さすらい人幻想曲

第11章:リシケーシュ    Rishikesh

 ベナレスからデリーへ飛行機を乗り継いで向かった。到着した時はもう日暮れ近かった。早く起きてサールナートで半日を過ごしたので、デリーに到着した時は皆が相当に疲れていた。スケジュールのきつさだけではない。大量の汗をかくのでいつもホテルに着く頃には全身がボロ切れになったように感じるのである。年配の女性達が疲労と暑さのため、次々と倒れた。新しい宿泊地に着くたびに誰かのために地元の医者が飛んできた。ドクターボンナムの霊気を経験してみようというメンバーは一人もいなかった。私が彼のお陰で病から回復したのをさんざん聞いていながら、なおかつ西洋医学に頼ろうとするアメリカの旅行者達の気が知れなかった。しかしこれは、私とドクターボンナムの信頼関係そのものなのだろう。彼が言ったように霊気は与える者と受ける者のエネルギーが通い合って初めて成功するものである。私だって、信頼できない人に気軽に体を触らせる気分になれるかどうか疑問だ。 まして、具合の悪い時は、早く医者を呼んで薬を飲んでと気が焦る方が先だろう。ドクターボンナムの霊気で回復できた私は皆より少しだけ、経験が豊かになったと解釈すればいいのだろう。

 さすがにインドの首都だけあり、デリーはこれまで見たインドとはまったく違ったモダンな街である。それでも空港からデリー市街に入るまでのバスの中から見る風景はどこまでも続くひなびたインドの農村である。デリーは「ニューデリー」と「オールドデリー」に分けられており、コンノート・プレイスという地域が近代的なニューデリーの中心になっている。ここにはこれまでとはまったく違う近代的なビルが立ち並び、街全体がパリを意識して円形に作られている。
 コンノート・プレイスに「インドの門」と呼ぶレンガ色の大きな門があり、そのあたりは一目でパりのシャンゼリゼを真似たのがわかる。ここから何本もの道路がパリの「凱旋門」のように放射状に伸びていて街の中心になっている。中心といってもそこが繁華街になっているわけではなく、門の周りに日陰がない広々とした道路があるだけだ。
 バスは写真のためにわざわざその門の前で止まってくれた。門の設置も、道路脇にわざとらしく植えられた背の低い街路樹も、およそシャンゼリゼとはほど遠い。ましてやバスから降りたとたんに強烈に感じるインドの西陽と、熱風に乗って聞こえてくる蛇使いの笛の音が、夕暮れの「インドの門」をかえって白けさせてしまう。それでもガイドの説明によると、この「インドの門」は第一次世界大戦で戦死した9万人のインド兵の慰霊碑として建設されたらしい。イギリスの植民地だったインドはイギリスのために参戦して、独立を期待したが、報われなかったばかりかその犠牲として9万人の血を流す結果で終わってしまった。インドの独立だけを夢見ながら死んでいった若者達が、この殺風景なシャンゼリゼもどきの巨大な門に慰められていると思うといかにも空しい。
 円形に作られた緑豊かな道路もとても幅広く作られている。しかし交通状態はこれまでのインドの混沌とまったく変わりがない。横断歩道も歩行者用の信号も滅多に見かけないが、あってもまったく役に立っていない。あちらからもこちらからも鉄砲玉のようにバイクや車が襲ってくる。ここの広い道路を渡るのはまさに命がけだ。実際デリーの道路を渡るたびに何回か死を覚悟した。それでも牛だけは、この都会でも相変わらずのたりのたりと道を占領して歩いている。交通の迷惑もお構いなしで寝そべっている牛もいる。そのヒューモラスな光景がいかにもインドの都会だ。それでも以前から比べるとニュー・デリーの牛はほとんど追い払われて、その数を減らしたらしい。
「牛をひき殺してしまうと刑務所に入れられるのですが、相手が人間の場合はお金で決着をつけることが可能です。」とガイドが言った。皆どっと笑ったが、どうやら本当の話らしい。

