さすらい人幻想曲
第16章:ソウルメイト Soulmates
これまで、こんな町を経験したことがない。ムスーリーの町全体はしょっちゅう停電状態になるのだ。もう慣れてしまったのだろう周りの店は停電の間、路上に置いた自家発電機を回す。停電の時間に町を歩くと、あたりにはすさまじい機械音が響き、吐き気がするような機械油の匂いが漂う。部屋の中にろうそくが何本か置いてある理由がそれでわかった。夕食の後から次の朝まで停電は続いた。ホテルの廊下には自家発電機で薄暗い灯りがつくのだが、部屋の中は豆電球のような物が申し訳程度につくだけだ。カビ臭くて湿った部屋の中で、置いてあったマッチでろうそくに火をつけようとするのだが、シケっているのかそのマッチの火はなかなかつかない。仕方がないので、アンが持ってきた小さな懐中電灯をバスルームに置いて交代でシャワーを浴びる。
誰かがドアをノックした。開けると暗闇の中にジェリーが懐中電灯で自分の顔を下から照らしながら
「Here's Johnny !」
とスリラー映画、「シャイニング」の台詞のまねをした。
「長い間お預けだったビールがやっと手に入ったんだ。ルーム305で、ホテルの幽霊達と一杯やりに来ないかと代表で誘いに来たんだ。」
ユニークな誘いを丁寧に断わった私とアンは、ベッドに疲れた体を横たえながら、一日中トレッキングに出かけても疲れを知らない彼らの若さと体力に感心していた。前の晩、眠れなかった私はまぶたの重さを感じながらロスもそこにいるのだろうかと思った。
バルコニーでガサゴソという音がした。飛び起きてアンと二人で窓の側に行って懐中電灯で外を照らして見た。バルコニーは白い煙のような濃い霧に包まれて一寸先も見えない。小雨が降っているような音がした。懐中電灯の弱い光りに照らされて一瞬だけ何か銀色の毛皮のような物が動くのが見えた。
「きっと猿が柵の上を歩く音だったのよ。」と気味悪そうな顔でアンが言った。
「猿って夜行動物だった?」
「さあ、わからないわ。」
私達は顔を見合わせた。こんな時、ルームメイトがいて良かったとつくづく思った。鄙びたホテルの窓から見る、天から吐き出されるような白い煙が漂う夜の世界は、スリラー映画のシーンにぴったりだと思うほど気味が悪かった。
朝食の間、私の隣でコーヒーを飲みながらロスが英字新聞を読んでいた。日本で起こっている毒騒動は、未解決どころか、各地に広まっているらしいと教えてくれた。アメリカは、クリントン大統領のスキャンダル問題で盛り上がっていた。しばらくして彼は、新聞から目を反らして言った。
「実はお願いがあるんだ。母と妹のために土産品を買いたいんだけど、何を買ったらいいのかまったく検討がつかない。君が助けてくれるかなと思って、、。」
停電はまだ続いていた。どこまでも続く商店街の登り坂を歩くだけでも骨が折れるのに周りの店で回っている自家発電機から吐き出される灰色の煙の匂いで息が詰まりそうだ。こんな所まで来て公害に悩まされるとは思わなかった。私達は手の平を口にあてながら、ともかく商店街を通り抜けた。
「こんなにすごい煙の中で土産品を選ぶ気が起きないわ。」
しょぼしょぼとした目で私は言った。
「No problem. とにかくしばらく歩いてみよう。」
ロスの早い歩調に必死で合わせながら坂道を登る。何故かとても幸せな気分だ。私達にはすでに二人だけが知っている思い出がある。それにさらに新しい思い出を加えようとしているかのように私達は並んで歩いた。こんなにワクワクしているのは、私の方だけなのかも知れない。歩きながら私は、何年かぶりにやって来たこの新鮮な感情を否定せずにもっと甘受してみようと思った。買い物上手なのは私ではない。ロスは、もっと詳しいエリザベスかリバにだって同じ事を頼めたはずだ。でもあえて私に土産品を選ぶ手伝いを頼んだ。実際買い物もせずに私達はただこうして黙々と歩いている。それが楽しいからだ。それが何故か自然に感じるからだ。私は心の中で唱えていた。
「運命よ。私はこうしてここにいるわ。私はあなたを喜んで向かえ入れる。さあどこからでもいらっしゃい。」
