さすらい人幻想曲

第12章:スワミ・ラマ・アシュラム    Swami Rama Ashram

 朝早くどこからともなく聞こえてくるマントラの声で目が覚めた。起き上がって窓から外を見た。ガンジス川に濃い霧がかかっていた。まるで川面に浮かぶ雲のベッドのようだ。すでに川のほとりを散歩している仲間達が遠くに見えた。アンも私よりずっと早く起きて外のバルコニーで、道中スケッチしてきた景色に水彩絵の具でのんびりと色を塗っていた。
「Good morning, Anne, ねえ、あのマントラはどこから聞こえてくるの?」
 私は網戸越しに言った。朝のアシュラムはシーンと静まり返っていて、囁くような声もよく通った。
「このアシュラムのどこかにきっと礼拝堂があるのよ。そこで朝のお祈りでもしてるんじゃない?それにしても本当に神秘的なヒンズーの声よね。私、5時頃からここにいるのよ。ここでガンジスのモヤを見下ろして、鳥の声を聞いて、マントラの響きに包まれて水彩画に取りかかるのって最高よ。ここに1週間いてもいいわ。ただ、パトリックが恋しくて、すごくセンチメンタルになっていたところ。この景色がそうさせるのよ。あの子今頃サマーキャンプに出かけてる頃なのよ。子供なんてきっと私が思うほど母親を恋しがったりしていないものよね。」
「それはパトリックが、ちゃんと父親と一緒にいて、ママが帰ってくるのを知っているからよ。安心感さえあれば子供はたくましい生き物なのよ。私、その礼拝堂とやらを探して覗いてみるわ。」
「OK、7時から瞑想の時間よ。朝食は8時ですって。私、お腹が空いてさっきからグーグー鳴ってるわ。What time is it ?」
 私はサイドテーブルに置いた旅行用の時計を見て「もうすぐ6時半よ。」と言って身支度をすると、夕食の時に持ち帰ったりんごをアンにボールのように投げて、階段を駆け降りた。

 仏像の前にある池に浮かぶハスの花があちらこちらで花びらを開きかけていた。ブーゲンビリアの木も濃い紫色の花をいっぱいに咲かせていた。川の表面に雲のように浮かんでいたモヤがアシュラムの中にまで漂ってきて、濃い霧になって池のハスの花々を包み、何とも言えない幻想の世界を作り上げる。
 私はマントラの声がする方へと夜露でまだ濡れている砂利道の上を歩いて行った。
 声が近くなるにつれ、たき火のような木が燃える匂いがする。アシュラムの白いモダンな建物のはずれに土色の小屋があった。屋根も昔ながらの茅葺きでできている。そのてっぺんにある煙突から細い煙が立ち上っている。マントラもその中から聞こえていた。私はいよいよ好奇心をそそられて小屋に近づくと、脇にあった小さな窓からそっと中を覗いた。
 カルダモンのようなお香の香りが鼻についた。もう慣れてしまったヒンズーの香りだ。中は薄暗く、ちいさな小屋の真ん中で薪が燃えていた。その回りに白い布をまとった男達とサリーを着た女達が火をはさんだ両側に三人づつ座って瞑想している。
 中央に座っている一人の女性だけが黄の衣のようなものを着ており、頭の上からすっぽりと白い布をかぶっている。その女性が柔らかいが実に良く通る声でマントラを唱え、時折火の中に長い銀色の杓子で油を注いでいる。白い布に縁どられた彼女の横顔が赤々と燃える火に照らされ、すっきりとした高い鼻や閉じた目のふさふさとした黒いマツゲが神秘的な光と影を作っている。他の人達も一節づつ彼女の後に続いてマントラを唱えている。
 窓に面して座っていた男が私に気がつくと、ゆっくりと立ち上がり私の方へ向かって歩いてきた。神聖な儀式を邪魔したので、おしかりを受けると思い、私はちょっとあとずさりして合掌をして低い声で「ナマステ」と言って挨拶した。彼は私達がアシュラムに着いた時、門の前で威厳に満ちた顔で出迎えてくれた人だった。シャシクマールという名前だった。太い眉の間に真っ赤なヒンズーの印を付けた彼は、黒く潤んだ目でにっこりと微笑み「ナマステ」と言うと、窓から手を伸ばして私の手の平に濃い山吹き色の菊のような花びらと小さなお菓子の一辺を乗せてくれた。
 彼はジェスチャーでお菓子を口に入れるよう促した。私は彼にお辞儀をしてお菓子を口に入れた。お世辞にも美味しいとは言えない線香のようなパサパサした味だった。