 ようやくホテルに着いた。カトマンズのホテル・アナプルナの中庭が忘れられなかった私達はプールがあることを期待していた。空港でもエリザベスやリバが口々に、「デリーは都会だからコンノート・ホテルはきっとプール付きよ。」 と、はしゃいでいたのだ。ところが期待に逸れてしまった。私達は大げさに嘆いてみせてロビーのソファに疲れた体を投げ出した。実際、インドのあまりの暑さにプールに飛び込めたらどんなに気持ちがいいだろうという話をよくした。私達はやはりどこへ行っても文明国に毒された精神を捨て切れないらしい。この日もホテルに着くまでに皆汗でまみれていた。
 インドにいる間、一日に何回シャワーを浴びたことだろう。外出してホテルに帰るたびにまず考えることはシャワーだった。新しい宿泊地へ行くと、まず話題になるのがそこのバスルームの状態だった。ジェリーとマークの部屋のシャワーがまるで唾を吐くようにしか出なかったとか、エリックがお湯をひねったら止まらなくなったとか、ブライアンが停電のさなか起床して真っ暗なバスルームに足を踏み入れたら床が水浸しで、それが見えなかったのが不気味だったとか、ジャックがバスルームに入ったら大きなネズミがいて目が合ってしまったとか、そんなことがまず私達の最大の関心事だった。

 デリーのコンノート・ホテルに落ち着き、翌朝、必要な荷物だけ持ってリシケーシュの「スワミ・ラマ・アシュラム」に向けて出発した。ここで3日間、瞑想をして過ごすことになっている。
 インドのバスの運転席前には必ずヒンズーの神々が祭ってあり、運転手は出発する前にお香で車内を清めて小さな礼拝を行うのだが、この日の運転手はことさら信仰深いらしく到着するまでお香を絶やさなかった。それと長時間の乱暴な運転と交通ルールのひどさに吐き気がした。途中エキゾチックな庭に孔雀が遊ぶ美しいレストランで食事をしたのだが、その間もずっとバスに揺られているようで食欲もわかなかった。私は軽くスープを飲み終えると、サングラスをかけて出発の時間まで庭園を歩き回った。赤や黄色の見事な薔薇をビデオに取り、深緑の涼しそうな木陰を見つけて芝生の上に座った。見渡す限りゴルフ場のように行儀良く手入れされた緑の芝生がすがすがしく見えた。薔薇の強烈な香りとレストランからのかすかなカレーの香りが入り交じって空気中に漂っている。私はしばらくそこでただボーっと座っていたかった。

 成都をさんざん歩き回ったあげくにやっと会えた19人の仲間達とチベット、ネパール、ベナレスと巡って来た10日程の旅が、とても密度が濃いように思えた。その間にあまりに多くを感じ、考え、そして旅の相棒達であるエリザベスやアンやリバなどの、驚くべき人生に触れ、学生気分に戻ってエネルギッシュな母校の若者達と戯れ合い、ロスが語ってくれた数々の未知の世界に限りない興味を抱いた。
 旅とは不思議な物だ。その始めと終わりに出発と到着という二つのボルトが締められている。ひとつのボルトから次のボルトまでの時間は日常のそれとはまったく異次元の世界だ。その異次元の空間に旅人はしばし存在している。その限られた非現実的な時間の中で、凝縮されたありとあらゆる感情を味わう。異次元の浮遊状態の中で旅人は自分自身の魂に確かに触れているという実感を得る。そして「到着」というボルトに行き着く時に旅人は思う。現実というカレンダーの数字の上に再び記されていく赤い×点。その赤いマークが、絶え間なく後退していく未来に続くトンネルの中に自分を押し込んでいくのをどのようにまた受け止めようかと、、。
 旅をしている時は過去や未来のような観念がなくなり、「今この時」だけになってしまうのである。もう「過去」になってしまった10日間の経験を再び引っぱり出して、次の「今」に行く前にしばし心の中で消化する必要があった。長い間目をつぶってエキゾチックなインドの薔薇の香り、肌にまとわりつく熱気、孔雀がガサゴソとまわりの芝生の上を歩くのと頭上の大木の枝と枝が擦れ合う音に身をまかせていた。

