスパイラル状態でもありました。 池田町の出資した第3セクターはアンテナショップ「レストラン十勝」を経営し、牛肉など地元食材をピーアールすることで、町の情報発信にも大きく貢献しました。長年の経営の中で好評を得た時期もありましたが、不景気動向で消費状況も変わり、調子が良かった札幌や東京でも全体の経営にも陰りが生じていました。 町外の第3セクターとの関係、経営状況も健全に向ける必要性を感じました。関係者の皆さんといろいろな改善策を検討し努力していたようですが、いよいよ経営の在り方を見直すべきと思い、町資本参加の第3セクターではなく、意欲のある個人経営に移すことに取り組みました。後に東京も経営形態を変えることになりますが、会社の清算とともに札幌のレストラン十勝大通大五ビル店を閉めることになります。 その後、名前を残しながら、札幌駅前に系列店としてレストラン十勝を個人経営として移転、再開することになりました。
 東京においても、都内レストラン十勝とワイン卸を経営し販売流通拡大の大きな役目を果たした株式会社十勝を清算することに発展します。 首都圏での流通促進と販売拡大する目的の第3セクターの設立時から資本参加され、応援いただいてきた会社や皆さんにご迷惑をお掛けすることになってしまいます。 多額の不良債権が残ったままの経営であり、監査委員から指摘されていたこともありました。本体のワイン事業の今後や十勝ワインの将来に問題を残すと考え、株主総会で第3セクターの清算整理が必要との考え方を述べ、役員会を重ねながらご理解いただきました。町議会においては、特別調査委員会が設置され、株式会社十勝の経営経過や現状を調査されました。議会の同意をいただいて進めることになりますが、問題処理や課題の解決には清算することが必要で債権の放棄も必要との考えを述べさせていただき、最終的には弁護士に相談しながら整理したという経過です。
 開設当時から、盛況を誇ったワイン城のレストラン十勝でしたが、時代の変遷とともに営業収益もだんだん減ってきました。経営改善のために営業を夜間に延長したり、メニューを見直しコストを削減するなど努力を重ねても赤字が続く状況になってきました。単年度経営に赤字が出るようになり、メニューや単価を下げる検討をしたり、コストダウンを図ったりしましたが限界と判断し、町営方式の閉鎖を決断して、募集し選定した現在の会社にお願いするに至りました。
 利用しやすいメニュー単価となり、好評を得ている反面、以前の町営レストランの形態やメニューをしのぶ方からご意見をいただくことがあります。しかし経営がうまくいかずに継続できるはずがありませんので、ワイン城に来城されたお客さん本位で、いつまでも十勝ワインとともに利用されるワイン城の飲食部門であってほしいと願っています。

< 物づくりと流通、観光 >
 ワイン城は、当然ながら池田町や十勝ワインを全国に知っていただくことに大きな貢献をしました。帯広市の方が本州で「十勝の帯広市ですが」と言うと「十勝の池田町なら分かります。」と返ってきて残念に思い「池田町は十勝ワインで有名ですね。池田町の近くの帯広と言わないといけません。」という話を聞いたことがあります。
 わたしも町長になってから、十勝圏活性化期成会などで十勝の市町村長と一緒に霞ヶ関の省庁を要望・政策提言して歩きます。 当選して間もなくのころでしたが、十勝町村会副会長だった音更町山口町長と一緒に財務省や厚生労働省を回った時のことですが、十勝ワインの池田町の隣の音更町長ですと名刺を渡しながら説明していたことを思い出します。もちろん、わたしも本分の要望や提案書を渡してお願いした後、秘書の方などにも名刺を渡し「十勝ワインの池田町です。レストラン十勝は東京にもあります。十勝ワインもよろしくお願いします。」と言うのを今でも実行しています。十勝の市町村や関係団体で観光に関係する会議の席で、池田町は一目置かれているように感じますが、ほかの町村も池田町を追い越せと懸命に観光行政に努力し、成果を挙げているようです。池田町全体での不断の努力が必要と思っています。