「昨日のトレッキングの途中、仏教の寺院があったよ。」
歩きながらロスが言った。
「へえ、こんな所にも仏教の寺院があるの?」
「ヒンズー教の聖なる丘と呼ばれる所のすぐ近くにあって、お参りの人でごったがえしていた。」
「ヒンズー教徒にとって仏教って、日本の神道みたいなものなのかしら。シヴァ神を祭ってあるお寺の帰りに何気なくそこにある仏教の寺院にもついでにお参りして行こうなんて思うような、、。」
「確かにヒンズー教徒は、ブッダがヴィシュヌ神が十の形に化身したうちの一つだと信じているからね。ヴィシュヌの特徴は、地球に困ったことがある時は、化身となって救済のためにまた現われることなんだ。ヒンズー教は多神教のように見えるけど、仏教のマンダラや観音像のように、宇宙そのものである存在が色々な形をとって現われるということなんだ。だから彼らはヒンズーの目指す物も仏教の目指す物もひとつだと考えているんだ。何本かの川がやがてはひとつの海に流れて行くようにね。」
「じゃあ仏教はヒンズー教から生まれたということ?」
「それもあるだろうけど、それよりも他の宗教を受け入れてこの大陸の中に抱え込んでしまって、平然としているのもインドという国でもある。」
インド人の観光客が次々とロスを取り囲んでは一緒に写真を取りたがった。私は喜んでカメラマンになった。首筋でなびくブロンドのロスの髪を見て映画スターかと聞いてきたインド人もいた。ロスはそんな些細な褒め言葉に、あわてて
「No,
no!」
と言って赤面した。そんな彼が楽しくて私は言った。
「ロス、何度も言うけどやっぱりあなたは前世の私の息子だったと思うわ。」
「Why ?」
「だってあなたの仕草が本当に可愛いと思うもの。」
照れ臭そうに微笑んだ彼は、急いで話題を変えようとするように、またトレッキングの話に戻った。
「・・・それからかなり歩いて、枝分かれしたガンジスが流れ込んで秘境の湖になっているという洞窟まで歩いた。かなりきびしかったよ。山道で人と擦れ違うとヒンズー語で『母なるガンガーを賛えん。』と言い合うんだ。英語の『God
bless you.』みたいにね。皆そうとう長い旅をしていたような連中ばっかりさ。果てしない巡礼の旅というところかな?僕達アメリカ人の半ズボンとトレッキングシューズとリュックサックが滑稽に見えただろうと思うくらい連中の着ている物はボロボロになった巡礼のための衣装なんだ。それがまともに見えてくるんだよ。サードゥー達なんてもうほとんど裸さ。まるで生ける屍のようになって歩いていたりね。」
「ロス、あの人達は聖者なの?どうして、なんのためにあんな苦行をしてるの?」
「エリックが英語が通じるサードゥーに会って、そんなことを聞いていたよ。サードゥーはこう答えていた。『私の内にいる神に奉仕しているのです。』」
「私には解らない答えだわ。きっとすごく深い意味なのね。」
「宗教や哲学を専門とする僕やブライアンにもきっと奥底まではなかなか理解できないことだよ。おそらく一切の欲も執着も捨てて、人間としてのエゴもことごとく捨てた姿がサードゥーなんだろう。それができる彼らを『聖者』と呼ぶのも理解できるだろう?そして彼らは苦行を通して過去世の悪いカルマが去って、来世は神に近い存在として地上に戻ると信じているんだろう。実際彼らは輪廻が進んで神に近づくほど、天は試練の人生を与えると思っている。魂がそんな試練に耐えられるようにまで進んでいるからね。」
「確かにブッダもキリストも試練の人生を選んだわよね。そしてマザー・テレサも。」
丘の上の眺めのいい所に小さな観覧車が回っていた。かなり旧式の錆び付いたような観覧車の天辺に男が登り、足で鉄の棒を踏みながら回す仕掛けになっている。サリーを着た女達が子供と一緒に退屈そうな顔で座って回り続けている。インド風の歌謡曲のような BGM がやたらにうるさかった。