 気がつくと目の前にロスが立っていた。彼のはるか後の芝生の反対側ではエリザベスが薔薇の前に立ち並んだ年配の仲間達の写真を取っているのが見えた。私は右側の芝生を軽くたたいてロスに座るように促した。私が食事の途中で外へ出たので、「Are you alright?」 と聞きながら彼は腰を降ろした。
「ちょっとバスに酔っただけ。信じられる?私達成都を出てからまだ10日しかたっていないのに、もう永遠に旅に出ているような気がしない?」
「Exactly!でも残りの10日はきっと矢のように過ぎていくよ。帰国した後はすべてが夢だったように感じるだろうね。だからあんな風に皆夢中になって写真をとるんだろう。確かにどこそこに存在したんだという証にね。」
 彼が発した「帰国」という言葉に私の頭の中に、香港からたった独りで東京行きの飛行機に乗り込む私と、19人と共にアメリカ行きの飛行機に乗り込むロスを想像してみた。でもそれもまだはるか先のような気がした。
「私ね。ここに座って今までのできごとを色々頭の中で整理してたの。あちらこちらで見たことや感じたことをね。」
 ロスは突然、邪魔しちゃったかなと言って立とうとした。私は邪魔なんかしてないわと言って中腰になった彼の手を引っぱった。ロスの手は皮膚が厚くて意外にざらざらしていた。冷たい風が吹き荒む中、この手でロッキーの岩山に登る彼の姿が頭に浮かんだ。
「今まで色々と見てきた中で、今だにどうしても頭に焼き付いて離れない光景があるのよ。子を持つ親の一人としてどうしても考えてしまうこと。カトマンズで見たクマリのあのかわいそうな顔よ。はっきり言って完全な幼児虐待よね。お金や名誉のために我が子を生贄に差し出すようなものよ。『伝統』や『しきたり』という名のもとに、この20世紀の時代にあんなことを続けるなんて野蛮よ。それとも、もっと先進国がお金を出して教育を充実させれば、いつかは大人になるネパールの国民も今やっていることの無意味さに気がつくのかしら、、。」
 ロスは、突然「No, no, no, no !」と言って首を振って露骨に嫌悪感のある表情をしてみせた。
「僕の母も今アムネスティーとかいうのに凝っていて、教育がどうの、人権がどうのとうるさいんだ。でもノリコ、貧しさや野蛮さ、イコール金や教育と片付けるのが文明人の愚かさなんだよ。それじゃあ、実際どのくらいの人間が途上国の人間より幸せなのか考えたことがあるかい?」
「心の豊かさのことを聞かれたら私もなんとも言えないわ。でも少なくとも子供の頃に物乞いをする経験をせずにすむ人口は途上国より多いわ。そしてクマリのような馬鹿げたしきたりを疑問に思う自由だってあるわ。」
「クマリを語る前にまず背景にあるストーリー、文化、歴史すべてを知らなければ批判する資格はないんだよ。ネパールという国が何故処女神を必要としたか、そのルーツはなんだったのか、そしていっさいの儀式に参加してみて人々と話してみてから判断するべきものだと思うよ。」
「それならハワイの火山の噴火口の中に生贄として処女を差し出すのも参加してみなければわからないってこと?もちろんハワイでもそんな野蛮なことはとうにやめたけどね。」
「自然界の神を恐れて生贄として処女を殺すのと、一人の少女を生きた処女神として差し出すのとはちょっと背景が違う。」
「だってロス、あの少女の目を見た?あれはとっくに死んでいる目よ。幼児期の大切な時にあんな所に閉じ込められる悲惨さを考えたことある?もしあなただったら?あなたが幼い時あんな不幸な目にあったとしたら?私は仮にも二人の子の親よ。その子をお金や名誉のためにどこかに捧げて一生会えないとしたら、それは死に匹敵するようなひどいことよ。親として絶対子供にそんなことしないと思うわ。」
 彼は突然話すのを中断すると、大きくため息をついた。私はひどく興奮していた。
こんな話題を提供したのを半ば後悔していた。哲学を勉強していると言っても彼は私より10歳以上も若い青年だ。親の情を真剣に語ったところで彼の文化論に押しつぶされるだけだと思った。
「いつかドキュメンタリーで見たことがあるカトマンズから遠く離れた所にある村の話をしよう。Interested ?」
 ロスが、しばらく考えたあげく口を開いた。私はいくぶん白けた顔で「Yes, I am.」と答えた。
「この村だけじゃない。ネパールの中に埋もれたいくつかの小さな村にはサバイバルのための色々なしきたりがあるんだ。村全体が貧乏で村人達全員が食べるのは容易じゃない。それで、もし子供を3人以上持ったら、村の口減らしのために長女か長男が8歳になった時にカトマンズの僧院にやられるんだ。そこで家族と離れて修行をして奉公をして、学問を学んで暮らすことになる。村には乗り物という物がない。その子と一度離れたら恐らく一生会えないと覚悟するくらいカトマンズは村人達にとって遠い都なんだ。出発の前日、その子のために村を上げてお祭り騒ぎをやる。村人達にとってその子の門出はめでたい物なんだ。カトマンズに行けば食べられる。教養も身につく。村にいても一生貧乏な人生を送ることになるだけだから、これは祝うに値することなんだ。祭りが終わると母親が泣きながらその子のために卵を茹でて肉を料理して食べさせる。卵と肉は最高のご馳走なんだよ。せめて最後の食事ぐらい贅沢を味あわせてやりたいんだ。翌日母親や兄弟と永遠の別れをして父親に連れられて、はるか遠い村まで最初は一日歩き、そこからこれまで見たこともない「バス」という乗り物に一中夜揺られてカトマンズに旅に出るんだ。その子にとってバスがまるで怪物みたいに見えるんだよ。自分の運命がわかっていても8歳の子供にとってはあまりにも不安な旅だよ。父親の手の温もりだけが最後の頼りの綱だ。見たこともない暗い僧院に着くと自分の運命に最後の抵抗をしようと声を張り上げて泣くんだ。父親はもちろん胸が張り裂けそうにつらい。でも涙を見せる
わけにはいかないんだ。そんなことをしたらその子を本当の不安のどん底につき落としてしまう。子供が泣き叫ぶ声を聞きながら父親は村へ帰るんだ。子供がいい待遇を受けるようにひたすら祈りながらね。そんなにつらい思いをするなら何故3人も子供を産むんだとこの親を非難するかい?
 実際、途上国では貧しいのに子供を産む。中国のように法律で数を制限しないからどんどん家族を増やす。子供達が一家の大切な労働力になるからね。一家が何としてでも生き延びなければならないんだ。それを非難するかい?
 クマリとして娘を社会に捧げる格式の高い家族だって同じようなものなんだ。子供を持つ意味がちがうんだよ。子供を神として差し出すのは、その家に何よりの栄誉を与える。その栄誉が代々伝わる。その家系の前世のカルマが浄化されるだけではなく末枝まで約束される。そのためなら子供がクマリになって国王をかしづかせるのは、その子にとって何よりの人生、その子のこの世での最高の修行だと考える。そして輝かしい来世が約束されると固く信じているんだ。それを非難できるかい?この文化を先進国の馬鹿げた『教育』で考え直せと言うのかい?」