 ワイン事業だけでなく、池田町内の酪農家や商店により、研究を重ね工夫を凝らした乳製品やスイーツ、食肉製品などが生まれました。 
 北海道は開拓の地、いろいろな挑戦に理解を示す、とても素晴らしい地域だと今でも誇りに思っています。
 今、地球環境の維持改善、化石燃料からの新エネルギー、脱炭素社会実現の流れがあります。飼料不足になるとの問題も指摘されますが、穀物やビートからつくるアルコールも新エネルギーです。道内で試験的に取り組まれているヤナギなどの木質成分を酵素を使って糖化し、酵母の働きで糖分を発酵させてアルコールにする木質アルコールも注目されています。
 多くの町民の皆さんはご存知かと思いますが、ワインはまさに微生物や酵母、カビ、酵素などの働きがあっておいしいワインになります。ワインが古代からあったように、自然にバイオの力を利用していたという歴史です。
 この小さな微生物の大きな力、バイオは、これからも人間社会に大きく貢献します。研究開発も必要ですが、貪欲に利活用すべきと考えています。 池田町には、小豆・大豆などの豆類や肉牛、ヤーコン、つくね芋、葉わさびなど誇れる地場産品がたくさんあります。 これからも、より高い付加価値をつけた製品類を研究開発し、十勝ワイン、北海道池田町の名前を利用しながら、相乗的に販売を促進し、流通拡大に努める姿勢が必要と思っています。
 テレビ放送のデジタル化、デジタル光ファイバーの敷設、放送と通信の世界が情報革命といわれるほどに発達しました。商品の紹介や受注システムが早く、家庭からも容易にできるようになり通信販売、直販体制も増え、小荷物の流通も簡単になってきました。 高速道路のネットワークも徐々に完成に近づき、距離感と移動時間が短縮しています。北海道内外、中国など海外からの観光客も増えていくことでしょうし、増やす努力もしなければなりませんが、そもそもお客さんに見たい、体験したい、欲しいと思われる施設や商品、そして、もてなしの心、喜ばれる応対が求められています。

<これからのワイン城>
 これまでの35年、ワイン城は町民の皆さんとともに歩んできました。秋、甘く熟したワイン(醸造)用ブドウの収穫時期には、町内の多くのボランティアの皆さんに応援していただきます。
 町内の中学生の皆さんにも、ブドウを収穫してもらい、その時のワインを成人式にプレゼントしています。かつて、ワイン城町営レストランで実施していた「卒業生を励ます会」は現在、まきばの家で実施しています。
 ワイン城前庭から造成したイベント広場に場所を移し、全国に知れ渡る『池田町秋のワイン祭り』は今も盛況を保持しています。ワイン祭りは、現在は商工青年部の皆さん、青年部OBの皆さん、商工会が中心となり、多くのボランティアの皆さんの力も得て続いています。
 町民の皆さんも、親せきや知人・友人をワイン城やレストランに案内され、ご利用いただく姿もよく見ていました。
 果樹としてのワイン用ブドウの栽培、そして全国に展開する十勝ワインとして、海外のワインと品質的にも価格的にも競合できるワインとして製造販売できるワイナリーでなければならないと思っています。
 ワイン城が落成してまもなく、新聞で「十勝ワインはまがい物」と輸入ワインとのブレンドを話題にされたこともありました。ブレンドはバランスの取れたワインにするのに大切なことなのです。
 今、食品の安全・安心が強く求められ、国産、原産地の明確化も消費者から求められる時代となりました。地元十勝産あるいは北海道産として良品質の商品づくりが必要になってきました。
 原料ブドウの栽培には生産経費を賄うことができる単価でなければなりません。ワイナリーとしては、メーカーとして経営できる原料単価、製造コストでなければなりません。
