さすらい人幻想曲

第2章:ロス・パーキンス C. Ross Perkins

 チベット仏教に関する卒業論文を書くのがとりあえずの目的だった。ふつう夏休みはバイトをする。・・・学費のためにね。今年もそのつもりだったし修士号を来春までに終わらせて博士号課程に進むのに論文作成に余念がなかった。好きな登山もしばらくおあずけのつもりだった。ダディーがアラスカの山に登って釣りをやろうと電話してきた。それと前後してハウスメイトのエリックが、テネシーのなんとか大学が主催する「南アジアの聖地を巡る旅」へ参加しないかと聞いてきた。 ・・・なんだって?5000ドル?冗談じゃないと思った。それもグループで?この奔放な僕がグループツアー?そんなのやったことないしできるわけがない。

 マミーが住むフロリダからコロラドに引っ越して以来、僕の人生はサーフィンから山登りへと変化した。ただ山あるのみだった。それ以外はデンバーの大学で、これといった人生の目的もなく、のほほんと過ごし、ビールとドラッグとガールハントに浸っていた。

 6歳の時、ダディーに女ができて両親が離婚した。あの時のことは今でも本当に細かく覚えている。まるで映画みたいに。幼かった妹と僕はいつも抱き合って震えていた。両親が言い争うたびにね。
 両親は離婚してから、僕がハイスクールを卒業するまでお互いに顔を合わせなかった。ハイスクールの卒業式で並んで座っている両親を見て胸が熱い物でいっぱいになった。式の後、その時の感動を両親にも正直に伝えたよ。幼かった頃、親の離婚の渦に巻き込まれた僕は、長い間両親を心のどこかで憎んでいた。でもあの卒業式の時、自分達の人生に正直に生きてくれた両親に感謝した。決して子供のために犠牲にならなかった両親に。だから僕は今でもダディーとマミー両方の親友だ。とてもいい関係でいるよ。

 自慢じゃないけどすごく女にモテた。女を見ると、いつものきまったスマイルをやってみせた。するとおきまりのようにその女が僕に夢中になった。そう。物心ついた時から僕にとって女は最大の憧れであり、弱み だった。もちろん恋をしたこともあった。でもダメなんだ。ある程度の所で僕は自分のハートにバリケードをはってしまう。6歳の頃のマミーのように僕の心がズタズタになると思い込んでしまう。
 僕は女を本気で愛したことがない。最後には自分の心が氷のように冷たくなるのがわかるんだ。年を重ねるにつれて僕はしだいに女に対して臆病になっていった。それを女は「ジェントルマン」という受け取り方をしてくれたからかえって好都合だった。僕は自分が本当に頼れる偉大な力のようなものを模索するようになった。

 しばらく僕は宗教ににげた。俗に言う「Born-again(霊的に生まれ変わった)」だ。キリストが僕の人生だった。でもそれも長くは続かなかった。人間にとって宗教というのは自分の生きる指針でなければならない。宗教をバカにしてはいない。もし宗教がなかったらこの世には「自殺」がたくさんはびこるだろうと確信する。でももし宗教に自分の生きる意味が見いだせなければキリストもブッダもなんの役にもたたなくなる。
 人生の意味をさがしてそれからいろいろなことをしてきた。5年くらい突然行方をくらまして、メキシコやコスタリカ、はてはヨーロッパをほっつき歩いた。帰ってきては、憑かれたようにロッククライミングをやった。ヒゲをのばすと真冬の雪山で瞬く間に凍っていった。岩と岩の間で雪嵐にあって3日も中吊り状態のテントに閉じ込められたこともあった。友人が死んだ。それでも僕は岩山に戻っていった。生と死の狭間で見る外界は、まるで神の国のように美しい。死と向い合せになるとエゴイスティックな自己がなくなってしまう。エゴもプライドもなくしてしまうことで、本当の自分に触れることができるんだ。自分が自分になれる。そして人生の意味が漠然とわかってくる。それが僕にとってキリストに感じたのと同じ、いや、それ以上の恍惚感なんだ。

 今の僕はヒューマニストだ。僕は人間の持つ可能性がとてつもなく大きいのを感じるんだ。この世にいる生物たちの中で、人間だけがアートを通して自己表現できる力を与えられている。すなわち人間の中にこそ神は存在するんだ。僕は人間が好きだ。そして人間は、本気でやろうと思えばなんでも可能だ。人間が持つ限りない能力と可能性を僕は信じている。

