さすらい人幻想曲

第1章:成都 Chengdu

 アメリカ人19人と私は、香港の成都行きのゲートで待ち合わせをする事になっていた。 フライトが朝の8時だったので、前日香港に一泊してから、ホテルを6時前には出た。 順調に、香港新国際エアポートに入り、ゲートインしたとたん・・・、早くもスーツケースが検査にひっかかってしまった。 「荷物の中にスプレー缶らしき物が見える!」・・・とのこと。 それは、出発する前に、登山用品店で購入した酸素ボンベだった。 『ラサ』入りした時の高山病を防ぐ為、わざわざ購入したのに、その場で没収されてしまった。 「ついてないなあ」・・・と思いながらも先を急いだ。 ・・・ところが成都に向かうドラゴンエアーの出発ゲートには、アメリカ人らしきグループが何処にも見当たらない。搭乗時間になっても誰一人として来ない。焦り始めた頃、機内搭乗の最終コールが掛かったので、思いきって、独りジェット機に乗り込んだ。そのとたんに、機は離陸してしまった。

 あわてて荷物から旅行の日程表を引っぱり出して確かめ、スチュワーデスに聞いてはみたものの、「この便の乗客リストには、現在搭乗されている方だけのお名前しかありません。」・・・と、やけに落ち着き払った声で答えが帰ってくるだけだった。 ホテルのリストも持っていないし、成都から先のチケットも持っていない。 持っているのは、インド・デリーからの帰りのチケットと、トラベラーズチェックだけだ。 ここまで来ると開き直るしかない。 運は天まかせだ。
 楽しみにしていたアメリカ人とのグループツアーは、予期せぬ形で、孤独な一人旅へと変わってしまった。 心なしか、空から見る果てしない中国大陸も殺伐として映る。取りあえず、成都に着いたら、チケットカウンターで、グループに何が起こったのかを追跡しようと思って飛行機を降りた。
 パスポートチェックカウンターと、バゲッジクレームだけで、いっぱいになっている小さな飛行場には、他にカウンターらしき物が何もない。 軍服のような姿の男性数人が、神妙な顔をして立っていたので、パスポートチェックが済んだあとに英語で質問を試みたが、「何も知らないから早くここから出ろ!」 ・・・と言っているのだろうか、現地語で冷たく答えが返ってくるだけだった。
 外は砂漠のように殺風景で、中国語の派手な看板があちらこちらにある。広場には今にも壊れそうなバスが何台か止まっていて、いかがわしそうな運転手達が私を取り巻いて、「タクシー!?タクシー!?」・・・と呼びかけてくる。 あたりは、べっとりと汗が出るほど蒸し暑く、私はカルチャーショックとパニックで、呆然としてその場に立ちすくんでいた。

 心臓がトカトカ鳴る程の不安にさらされている、このような時には、きっと天は何らかの形で手を差し伸べて下さっているのだと思う。 それをキャッチするアンテナが必要なだけだ。 その言葉どおり、天は私に助け舟の天使を遣わして下さったのである。 不安で胸が押つぶされそうだった私の眼の前に、ふと気がつくと、精悍な感じのヒゲがよく似合う一人の東洋人が立っていた。 一目で旅慣れたバックパッカーらしさが感じ取れた。 軽装で、小さなバックパックを背中に一つ背負っているだけだ。 その人が私に英語で話しかけてきた。・・・ 「Excuse me, where can I exchange money?(どこで両替できるでしょうか?)」
 彼の優しそうな目と日本人特有の英語の発音に不安が少し薄らいだような気がした。 「日本人ですか?」 「そうです・・・高知から来ました。」

 ふさふさの黒髪と良く陽に焼けた顔から爽やかな微笑みが返って来た。彼とは確か飛行機も一緒だった。機内でチラっと見たのを覚えていた。チベットとかインドが、いかにも似合いそうな、自然体で生きているような粗野な風貌に日本人とは思わなかったのだ。
 私の事情を説明すると、彼は人なつこい微笑みを見せながら、「こういう事があるから旅は面白いんですよ。きっとなんとかなりますよ。良かったらとりあえず僕らと一緒に町に行ってみましょうか?」と言って、もうひとりの旅仲間を紹介してくれた。助けてくれた野性的な男性が鶴見さんで、彼とは正反対の清楚でまじめな雰囲気の相棒が吉村さんだと紹介してくれた。
 「それは不安ですよねえ。とにかくマメに連絡をとってみることですよ。アメリカから5000ドルの旅というんだから、かなりリッチだと思うんで、市内の高級ホテルをあたるとか、、。」と気を使いながら言う吉村さんを背に鶴見さん・・・バスのたまり場のところで何やら交渉中。 しばらくして駆けて来て言った。
 「タクシーもいいんやけど、ローカルバスも面白いかも、、。乗ってみましょう。」 私は喜んで彼らに同行させてもらうことにした。

