さすらい人幻想曲

第3章:成都空港 Chengdu Airport


 
次の日、朝起きてホテルの庭で中国式の朝食をとっていると鶴見さん達がレンタサイクルで門の中に入ってきた。前の晩の報告をしたあと、「きのうの飛行機が朝の10:45 に到着しているので 10:00 までにまた空港に行ってみます。もしまた会えなかったらもどって来ますので是非旅のお供をさせて下さい。」と言って、とりあえず荷物を全部持ってふたたびチベット人に頼み込んで空港に向かった。

 成都の空港と言っても、ゲートから出るとすぐ外である。迎えの人々も皆辛抱強く真夏の太陽が降り注ぐ外でしゃがみながら待つ。イスなどというしゃれたものはどこにもおいていない。フライトスケジュールの電光掲示板も外で、太陽が反射するので見えないところを目を凝らして調べる。香港からのフライトはどこにも出ていなかった。心なしか背筋がゾっとしてきた。これは何かのジョークなのだろうか、、。

 かろうじて少し英語が話せるスタッフに調べてもらったところ、次の国際線は2時まで来ないと言う。しかたがないので、例の茶屋で4時間近く時間をつぶした。何しろ空港の近辺には何もないのである。一度、町に引き返したところで、また無事に戻れるかどうかもわからない。

 今度は「銀針茶」を注文する。まわりにいる客も1ぱいの茶に新しく湯を足しながら長い時間座っている。背の高いグラスの中に無数の針のように浮かぶ銀針茶。茶屋のウェイトレス達が好奇の目で私を見てボソボソ憶測らしい話をしていた。一度、会話を試みたがまったく通じないのであきらめてひたすらインドに関する本を読みふけった。これも重いのを承知で日本からはるばる持って来たのだ。まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。

 ヒンズーのメッカとも言えるベナレスを流れるガンジス川の写真が何ページかにわたってあった。私には想像もできない世界だった。輪廻転生を固く信じ、より良い来世を願ってガンジスの神に祈りを捧げながら、その聖なる川で沐浴するヒンズー教徒達。私はヒンズーの輪廻の思想を自分の人生に当てはめようとした。欠点を数えあげたらきりがないこの私も、この世で来世に向けての修行をしているということになるのだろうか。過去世の私が死ぬ時、どんな生まれ変わりを思っていたのだろうか。

 輪廻転生は私にとって永遠のテーマである。私には、かなり前から1年に1〜2回の割合で見る同じような夢がある。夢の中で私は地中海らしい港町に立っている。
 毎回立っている場所は違うのだが、同じ地中海の町の近辺であることは確からしい。それは、その港全体の様子で、自分なりに結論を出したことである。地中海と言っても、南イタリアかもしれないし、あるいはギリシャかもしれない。港に立っている時、私のとなりに息子らしい男の子がいる。その子と一緒に海を見ながらどんどん上がってくる海面に津波が来ることを予感している夢だ。もうひとつの場面は丘の上である。丘の上の建物の中に私はいる。港に面した大きな窓に津波のとてつもなく大きな波が襲ってくる夢だ。窓が一瞬にして破壊される。私は足元にいた猫の後を追いかけて階段を駆け降り、地下室らしい所へ非難する。そこで二つの古い墓を見つける。埃をかぶってロザリオがかけてある墓だ。その墓の名前が知りたくて埃を払うところで目が覚める。
 どういうわけか、私はその夢が私の前世を意味するものなのではないかと漠然と思っていた。私はあの津波で命を落としたのではないか、そしてあの子供とはぐれたのではないかと自分なりにストーリーを作ってみたこともあった。古い墓が何を意味するのかは今だにわからないが、この夢のおかげで私は無意識に地中海に憧れた。地中海の国のどこかで、あの港町を見つけたいと何度か思ったことがあった。しかし、別な私はやはりそれが前世の自分などとは信じられない。それなら私は海が怖いはずだ。ところが実際の私は怖いどころか海が大好きだ。自分の勝手な想像が膨らんでいって夢に出てくるということも有り得る。だから今だに私にとって輪廻の思想はひとつの大きな謎なのである。それがあるという思想が人生をもっと夢のあるものにしてくれるからとか、そう信じることで、人生の様々な事のつじつまが合っているからなどの理由に過ぎない。そのテーマを一点の迷いもなくひたすら信じ、転生の象徴的存在であるガンジス川に日々祈りを捧げるヒンズーの人々の存在は私にとって驚異であり、そんな世界に限りない興味を持ってしまう。まだ見ぬガンジス川の光景が、本の中の写真を通してありありとまぶたの裏に浮かんだ。

 成都の町へ行くバスの中で鶴見さんが言った言葉を思い出していた。
「ベナレスにたどり着いてガンジス川を眺めていると、本当に『目からうろこ』ですよ。」
 ガンジス川の何がいったいそうさせるんだろう?死人の灰を流しているすぐ近くで人々が洗濯したり沐浴するのを見て何故そんなにインパクトを感じるのだろう?すでに私の心はインドへと飛んでいた。一刻も早くここを出発したかった。

 午後2時、荷物を持って暑い外へ出ると、もうかなりの人たちが柵の所でひしめきあっていた。ふと見ると、「 William College 」という紙をかかげた中国人の男がいた。あまりに安心して一瞬力が抜けた。近寄って今までのいきさつを英語で説明した。聞くと、彼は旅行会社の人で前日もここに立っていたと言う。誰も出てこなかったのであきらめたらしい。ましてや、その中に日本人がいるとはつゆ知らず、白人ばかり探していたと言った。

 ゲートから一番最初に出てきた若い男性が、耳の下で跳ねているブロンドの髪を柔らかそうになびかせながら黒いサングラスをかけて歩いてきた。彼は私たちが掲げていた紙を見て、こちらに向かって早足で歩いてきた。ずっと後ろに、William College 時代からの私のピアノの師であるドクター・ボンナムの旅に疲れた顔が見えて私は嬉しさのあまり飛び上がった。

 彼は人なつこい笑顔で握手を求め「ロス・パーキンス」と自己紹介をした。挨拶をかわしながら彼のバックパックを見て私は呆然としてしまった。鶴見さんのバックパックとまったく色も形も一緒だったからだ。でもそんなバックパックは腐るほどあるにちがいないと思った。

 ドクター・ボンナムのあとに2年連続マサチューセッツのピアノセミナーで一緒に勉強した学生のジェリーが出てきた。いつもはアメリカでピアノを囲んで会う彼らと、この中国の地で再開なんて、、。
私は二人に向かって走り出した。

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