「マントラとは、、」
 フカフカのじゅうたんが敷いてあり洋風の窓がたくさんある、さわやかなイメージの広い集会室で7時から始まった瞑想の時間に、さっそくマントラの意味を質問したキャロラインの顔を見ながら穏和で威厳に満ちた表情の私達の師が答えた。彼はつい1時間程前に小屋の窓から手を伸ばして私に神への供物「プラサード」を分け与えてくれたシャシクマールである。ここで瞑想法とヨーガの哲学を教えている。
「ヒンズーの言うマントラとは、自分の望む物を生じさせる言葉、宇宙へ通じる呪文です。人間の口からいったん出た言葉は、耳から再び入って体内に戻って来る。言葉はそしてそのまま一人歩きしていきます。だから日頃あなたがどんな事を言うかよく注意しなければならない。辛辣な言葉、暗い言葉もそのまま自分の耳から体内に入ってくるのです。その言葉が、人を不幸へと引きずり落として行くこともできる。ある強い情念で何十回、何百回となく繰り返される言葉は、そのまま自分の潜在意識に染み込んでいきます。肯定的な呪文を繰り返して唱えることによって、自ら招いていた悪い因縁を消滅させ、幸運を招き寄せることができます。これを瞑想に取り入れたのがマントラです。あなた方が今朝聞いたマントラは恐らくさっぱり意味の解らない音だけの言葉でしょう。それはサンスクリット語や漢文をそのまま音にしたものです。しかし、音だけに聞こえる言葉でも、その呪文を唱えれば大きなご利益があると信じれば、とてつもなく大きな効力を発揮するのです。すべては人間の持つ神のような力、すなわち潜在意識がなせる業です。この人間の魔力を秘めた力とも言える潜在意識を働かせるには瞑想が一番なのです。」
 シャシクマールの説明は解りやすかった。そして感動に満ちていた。教養の高さが伺える英語と不思議なカリスマ性のある柔らかい表情で話す彼の言葉は、すんなりと私の魂の奥に響いた。なるほどあんな人ならきっと「スワミ」になることだってできるだろうと思った。
 さっそく瞑想する。軽い体操のようなもので徐々に体を柔らかくさせてから、それぞれ好きなように座り、背中をまっすぐにしながら軽く目を閉じて呼吸に集中すればよい。呼吸法を説明して、皆を瞑想に導いてからシャシクマールは言った。
「ただ静かに座りなさい。体を楽にしてひたすら細く長い呼吸を続けるのです。鼻から吸った空気を口からゆっくりと吐くのです。ロウソクの火を静かに吹き消すような静かな呼吸です。呼吸をしながらあなたの体の中で何が起こっているのか注意して内部を探りなさい。あなた自身の体の中に耳を傾けるのです。その呼吸は、あなたが自分の意思で行っているのではない。あなたの中にある神なる存在が、その一息一息を司っているということを理解するのです。」