 世界のワインブドウは、どこの国地域でもカベルネソービニオン、メルロー、シャルドネ、リースリングなどが多く作られ私は異常と感じています。これらはワイン品種として有名ですが、池田町の山葡萄と清見を交配した新品種の清舞や山幸ブドウも特徴も価値あるものと思います。世界の気候や土壌は異なりますので、その地その地の特性を認めあうことが必要ではないでしょうか。
 欧州勤務経験のある官僚が視察に来ますと品種の話題にもなります。ある事務次官が、十勝ワイン清見とアムレンシスを飲まれた際に、「世界中同じような品種ばかりではいけません。十勝ワインのように香りと味に特徴があり、地域特性のある地場産ワインが大切です」と心強くうれしい評価をいただきました。 これからも、より良いワイン用新品種を生み出すよう交配と改良を続けることが大切です。
 赤字が2年続きましたが、「とかち野」や「ブランデー原酒」など新商品の発売にも努力し、職員数を減らすなどコストダウンを図り、以前通りの黒字経営になりました。決算状況では、企業債としての長期借金もすべて返済し、一時借入金もせず、いま文字通り無借金経営の状況です。日本経済新聞のコラムか記事で、日本の会社で今、そのような無借金経営の会社は1割に過ぎないと発表されていました。
 これからのワインづくりと経営には課題も少なくありませんが、生産者も含めて町民による町民の事業であり続ければ、十勝ワインは永遠に残ると信じています。
 これまでの歴史を振り返り、ワイン事業に限らず、困難や課題に挑戦する町づくりに向かう物心両面にわたる旗印“ワイン城”にしたいものです。(了)

★ 45年ぶりの懐かしい再会    2010/01/31
 私は昭和25年寅年生まれですので、今年誕生日で満60歳、還暦の年になります。一月はじめ、久しぶりに宮城の生家に行き、中学校卒業生から案内があり、同級会を兼ねて安全祈願のお払いを受けてきました。
 塩釜の14代目になる伝統ある神社からおいでで一つ年上の宮司さんがお参りの仕方を説明しながらおつとめされました。
 久しぶりでしたので亡き父母、長兄、急逝した従兄弟などの墓参りもしてきました。宮城の実家も今年は雪が多く、降っても早めに融ける地域でしたが、屋根から落ちた雪など結構積もっていまして、雪の多かった子ども時代をふと思い出しました。
 中学2年の時、仲良しだった同い年の従兄弟が地震の後に「まだ揺れている」と言い受診すると脳腫瘍と悲しい診断、仙台の大学付属病院で手術するなど当時最新の治療を受けながらも若い命を失いました。それが同級生の最初のつらい別れでした。
 同級会の会場で用意された中学卒業名簿を見ますと卒業320名の中で26名の欄に「死亡」と記され、そんなに多くの同級生がすでに会えなくなってしまったのかと驚きと大きな寂しさを感じたしだいです。
 卒業してから45年も経ち、これまで一度も会えず会う同級生のなかに、一度も同じクラスになった事がなかったりで本当に分からない同級生もおりました。
 思い出話しにとても時間が短く感じた楽しいパーティーでしたが、「○○ちゃん」「○○くん」などと小さな頃の呼び方で尽きない懇談になりましたが、「勝丸ちゃん、オレを覚えているべ」とグラスを寄せてくる同級生もおり、思い出せないことを申し訳なく思いながらもそう返すことが出来ず「面影が残っているね」と言いながら、最後まで思い出せない出席者もおりました。 卒業アルバムと名簿を見ておけば良かったと反省しました。
 同級生と会うと学校時代の思い出がよみがえり、3年生までの分校のときの一クラス44名の同級生、4年生から小学校本校、そして他の小学校から一緒になった中学時代と、杉の落ち葉や薪を縄で丸く縛って作り、亜炭ストーブの炊きつけ用に学校に持っていったこと、中学校では3年間バスケットボール部で野球やソフトボール、テニスコートなどと一緒にグランド脇の外のコートで練習したことなどたくさんの楽しい思い出がよみがえります。