 5年の放浪生活のあと、大学院に戻り、哲学家になろうと決心した。それに答えるかのようにすばらしい師に次々と巡り会った。東洋哲学に魂を強く揺すぶられた。
 特にチベット仏教だった。・・・ティベットゥ・・・という文字が僕にとって甘味な音楽のように聞こえた。だからエリックが「チベット、ラサ」という言葉を発した時、それがグループであろうが5000ドルであろうが僕には関係なかった。数日後には銀行からありったけの金を降ろしてきた。

 何日かしてリーダーのフランクから学生の旅費がディスカウントになるという嬉しいニュースと、旅のネイムリストがファックスされて来た。20人の中になぜか一人だけ日本からの女性の名前があった。なつかしい国、日本。何度あの国に帰ることを試みたことだったろう。でもなかなか実現しなかった。

 僕はいつも東洋の女性に憧れた。東洋の女性は世界で一番美しいと思う。僕は横浜で生まれて5歳になるまでそこに住んだ。うっすらとした記憶しかないが、日本に住んでいたころの幼少の僕は間違いなく幸せだったにちがいない。アメリカに帰国してニューオーリンズに住んでから両親の間の歯車が狂ってしまった。リストにある名前。彼女はどんな人で、いったいどんないきさつで僕らと南アジアの旅に出ることになったのだろう・・・?

 出発当日、登山に使うバックパックに最後のシャツをつっこんでいたら電話がなった。エリックが答えていた。
「ヘイ、ロス、テネシー出発の連中の飛行機が嵐で飛ばなかったってさ。出発を明日に延ばしてくれという電話だ。」
「なんだって・・・?!」
 僕はエリックから受話器をむしり取った。フランクのしわがれ声が聞こえてきた。嵐で飛行機が欠航になり、全員アトランタで足留めをくっているらしい。
「こっちはとうに準備ができているんだ。そっちが乗れなくても僕は行きますよ。」・・・と僕は苛立って言った。フランクの妙に落ち着いた初老の声が受話器の奥で響いた。
「ロス、今やっと全員の明日のフライトへの手続きが終わったんだ。あとは、香港のホテルにいるはずの東京からの女性ひとりに連絡がつかないだけなんだ。」
「彼女は今ホンコンに?」
「そうなんだ。でもどこのホテルにいるのか名前をもらってない。彼女の夫の電話番号も今持ち合わせていないんだ。」
 なんだ、・・・結婚してるのか、。わけもなくがっかりする自分がおかしかった。
「それじゃあ、僕が彼女をさがせばいいじゃないですか。一石二鳥だ。」
「東洋人だらけのホンコンエアポートで、彼女をどうやって探すんだい?とにかくこれ以上、てこずらせないで明日のフライトまで待ってくれ。これから旅行会社に電話するから切るよ。GOOD LUCK! 」
・・・というわけで旅行は一日伸びた。こんなに長い一日も久しぶりだった。

 気の遠くなるような長いフライトの末、ホンコンから出発したドラゴンエアがやっと成都の滑走路に降りた。バカみたいにでかい荷物を持ってきたグループの連中がバゲッジクレイムでボーっとして突っ立っているのを尻目に、さっさと入国手続きを終えた僕は一番初めに外へ飛び出した。

 柵の所にたくさんの出迎えの東洋人がひしめきあっている中、一人の中国人の男が僕らのグループらしい「 William College 」と書いた紙をかかげていた。そのとなりでサングラスをかけて黒髪を無造作に後ろに束ねた東洋の女性が、嬉しさのあまりぴょんぴょんと飛び跳ねながら手をしきりに振っているのが見えた。「あのリストの彼女だ。」と思った。
 近づいて行って挨拶をした。握手をしながら彼女は僕のバックパックを見て驚いたような顔をした。
「ずいぶん身軽な旅行者ね。旅慣れているんでしょう?本当にまるで登山家のようね。」と彼女は言った。

 アジアン アクセントの彼女の英語が旅の疲れにしみとおった。
「そのとおり、これは僕の登山用のバックパックで、、、。」 ・・・と答えたが、彼女は僕の話を聞きもしないで気まぐれな鳥のように飛んで行って、あとから出てきたジェリーやドクターボンナムに抱き着いていた。

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