 この日から瞑想とヨーガの修行が始まった。期待していたよりもずっと楽に軽いリフレッシュ程度に行うことができた。瞑想とヨーガの「入門編」と言ったところだろう。グループの半分以上が初めて体験する事なので、恐らくこの程度から始まるのが妥当なのだろう。
 坐禅だとこうはいかない。お寺で育った私が覚えている限り、坐禅は心も体もすべて無にするよう努めなければならない。川の流れる音、犬が吠える声を聞いても、その一切を考えてはならない。すべて風のように体をすり抜けさせなければならない。これをできるのは至難の技である。私にはできない。凡人である私の頭の中はいつでも雑念で一杯だ。その上坐禅では初めから座り方、目の位置、手の組み方もきびしく決められている。姿勢が悪かったり、居眠りをすれば、背後からビシリと肩をたたかれる。瞑想の合間に亀の歩みよりもゆっくりとまわりを歩く業がある。「歩く瞑想」のような物だ。それはそれで、すばらしい修行なのだが、一人で続けようとすればけっこう難しい。 しかしこんなに楽な瞑想方だったら、初めての人でもすんなりと入っていけるかもしれない。要するに瞑想の後、いかに自分がポジティブで平和な気持ちになれるかどうかの問題なのだろう。
 私はヨーガを瞑想と結び付けて考えたことはなかった。人間の体には、エネルギーの通り道であるいくつかのツボ、あるいはヒンズーで言う「チャクラ」があり、ヨーガのポーズや指圧などによってそのチャクラを刺激して身体と精神と魂のバランスを図るという、健康法的解釈を聞いたことがあった。
 しかし一般的に健康法や美容法として日本でも知られているヨーガの様々なポーズも瞑想の一種であるという教えは新鮮だった。

 私にとって何よりも心に残ったのはシャシクマールによる説教だった。それは通常、昼食後に行われた。
「人間には3つのタイプがあります。ゴールに集中している人、時間に集中している人、そして目的に集中している人です。ゴールに集中している人は終点にばかり囚われて、そこに至るまでの過程をゆっくりと考えられない。あるいは、ゴールに着けないのではないかと、常に恐怖感を持って生活している。時間に集中している人は心のゆとりを失いやすい。何時までに、いつまでにと焦ってばかりいて本質を失いやすい。しかし、目的に集中している人は、物事をゆとりと冷静さを持って見ることができる。その目的のために、どこをどうすればいいのか自分の力に合わせて考えることができる。あなたがなりたい人は、この3つ目です。何事も焦ってはいけません。目的さえはっきりとわかっていれば物事はおのずと進展していくものです。きっと天があなたの力量に見合った、あなたらしい人生へと道を開いてくれます。ですからあなたは一点の曇りもない素直な心で、その道の向こう側に何があるのか覗いてみればいいのです。道はあなたの心の中にあります。つまり『ひらめき』です。それは、あなたが偶然感じた感情や金儲けなどの欲による感情とはちょっと違う。それは天から来る掲示です。目的に向かってどのように進めばいいのか、あなたに教えてくれる鮮明な光のようなものです。ヨーガによる瞑想はあなたの心の中にある道を探るのに役立つのです。」
「日々、瞑想に励むことによって、あなたは次第に自分の中の潜在意識に触れていくことができる。あるいは天からの声を『ひらめき』を通して聞くことができます。瞑想によってあなたの前にあなたの師が、さまざまな形で現われます。そしてその師が、あなたの隣に一緒に座ってくれるでしょう。」

 この、カリスマ性に満ちたシャシクマールの説教が、スワミ・ラマが教えた内容なのか、私にはわからなかったし、図書館にスワミ・ラマが書いたという膨大な量の本がある以外はシャシクマールから彼の名前が出ることもなかった。私が覚えているのは、何年も前にスワミ・ラマがどこかのエアポートでシャシクマールを見て、「あなたは将来、私の片腕として働いてくれるだろう。」と言ったということだけだった。
 これは、アシュラムに着いた日のミーティングでシャシクマールの紹介があった時に聞いたことである。その時、何故彼が、そんなスワミ・ラマを気違い扱いしなかったのか、どのような経緯で、今ここでこうして天の言葉らしき物を説いているのかもわからない。
 そんな私の疑問が通じたのか、シャシクマールが言った。
「私が教えた事はスワミ・ラマの哲学であり、ヨーガの哲学でもあり、人生の哲学でもあることです。すなわちすでに皆さんの中にある神性が知っていることを確認しただけに過ぎない。もし御希望であれば、皆さんがここを出る前に是非、スワミが建てた病院へお連れします。」
ということで、希望者が病院を訪れるということでその日のレクチャーは終わった。

