『佛』
ブッダ生誕の地である、ネパール国ルンビニーに向かう為、インドからいちどネパールに入る。
ネパール国ルンビニーにあるマヤデビーテンプル。
只今新築中につき、中に入る事は出来ない。
以前この建築中の場所には、こんもりとした丘があり、菩提樹の木があった。
柵の上に「ブッダ生誕の地」と書いた説明書きが立っている。
ネパール国のルンビニーでシッダルタ(お釈迦様)は生まれた。
写真は、この地ルンビニー園にかつてあった、マヤ堂内部の物。
マヤ婦人(母)の脇の下からシッダルタ王子が生れ落ちたところが彫られていた。
現在は、以前、菩提樹が立っていた丘に、一つ前の写真の建物が建てられている。
お生まれになってすぐにシッダルタ王子(お釈迦様)は、この池で産湯に浸かった。
皆さんはこの水の色を見て、どうお感じになるでしょうか?
ミドリ色のコケがわいています・・・この中に入れますか?
この池を守ろうと思う気持ちがコンクリートの囲いを作り、
かえって濁る原因を作ってしまいました。
当時は、ただの土の池で、いつでも水が澄んでいたのです・・・。
元に戻すべきでしょうねー。
ネーランジャーラー河(尼蓮禅河・にれんぜんが)。
河の水は冷たく、清らかに澄んでいた。
5人の修行仲間(バラモン僧)との苦行(タパス)をやめたシッダルタ(のちの御釈迦様)は、
苦行の森(写真の右後ろ奥にわずかに写っています)の奥から、
こちら岸まで河を渡って来られた。
村娘スジャータからの乳粥(ミルクライス)の供養を受けたのもこの辺りである。
シッダルタの体力が回復するまで、一週間ほど掛かったそうである。
この場からシッダルタは、悟りを開くべく、現ブッダガヤの地に向かった。
彼の行動の一部始終をジャングルから見た5人の仲間達は、
シッダルタが堕落したと思い、移動をする事を決め、心身ともに遠く離れていった。
ブッダガヤの大塔。
ネーランジャーラー河から、この地まで歩いたシッダルタは、
菩提樹下で命懸けの瞑想に入る。
12月8日の夜明け前、
東の空に出た明けの明星(金星)の光が、
瞑想をするシッダルタの眼(まなこ)に入るなり、
その永く深い瞑想から覚め、
大いなるお悟りをお開きになり、
仏陀(お釈迦様)となられた。
そして、これまで苦行を共に続けてきた5人のバラモン僧達に、
大悟したての法を説く為、
ムール・ガンダクティー・ビハーラ(麓野苑・ろくやおん)へ向かうのであった。
その瞬間(語り始め)が佛教の始まりである。
仏陀、御歳、35歳(数え)のときであった。
日の出時刻、ヒンドゥー教の聖地・ベナレス(ガンジス河沿いの町)のガート(沐浴場)の瞑想台にて。
仏陀は5人の修行仲間に悟った法を説く為に、ここベナレスにも彼らを探しに来ている。
勿論、ガンジスでの沐浴もしているはずである。
当時も今も河で沐浴をする事は宗教色に限った事ではなく、入浴をする事と同じであった。
ここの直ぐ向かって右側が「ダーピター」(荼毘=火葬)をする処。
私の左で直立している男性は、この瞑想台上で毎日瞑想をし、御来光を仰いでいると言うアメリカ人。
後ろに居るのは、数珠売りの男(瞑想や沐浴をする外国人には、一切の物売り行為をやめるようである)。