ロスはブランコに乗っているとても美しい17歳くらいの女の子を使い捨てカメラに納めようと努力していた。ブランコが大きく揺れるたびに彼女の赤いパンジャビから流れる薄桃色の長いスカーフが曇った空に舞い上がった。彼女はロスのカメラに気がつくと恥ずかしそうにはにかんで、両手で顔を覆った。
写真に取るのを諦めたロスは、ブランコの上で黒髪をなびかせている女の子を眺めて東洋の女性はなんて美しいんだろうと言った。
「ロス、私だってアジアの女性の端くれよ。」
私はわざと口をとがらせて見せた。
「もちろん知ってるよ。でも君には何も言えない。君には夫がいるから。」
また突然現実に引き戻されたような気がした。夫がいる女性だって他の男性から美しいと言われてみたいと思っているし、他の誰かにときめいてみたいとも思っているのよと言ってみたかった。
「理想の女性を見つけたら死ぬまでその情熱を貫き通すこと。」
ガンジス川のほとりでロスが言った人生の指針。確かに私のまわりにもそのような恵まれた結婚をしているカップルが数こそ少ないが、存在する。その一組みは、出会って手と手が触れ合った時に電流のような物を感じ、もう遠い昔から二人はお互いを探していたのを認識したという。自分達は会うべくして会ったのだということを。これは17歳年上のイギリス紳士を夫に持つ私の親友が語ってくれた出会いである。
彼女は20歳の時にこの電流を感じた。当時20歳やそこらの真面目な女の子が、遠い異国で17歳も年上のイギリス人と結婚する運命にあることを何故あれだけ確信できたのか、一点の迷いもなく彼を夫に選んだ理由は、お互いに前世から約束していたことだった意外に理由が見つからないと彼女は言う。
もう一組みは、結婚する10年前に同じコンサートで隣同士の席になり、知らないはずのお互いをまるで遠い昔から知っていたように感じたという。当然言葉も交さずに別れたのだが、お互いにその時の感情が脳裏のどこかに残されたまま、10年という月日が過ぎた。その間に当然、違う恋愛も繰り返しただろう。でも頭のどこかに、その時のお互いの面影がちらついていたという。
10年を経て、何人かのグループで、またコンサートに行くことになった。その時、二人は再び出会うことになる。二人は、お互いにどうしても初めて会ったという気がしない。彼は彼女をデートに誘った。
初めてのデートの時にもその話題は出たが、2〜3度目のデートの時、やはりお互いに何処かって逢った様な気がおさまらず、一年ずつ記憶を後戻りさせ、二人の過去の足どりを一緒に探ってみたという。9年目の足どりを探り終えて、二人がもう一年記憶を戻したそのとき、まぎれもなく10年前、言葉も交さず互いに心引かれ合ったまま別れたその人だという事をついに思い出したのであった。それだけではない。神社の娘である彼女は、小学生の頃に夢の中に神様が現われ、前世心から愛した兄が病気で息を引き取る時に必ず生まれ変わったらお互いを探し出すと約束した事を告げたという。
「兄をあまりにも慕うそなたの魂は必ずや彼を見つけ出し、今生では夫婦として沿い遂げるであろう。夫婦としての二人がこの世を去った後は、二つの魂が一つに溶け合うであろう。溶け合った魂が来世には一つの魂として転生して来る。再び神仏を手伝う職業を選んで。その時その魂はもはや伴侶を探す必要がない。その魂は一生独身を通すであろう。」
実はこのカップルとは、私の弟と彼の妻である。弟は父の後継ぎとして寺の僧侶になっている。
私が知っているこの「ソウルメイト」達は、片時も離れられないような結婚生活を送っている。歯車が狂う可能性などはあるはずもない深い愛情で結ばれている。当然他の異性に興味を持つようなことも起らない。そして両者に共通するのは、出会った時に「電流が走る」ような、そして遠い昔から知っていたような驚きにも似た懐かしい感覚だ。それは、自分の好み、あるいは理想の異性であるなどと言うよりも超越した天からの閃きのように思う。
もしそれが可能ならロスの言葉も納得がいくだろう。そしてそれはきっと彼がいまだに謎に思っている輪廻転生の一つの現われとも言えることになりはしないだろうか?彼は無意識に輪廻や運命を肯定していることにはならないだろうか?