 グループの仲間全員がすべての行事に参加したわけではなかった。リシケーシュに着くまでに疲労が重なり、あるいは具合が悪くなってひたすら眠った人もいるし、のんびりと散歩をしたりオートリクシャーに乗って買い物に出て過ごした人もいた。カレッジの学生であるジェリーとエリックとマークにとってこの旅行は単位獲得の対象になるので、アシュラムの図書館でヒンズーや仏教に関する論文を書いて過ごした。
 ロスは、一日目に一人でヒマラヤにトレッキングに出かけて夕食まで行方をくらましたが、その夜、大雨が降り地滑りのため道路が閉鎖され、翌日からそれが不可能になった。地滑りと言えば、文明国の考えでは、ショベルカーなどによる速やかな土砂の撤退である。しかしインドではそうはいかない。すべてスコップなどによる原始的な手作業である。そんな作業は何日も続く。彼はしかたがないので、アメリカから持って来た分厚い「チベット仏教」に関する本を読んだり近くを散策して過ごしていた。
 フランクは、そんな仲間達の非協力的な態度にけっこう気を揉んでいた。しかしシャシクマールは、どんなことにも穏和な態度を崩さない。
「ここに来て、瞑想やヨーガを習ったり、私のレクチャーを聞いたから、その人達が他人よりもスピリチュアルになったと思ったら大間違いです。ここの行事に直接参加しなくても皆それぞれスピリチュアルな事を行っている。散歩をするのも本を読むのも、その人の魂がその時に欲した素直な行動です。それで、皆さんがポジティブな精神状態でいるのなら、むしろその方がいいのです。」

 夕食の前にアン、エリザベス、リバと連れだってガンジス川のほとりを散歩した。
 やけに低く感じられる茜色の雲が流れの速い川に反射して水面をまぶしいくらいのオレンジ色に変えていた。私達はまるでティーンエイジャーのように戯れ合い、ふざけ合いながら大声で笑った。川の向こうに連なる鬱蒼としたヒマラヤの濃い緑に私達の笑い声が吸い込まれていくようだった。
 村の人々の笑顔は格別だった。色とりどりのサリーをまとったエレガントな村の女達も鋭い黒い目の男達も擦れ違うと笑顔で合掌して「ナマステ」と挨拶をしてくれた。
 ここには「バクシーシ」と手を差し出す物乞い達もいないし、いつまでもしつこくつきまとって来る物売り達もいない。写真を取られてお金をせがむ人もいない。
 そんなフレンドリーな村人達をモデルにエリザベスが何本ものフィルムを費やしたのは言うまでもない。皆いささか照れ臭そうなニコニコとした顔で、キラキラと輝く川の前に並んで喜んでモデルになってくれた。木の切り株の上に腰掛けた4歳くらいの小さい男の子が顔の前でかわいらしい両手を合わせ、カメラに向かって「ナマステ」と言うのを見たリバは、感動してまた涙を拭いていた。
 リバとアンの愛に満ちた表情に私は「癒し」を見た。彼女らだけではない。ここの空気全体が「癒し」そのもののような気がした。シャシクマールが言うように、日々散歩をしながら私達はスピリチュアルな世界の中に手をつないで浸ることができたのだ。

 リシケーシュの夕暮れと言っても、まだ汗がじっとりとしてくるほど気温も湿度も高い。石造りのガートを降りた私達は、キャーキャー言いながらガンジス川の冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。4人並んで夕焼けを反射しながら流れるガンジス川にピチャピチャと足を浸せる所に腰をかけた。
 私はガートの上に立ち川に向かって合掌して、お経を唱えるまねごとをすると薄手の黒いズボンごと水の中に続く石段をゆっくりと降りた。エリザベスが無邪気に笑いながら私にカメラを向けた。川は身を切るような冷たさだった。 腰のあたりまで水に浸かって合掌をしたまま「もうこれ以上無理よ!」と叫んだ。
 アンもリバもエリザベスも水の冷たさに悲鳴を上げながら次々と私のあとに続いて川に入って来た。エリザベスの長いスカートがパラシュートのように浮かんできて私達の笑いを誘った。