 20年以上前になるでしょうか、出身中学校から卒業生として寄稿を求められ、「“友人”は人生の財産です。友だちをたくさん作り、たくさん話し、生涯大切にしてください。」と言うことを中心に書いた経過があります。
 36年前の春、池田町に来てからも子どもを連れて帰省したり、時に会う友達もおりましたが、本当に幼い頃の友だちに会えることは本当に楽しいものです。 懐かしい思い出に浸り、「これからも健康に注意してまだまだ頑張ろう」と励まし合って別れた、一生に一度の還暦同級会でした。

★ 政権交代と池田町の予算編成   2010/01/31
 政権交代し、鳩山首相が初めての予算で「地域主権が一丁目一番地」と言い、国と地域のあり方を根本的に見直したいと強調されています。 地方交付税、臨時財政対策債が増額され、池田町の予算編成もほっと一息つける収入環境を見込めるようです。
 国の予算骨格の決定が遅かったことで、各自治体の予算編成も遅れました。 今、予算編成の最終段階ですが、この広報いけだが皆さんのお手元に届く時には予算も固まり、印刷が始まっている頃と思います。
 不況、失業率低下の雇用対策が急がれ、先の政権の取り組みも十分でなく新政権においても経済対策も追加されます。新年度予算では、地方重視の姿勢から地方自治体固有の財源とも言われる地方交付税が少し増え、各種事業をほぼ計画通り進めることができそうです。
 ただ、昨年の長雨により小規模でしたが道路や河川でたくさんの被災箇所の災害復旧や冷湿害対策による緊急土地改良対策や町立病院経営赤字の穴埋めなどで臨時の支出に備えた貯金、財政調整基金が減ってしまいました。 できれば、その減った分を基金に戻して次の備えに少し増やしながら蓄えることが必要です。 財政破綻した夕張の再建計画の見直しが連続して記事になっていました。職員数を大きく減らし給与も全国で一番の削減をしていますが、健全化を図る再生期間を短くするよう市長が国や道に働きかけしています。よその町でも職員給与を減らすなど懸命に行財政改革を進めていることもあり、夕張だけ特別に財政支援を増やすことも難しい姿勢が報道されていました。しかし、市民の安心のため診療所の改築をしたり、活性化策も計画に含まれているようです。 池田町ではそのような状況にならないよう、町民の皆さんにもご負担をお願いしながら事業の休廃止など見直しなどの行革を進めてきたことにより、赤字にならない池田町の財政があり、十分ではありませんが基金も用意しながら、耐震性に問題あり老朽化している町立病院や池田中学校の改築が大きな課題ですが取り組んでいます。
 これからも将来を鑑みて、町民の皆さんの負担軽減、各種事業推進、経常的経費にあたる人件費、借金返済の公債費などのバランスをとりながらも安定した行財政、安心の町づくりを進めたいと思っています。 町長になって10年になりますが、構造改革や三位一体改革で収入が激減し、行革を余儀なくされたことを思い起こしながら来年に向けた予算協議を行っているところです
 昨年11月の全国町村長大会で鳩山首相が「地方があって国がある」と挨拶されていましたが、新政権が地方重視の姿勢を継続しこれからの政治を進めてもらいたいと切望しています。

新年交礼にあたり   10/01/06
 あけましておめでとうございます
 今年も元旦の朝、まきばの家展望台に上り、池田市街や帯広方面や日高山系、北西に東大雪山系、に北東に雄阿寒・雌阿寒山系、南に十勝沿岸方面を見渡しながら(今年は雲の合間から初日の出を見ることも出来ました)、災害の無い一年、農作物の豊作、たくさんのお客来訪、子どもから高齢者まで健康で活躍する池田町の一年を願ってきました。 すでに、正月に私のホームページに新年に当たっての思いを述べさせていただいています。 参考に見ていただくようお願いします。