 日本だったらとっくに廃車になるようなシートも壊れているバスに乗り込んで、地元の中国人達に囲まれる。四川省独特の八角と山椒の実の香りが入り乱れてツーンと鼻に来る。鶴見さんが「ああ、この匂いだよ。中国の匂い!岸さんわかりますか?これなんですよ、これ!」とはしゃいでいる。丸顔の子供のような中国人の車掌娘が片言の英語で「Where are you going?」と何度も聞く。腕を頭の後ろに組みながら「No plan, no plan. Maybe your house!」と言って女の子の困惑した顔にワハハハと笑ってみせる鶴見さんと、神妙な顔で「地球の歩き方」で宿を調べる相棒が楽しくて私も不安がいっぺんに吹き飛んでしまった。
 「僕もロスにしばらく住んだことがあるんですよ。」
自然が似合いそうな鶴見さんと眼鏡をかけたサラリーマンのような吉村さん。彼らが、この旅の相棒同士になるまでいったいどんなドラマがあったのだろう。いったいどんな人生を歩んで来たのだろう?彼らも私のことをそんな思いで見ているにちがいない。そんなところが旅の醍醐味なのだろう。どこかの未知の地に突然踏み込んで、非現実的な場所で非現実的な経験をして未知の人々と関わり、まったく新しい自己を発見する。そしてそこから思い出ができ、物語ができる。

 とりあえず彼らと同じホテルに泊めてもらうことにして一件落着。ラサ入りのために世界中からバックパッカー達が集まるという手頃な値段のホテルだという。まだいささかキツネにつままれたような感じはしたけど、鶴見さんといると何にも恐くなくなるから不思議だ。
 「もしこれで、他の仲間に会えなかったら、これからの旅も御一緒させていただいてもいいですか?」
 「いいですよ。それも面白いかもしれない。でもその荷物の半分は捨ててもらいますよ。アメリカから5000ドルの贅沢な旅とは大違いになっちゃうし、かなりハードで風の向くまま、気の向くまま的旅だけど、アドベンチャー気分は味わえるかもしれない。」
 「足手まといになったらどっかに捨てて行っちゃって下さい。」
 「冗談じゃない。高知の男はジェントルマンですよ。女性が一緒だと花があっていいかもしれない。」そんな会話をしながら約40分、埃だらけの道をバスに揺られた。バスを降りると鶴見さんがそこに群がっていたリクシャーの薄汚れた男達とやりとりしたあげく、帰ってきた。
 「岸さん、リクシャーに乗ってみましょうよ。そう。でかい三輪車みたいなもんですよ。5元で交渉したから。旅はなんでも経験ですよ。」
 3人で3台のリクシャーに乗ってレースをしながら私はふざけてビデオをまわした。彼らの思い出は、この初めの1〜2分のビデオだけになってしまった。どうして住所を聞かなかったのか、どうして3人で行った本場の「麻婆豆腐」の店で写真の一枚でも取らなかったか、今にして悔やまれる。でもそれが私達の縁だったのかもしれない。

 夕方ホテルのロビーで待ち合わせて3人で食事をしに行った時、鶴見さんと吉村さんが私のために情報集めをしてくれていたのがわかった。その夜の10時頃にホンコンからの飛行機が一便あるらしいので食事のあと再び空港へ行ってみるべきだとのこと。
 「ホテル内で観光業をやってるチベット人からラサ入りのチケットが手にはいるらしいので、ついでに友達一人、今夜空港まで連れて行くよう頼んでおきました。岸さんさえその気なら。」
 人間、見慣れぬ土地で同じ国の人間の情けに触れるほどありがたい事はない。旅のトラブルは、あとで充実した思い出にも成りえるのだと思う。もちろんこういった天使達が現われて万事うまくいってのことなのだろうが、、。

 言葉がまったく通じないチベット人のドライバーに、しょっちゅうエンジンが止まってしまうポンコツ車に乗せられて、その晩また空港に向かう。中国の道路はとにかくものすごい。インドはこんなものではないと聞いたがあちらこちらから古びた車、リクシャー、バス、バイクが入り乱れて、絶えず悲鳴のような警笛を鳴らしている。むせかえるようなほこりが舞う道端でフルーツ売り達がしゃがんだまま、ボーっとしている。こんなに広い国にこんなにも多くの人々がひしめきあって生きている。通行人や自転車が束になって道路に飛び出して来る。そのたびに車が、けたたましい警笛を鳴らしほこりをたてて止まる。道路の両側に並ぶけばけばしい漢字のネオン。生温いベットリとした空気が窓から入って来て軽いめまいを引き起こす。