 それ以来、私達は暇を見つけてはガンジスのほとりを歩き、歓声を上げながら川で水浴びをした。水の使い過ぎでアシュラムのシャワーが一日ストップした日は、ガンジス川がお風呂代わりだった。ガンジス川は上流でもミルク紅茶色に濁っている。底が見えないし生き物が住んでいるという形跡もない。水の中に大量の砂が混ざっているからである。だからここで体を洗っても海で泳いだあとのように体中が砂っぽくなり汗を流すにはいいが結局また肌や髪に張り付いた砂を流すのに水をさがすことになる。海の砂浜よりもはるかに細かいガンジスの砂は白いTシャツをも黄ばませてしまう。だから私にはベナレスなどのガンジス川で顔を洗ったり歯を磨いたりする人々が不可解に思えた。それともここは上流だから、速い川の流れの中で踊り狂う砂の量が多いのだろうか。川底は綿のように柔らかい砂の感触だ。足の下に手を伸ばして川底の泥をつかんでジェリーやロスの背中にこすりつけてふざける。ガートに座ったブライアンが私のビデオマシンを手に、笑いながらそんな光景を写す。遊びに夢中で午後3時の「ティータイム」に出席できなかった私達のためにエリックとマークがアシュラムの食堂から湯気の出ているチャイをヤカンごとお盆の上に乗せて「サービス料は高いよ。」と言いながら持ってきてくれる。そんなたわいもない事が、特にすばらしかった思い出のひとつとして私達の心の中に刻まれる。

 私達の遊び場になってしまったリシケーシュのガンジス川も、朝と夕暮れには神聖な祈りの場に戻る。村の人々が一列になって歩き、家族そろって次々とガートに集まって来る。男も女も、老いも若きも連れだって、一日の始まりと終わりの無事を聖なるガンガーに祈り、神に感謝するのである。日の出の頃と、夕焼けの茜色が紫色に変わる日の入りの頃、川の上に一面真っ白なモヤが雲のようにかかる。一家の再年長者であるお爺さんかお婆さんが一番前に立ち、水面から立ちこめるモヤに包まれながら川に向かってマントラを唱え、神々への供え物である「プラサード」というお菓子と赤や黄色の花を投げ入れて神に捧げる。そして供養を終えたばかりのお菓子をちぎって分け合ってそれぞれの口に入れる。ガートに腰を降ろしてそんな光景を見ていた私に鮮やかなブルーのパンジャビスーツを着た女の子がお婆さんに促され、お菓子の一辺を手の平に乗せてくれた。私はそれを口に入れて彼女に向かって合掌して感謝した。アシュラムの朝の儀式を覗いていた私にシャシクマールがくれたお菓子と同じ様な線香の味がしたが、舌が慣れたのか甘くて美味しく感じた。
 日々信仰に生きるそんな家族の姿を眺めながら、今の文明国の多くの家族がもはや忘れてしまったような絆を感じ、私の心は熱い感動で満たされ、目が涙で潤んだ。
 ヒマラヤの山々に面して、漂ってくる白いモヤの中で見る色鮮やかなサリーの女性達とその家族の祈りの姿は、この世の物とは思えないほど神秘的で美しかった。ビデオをまわしたかった。でもそんな失礼な事をして、神聖な儀式を邪魔をする勇気がなかった。私はこの質素だが、世にも美しい光景を心の中のカメラにそっと写した。

 二日目の夜、シャシクマールの妻であるチェトナという女性によるインド舞踊の披露があった。彼女はインド舞踊の先生をしている。赤や金色のあでやかな衣装を身につけ両手、両足首に重そうに大きい鈴の輪をつけ、長く背中に垂らした黒光りする三つ網みの髪にパールの飾りを付けたチェトナは、額に汗を光らせながらしなやかだが迫力のある踊りを披露してくれた。
 インド舞踊の内容はいつも宗教的意味を持つと彼女は説明してくれた。彼女が披露してくれた舞踊はインド四大流派のひとつである「バラタナーティヤム」という流派で、ベナレスのガンジス川のほとりにある寺院の屋上で見た、男女の踊り手による速いリズムに合わせた直線的な動きの踊りは、「カタック」という流派の宮廷舞踊らしい。「バラタナーティヤム」は最古の歴史を誇るインド舞踊であり、主に一人の女性によって演じられる。足で踏み鳴らす歯切れ良いリズムと半ばパントマイムを組み合わせたようなダイナミックな踊りで、ヒンズーの神々の伝説のストーリーを演じる。
「インド舞踊は神との交流の手段として演じられます。古代の踊り手達は、僧侶のように皆寺院に属していました。」
 大きく見開かれた迫力のある目の動きと表情で神々の喜怒哀楽を精一杯表わし、それぞれの動きに意味が込められている。肩、腕、胴体、腰、そして足をそれぞれ独立させて動かすのをマスターするのが至難の技であり、それをいかにスムーズに美しくこなすかが、踊り手のレベルが高いか低いかの決めてになるらしい。「ムードラ」と呼ばれる手や指の動きは、感情と時間を表現する大切な役割を持つ。笛を吹くポーズをとるとシバ神で、口に花をくわえているようなポーズをとるとラクシュミー女神だというようにそれぞれの神を表わす象徴的ポーズがある。チェトナはこう付け加えた。
「このアシュラムでの舞踊はすべてスワミ・ラマの魂のために捧げられます。」