 新政権になり、補正予算や新年度予算の骨格が決定し、国会論議が始まります。 そのとおりに進むものと思われますが、池田町の予算編成についても明日から実際の予算協議を行う予定です。
 地方財政、ほっと一息と言ったところですが、国家財政が職員の皆さんの承知のとおり、夕張市よりも大変な財政収支と言われている状況です。 地方交付税が歳入の多くを占める池田町にとって、今後の地方財政の動向も予測しながら、少し先を見た町づくりを行っていく必要があります。
 年末に新政権として、ようやく新成長戦略の基本方針を明らかにしました。 5%台に上っている高い失業率、見方によっては実質は10%に近いと指摘される方もいます。 成長と言うより、失業率を下げる、雇用の創出、そのための策ともいえます。 外需から内需へとの意見もありましたが、日本は輸出が大きい産業経済構造ですので外需も大切と思っていますと、成長戦略に「需要からの成長」と明記されました。
 施策として、今後10年間で環境・健康・観光で100兆円を超える需要を生み、400万人を越す雇用を生むとしています。 近年、投機マネーがあり高騰、乱高下した石油価格、飼料が国民生活や国内産業、農業に大きな影響をもたらしました。 リーマンショックから世界に派生した金融破たん問題もありました。 そのようなことから、今、失われた20年からの回復、復活策が必要と表現される方もおられます。
 『環境・エネルギー』分野は、太陽光発電・電池、風力・波力発電、家畜糞尿や木材の有機物からつくるバイオアルコールなどをつくりなど再生可能なエネルギーを産業と生活に利活用することです。
 『健康』分野は、高齢化が進み、人口減少に向うなかで、医療と介護、健康関係で成長産業化を図ることで、医療技術、医薬品、機器の研究開発実用化、バリアフリー住宅を増やす施策です。
 『観光・地域活性化』は、海外からの観光客現在の700万人ほどを2千万人に増やすこと、食料と木材の自給率を50%に上げる目標です。農産物商品を1兆円を超そうという施策です。
 こういった施策で新規雇用を476万人(環境・エネルギーで50兆円:140万人、医療と介護で45兆円:280万人、観光立国で56万人)増やす戦略です。
 このほかにも上げられていますが、今の池田町の現状と課題解決に当てはまるものが多くあります。
 これら国の政策展開を、これからの池田町で公、民間とも活力ある町づくりに大いに活用していく必要があります。
 今年の国関係の事業として、
・大森利別左岸排水整備事業が工事が具体的に着工し、約7年後完成に向かいます。
・美加登の最終処分場が平成23年度完成、稼動に向かって進みます。
・北海道横断自動車道が来年開通に向かい工事が進みます。
 町の事業として、
・ICT交付金を利用した全町の光ファイバー敷設と地上デジタル難視聴地域解消を進めます。
・町立病院老人保健施設併設の建設工事が行われます。
・池田中学校の改築に向け、実施設計に向います。
・湿害を防ぐべく、排水改善を図る土地改良が取り組まれます。
・ふるさと元気基金の活用で、農商工連携を期待しながら起業、製品開発など活性化のお手伝いをします。
・子ども夢基金の活用で、子どもに元気と夢をもって進むよう取り組みを支援、推進します。

十勝毎日新聞社の「2009年一年を振り返る首長のコーナー」に寄せたものに追加して
<うれしかったこと・感激したこと>

・池田高校卒業の長島、及川、太田選手が500メートルスピードスケートのオリンピック決定(一つの高校から4人のうち3人とは全国的にも稀でないでしょうか)
・ドリカムが明日のNHK紅白歌合戦のトリ(赤組として最高の名誉です)として出場
・地方交付税が総務省のほぼ要求どおりに新年度予算に計上(出口ベース昨年比6.8%増)
・新たな過疎法が5年程度延長(本当は恒久法であるべきです)
・大森・勇足地域の直轄排水機整備事業の工事に向け設計始まる。