不仲になっている夫婦は、ソウルメイトではない人と結婚したという事になるのだろうか。そして人には必ずこの世のどこかにその「魂の伴侶」がいるという事になるのだろうか?それはたった一人なのだろうか?それとも複数いる可能性もあるのだろうか?ソウルメイトに一生会わずに人生を終えるとしたらそれが次の人生にどんな影響を及ぼすのだろう?あるいは、結婚した後にソウルメイトに会ってしまう可能性もあるのかもしれない。それは悲劇と言うことになるのだろうか。それともカルマだろうか。
ムスーリーは小さい町なのだろう。私の肩をポンとうしろからたたいて「ここで何をしているの?」と聞いたのはアンとエリザベスだった。エリザベスは妙な物を吸っていた。ビディーという煙草の一種で紙の代わりに葉っぱで細く巻いてある。出てくる煙も不思議な匂いだ。
「もうとっくに煙草はやめたの。でもインドに来たら話の種にこれは経験しておかなくちゃと思って買って来たのよ。」
彼女は私達に一本ずつビディーを勧めて、「ライターを持ってくれば良かった」と言いながら風が当たらないように苦労して皆で小さな輪になってシケったインドのマッチで火をつけた。おいしいともおいしくないとも言い難い味がした。2人の白人と1人の日本人が輪になってビディーを吸う姿がよほど興味深かったのだろう。私達のまわりをたちまちインド人達が取り囲んだ。私達はまるでいたずらをしている不良学生のようにお互いの顔を見合ってビディーを吸いながら笑った。アンが笑いながら
「エリザベス、これ本当にまともな葉っぱでできてるの?」
と念を押していた。
観覧車の脇で、きらびやかなヒマラヤの民族衣装が並んでいた。それを着て写真を取るのである。
エリザベスが歓声を上げて私達に「Let's do it !」と言った。辞退したはずのロスもたちまち私達3人に囲まれて、頭からインドの王子の衣装を被せられてしまった。銀の水壷を持ったり花かごを持ったりという演出をして私達は次々に写真を取った。時が経った今、その時の写真を見て不思議に思うことがある。
エリザベスとアンとロスがヒマラヤの民族衣装に身を包んで写っている写真は、白人が着ているせいかどう見てもブルガリアかハンガリアの民族衣装のように見えるからだ。つまりおよそインド的には見えない。それらの東欧の国々とインドが、かつてシルクロードを通して民族衣装などの文化も、少なからず影響を受け合ったのかもしれない。
ブルーで統一された王子の衣装を着たロスがおもむろに「お姫様よろしゅうございますか?」と言うと黒と金の格子の衣装を着て、銀の装飾が耳の横と額に垂れたベールを被った私の肩に手をまわした。プロのフォトグラファーであるエリザベスがロスの使い捨てカメラで私達を写す姿が可笑しくて私は笑いをこらえるのに苦労した。重そうな民族衣装の上から彼女は私のやアンのも含めたいくつものカメラをぶらさげて、相変わらず写す役目に回っていた。「職業病よ。」とアンが言った。
私の肩を抱く手に力を込めて、耳もとでロスがドラマチックに囁いた。
「私は何百年もの間姫を探しておりました。私は姫に恋焦がれて、姫を守るために戦いで死んだ王子でございます。覚えていらっしゃいますか?」
「あなたって本当に輪廻の思想をバカにしてるのね。」
「バカになんかしていないさ。息子になるよりはいいかなと思って、、。」
「ヒンズーの神様のバチが当たればいいんだわ!」
私はまっすぐ前を見てカメラに向かって作り笑いをしながら言った。
いつの間にか、停電が終わっていた。私とロスは再び並んでムスーリーの坂道を歩いた。