「インド舞踊はどうだった?」
 蛍が飛び交うアシュラムの庭を横切って、部屋に続く階段を登ると、頭の上からロスの声がした。始めどこで声がしているかわからなかった。川の方面に面するバルコニーの端まで歩いて建物の上をよく見ると、暗闇の中で屋上の柵に足をかけて守衛のイスに座っている彼が見えた。
「あと30分もたつとキラードッグの時間になるわよ。Be careful !」
 私は上を向いたまま小声で言った。なにしろ夜のアシュラムは気味が悪い程シーンとしているのである。
「今夜の僕は踊りを楽しむよりも、この満天の星と会話する方が良くてね。ここで僕なりに瞑想していたんだ。」
 私は静かに屋上へ続く暗い階段を登った。彼は守衛専用の小さな灯りの下に分厚い本を開いていた。夜空はボーっと鈍く光る細かいダイアモンドの屑のように見える星で覆われていた。
 アシュラムの屋上から見るガンジス川は、夜光虫がうごめいているように表面を怪しげに輝かせながら流れていた。空はどこまでも続いていた。遠くヒマラヤの方まで、白い筋のような「天の川」らしき星の群れが川のような優雅なラインを描いている。アシュラムの外壁にそって並んで繁っているブーゲンビリアの木の黒い影は無数の蛍の光りで寂しげなクリスマスツリーのように見えた。
「夏でもこれほど星が見られるのは、インドでは珍しい現象なんだよ。今夜は比較的空気が乾いているからね。でも冬だったら、この何倍もの星がくっきりと見えるよ。いくつもの流星が頭の上を駆け巡るんだ。冬になるとあのヒマラヤの向こうに、あれよりもはるかに高い真っ白で切り立った山が見えるらしい。僕が山に魅かれる理由の一つがこれなんだと思う。朝から晩までひたすら山を登ったあげくにテントを張って夜を向かえた時の僕のショーはこの星空なんだ。その時は独りに限る。友達なんかいらないんだ。もちろん音楽もいらない。風の音と、木の音と、天体からの派動がすべてなんだ。そんな時、不思議な感覚になるんだよ。僕が地上から奴らを見ているんじゃなくて、奴らが一斉に宇宙から僕を見下ろしているんじゃないかって、、。」
 ロスはいつも話し始めると自分のイメージの世界に入って行く。それを巧みに言葉として表わすことができる。だから聞いている私もまるで彼と一緒にロッキーの山の上に寝そべって星を見ているような不思議な感覚に囚われてしまう。彼にはそんな才能があった。
「ここの守衛と友達になったんだ。さっきまで話をしていた。パダムシンという名前で、カシミール地方からの難民だよ。彼からカシミールの話を色々と聞いたんだ。ここからそんなに遠くないらしい。山と湖に囲まれた別天地だと言っていた。英語がなかなか通じなくて身振り手ぶりだったけど、紛争続きの故郷をこんな近くから思っている悲しさみたいなのは感じたよ。ところで、パダムシンは今頃、犬を離しに行ったと思うよ。」
 慌てだした私を見てロスはいたずらっ子のように笑うと冗談だよと言った。
私はそれでも腕時計を見ながら守衛用のイスの近くにあった石のベンチに腰を下ろした。
 なんだかいつも彼にからかわれているようで内心穏やかではなかった。でも彼といると、なぜか心が和んだ。少なくともリシケーシュに着くまで、私は確かに彼に一人の自由な男としての魅力を感じていた。はにかんだような子供っぽい笑顔、それでいて粗野だが自信に満ちてハキハきとした物の言い方。人生への情熱があふれる彼の数々のライフストーリー。大自然の中に身を置いて孤独でいることをこよなく愛する彼のライフスタイル。登山や冒険とはおよそ縁がなく、すぐに人恋しくなる私の生温い生活とは何の接点もないけれど、それでもどこかで運命を共にしているようなワクワクとした不思議な感覚があった。