 私はロスの目を見て苦笑した。ここまで迫力のあるレクチャーを受けた後に、いったい何を言い返せるというのだろう?100パーセント納得したわけではなかった。でも少なくとも先進国の奢り高ぶりをぶちまけた自分の視野がいかに狭いものであるかを思い知らされたような気がした。「教育」、「医療」、「寄付」などと先進国はさまざまな課題を掲げて手を差し伸べようとしているのも事実だ。同じ「地球人」として無視できない状況を解決したいがためだ。実際その恩恵を受けている地域はたくさんあるだろう。しかしそれと同時にインドのお偉方が「核実験」などに莫大なお金をかけているのも事実である。「教育が充実していれば幸せ」とか「お金があれば幸せ」と思うのも文明国の特徴だ。でもこちらで思っている幸せの定義が必ずしもあちらの幸せの定義とうまく噛み合わないことも有り得る。こちらが便利と思うことがあちらには迷惑なこともあるかもしれない。そこの所をどう見極めるか、どんな手段で手を差し伸べるかがかなり大切な問題になるのだ。でも実際こうやって旅をすると、あまりにも貧困を見てしまい、やはり不公平だと感じてしまう。ロスが指摘するようにそれは私の認識不足なのだろうか?

 以前、聞いたことがある話を思い出した。文明国からのボランティア達が途上国の村に嬉々としてやって来て井戸を堀り始めた。その村では毎日女達が生活に必要な水を2キロも歩いた所まで汲みに行かなければならなかったからだ。苦労して井戸を堀り終わり、達成感と満足を胸に抱いてその連中はそれぞれの国へ帰った。しかしその後、村の生活は不満だらけになってしまった。女達はこれまで水を汲みに歩く間、色々なおしゃべりをしてストレス発散、情報交換をしていたのである。その間は夫とも離れていられた。あちらこちらで寄り道をしては道端の花を見たり、木陰に座って夫には言えない秘密も語り合えた。男達もそうだ。妻達がいない間、彼らは真から休めた。男同士子供達との深い交流があった。一月もたたないうちに村人達はストレスで絶えられなくなった。何故だろうということになった。この井戸ができてからだ。こんな井戸はいらない。そして井戸はまた村人達の手で埋められてしまった。