・全国・全道大会出場(柔道池中2年山本君が全国大会出場、陸上・水泳・ミニバスケットボール・バドミントンなど全道大会出場、全道中壁新聞コンクール高中1,2年準大賞、池中入賞賞)など、今年もスポーツや文化活動で子どもたちが大活躍。
・ワイン城東に町内中学生が植えたドリカムブドウ畑が出来た。ワイン祭りが昨年に続き大盛況、高橋はるみ知事来場。
・池田保育園増築完成し4月から利別保育所と統合。子どもセンターと共に運営が始まり、保育はもちろん運動会やお遊戯会なども元気に実施。
・健康づくり「ふまねっと」活動、ゲートボール、パークゴルフなどが活発。介護や医療費の減少に期待。
<残念・悔しい・腹立たしいこと>
・長雨などで農作物が冷湿害により大被害を受けた。また長雨で道路や小河川の多数の箇所で復旧工事を余儀なくされた。
・12月にしては雪の量が多いこと 
・土地改良事業の削減で川合地区の排水機整備事業(老朽化した設備の更新事業に他なりません)が先送りになったこと 
・水田対策で産地確立交付金(米作の転作奨励金)が激減すること  
・デフレ突入(スパイラルが心配)、雇用不安が続いている。 政府の有効な経済対策を期待する。
・中川昭一元財務大臣急逝。さまざまな事業推進支援に感謝。
<来年の抱負・期待>
・子ども夢基金、ふるさと元気基金が活かされ、人づくり、活性化に寄与するよう期待したい。
・老人保健施設併設町立病院の工事が始まり、池田中学校改築も実施設計へと進み、一歩づつ完成に向かう。
・新政権に十勝農業を守る農政を期待。来年は天候が順調で災害が無く、豊作であって欲しい。
・小学生から高齢者まで町民皆さんが健康でさまざまな分野で活躍して欲しい。
・地球上の紛争、テロなど無くなる平和な世界になって欲しい。ノーベル平和賞受賞の米国オバマ大統領に期待したい。

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新年にあたり (その2)  10/01/03
 半世紀以上にわたり政権を担った自民党への不満や反発があり総選挙で政権が交替しました。 国民の目を引き寄せた事業仕分け、前政権の予算の見直し、暫定税率の形を変えての維持、子ども手当と税控除の見直しと抱き合わせでようやく方向が決まりました。 日本の将来へ向けての投資にあたる科学技術費の削減など批判も出て、最終的には少しの削減に止まったようです。
 池田町にとってもこれまでの継続する国の事業や財政依存度の高い地方交付税の行方など国の地方財政策が心配でしたが、「減った分を元に戻せ」と地方が発言していました。 年末に新政権としての新年度予算概要が閣議決定され、そういった地方の状況が理解され地方交付税が増加することに決定しほっとしています。 予算編成が定まらずにいましたが、新年早々、これから池田町の新年度予算編成作業を進めることになります。
 一昨年からの世界的な経済不況が回復しだしている様子も確実ではありませんし、日本の経済状況は事業仕分け、デフレ脱却、経済対策も行われ、おおきな筋道が望まれます。
 戦後農政の大改革が行われ3年目になりますが、生産費と販売額の差を埋める戸別所得補償政策に替える政策に転換する方向です。
 限りある地球資源である化石燃料から自然からの新エネルギーとして太陽光発蓄電、再生可能な木材資源をエネルギーとしてのアルコールに変えるバイオエネルギーに生活・産業熱源を転換する方向に動いています。
 地球環境を守るべく、国連気候変動枠組み条約の会議(COP15)が行われていましたが、それぞれのお国事情、経済に及ぼす柄影響から協議が難航し、削減義務も長期目標も掲げることが出来ず、議論を継続しましょうとなったようです。日本は25%削減すると大きな目標で世界をリードする姿勢を示しましたが、これから経済産業活動がどんどん高まるだろう新興国、途上国の課題も大きく、将来の地球環境、温暖化が大きく懸念されます。