 しかし、ここに来てから、彼に対する見方が、いささか変わったような気がした。
彼は自分勝手で、わがままで、どうしようもないエゴイストのように思えた。
「ロス、哲学や宗教の勉強をしているあなたが、どうしてシャシクマールの教えを聞かないの?」
 彼はチベット仏教に関する分厚い本を閉じながら、私を見て言った。
「どうもここは僕の波長と合わないんだよ。食堂やら、図書館やらどこに行っても、スワミ・ラマとやらの写真が壁中に飾られてるだろう?どんな奇蹟を起こした奴かは知らないけど、ああいうのを見ると虫酸が走る性格でね。ヒンズーのようでいてそうでもない。宗教のようでいて変に科学的な名前をつける。スワミ・ラマとかいうグルだって、ヒンズーや仏教を輪切りにしてつなげて勝手に説教していたような奴だと思うんだ。 僕は興味ないね。でもここの自然は最高だよ。まわりの村を歩き回るだけで、とてつもなく霊的な派動を感じる。もう一度一人でここに戻って来て、もっと北の方の荒れ狂う自然を経験して危険を承知でカシミールにも行ってみたいと思う。ここの近くにヒンズーの寺院らしい廃虚があるんだ。今朝散歩していて森の中で見つけた。そんな発見の方がシャシクマール云々よりずっと僕にとってすばらしい勉強なんだ。」
 私はなんとなくまた話を反らされたような気持ちがした。なんでも適切な答えを自信たっぷりに返してくるロスが、初めて生意気な子供の反抗のように感じた。
「私はシャシクマールの教えに感動したわ。あなたの哲学の勉強にきっと役に立つようなすばらしい教えだと思った。それにせっかくここまで来たのだから、宗教や哲学を勉強している以上まず参加してみることに意義があると思うわ。シャシクマールがどんなことを教えるのか聞いてみてから波長が合う、合わないを決めてもいいんじゃない? あなたって本当に子供みたい。それも相当自分勝手なね。」
 私は彼がいささか傷つくのを期待していた。彼は傷つくどころか、またあの余裕たっぷりの笑顔でこう言った。
「OK, Mama, どうしようもない僕だけど、せめてこれからちゃんと時間通りにベッドに入ることぐらいは褒めて欲しいな。」

 中庭をにぎやかに冗談を言い合いながらこちらに向かって歩いてくる仲間達の声が聞こえた。私は柵から身を乗り出して、できるだけ音を低くと気を使いながらヒューっと口笛を吹いて言った。
「ねえ、ここからの夜空がため息が出る程すばらしいわよ。」
「行きたいけど、あと15分でキラードッグのお出ましだぜ。俺達はこれからおとなしく部屋の中でポーカーをやるんだ。おいしいミネラルウォーターを飲みながらね。 It's party time !」
 まわりをはばからずに大きい声で言うジェリーの声が聞こえた。
「もちろんそこに、密輸してきたビールがあるなら話は別だけどね。町中禁酒なんて所はアラビアにしかない現象だよ、まったく。」
 次はエリックの陽気な声だった。エリザベスとリバとアンのクスクスと笑う声がした。私も同感だった。犬のことなど気にせずにワイン片手にしばらくここで星空を眺めていたかった。
 ロスは立ち上がると私のとなりに並んで言った。
「ヘイ、面倒なことを言わずにさ、ここでこんなに神秘的な夜空を見ながらキラードッグの餌食になるなら本望だと思って、皆ちょっと上がって来いよ。」

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