「本当の貧しさというのは、、。」
 日々インドのカルカッタの路上で瀕死の状態でいる人々を救うのに生涯を費やしたマザー・テレサが言う。
「食べる物がないということでも着るものがないということでもないのです。それはこの世の中でもう誰からも自分を必要とされていないという思い、この世の誰からも自分は愛されていないという思いです。真の貧しさとはそういうことなのです。そういう人々は地球のどこにでもいます。そんな人々に心から手を差し伸べるのが本当の救いなのです。」

 ロスは腕時計を見て、「Time to go.」と言うと立ち上がり、私に手を差し伸べた。
彼の手を取り、立ち上がりながら私はわざと諦め切ったような顔を見せて言った。
「You win.」
 重そうに3つも首からカメラをぶらさげたエリザベスが、薔薇園の間から姿を現わした。バスに向かって歩き始めた私達の前を孔雀が草の間を忙しそうについばみながら横切った。
「さっきから考えてたのよ。どうやってこの孔雀の羽を開かせようかしらって。この孔雀のシャイニー・ブルーと薔薇の色とのコントラストが限りなくインド的なのよ。」
「羽を開かせるにはメスの孔雀を連れて来ないと無理よ。だって女性にモテたくてゴージャスな羽を開くんだから。」
「誰か鏡を持っていないかしら?」
 相変わらず突拍子もないことを言うチャーミングなエリザベスに私達は思わず噴き出してしまった。

 さらに長いことバスに揺られ、夕暮れ近くにヒマラヤ山麓の静かな町、リシケーシュに着いた。小さなひなびた町のはずれにさまざまな道場があり、それぞれのスワミ達がいる。ここでは普通の観光客でも気軽に訪れて短い期間ヨーガや瞑想を体験できるのが特徴だ。各アシュラム内の食事はベジタリアンで、もちろん禁酒、禁煙だ。リシケーシュのガンジス川はより水源に近いのでかなり冷たい。ここにもあちらこちらから巡礼者達が訪れ、町中枝別れしている川に祈りを捧げる。
 2年前に「魂が体から去った」スワミ・ラマが建てたというスワミ・ラマ・アシュラムに到着。ここでの滞在はドクターボンナムがアシュラムとインターネットを通してアレンジしてくれたらしい。バスから降りると頑丈そうな門の前にサリーを着た女性が二人と、白い布で体をまとった見るからに威厳がありそうな顔のインドの男性が一人、他にもここで働いているのだろう人達が私達を出迎えていた。門の上には2羽の白鳥が向かい合って描かれてありそのまわりに、「ヨーガの科学と哲学、インド、ヒマラヤ研修所」と英語で書かれた看板があった。
 サリーをまとった女性の後について、ハスのつぼみが仏像の前の池の表面に頭を出した美しい庭園を横切る。ブーゲンビリアの大木が並び薔薇や色とりどりの花が咲き乱れ、通路には、なめらかな小石が敷いてある。あちらこちらに点在する建物も白く塗られてあり、バルコニーの赤い色が強烈なコントラストを見せている。
「もしかしたら蚊が飛び交うほったて小屋に10人ぐらいずつ 雑魚寝かもよ。」
 などと最悪の状態を覚悟していただけに、この自然の楽園の中にあるペンションのような清潔なアシュラムを見て安心したのは言うまでもない。修行者達は私達グループだけで全館私達で貸切りの状態だ。エアコンなどの文明の利器は一切ないが、部屋には簡単なベッドが二つ置いてあり、天井には大きなプロペラ式の扇風機がついている。
 ジャングルのような森を目の前にしたシャワー室があり、ベッドの脇の壁いっぱいにある大きな窓からの眺めはため息が出るほど美しい。遠くヒマラヤの山々をバックに雨季で水量を増したガンジス川がベナレスよりもはるかに早いスピードで流れている。そのほとりを飼い犬と一緒にのんびりと歩く村の人々。女達のサリーやパンジャビの鮮やかさ。白や茶の牛の群れ、見たこともないようなカラフルな小鳥のさえずり。そして水面から漂ってくるモヤが幻想の世界を創る。