 昨年は、「農業を始めてこのような年はなかった」と多くの町民の皆さんから聞きました。そのようなほとんどの作物で冷湿害、収量減という残念な年でした。地球環境の異変とは言いませんが、温暖化による気圧変動、これまでにない天候の変動が大きくなければいいがと思っています。
 今年は、いい天候が続き、昨年分を取り戻す豊作の一年になって欲しいと願っています。
 農業商工連携も課題です。池田町では起業や製品開発、人材育成などのためのふるさと元気基金も活用が増えました。活力を生む原動力を期待したいものです。
 同時に用意した子ども夢基金もいかしていただきたいと考えています。
 今年は新しい町立病院の工事が始まります。来年中に新病院と老人保健施設併設、民間法人などの介護施設も増設され、家族を含めて町民の皆さんの安心の拠点が充実する予定です。
 政権交代による過疎の町村にとって人口維持・向上、生活しやすくなり、都市と地方が均衡ある地域主権の日本となるよう、町民の皆さんにとって将来に安心して住みやすい池田町にしたいものです。

新年にあたり (その1)  10/01/01
 政権が変わり、はじめての新年ですが、まだ池田町の新年度予算編成の骨組みが定まりません。
 一昨年からの世界的な経済不況が回復しだしている様子も確実ではありませんし、日本の経済状況は事業仕分け、デフレ脱却、経済対策 も行われ、おおきな筋道が望まれます。
 池田町の子どもたちも精いっぱい勉強し部活動など元気いっぱいがんばっています。
 高齢者の皆さんも体を動かし、元気な皆さんが増えているように感じています。
 誰でも病気になりたくありません。しかし、高齢になるとしたがって体が弱ってまいりますし、忘れっぽくなったりや自由が利かなくな ってきます。今年は新しい町立病院の工事が始まります。来年中に新病院と老人保健施設併設の町民の皆さんの安心の拠点が完成する予定 です。
 総合計画作成のため町民の皆さんからのアンケート結果で「池田町に暮らしたくない」という方が残念ながら21%あり、その理由が「 医療と福祉のサービスが充実していない」でした。
 予防教室や乳幼児からの各種検診、認知症予防や介護予防の体の維持活動の取り組みも大切ですし、保健と医療、そして介護、福祉との 連携が大切で、保健センター、町立病院そして施設・在宅両方の介護事業との地域内の連携して対応する地域ケアの仕組みが必要です。
 今回の町立病院と老人保健施設や特別養護老人ホームなど建物だけでなく、介護や弱ってきた対象の方を中心にして相談を受けながら適切な サービスを用意、利用するよう、医療保健福祉に関係する病院や施設、専門の人たち連携をよりいっそう進めていくことが必要です。
 先日、町立病院や福祉事業に関係する皆さんに集まってもらい、地域医療振興協会が新潟県湯沢町の公立病院を指定管理している井上先 生が来町され講演いただきましたが、保健・医療・福祉を統合した「地域包括ケア」が必要があること、湯沢で実際に行っていることをお 話いただきました。
 グループごとに話し合いも行われ、現場でも連携が必要であることなどいろいろな意見が出されたようです。
 井上先生 の印象では、池田町の皆さんは一生懸命でいい地域包括ケアの姿が期待できると言ってくださいました。関係機関によるいい連携をつくり あげ、予防から健診や検診、帯広中心の医療機関との連携も含めて、医療や介護に安心して生活できる、健康づくりの池田町にしていきた いとお思います。
 どなたにとっても健康は大切です。健康診断や検診を受けて、大事に至らないようにしてください。そして日ごろの健康に気を使って、 食事や運動に努力することも必要と思います。
 昨年は、農業を始めてこのような年はなかったと多くの町民の皆さんから聞きました。そのようなほとんどの作物で冷湿害、収量減とい う残念な年でした。
 今年は昨年分を取り戻す豊作の一年になって欲しいと願っています。