鄙びた商店街のような所に差し掛かった所でロスが、「カシミールシルク」と書いてある看板を掲げた呉服屋を指差すと入り口に向かって歩いて行った。入り口には何枚もパンジャビスーツが掛けてあった。彼はそこに掛けてあった光沢のある萌黄色のカシミールシルクのパンジャビをハンガーごと取ると私の前にかざして感心したような顔をした。
「思った通りだ。君にぴったりだ。」
中にいた店主がすぐさま外に飛び出して来て私達に愛想笑いを降り巻いた。
ロスの土産物を探す目的で来たのだったとやっと思い出した私は、シルクのスカーフやら何やらを店主に持って来させて、美しい柄の物を彼に勧めてみた。ロスはずっと上の空で、そのどれもが気に入らない様子だった。
「こういうピカピカのシルクを見ても僕はときめかないんだ。」
「あなたが気に入らなくても一般の女性はこういう物が好きなの!」
しびれを切らした私はくたびれて店内のベンチに腰をかけて言った。
「ロス、何のために私に土産品を選ぶ手伝いを頼んだの?」
「君と二人で、ただひたすら歩きたいと素直に言う勇気がなかった。」
彼はそう言うと、銀製のアクセサリーが並んでいるショーケースに目を落とした。
私は胸が熱くなってロスの白いTシャツの背中を見た。やっぱり私はこの人を知っていると思った。彼は私を知っていたのだろうか?何かが始まりそうな期待感と恐怖感が同時に心の中を満たした。もうずっと忘れていたような、体がしびれて溶けていくような感情だった。
店内にいた裕福そうな服を着た子供達が珍しそうな顔で私の周りに集まって来た。
ほっそりとして背の高いコバルトブルーのパンジャビを着た13歳ぐらいの女の子が片言の英語で話しかけてきた。
「Where do you come from ?」
「Japan.」
「Tokyo ?」
「Yes.」
私が言葉を発するとまわりにいた子供達が一斉に歓声をあげた。ざっくりと編み上げた真っ赤なセーターを着た健康そうな男の子が握手を求めてきた。コバルトブルーのパンジャビの女の子が弟である彼の頭をこづいた。私は突然スターになったのが嬉しくて財布の中から5円玉、10円玉、50円玉、などのありったけの日本のコインを出すと、5人の子供達に手渡した。穴の開いている金色の5円玉が一番人気があった。一枚しかなかったのを残念に思った私は、実はその5円玉が皆にあげたうちで一番価値が低いコインだと説明してその場を切り抜けた。100円玉をもらった真紅のセーターの男の子が喜んで、私に小さな鏡がたくさんついている金色のインドのペンをくれた。 子供達は皆、呉服屋の兄弟と、その従姉妹達らしい。コバルトブルーの美しいパンジャビとフワフワとした白いスカーフは私の娘にも似合いそうだった。同じような物を求めて店内を探したのだが小さなサイズの物が見つからなかった。デリーに着いたら娘のために美しいパンジャビスーツを仕立ててあげようと思った。
子供達と一緒にロスに写真を取ってもらった。私はカメラに向かって言った。
「この子達といると本当に日本にいる子供達が懐かしくなるわ。」
「あと1週間で日本に帰れるよ。Just one more week !」
彼はカメラのファインダーを通して言った。元気なムスーリーの子供達に囲まれてレンズを見ながら、私の作り笑顔が突然消えていくのを感じた。旅の3分の2がすでに終わったのだ。
ロスが呉服屋の並びの小物品店を見ている間、私は呉服屋の店頭にあった彼が見つけてくれた萌黄色のカシミールシルクのパンジャビスーツを買い求めた。襟ぐりから胸の部分に太い金色の糸で見事な刺繍があしらわれてある。落ち着いた深い光沢のある美しい民族衣装を、旅の思い出に大切に一生持っていようと思った。