 夕食の後、さっそく道場なる大きなホールでアシュラムでの規則やこれからの予定、スワミ・ラマとは誰かについて長いレクチャーがあった。床に座ったグループの半分が疲れきって居眠りをしている。インド舞踊の先生だという女性が床にあぐらをかいたままスワミ・ラマという人物について説明する。
「スワミは生まれて間もなくヒマラヤに住むヨギに預けられ、そのヨギによって育てられました。」
 スワミの生い立ちから始まり、彼がどんな奇蹟をおこして、人生のマスターとも言われた彼がどこに病院を建てて、どこに学校を建てて、どんな国に行ってなどと一通りのストーリーが紹介された。その途中、ロスが突然立ち上がるとドアを開けてホールを出て行った。サリーをまとった女性は一瞬ドアの所に目を向けたが、またスワミの話しに戻った。どうやらインドには同じような奇蹟を起こす複数のスワミが存在するらしい。
 南インドにいるサイババも「神の化身」として知られている世界的にも有名なスワミである。私は決してそれらの存在を否定してはいない。奇蹟もきっと有り得ることだと思う。しかし何故インドなのだろう?何故この国に複数のスワミや「神の化身」が存在するのだろう?
 ロスがホールを出て行った気持ちもわからないではなかった。残りのグループもほとんど居眠りをしているか、しかたがないのでそこにいるような状態だった。敬虔なるクリスチャンである年配のマリアンやジュディスやキャロラインなどもきっと絶えられない気持ちでいるだろう。でもせっかくここまで来たのだ。スワミがどんな教えを残してこの世を去り、この道場でどんな修行を受けるのか私はむしろ楽しみだった。
 最後にこのアシュラムは夜10時に門が閉まり、防犯用にドーベルマンを3匹放すので必ずそれまでに部屋へ入っているようにとの注意があった。
「犬があなた方を知らないとなると、命の保証はありません。くれぐれも門限は守って下さい。部屋のドアも締め忘れないように。外から犬が入ってきてしまいますから。」

 部屋へ戻る途中、若い宗教学の教授であるブライアンがやれやれという顔で言う。
「ここはまるで牢獄だよ。大した違いはないさ。起床時間、就寝時間が決まっている。食事の時間も決まっていてメニューはあちらまかせだ。禁酒、禁煙、強制労働、その上にキラードッグがいるからおちおち脱獄もできない。牢獄の方がまだましかもしれない。何しろテレビを見るのは自由だからね。」
 階段を登りながら私達の笑い声が静かなアシュラムの壁中に響き渡った。そのエコーがいささか不気味に私達の耳に戻ってきた。泥の様に疲れた私とアンは物も言わずに順番にシャワーを浴びるとベッドに身を投げ出してすぐに灯りを消した。天井のプロペラがブーンというかすかな音をたてて回っている。空には月も出ていなかった。外から聞こえてくる虫の声がやけにやかましくて眠れなかったのでしばらくじっと網戸を通して窓の外を見ていた。真っ暗な窓の外を無数の蛍が飛んでいるのが見える。
 はかない青白い灯火を灯して飛ぶ蛍を見ながら私は再び日本のことを思っていた。
こんなにたくさんの蛍を子供達が見たらどう思うだろう。夫は今ごろ何を思っているのだろう。私達には未来があるのだろうか?帰国した時、はたして彼は私に会いたかったと言ってくれるだろうか?東京を発ってまだ10日とちょっとなのに日本が遥かかなたに行ってしまったような不思議な感覚である。

 うとうとしかけた私は部屋のすぐ脇のバルコニーを駆け回る犬の唸り声でまた飛び起きた。ドアをちゃんと締めたかどうか思い出せなかった。とたんに言いようのない不安を感じた。もしかしたら締め忘れたかもしれない。私は素早くベッドからすり抜けてドアの所に走った。暑いのでドアを開けたまま網戸だけを締めていたのを思い出した。その網戸を通して真っ黒な犬が目だけ光らせて、唸りながらこちらを伺っているのが見えて体中に戦慄が走った。「命の保証はありませんよ。」と言われたのを思い出した。
 私は恐ろしくて思わず「アン!」と小声で呼んだ。しかしアンはとっくに熟睡していた。まったくなんという所だ。部屋のまん前まで犬が駆け回っているなんて、、。私達の人権無視もはなはだしい。私はとたんに言いようのない憤りを感じてすぐにベッドに入り、眠る努力をした。お陰でその夜は蛍でいっぱいの森の中でドーベルマンに追いかけられる夢を見た。

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