 空港近くの小さな茶屋で陶器の茶碗の中いっぱいに花が咲いたような「菊花茶」を飲みながら日本を出発する数日前から読み始めた遠藤周作の「深い川」を最後まで読んで時間になるまで待った。背景はインドのベナレスだけにとてもタイムリーで、これも天のおはからいだと思った。
 日本からインドに向かって旅をする旅行者達。偶然が必然にも思えてくる旅人同士の出会い。その一人一人の人生。それぞれのつらい人生が運命の糸となって絡まり合い、関わり合いながらガンジス川の流れと一体になる。何が彼らをインドへと駆り立てたのか。
 私の旅の目的とはいったい何なのだろう。これからの3週間、どんな経験と出会いが私を待ち受けているのだろう。アメリカから来るはずの19人はそれぞれどんなストーリーを抱えているのだろう。期待をいっぱいに膨らませて香港のエアポートに到着したのにグループに会えなかった私が、今たった独りで夜の中国の茶屋で茶をすすっているのが不思議に思えた。グループのリーダーであるフランクからの旅の誘いの電話を含む何もかもがまるで幻だったような、アメリカからのグループは永遠に現われないような気がしてきた。
 私の予想通り、香港からのゲートからは誰も出て来なかった。私が乗った飛行機は国際便で、その晩着いたのは国内便だったらしい。

 行きは連れて来てもらったが、帰りはたった一人、重い足取りでオンボロバスに乗った。まわりの中国人達は突然夜中にひとりで乗り込んできた日本人女性をめずらしそうに見た。目的地に無事着けるかどうかもわからなかった。空港からの道路は昼間とまったく様子が違って、暗闇の中、どんなに目を凝らしてもガタゴト揺られて走っているバスの窓に写る自分の顔しか見えない。ホテルの名前を書いた紙を車掌に見せても通じているのかどうかさえわからない。街灯もろくにない成都の町を異様なほどにカラフルに染める漢字のネオンもどこも同じように見える。
突然車掌が手まねきした。私は夜もふけた町に吐き出された。そこが昼間に鶴見さん達と降りた所なのはわかった。と言うことはホテルはここからけっこう遠い。とたんにまたリクシャーの男たちに囲まれた。私はそうとう疲れていた。女一人でリクシャーに乗ることに不安を感じながら薄汚ない男の一人に5本の指を広げて見せて
「Five, OK ? Five GEN !」と少しドスのきいた声で言ってみる。
「OK, OK Five !」
 私は思い切ってリクシャーに乗り込んだ。ホテルの名前を見せる。私はなるべく注意して今日鶴見さんたちと通った道をちゃんと行っているかどうかキョロキョロと見回していた。様子が変だったらいつでも飛びおりようと思っていた。自転車をこいでいる男が、もう一度、ホテルの名前を見せろとジェスチャーで言う。ホテルの薄っぺらな紙を出したとたん、彼は私の手からむしり取って見て、ジェスチャーで足が痛いから50元だと言ってきた。
慌てた私が「No, no ! FIVE !」と叫んだら、彼は急に怒りだした。ホテルの看板が見えたので飛びおりてゲートまで走ると彼も追いかけて来た。そこでボーっと立っていたホテルの門番にわけを話そうとするのだけれどまったく通じない。しかたがないので門の入り口に5元を置いて走ってホテルに入った。
 部屋のベッドの上に足を投げ出しながら、リクシャーの男の薄汚ない顔と筋肉質の足を思い出していた。あの男には、きっと女房とお腹をすかした子供達がいるにちがいない。だから少しでも多く稼ごうと夜中の成都の町で自転車をこいでいるのだろう。汗にまみれて、マメだらけの手で、、。 50元は日本円にして約1000円だ。そのくらい払ってあげたら、次の日の一家の食事代にもなったかもしれない。いやいや、、。5元と約束したのにあれは詐欺だ。日本人の女の独り旅だと思って付け込んだのだ。あれで言われたままに渡してたら「だから日本人は」ということになってしまう。旅は長いんだ。注意しよう!!

 疲れきってベッドに横たわってウトウトすると夫からの電話。私が昼間送ったFAXを読んで日本から色々と問い合わせてくれたようだ。嵐のためロサンゼルス行きのフライトが欠航になり、コロラドにいるエリックとロスを除いたテネシー発の17人が、アトランタで一泊することを余儀なくされたらしい。したがって次の日の同じ飛行機で成都入りするはずだとのこと。つい2日前に日本を出たばかりなのになんとなつかしい我が夫の声。やっとミステリーが解決したような気持ちで眠りに落ちる。

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